第3話




 若草色に色を変えた魔石を箱にしまい、侍女のコレットに手渡したマドロンは、さて、すぐにお暇するわけでもなく、出された紅茶を嗜んでいる。

 ナゼールも拒否感を示さず、ただゆっくりとマドロンとの時間を過ごしている。

「そうだ、紹介しておこう。私の側近のロドルフとテオドールだ」

「ロドルフ・S・ブルジェと申します。ナゼール殿下の身の回りのことを補佐させてもらっています」

 ロドルフと名乗った青年が一礼をする。先ほどから、ナゼールとマドロンに紅茶をいれたり、王子にいわれて魔石の入った小箱を取り出したりと事務作業をしている彼は、左目片側にだけ、片眼鏡をかけている。

「テオドール・L・ダングルベールだ。俺は護衛とか体力仕事専門だ。よろしく頼む」

 丁寧な物腰のロドルフとは対照的に、溌剌と、それでいてこちらに一線は引きつつもそれまではと踏み込むような態度を見せているのがテオドール。彼は眼鏡とは無縁らしく、そのオレンジ色の目をキラキラと輝かせている。

「ご丁寧にありがとうございます」

 紹介を受けて、マドロンも侍女コレットと、本日、家から着いてきてくれた騎士ベルナールを紹介する。

「ダングルベール様のお名前はお伺いしたことがありますわ。馬上槍の大会でも優勝されたことがあるとか……」

「テオドールでいいぜ。あの大会は騎士見習い達ばっかりな分、早くから家で鍛えられてた俺が有利だったってだけさ。ま、今でも同年代には負ける気はしないがね」

「ブルジェ様も、この紅茶を味わうだけでその器量がわかりますわね。ナゼール様もブルジェ様が傍にいて安心されているのでは?」

「そうだね。二人にはとても助けられているよ」

「もったいないお言葉、ありがとうございます。ナゼール殿下の婚約者なのですから、私のことはどうぞロドルフと呼び捨てにしてください」

「そうおっしゃるのでしたら、どうぞ、テオドールと同じようにフランクに接してくださいませ。その方が私としても気持ちが楽ですわ」

 ロドルフは善処します、と頭を下げる。ナゼールは年も近いし私たちの間では敬称もいらないだろう、と肩を竦めた。もっともだとマドロンは頷いた。それをどう受け取ったのかはわからない。ロドルフは静かに善処します、と二人に返した。

 さて、それぞれの紹介が終わって、ふと、マドロンはあることを思いだした。

 ここに来るまでの間、ずっと引っかかっていたことの一つ。

 それを聞いてみてもいいものか、考えたのは一瞬だけ。これを抱えたまま返っても時折思い出しては何故だろうと首をかしげるだけならと、マドロンは小さな疑問をナゼールに投げかけた。

「そういえば……ナゼール様は時折、ラシーヌ領にお忍びで来られていたとか。理由はお伺いしても?」

「ナゼールでかまわない。理由か……まあ、たいした話ではないよ」

 ナゼールが斜め後ろに控えるロドルフに視線を投げかけると、ロドルフは一つ頷いて部屋の隅の棚から小さな箱を取り出した。マドロンにはとても馴染みのある大きさのその箱をみて、もしや、とマドロンは答えに行き着いた。

「箱自体はラシーヌ領の眼鏡専門店の物だから、マドロン嬢には見覚えのある箱だろう。中身は私が昔使用していた眼鏡だけれどね。ラシーヌ領には、眼鏡の買い付けと調整に訪れていたんだ。残念なことに、王都の領には腕のいい眼鏡職人がいなくてね」

「私もマドロンで結構ですわ。王都にも眼鏡をかける市民はいるでしょう? その方々はどうしているのですか?」

「確かに王都にも眼鏡を取り扱う店はあるが……こういった物ばかりだ」

 ナゼールが箱を開ける。そこには、太い縁で縁を作り、同じぐらいの太さでツルを伸ばした、良くも悪くも無骨な眼鏡があった。色覚補正レンズにはあまり詳しくないが、レンズも分厚く、補正も大雑把なように見える。その眼鏡にマドロンは幼少期の記憶が掘り起こされる。マドロンが眼鏡をかけ始めたばかりの頃、初めての眼鏡も同じような物だった。領地の市民がちらほらと同じ物をかけていたから、眼鏡とはこういう物だと当時は思っていた。そして、その眼鏡をかけてドレスを着るとーーあまりにも、眼鏡が浮いたことも、覚えている。

「……これが、王都で扱う眼鏡でして?」

「恥ずかしながら、そうだ。王都では貴族や上流階級の者も多く、その分眼鏡に対する忌避感も強い。専門店なんてないし、いくつかの商店が店の端においている定型の物ばかりだ。最近は、グリスト商会が新しいデザインとして、こういった眼鏡を売り出しているらしく、ラシーヌ家含めた他の領地の眼鏡もいくらかは出るようになったが……ラシーヌ領ほどデザインやレンズの調整に長けた物はない」

 なるほど、とマドロンは納得しつつ……天井を仰いだ。どうやら、自分が目指す道は思っていた以上に険しいらしい。

 わかってもらえただろうか、とナゼールに尋ねられて、マドロンはとてもよく、と返した。

「我が領の品をご愛顧いただいているのは嬉しく思いますが……複雑ですわね」

「私のモノクルも、ラシーヌ領のフォート・ウェスト眼鏡店で作っていただきました」

「ああ、あのお店は良いですわね。私も、私の兄弟も幼少からお世話になっていますわ」

 格好を直しつつ、マドロンは少し考える。これほど眼鏡に対して、王都の考えが遅れているのであれば、その王都直轄の学園は、いかほどだろうか。

 それをナゼールに確認していい物か逡巡していると、先にナゼールが口を開いた。

「学園は王都に住まう市民も受け入れているから、まだ多少は眼鏡に対して寛容だが……それでも、偏見を持った教師も多い。私も、度々『眼鏡に変な付与魔法でもかけていたんじゃないか』といわれる始末だ」

「まあ、ナゼールにまで?」

 第二王子であるナゼールにまでそのようにいわれるのであれば、侯爵であるマドロン自信にはいかほどか。容易に考えがつくであろう。

 マドロンが驚きに目を丸くしたのをどう思ったか、ナゼールは学園で何か困ったことがあれば遠慮無く私の名前を出してくれ、とマドロンに進言したが……マドロンは一つ、微笑みを返すとはっきりとナゼールに告げた。

「ご配慮いただきありがとうございます。どうしようもないときは頼らせていただきますわ。ですが――」

 マドロンの青紫の瞳にこもる意思。それが、ナゼールに突き刺さる。

「ラシーヌ家、ひいては『ラシーヌ家の蒙昧三兄弟』の長女として……そのような風評、吹き飛ばして見せますわ」

 あまりにも強い宣言にナゼールは目を丸くしていたが……ふっと表情を崩すと、それでこそ私の婚約者だと笑った。そして、私も負けてはいられないなと、ナゼールもまた、何かを固めたようにぐっと手を握りこんだ。




 第二王子、ナゼールとの茶会を終え実家に帰ってきたマドロンは、まず両親に結果の確認を迫られた。無事に話は纏まったと告げれば、母ロザリーはあまりにも安堵したのか、ふうと後ろ向きに倒れてしまった。傍に控えていた従者が慌てて支えたので大事には至らなかったが、まったく、気苦労が過ぎるとマドロンは苦笑いを浮かべた。

「ああ、よかった、本当に良かった……」

 支えられつつもその場にへたり込んでしまった母は、両手で顔を覆いおいおいと涙を流してまでいる。

「母様、まだ話が纏まっただけでしてよ。これからまだ妃教育もありますし、それに……」

「貴女はラシーヌ家自慢の子の一人なのですよ。それなのに、ずっと眼鏡をかけているというだけで悪し様にいわれて……やっと、認めてくれる人が現れたのですよ、少しは喜ばせてちょうだい……」

 母の言葉に、マドロンの手が止まる。けれど、マドロンはそっと母の肩に触れると、心配かけさせてごめんなさい、と小さく呟いた。父であり現当主であるフェリクスが、ロザリーは私に任せて部屋に戻りなさいと促してくれるまで、マドロンはその場で母に寄り添っていた。

泣く母を父や執事に任せて、マドロンはコレットを伴い部屋に戻る。と、部屋の前にはアレクサンドルが待ち構えていた。ニコリと微笑むアレクサンドルに、どうやら任せていたことは充分に行ってくれたらしいと、マドロンは判断した。

 アレクサンドルと共に部屋に入る。もう一人のマドロン付きの侍女であるリディが、アレクサンドルとマドロンの二人に椅子を用意した。

「話は纏まりました?」

「ええ。婚約者という立場を受け入れたわ」

「どこまで話しました?」

「王室での第二王子の立ち位置はなんとなく推察できたから確認していないわ。ラシーヌ領にお忍びできていた理由は伺ったけれど」

「じゃあ、マドロン姉様の推察があっているかの確認ですね。一通り集めた情報を話しますね」

 お願い、とマドロンが促すと、アレクサンドルはすらすらと『世間話』を語り始めた。

 現在、この国の王家であるエルヴェシス家には3人の子どもがいる。

 第一王子、アンベール

 第二王子、ナゼール

 第三王女、ユゲット

 アンベールとナゼールは年が近く、二人とも王立学園に通っている。既に王室内でもいくつかの仕事を任せられている立場である。

 第三王女のユゲットについては、少し年が離れているーーアレクサンドルよりも年下だというーーこともあり、現在の王位継承権は、第一がアンベール。第二がナゼール。第三がユゲットと年齢順になっている。

 しかし。

「第二王子であるナゼール王子のみ、側室の子であることと、『眼鏡』をかけていることから、ユゲット王女が学園に入学する頃には王位継承権は間違いなく変わるでしょう。それを差し引いても、アンベール王子が有能すぎて、王位継承はアンベール王子で間違いない、というのが現状、といったところです」

「他には?」

「今回の婚約について、王室内では意外と意見が一致していたとか」

「あら、意外。厄介者払いかしら?」

 概ね正解、とアレクサンドルが頷いた。

 眼鏡をかけているナゼール王子は王室に相応しくない。早々に一代限りの公爵位に移るか、あるいは失態を犯して廃嫡となってほしい。だが、あまりにも位の低い者との婚約は逆に王室の名誉に関わる。王室の利益にもなって、かつ、王室内から追い出すのに都合のいい相手が良い。だが、そんな相手など、いるはずが無かった。

 ラシーヌ家の長女マドロンがいなければ。

「この国の産業の一つであるダンジョン探索と、そこから発掘した品の活用。ダンジョンは放っておくと災害に発展しますから、どこも一定以上の力を入れてはいますが……」

「ここ数年のダンジョン産業の成長率……とくに、ノエルが聖獣と契約を結んでからはラシーヌ家が一つ頭を抜いている」

「ええ。『王室に相応しくない姿』で追い出しつつも、うちの仕事の成果を得ることができる……という考えみたいです。やだなぁ、僕らの成果は僕らの物なのに」

「私たちの成果は、この国のための物よ」

「おや、マドロン姉様は貴族の責務のためなら、という考えですか?」

 アレクサンドルが。軽く突っかけた台詞に、マドロンは馬鹿いわないでちょうだい、と突き返した。そうして、その唇をにまりと歪めながら、『結果が世の中を変えるのよ』と自信を持って告げるのであった。




 転送装置を使って、ナゼールが王室に戻ったのは夕暮れも間近といった頃合いだった。

 万が一に備えて居城から少し離れたところに作られている転送拠点の地下通路を通りながら、ナゼールは思案するように細く、長く息をついた。

「緊張しますか」

 ロドルフの問いに、ナゼールは少しと答えた。

「さすがに眼鏡だけを理由に、いきなり絶縁、となることはない……とは思うけどね」

「なに、どうなっても俺たちはお前についていくって」

「それは心強いね」

 城内に続く門に、自身が身につけている魔石を近づける。石造りの扉がゆっくりとスライドしていき、綺麗に切りそろえられた石が並び、積み上げられた階段が姿を現す。一段一段、いつものように昇っていくと、最低限の明るさだけが保たれていた通路が、徐々に明るさを増していく。最上段まで上り詰めると、出口にいた兵士が敬礼でもってナゼールを迎え入れた。ナゼールは楽にするようにと片手だけで示すと、そのエリアの出入り口から、居城へと戻っていく。

「このまま王の元に向かいますか」

「ああ」

 ロドルフは、ナゼールに小さな入れ物を手渡そうとしたが、ナゼールがそれを拒否した。

「私には、何も、恥じることなど無いのだから、それは必要無い」

 まるで、ナゼール自身に言い聞かせるようなその言葉に、ロドルフは差し出しかけた空の眼鏡入れを魔法鞄にしまい込んで、鞄ごと小さくして腰のベルトに留めた。ナゼールは続けて、ロドルフに私に倣わなくてもいい、と告げたが、しかし、今度はロドルフが、いいえ、と首を振った。

「私も同じです。現王家の王子に仕えるこの身に、今、恥ずべきところはございません」

 至極当然とばかりに自らの意思を告げるロドルフ。

 そうして、居城の中でも最も荘厳かつ、重厚な鎧に身を包む騎士がその傍に控える扉の前にナゼールは到着した。騎士が、身だしなみを整えください、と進言したので、ナゼールはさっと自身の姿を確認するそぶりを見せる。けれど、その顔にかけられた眼鏡を外すことはなかった。騎士は、何か言いたそうにしていたが、ナゼールが父に報告事がある。開けてくれと命令すると、口を一度閉ざし、告げられるはずだった言葉は飲み込まれた。

「エルネスト国王! ナゼール王子です! お通ししてもよろしいでしょうか!」

 室内に向かい騎士が尋ねる。許可の返答が返ってきたので、騎士は扉を開けた。ナゼールを先頭に、ロドルフ、テオドールが続く。

国王が座る椅子の手前まで敷かれた赤い絨毯の上を歩く。端には衛兵が並んでいるが……微かに、衛兵達の間に動揺の波が広がった。

かまうことなく、まっすぐにナゼールは王の前まで歩む。

 王の隣の席には正妃であるロクサーヌが控えていたが、ナゼールの顔を見るとさっと扇で顔の下半分を隠した。しかし、その眉と目は『不快な物を見た』とばかりに歪められている。

 王の一段下にいた男性――兄であり第一王子であるアンベールも眉を顰めている。

 王の表情は変わりないが、しかし、ナゼールが立ち止まるやいなや、開口一番「眼鏡を外しなさい」と命じてきた。

 が、ナゼールはそれに従わず、淡々と「ラシーヌ侯爵家の長女、マドロン嬢との婚約の意思を固めました」と報告する。

「そうか。……何か賢しい入れ知恵でもされたか」

「いいえ?」

「では、眼鏡を外しなさい」

「何故その必要が? 正常に見えぬからこその危機や不便に身をさらせと?」

 正妃ロクサーヌが王に身を寄せて、何やら囁く。しかし、王は深いため息と共に首を横に振った。

 下がれ、と一言の指示が下り、ナゼールは頭を一度下げて、その場を後にした。そのまま、まっすぐに自室に向かう途中、後ろから呼び止められて振り返る。父であり王の傍に控えていたはずの、兄アンベールが困惑した様子でそこにいた。少し後ろには、妹にあたるユゲットもいた。ナゼールの位置からでは見えなかったが、どうやら先ほどの場にユゲットもいたらしい。「なぜ、お父様もお母様もあんなにメガネを嫌っているのかしら」と首を傾げ、ナゼールに「お兄様、よくお似合いよ。今度またお勉強を教えてくださいね」と無邪気に微笑み、侍女と共にその場を去って行った。

 残ったのはナゼールとアンベール、そして二人の従者のみ。

「眼鏡をかけるのは仕方ないとしてもだ。TPOはあるだろう」

「社交界に出たとしても、恥ずべき姿ではないでしょう。ただ、周りが蒙昧の者と『勘違い』するだけです」

「その『勘違い』が我々王族にとっては充分、致命傷になり得る」

「物事が見えず、かといって見るために力を割いていては、そちらの方が致命的な弱点でしょう」

「何のための侍従だ」

「私の介護をさせるためではないことは確かですね」

 延々と続きそうだった益体のない論争に、ストップをかけたのは互いの従者だった。ロドルフはナゼールに、アンベール派の大臣がこちらに近づいてきていることを耳打ちする。アンベールの方も、従者に何かを言われたらしく、ふう、とため息を一つつき、「よく考え直せ。お前が無能でも蒙昧でもないことは父上も存じ上げていることだ。つまらない意地で立場を悪くするな」と言い残して身を翻した。その背を見送り、ナゼールは再び自室へと向かう。

 途中すれ違ったアンベール派の大臣が、ふっと鼻で嗤ってきたが、ナゼールは眉一つ動かさず、背筋を伸ばしたまま廊下を闊歩する。

 合間で出くわした数名は、驚いたような、あるいは、嘲るような表情を見せる。眼鏡に対する、王室の現状をしっかり刻み込みながらナゼールは自室に戻り……ソファに身を沈めた。深く、重い息がナゼールの口から漏れる。

「おつかれさん。とりあえず、いきなり「でてけ」とはならなかったじゃねーか」

「さすがに、そこまでにはならないと踏んでいたとはいえ……あの目で見られるのは堪えるな」

 ロドルフがナゼールを労るために、紅茶の準備を進める。一度、ナゼールが目頭を揉むように押さえた。肩でも揉んでやろうかとテオドールが手を振って見せたが、ナゼールはいや、いいとそれを断った。

 日はとうに沈み、空は濃紺のカーテンが下ろされている。合間合間に星月が輝いている。窓の下では、篝火が揺れている。

「どうぞ」

「ありがとう。……さて、これからだな」

 赤茶色の液体がカップの中で揺れる。そこに映る自身を見つめながら、ナゼールはロドルフとテオドールに語りかける。

「今後、私の立場は間違いなく悪くなる。離れるなら今のうちだぞ」

「今更だな。俺が忠誠を誓ったのは、ナゼール、お前だ」

「私は今以上があれば、遠慮無く離れますよ。もし、今以上の話があれば、ですが」

 裏のないまっすぐな言葉を向けてきたテオドール。対照的にロドルフは素っ気ない物だったが、暗に離れる気は無いと言っていると、長い付き合いのナゼールには分かっていた。

 なら、今後の話をしようとナゼールがカップをテーブルに置いた。テーブル傍のスツールやソファに、ロドルフとテオドールも座る。

 昼頃に、マドロンと話していたときとは打って変わって、硬い表情で三人は視線を交わす。

「ひとまず、急にわかりやすく立場や仕事が減る、ということはない。幸い、私に任せられている仕事の大半が、父や兄、ロクサーヌ妃の苦手とする分野だからね」

「ダンジョン出土品にまつわる事柄と、美術分野だな」

「それと、聖獣に代表されるダンジョン関係生物ですね」

「ああ。ただ、ユゲットがダンジョン関係生物に強い興味を抱いている。こちらは徐々にユゲットに、という流れになるだろう」

「美術分野は、信用できる目利きを選定中……ですが、グリスト商会で美術部門を担当している方になりそうです」

「グリスト商会ってーと、ケイ、だっけか。代表は」

 三人の認識に齟齬がないことを確認しながら、話を進めていく。

「美術部門の責任者とは会ったことがある。パーヴェル氏だ。彼は私の絵を評価してくれたが、特定の人物に肩入れするような人柄でもない」

「しばらくはナゼールにも意見を求めてくれるだろうが……こっちもナゼールが仕切り続けるってのは無理な話か」

 こくりと、ナゼールが頷く。今、ナゼールが持っている強みと、それらの強みがどうなっていくかの推測を話し合う。三つあるうちの二つは、確認し合ったとおりあまり先の展望がいいとはいえない。もちろん、これからの働きによってはナゼールが関わり続けることもできるだろうが、かなり困難な道といえるだろう。

 では、残った一つはどうか。

「ダンジョン出土品関係の仕事って言うと?」

「発掘。植物などの生命体などの育成。薬や道具、新種の魔法など、発掘品の応用品開発」

「……結構多岐にわたるな。どこを押さえるんだ?」

 テオドールの質問に、ナゼールは全部と答えた。は?とテオドールの口から間の抜けた音が漏れた。

 ロドルフもそれは無茶では、と口を挟んできた。しかし、ナゼールは悠然と語る。

「ラシーヌ家の三兄弟のことはどこまで知っている?」

「『蒙昧三兄弟』って揶揄されてっけど、たしか兄弟三人とも眼鏡かけてるんだっけか。ここ数年のダンジョン探索成果がかなり伸びてるって話に聞いたぐらいだな」

「ダンジョン関係では次女であるノエル嬢が有名ですね。幼くして聖獣と契約を結んだため、特例でダンジョン探索の許可を15才になる前に得ている。それがきっかけで、辺境伯であり、代々、有力なダンジョン探索士を輩出してきたバシュラール家長男と婚約に至ったとか」

「ラシーヌ家のここ数年の成果は、ほぼその三兄弟によって生み出されていることは?」

 ロドルフが目を丸くして、不足で申し訳ありませんと頭を下げた。ナゼールは仕方ない、と一言前おき、話を続ける。

「“蒙昧の者”による成果だと分かれば評価が不当に下げられると判断して、かなり秘匿されているんだ。私も詳細を知ったのは、ここ最近の話だ」

「……成果がその三人からってことで、じゃあなんで全部押さえるってことになるんだ?」

「まず発掘。これは、ダンジョン探索士の資格を持ち、聖獣と契約しているノエル嬢が担っている。植物の育成は、第三子であり長男のアレクサンドル氏。既に何種類かの植物についてはダンジョン外での育成に成功している」

「――では、応用品開発は、マドロン嬢が?」

 ナゼールが頷いた。紅茶カップが置かれたテーブルを、指先で一度とん、と叩く。

 ロドルフとテオドールが感心したようにはあ、と嘆息した。

 話はまだ終わらず、ナゼールは静かにこれから先の計画の概要を口にする。

「今は、それぞれの分野を担っている公爵家がいるが、ここ十数年でみても、成果はラシーヌ家の方が上だ。成果が正当に評価されれば、ラシーヌ家が王立のダンジョン研究室に加わるのは難しくない。むしろ、今でも末席にいてもいいぐらいだ。……貴族社会に蔓延る偏見さえなければ」

 ロドルフがモノクルを軽く押さえる。

 テオドールが少し身を乗り出し、膝に肘をつく姿勢になる。

「眼鏡というデメリットを超えるだけのメリットを出す。あるいは、眼鏡の偏見を消す。後者は長期的な目標になるから、まずはメリットを示すことのために動く。幸い、父も兄も……特に父は成果主義だ。私が成果を出している限り、王室から追い出すということはないだろう。だから、これまで以上に王室業務や王立研究所に関わるつもりだ」

「王立研究所は、分野ごとにいくつかありますが……やはり、ダンジョン研究に?」

「それと、魔法研究。今は兄と競合することになるが、チャンスだとみる」

「アンベール王子は次期王様として、研究よりも国政のほうが比重がでかくなってきているから、か」

 ナゼールが頷く。

 そして、ロドルフとテオドールの目を見る。二人とも、迷いは一切見られず、まっすぐにナゼールを見つめている。「ついて行くぜ、王子様」なんて、テオドールはにやりと笑っている。

 一度、口をきゅっと結ぶと、ナゼールは決意を込めて宣言した。

「不当な扱いはもう充分だ。私は、私の意思で、より高みを目指す」

 ソファから立ち上がり、ナゼールは窓際に歩み寄る。その背をロドルフとテオドールは見つめている。窓ガラスに映るナゼールの眼差しは強いもので、眼鏡の奥でその瞳を輝かせている。

「――これから、忙しくなるぞ」

 ナゼールの言葉に、ロドルフは指先で眼鏡の位置を直し、テオドールは面白くなってきたと右拳を左手の平に軽く打ち付けた。

 夜空の遠くで、星がキラリと一筋流れていった。






続く

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眼鏡令嬢即位物語―――眼鏡をかけてて何が悪い。眼鏡だからと侮られるなら見返してやりますわ――― 水無月 遊夜 @minaduki-U-night

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