第2話

02

 タロウは何も考えられず、ただぼーっと自転車を漕いでいる。信号で止まる度にツーっと汗が背中を伝う。


 再びライアと対峙するために、長い時間をかけて自転車を漕いで来たが、それも徒労に終わってしまった。しかもライアの居所を示す手がかり1つ無いのだ。疲労と閉塞感に包まれたタロウは、その足取りも重い。家に着いたのはすっかり日も暮れた頃であった。


 シャワーで汗を流しさっぱりはしたが、タロウの心はどんよりと厚い雲で覆われたままであった。


「これからどうしたらいいんだろう。」


 力なくポツリと呟く。こうしている間にも大好きな町はどんどん蝕まれていく。まるで全身にじわじわと毒が回っていくかのように。

 大好きなキクさんも悲しんでいた事を思い出し、タロウの胸がチクリと痛んだ。


 なかなか眠れぬ夜を過ごし、いつものように団子の仕込みを始める。店を継いでからしばらく経つが、どんなに心がぐちゃぐちゃでも、団子の粉を練っていると不思議と気持ちが落ち着いてくる。そして団子を成形して串に刺し、その上に餡を塗っていく頃には元気一杯の自分になっているのだ。

 今日も団子を作り終わる頃には、やはりいつもの元気なタロウになっていた。タロウにとって団子づくりは特別なものである。


「よし、じゃあ早いところ届けにいくか。」


 完成した団子を箱に詰めて、タロウは配送の準備を終えた。フラワータウンにある得意先を回るため、タロウは自転車を漕ぎ始めた。自転車を漕ぎながら、今後の事を改めて整理する。


(やっぱりこのまま何もしない訳にはいかない。ライアの居場所を探すのは難しいけど、何もできない訳じゃない。)


 そうだよな、とタロウは自分の心に問いかけると、自転車を軽快に走らせた。

 

 タロウは一件目のお店に団子を納め終わると、そこの近くに住むとある老夫婦の家を訪ねた。


「朝早くに失礼します!団子屋のタロウです。新商品の団子を作ったので、この辺りに住む方に配り歩いていたんです。良かったらもらってもらえませんか?」


 名付けて『団子大作戦』。無料で団子を配りながら、ライアの病魔に侵されている人を説得して回るのだ。店の開店時間を減らしてでも、タロウは何とか元の日常を取り戻したかった。そのためにせっせと団子を作ったのだ。


 しかし、タロウの思いとは裏腹に、団子大作戦の成果はほぼ見られなかった。ある夫婦の家を訪問した際には、頭から水をかけられたり、ある高齢男性の家では塩を撒かれたり、罵声を浴びせられ殴られそうになった家もあった。


 1日、また1日と経つにつれ、タロウは精神的にどんどん疲弊していった。自分の無力さに打ちのめされていた。


「俺の力はなんてちっぽけなんだろう。」


 団子作りの効果も日に日に薄れ、一週間経つ頃には極度に削った睡眠時間のせいで頬は痩け、目の下の隈もひどく、まるで別人のような有り様であった。これにはキクさんも大いに憂いだ。


「タロウくん、そんなに思いつめては駄目よ。このままでは町よりも先にあなたが参ってしまうわ。」


 何度キクさんが苦言を呈しても、大好きなキクさんに心配をかけている事がまたタロウの精神を追い詰めていた。


 そんなある日、タロウはとある夢を見た。


 タロウは果てしなく続く白い道を歩いている。その道の両脇は真っ黒な闇。足場があるのかすら分からない、深淵なる闇。そちらに一歩足を踏み出せば、底無しの闇の中に落ちてしまうのではと思わせるほどである。

 

 闇を恐れながら、タロウは決して踏み外さないように注意して白い道を進んでいくと、一軒の家にたどり着いた。やや古ぼけた普通の民家のようで、その壁や屋根は蔦のようなもので被われているが、ドアだけは蔦が避けるように綺麗なままであった。タロウは、さも当然のようにドアノブに手を掛け、ゆっくりと押して家の中に入った。家の中には、襤褸をまとった黒髪の子供がポツンと一人立っていた。導かれるようにタロウが近づいてみると、黒髪の子供はうつ向いていた顔をあげる。その目からは大粒の涙がこぼれていた。


「×××、××××××、××××××××××××××」


 タロウは子供が何を言ったのか、よく聞き取れなかった。だが、自分のやるべき事は何故か理解できた。黒髪の子供は、タロウの手を取って奥の部屋に連れていこうとした。タロウは手を引かれるままに、奥の部屋に入ると、部屋の中央には広目のテーブルがあり、その上にはタロウが見慣れた粉と道具が置いてあった。

 

 タロウは、普段している通りに2種類の粉をボウルにふるい入れ、そこに砂糖を加える。そして、そこに水を少しずつ加えながら、タロウは慣れた手付きで粉と水を混ぜ合わせ、手で捏ねながら1つの塊を作った。


「××、×××!×××!」


 黒髪の子供はピョンピョンと跳ねながら、タロウに何か言っているが、タロウには聞き取ることができなかった。


 火に鍋を掛けて湯を沸かす間に、タロウは子供と一緒に生地を一口大に千切っては、綺麗に丸めていった。すべての生地を丸め終わる頃には鍋の湯も沸騰し、タロウは鍋の中に丸めたものを丁寧に加えていった。


 子供とタロウは自然と手を繋いで、鍋の中をじっと2人で見つめていた。しばらくすると、1つ、また1つと白い球体が湯の中から浮かんできた。それはあたかも白い宝石のような艶を帯びている。タロウはそれが十分に煮えたのを確認し、球体を掬い上げトレーの上に並べていく。


「×××、××××××××?」


 子供は冷蔵庫から黄色っぽい液体、トロリとした粘稠性がある、を取り出してきた。

 タロウは串うちした白い球体に、その黄色い液体を絡めて、皿に並べていく。丁寧に、見映えを気にしながら。


「×××!×××、××××!×××、×××××!」 


 子供はタロウが並べた皿から、ひと串のそれを手に取り、宝石を検品するかのように見た後に、ゆっくりと口に運んでいった。

 そして、3個並ぶ宝石の一番上をガブリとかじり、もぐもぐと咀嚼し、ゴクリと飲み込むと同時にタロウの方を向き、満面の笑みを浮かべた。言葉はいまひとつ聞き取れないが、タロウにはその顔を見れば、もうそれで十分であった。


(ん……)


 タロウはゆっくりと目を開けた。どうやら泣いていたらしい。タロウの目にはうっすらと涙の痕があった。


(夢……か。)


 タロウはぼんやりする頭で、先ほどまで見ていた夢の世界を振り返る。


「何か、不思議な夢だったなぁ。」


 そう呟いた後、タロウは団子の支度をしなければと思い直して、のそのそと動き始めた。

 いつも通り団子を作り始めたタロウであったが、今日はどこかいつもと違う感じがした。身体が軽い。頭も軽い。あのセミナーに参加して以来、ずっと頭の中に靄がかかっていたが、まるで台風一過の後の空のようにすっきりと澄みきっている。

 タロウはあの夢と同じように材料を混ぜ合わせ、一口大にし、沸騰した湯でそれを煮ていった。そして夢の中と同じ白い宝石を作り上げた。


(後は、あの黄色い液体があれば……)


 今まで作ってきた物とは何かが違っていた。だが、何故かタロウは夢の中に出てきた黄色い液体の作り方が分かる。いや、初めからタロウにはのだ。


「よし、出来上がったこの黄色い液体を、串うちしたこいつに塗ってやれば……完成だ。」


 タロウは丁寧に宝石たちを包み、完成したそれを届けるため、自転車に跨がった。


 ここはフラワータウンに住むケチで有名なお爺さんの家。お爺さんの家は今、飲みきれなくなった天然水のケースが山積みとなっていた。部屋という部屋にケースが積み上げられ、部屋を行き来するのも苦労するほどである。誰の目から見ても過剰なのは明らかで、電車で4駅先に住む娘さんが止めても、お爺さんは一向に定期購入を止めようとはしない。


「お父さん、いい加減にしてよ!こんなにたくさんの水、家に置いておいてどうするの?1度、買うのを止めてよ!」


「うるさい!俺が何を買おうと俺が稼いだ金だ、文句をいわれる筋合いはない!」


 今日もまた娘と父の言い争いが始まった。10人いれば10人が娘さんを支持するだろう。しかし、このお爺さんには響かない。


「いちいち俺のすることに口を出すな!お前は自分の家族の事だけ世話を焼けばいいんだ。さっさと家に帰れ!」


 お爺さんの娘は、口をへの字にしていたが、ついにボロボロと涙をこぼし始めた。そして、無言のまま荷物を片付けてお爺さんの家を出ていこうと、扉に手を掛けた。

 だが、扉は自分の意思とは無関係にスーッと開いていく。


「お取り込み中にちょっくら、ごめんよ。」


 扉が開くと同時に、笹の包みを抱えた男が入ってきた。男は包みの中から黄色い液体が絡んだ人串の団子を取り出した。


「爺さん、あんたのために作ってきたんだ。話の途中で悪いが、こいつを先に食ってもらうぜ!」


「何だと?!お前、ちょっと待、むぐっ」


 男はお爺さんの口に団子を押し込んだ。堪らずお爺さんは、口にはいった団子を咀嚼する。


「そうだ、よく噛んで食べてくれよ。慌てて飲み込んで、喉につまらせちゃあ駄目だぞ?」


 男に促されるように、喉に詰まらせないようお爺さんはよく噛んで、ゆっくり飲み込んだ。


「う……うまぁぁぁぁぁあぁああいぃ!!!!!」


 目をカッと見開き、口から龍を吐き出さんばかりにお爺さんは叫んだ。そして男が持っていた団子を見やると、その手から奪い取るように掻っ攫い、一口、また一口と貪るように団子を食らう。


「おいおい、慌てて食べると本当に喉に詰まらせるぞ?」


 男が苦笑いしながらお爺さんに忠告するが、聞こえているかは怪しい。男は近くにあったケースから天然水のボトルを取り出し、お爺さんに差し出した。お爺さんはそのボトルを受け取り、ゴクゴクゴクっと一気に飲み干した。


「団子屋、腕を上げたな。これだけ美味い団子を食べたのはいつ振りか。見事だ!」


 お爺さんは爽やかな笑顔で褒め称えた。その顔は先程までのどんよりとした表情から一変。いや、元のお爺さんよりも数倍エネルギッシュになって復活した。


「こんな事している場合じゃない!早く契約を見直さなければ…」


 お爺さんは身を翻して契約書を探すため、奥の部屋に消えていった。


「もう大丈夫そうだな。良かった。あ、突然お邪魔してすみませんでした。もう大丈夫そうなんで、俺はこれで失礼します。」


 そう娘さんに一言断って、突然の来訪者は、そそくさともと来た扉から出ていった。あまりの出来事に状況を把握できない娘は、男が出ていった扉と父親が消えていった方をキョロキョロと交互に見た後で、安堵の表情を浮かべた。

 その目には、先ほどとは異なる涙が今にも零れ落ちそうになっていた。

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