文章を書く

 文字を書くのが好きなのと同様に、文章を書くのも好きである。

 別にこれは小説という意味だけではなく、ちょっとした日記であるとか、手紙であるとか、そういうものも含まれる。

 どうしたら相手にそれが伝わるのだろうか。喋ることは苦手だが、文章ならば書ける気がする。気のせいなのかもしれないが、そういうわけで私は文章を書くことが好きなのである。

 文章を書くことは、思考を整理することに似ている。今自分が何を考えているのか、何を思っているのか、何を伝えたいのか。そういうことを頭の中でこね回しながら、あれでもないこれでもないと文字を連ねていく。


 もちろん、最初からうまく書けるはずがない。

 そういう思考の整理をして、書き連ねて、削って直して、そうしてようやく自分の言いたいことや伝えたいことを、ある程度形にすることができるのだ。

 書いたことすべてが伝わると思うなど、傲慢なことだと思っている。十割伝わるはずもない、それならばせめて八割、九割、そうして十割に近付ける努力はしたい。伝えたいのならば伝える努力は必要で、伝わらなければそれでいいと切り捨てるのは我儘だろう。もちろん伝える相手がどんな相手かというのもあるので、こればかりは一概にこうすべきとは言えないけれど。何せ相手によっては切り捨てる必要があることもある。


 先にも書いた通り、私は口が上手くはない。喋る速度と思考の速度がつり合わず、先に組み立てておくのならばともかくとして、その場で何かを考えて喋ろうと思うと、どうにも思考が先行してしまって上手く伝わらなくなるのである。

 省略してしまうというのが、悪いところなのだけれども。ともかくそういうわけなので、私は文章にする方が人に伝えられるのだ。コミュニケーション能力の低さを、何とかして文章で補っていると、そんなところだろうか。


 伝わるように工夫をしていく工程は、積み上げていくことに似ている。そうやって積み上げたものが自分の成果になり、身についていく、「ああ、できるようになった」そういう瞬間は何にも代えがたい。最初からできる人はすごいなあと思う反面、こういう所謂『努力』というもので裏打ちされて身についたものは裏切らないのもあり、得難いものなのだと思っている。

 手紙も、物語も、テストの問題文であっても、「誰に」「何を」「どのようにして」伝えるのか。この根底は同じことだろう。具体的な誰かかもしれないし、ざっくりした一括りかもしれない。けれどそういう「誰か」に向けて、自分の中にあるものを伝えようとする。これは本当に楽しいことだと思っている。


 だから、エッセイを読むのが好きなのかもしれない。小説を読むのが好きなのかもしれない。手紙を読むのも、誰かが作ったテストを見るのも、好きなのかもしれない。

 そこには確かに作った人がいて、何かを懸命に伝えようとしているのだから。

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私をつくる好きなもの 千崎 翔鶴 @tsuruumedo

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