文字を書く

 昨今パソコンやスマートフォンで文字を打つことも多く、すっかり漢字が書けなくなったという話を聞くことがある。小説の公募原稿だって原稿用紙に手書きで応募する人がどれほどいるか――そもそも、もう郵送では受付をしていない出版社も多くなっているので、本当に極小数になったのかもしれない。

 かくいう私も例に漏れず小説はパソコンのワード一択であるので、手書きをすることはないのだ。ただし、という注釈はつく。


 私は、ボールペンで字を書くのが好きなのである。字の巧拙はさておき(一応読める字であるが)、自分の字も結構好きだったりする。

 ルーズリーフに、ノートに、ボールペンでさらさらと。間違えることもあるが、それはそれだ。

 その日のちょっとした予定であったり、小説のネタであったり、そういうことを紙の上にさらさらと書き付けて、「うん」とひとつ満足気に頷く。

 自己満足の極みのような話ではあるが、そうして紙の上に並んでいる文字を見るのもまた好きなのである。


 そもそも私は小説を書き始めたのがまだ年齢1桁の頃で、家にパソコンはあったものの、それで書こうなどとは思わなかった。そもそも父親の所有物、こっそり使うにしても知られたら大目玉、ということはなかっただろうが、間違いなく書いている小説を読まれてダメ出しされただろう。

 ちなみにやけに具体的な予想であるが、これは長じてから実際に発生した事柄である。これだから活字中毒気味の家族というのは、などと文句は出るが、結果としてそのとき書いていたものが納得いく出来になったので良かったとしよう。

 ともかくそんな風であったので、最初に書いた小説は(小説と呼べない代物であったかもしれないが)、大学ノート1冊に鉛筆でびっしりと書かれたものだったのである。先日そのノートは発見したが、まだ最後まで読めてはいない。

 それから何冊もノートに小説を書いたわけで、自分のパソコンを買ってもらうまでは、右手の小指の付け根から手首にかけての部分を真っ黒にしていた。でもそれもまた、良い思い出なのである。


 書くものは小説ではなくなったし、使うのもボールペンに変わった。けれどこうして字を書くというのがやはり楽しい。かりかりと紙の表面を齧って削っていくような感覚と、最終的に並んだ文字と。なんだか味があっていいじゃない、右上がりになってもそれが楽しい、そんな風に字を楽しんでいる。


 手帳にもたくさんの文字を書く。と言ってもこれは仕事のタスク管理ではあるのだけれど。

 けれどそれも、ひとつひとつ消していくのが楽しかったりする。

 そして職業柄ではあるが、ホワイトボードに文字をたくさん書くことも多い。板書が完成したときは、ちょっとした満足感があったりする。

 テストの問題をつくるときも、最初は紙とボールペンである。

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