機械人形と家出魔女
混濁 アマタ
第1話:「来客」
『午前5時に目が覚める。』
...違うかも。目は元から開いてた。
僕一人には広すぎるこの部屋を、夜の間も、ずっと認識させられていた。
窓から太陽の光が少しずつ入って、影がゆっくりと伸びても、天井にも、棚にも、塵一つない。
...『午前5時に起きる』...?
これも違う。僕は最初から立っていた。
身長もずっと伸びてないから、僕の視界に入る夜の部屋の景色は毎晩同じだ。
写真みたいに焼き付いてる。
鏡に映る、青い短髪の少年。
15歳くらいの見た目の、仄かに青白く光る目をした、人形みたいな顔。
...僕にタキシードを着せようと思ったご主人のセンスは、今でも理解できない。
『午前5時に...
―うーん...
脳が覚醒』...?
いや、脳があるかもわからない。
適当なことを考えている間に、体が勝手に動きだす。
床に敷かれた魔法陣から離れると、急に意識がはっきりとする。
今日で1732回目。ゾロ目になっても何も起きないけど、何となくで数えてる。
もう誰も使ってないベッドは、朝になっても整ったままだから作業が減る。
ドアノブを捻る。キレイにメンテナンスされた彫刻入りのそれは、すんなり回る。
うまく掃除出来てると思うけど、こういう作業はルーティンになってて無意識でやってしまっている。
勝手に動く自分の体を上から眺めているみたいで、達成感はない。
見慣れた廊下に、幾度となく見た同じ花の絵画。
見慣れた床も、毎日同じ場所を踏んでいるせいか床の蝋が僕の足跡の形に剝がれてる。
見慣れたキッチン...せっかく広くていくつも道具があるのに、僕は毎日同じものしか使わない。冷凍室もいつ最後に使ったか忘れてしまった。
聞きなれた足音、聞きなれた床の軋み、聞きなれたため息。
――ボーっとしていた。
「...あっ。」
ふと、手に意識を向けると、僕はすでに黄身が二つ入っていた卵を溶いてしまっていた。気づかないうちに熱せられたフライパンからは、香ばしいバターの匂いがしてる。
僕のちょっとした幸運は、慣れた手つきであっという間にドロドロの黄色にされて、フライパンに流し込まれる。
つまらない作業が自動で終わるのはいいんだけど、一度始めた作業はよっぽどのことがない限り中断できない。
「...誰かに見せたかったなぁ。」
そんなこと言ってる間にも、冷蔵庫からトマト、玉ねぎ、クリームチーズを出している。
手に持ったままトマトをスライス。切れたものをナイフに乗せて、手首をひねってひょいっとフライパンへと。
一、二、三枚...玉ねぎに持ち替えて一、二、三...
玉ねぎが焼けたあたりから甘い匂いが混ざってくる。
良い匂いだと思いたいんだけど、何百回と嗅いでると流石に嫌になっちゃう。
チーズを中に入れて...
裏面が焼けて少し硬くなっている間に全部閉じる。
「いち...にぃ...さん..」
数えながら皿を持つ。三秒半くらいで...
「よーいしょっ...」
まるで絵に描いたかのように整った形をしているオムレツは、焼き加減も完璧。
テーブルに置いて...
僕は頬杖をついてそのオムレツから立つ湯気をボ~...っと眺める。
「...はぁ。」
僕はこれを食べない。
これはご主人様の物。僕が食べるものじゃない。
でも、ご主人様は3年くらい前からもういない。
だから僕は、このオムレツが「ご主人様の朝食」から「冷えて食べられないゴミ」になるまで待つしかない。
食べ物は捨ててはいけないと、決まってるから。
「...はぁ。」
この屋敷も、「ご主人様の屋敷」から「ズタボロの廃墟」になるまで、僕は出られない。
僕はここの番人だと、決まってるから。
「は~ぁ...!」
天井に向かってデカめのイライラをぶつけても、返事は帰ってこない。
スーッっと木でできた骨組みと天井に消えていく。
...自動人形って、退屈だ。
―――しばらく経った。何時間だったか何分だったかは覚えてないけど...そこから先は鮮明に覚えてる。
「ドゴォーン!」という轟音と共に屋敷が揺れ、埃がパラパラと天井から降ってくる。緊急事態を察したタイミングで、僕の拘束が解ける。
「えっ...なに!?」
先に卵を捨てたかったんだけど、それどころじゃない。ドアを開け放って音の元へと走っていくと...
「...はぁ!?」
ドアがはじけ飛んでいる。
左へと一つ、右へと一つ。破片は散乱して、二つのドアの真ん中には大穴が開いている。
ドアノブは見つからない。飾ってあった花瓶は床で粉々になってる。
パッと視線を上げると、そこにいたのは僕より少しが身長が高いだけの女の子だった。
目を見開いたまま、ポカリと口を開けたままその少女を見ていた。
キレイに伸びた、カールした金髪。
真っ赤なドレスに白いフリル。
ハイヒールも、ネックレスも、指輪にも少しだけ宝石が輝いている。
「...貴族はたくさん見てきましたが、あなたのような...その...」
舞っている埃に、ドアだったはずのそこから射す太陽の光が筋のように伸びる。
そこに真顔で立っている少女は、少し神々しくすらあった。
ただ、ドアが吹き飛んだ玄関に何も言わず立っているのがシュールに思えてくる。夢かと思いそうになるけど、僕は夢を見たことがない。
「ええと...な、何の...用でしょうか...?」
余裕ぶったセリフが言いたかったんだけど、言葉に詰まる。
ご主人ならきっと冷静でいられたと思うけど、3年ぶりの来客がドアをぶち破ってくる貴族の女の子なんだ。
頭の中がまとまらない。
しばらくすると、その少女の顔が少しだけ引きつる。さっきまで余裕と自信にあふれているように見えた表情が少しずつブレ始めた。
少女が冷や汗を垂らしながらこっちに指を恐る恐る指す。
「な...何で...人がいるんですの...?」
...急に緊張が途切れる。
「...こっちのセリフですよ!?勝手にドアを蹴破っておいて何なんですか!?」
僕はこの状況がただ恐ろしくて仕方なかった。何が起きているのか、何をするのが正解なのか、どう振舞えばいいのかわからなくてパニックになってしまう。
怒っているというよりかは、嘆きに近かった。
気まずい沈黙。
割れた花瓶からこぼれた水が、ふと自分の靴を濡らす。
「...家を探してるのよ。」
「家...ですか?」
思わず彼女の服に目をやる。上品かどうかは置いといて、高価なことは確かだ。
「い、家がない...?」
「...何度そういう顔をされなければいけませんのよ...」
その服装だったらそりゃ驚かれるでしょ...
「...とにかく、この屋敷が悪くない大きさをしていたから頂戴しようかと。」
「うん...えっ、悪くない大きさ...?」
この町...いや、下手したらこの国で一番の豪邸を、悪くないって...
彼女は、そのまま僕の奥に目をやる。絵画、天井、シャンデリア...
今の出来事で埃をかぶってしまった玄関付近と違って、奥はいつも通りピカピカだ。
「...中はキレイですのね。外があんまりにも汚いから、てっきりもう使われてないのかと思いましたわ。」
「はぁ...それは...仕方ないかもしれませんね。」
言われてみれば、3年近く外に出てないし、外から見たら廃屋に見えるのもしょうがないのかもしれない。
「とにかく...悪気はなかったようですね。」
僕はしゃがみこんでドアの残骸を拾い集め始める。
「...良いでしょう。ドアは私が直しておきます。」
「直す?」
「えぇ。修繕は得意ですので。欠片さえ見つかれば、後で縫い留めることができます。時間も有り余っていますし...」
床に顔を向けたまま話し始める。
「...そもそも、なぜ家を探しているのです?」
「んー...今更お話ししないのも失礼ですわね。」
彼女は渋々、口を開いた。
「...家出しましたわ。」
「家出...?何のために?」
「退屈だったのよ。」
こっちは即答だった。
...そんな簡単な理由で家を手放せるものなのか。
「...自由ですね。」
彼女が目を見開く。
「あら、私を叱らないの?フフッ...固いように見えて、意外と不真面目なのね。」
不真面目...そんなこと言われたことなかった。思わず笑みがこぼれる。
「...ちょっと...羨ましいまであります。」
「退屈してるのかしら?」
「...まぁ...屋敷にはもう、僕以外にだれもいないので。」
「ふぅん。」
彼女は僕の周りにある破片を足でこっちに集めながら話す。
「...私の家は、むしろ賑やか過ぎましたわね。」
「というと?」
「ずうっと人がいますの。家というよりかは、学校みたいですわ。」
「学校...?いったい何人いたんですか?」
「うーん、ざっと200人くらいかしら。」
「200!?」
思わず彼女の顔を見上げてしまう。
「...普通の家の出身ではなさそうだね。」
「えぇ...私は...あ~っ!?!?」
彼女が急に叫んだかと思うと後ろを向く。
「バカバカバカ...!私はいったい何度忘れれば気が済みますの...!?」
「な...何を?」
「名乗りよ!名乗り!全く...!あれほど大事だと教わったというのに...家出までして、また父上に笑われてしまいますわ。」
首をかしげる僕を気にも留めず、彼女はこちらに向き直り仁王立ちする。
「わ...我が名はメアリー・ローズ!神秘派、ローズ家当主、コリーザの四女にしてロイヤルブラッドを継ぐもの...!」
「ハァ!?」
思わず立ち上がってしまった。
急に名乗りだしたかと思ったら、ローズ家。神秘派のトップと名高い歴史ある一族。
色々考えている間も彼女は長々と口上を述べている。
「7歳にして
...長い。
後、何を言っているのかがわからない...
真我?ロイヤルブラッド?只者ではなさそうなんだけど...
でもそんなにすごいはずのこの子は一体なぜ家出を...?
当主の子って相当地位が高いはず...四女だけど。
「称えなさ...ちょっとアンタ。」
「ん?どうぞ続けて―」
「今、『四女』って思ったわよね。」
...え?
「な...何故それを!?」
彼女が僕を睨みつける。
「そんなのみりゃ分かるわよ!」
「そんなはずは...!えっ...!?」
まくし立てながら彼女が僕に詰め寄ってくる。
「何?私が人の感情も読み取れないへっぽこ魔術師だとでも言いたいのかしら?」
「普通は読めませんよ!?し、心理学で多少人の考えを察することはできても、そんなピンポイントに言葉を当てることは普通ありえません...!」
慌てて早口になってしまう。僕と変わらないくらいの身長なのに、ものすごい圧だ。
そもそも僕は人形だ...!顔の表情筋を一つ一つ手動で動かせるというのに、一体僕の表情の何を読み取ったって言うんだ!?
彼女は僕の顔をまじまじと見つめ、2歩下がる。
「ん~...あったま来ましたわ。」
彼女が体をひねり...ストレッチを始める。
「これだけ歩いてやっと私にふさわしいお屋敷を見つけたと思ったら...」
腕を上に上げ体を横に曲げる...
「変な髪の毛のガキに止められましたし...」
「えぇ...」
腕を前に出し手を組み、伸ばす。
「名乗りも遮られましたし...」
「...勝手にやめただけで―」
「挙句、私に口答えしますし...」
「んん...」
ただでさえとんでもない子だと思っていたけど...さらにとんでもないのはこの後だった。
彼女はこちらの方にズカズカと歩きながら言い放つ。
「...今日からここに住みますわ。」
「え...?いや―」
「話しかけないで。次口を開いたらブッ飛ばしますわよ。」
「...???」
嘘だと思いたかったけど...明らかに彼女の魔力が高まっているのを感じる。
思っていたより危ない人かもしれない...だけどここで引いたら、彼女の言いなりになってしまう気がする。
線を引くなら今しかない。
僕の手に、青白く光る一本の針が現れる。
針と呼ぶには少し大きすぎる、どちらかというと片手剣のような大きさ。
糸を通す穴はないはずなのに、持ち手付近ではなく先端から糸がたれている。
それを彼女のあるく先の足元に向ける。
「止まってください。」
「何ですって?」
「僕は主人に、この屋敷の守護を任されています。そう簡単に人を入れるわけにはいきません。」
「ふーん...フフッ。」
「...何がおかしいんですか。」
彼女は余裕そうに首を傾げ、上目使いで言う。
「あなたの主人とやらは...一体どこにいるんですの?」
「えっ...」
彼女が鼻で笑う。
「不真面目だなんて言ってしまったのをお詫びしますわ~...お利口ですものね。いなくなったご主人の言いつけをずうっと守ってて。」
「...」
...少し頭にきたかもしれない。
針の先端で、彼女の前に線を引く。そこには青白く糸が残り、僕たちの間を区切る。
「...この線を一歩でも超えたら―」
「超えたら?」
「...力づくでも止めます。」
「...フッ...アハハハハハッ...!」
わざとらしい高笑いには、実際の笑いが紛れていた。
「やっと面白くなってきましたわね。」
「お遊びじゃないんですよ。」
「あら?私は何も遊びだから楽しいわけではないですわ。」
そして彼女は...構えた。
魔術師らしからぬ、拳を顔の前に置いた...まるでボクシングのような構え。
「...やっとお遊びじゃなくなったから楽しいんですのよ?」
「...フッ...」
...笑ってしまった。
彼女が頬を膨らませてすねる。
「何がおかしいんですの!?」
「ん?そうですね...」
彼女に切っ先を向ける。
確かに自分でも、なんで笑ったのか分からなった。
「...妙に共感しちゃって...可笑しくなっちゃったんです。」
訓練ばかりで...実際にこうやって僕の針を誰かに向けたのは初めてかもしれない。
人を傷つけたいわけではないけど...彼女ほどの魔術師なら多分、傷一つつかない。
...変にワクワクしてしまう。
「フフッ...意外と気が合いそうですわね?後で私に紅茶を入れて頂戴。」
「紅茶を出すような長居にはなりませんよ。」
「来客が帰るのを急かすなんて、マナーがなってませんわね。」
「アハハッ...」
妙だ。
目の前にいるこの子は脅威のはずなのに。
「あぁ...確かにそうですね。これは失礼しました。」
敵のはずなのに。
何だか、僕が作られた理由をやっと全うできるみたいで。
「客人には」
僕は笑顔を隠すことなく、構えた。
「おもてなしをしないとですね。」
機械人形と家出魔女 混濁 アマタ @Kondaku_Amata
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