エピローグ:希望の種

 目を開けると、葵は東京スカイタワーの研究所にいた。まるで夢から覚めたかのような感覚だったが、心の中には強い決意が残っていた。


 隣には佐藤教授が立っており、心配そうな表情で葵を見つめていた。


 「葵くん、大丈夫か? 急に様子がおかしくなったから心配したぞ」


 葵はゆっくりと我に返り、教授に向き直った。「はい、大丈夫です。ちょっと考え込んでしまって……」


 教授は安堵の表情を見せた。「そうか。それで、プログラムの起動準備は整ったのか?」


 葵は深呼吸をし、決意を込めて答えた。「教授、申し訳ありませんが、プログラムの起動は見送るべきだと思います」


 教授は驚いた様子で聞き返した。「何だって? どういうことだ?」


 葵は落ち着いた口調で説明を始めた。「このプログラムには大きなリスクが伴います。地球の気候システムは私たちの想像以上に複雑で、予期せぬ副作用が起こる可能性があります」


 教授は眉をひそめた。「しかし、このままでは温暖化が進行してしまう。我々にはこのプログラムしか選択肢がないんだ」


 葵は首を振った。「いいえ、他の選択肢があります。私たちがすべきなのは、技術に全てを委ねることではなく、社会全体でこの問題に取り組むことです」


 葵は、先ほど未来で説明した7つの提案を、より現実的な形で教授に説明した。国際協力の強化、再生可能エネルギーへのシフト、森林再生、サーキュラーエコノミーの推進、教育の重要性、適応策の開発、そして炭素回収技術の補助的利用。


 教授は黙って葵の話を聞いていたが、次第に表情が和らいでいった。


「なるほど……確かに君の言うことにも一理ある。しかし、なぜ突然そんな考えに至ったんだ?」


 葵は少し困惑した表情を見せた。自分でもはっきりとは説明できない感覚があった。「正直、私にもよくわかりません。ただ、これが正しい選択だという強い直感があるんです」


 教授はしばらく考え込んでいたが、やがてゆっくりとうなずいた。「わかった。君を信じよう。確かに、このプログラムには未知の要素が多すぎる。慎重に進めるべきだったな」


 葵は安堵の表情を浮かべた。「ありがとうございます、教授」


 教授は真剣な表情で続けた。「しかし、君の提案を実現するのは容易なことではない。世界中の人々を説得し、行動を変えてもらわなければならない」


 葵は決意を込めて答えた。「はい、わかっています。でも、それが正しい道だと信じています。私たちにはその責任があります」


 教授は葵の肩に手を置いた。「よし、ならば早速行動を起こそう。まずは、研究チームに説明し、次に政府関係者との会議を設定しよう」


 葵はうなずいた。「はい、私も全力でサポートします」


 その日から、葵と研究チームは新たな挑戦に向けて動き始めた。プログラムの開発で培った知識と技術を、より安全で持続可能な解決策の開発に振り向けた。


 最初は抵抗も多かった。プログラムに期待をかけていた政府関係者や企業からの反発は強く、説得に多くの時間と労力を要した。しかし、粘り強い説明と、具体的な代替案の提示により、少しずつ理解者が増えていった。


 国際会議の場では、葵自身がプレゼンテーションを行い、世界各国の代表に向けて新たなアプローチの必要性を訴えた。その真摯な姿勢と、科学的根拠に基づいた提案は、多くの人々の心を動かした。


 「我々は、技術の力を過信せず、自然と共生する道を選ばなければなりません。それは簡単な道のりではありませんが、人類の英知を結集すれば、必ず乗り越えられるはずです」


 葵の言葉は、会議場に集まった人々の心に深く刻まれた。


 そして、数年の歳月をかけて、世界は少しずつ変わり始めた。再生可能エネルギーへの投資が加速し、森林再生プロジェクトが各地で始まった。教育現場では環境問題が重要なテーマとして扱われ、若い世代の意識が大きく変わっていった。


 もちろん、困難や挫折も多かった。期待したほどの成果が出ないこともあれば、予想外の問題が発生することもあった。しかし、そのたびに葵は、未来で見た人々の姿を思い出し、諦めずに前に進み続けた。


 そして、プログラム開発から10年後。葵は再び東京スカイタワーの展望台に立っていた。街の風景は10年前とさほど変わっていないように見えるが、よく見ると随所に変化が見て取れる。


 ソーラーパネルを備えた建物が増え、街路樹もかつてより豊かになっている。空気もわずかにきれいになったように感じられた。


 葵の隣には、佐藤教授が立っていた。今は引退し、葵の良き助言者となっている。


 「10年前、君が突然プログラムの起動を止めると言い出した時は驚いたよ」教授が懐かしむように言った。「あの時の君の目は、何か大切なものを見つけた人のようだった」


 葵は微笑んだ。「正直、今でもあの時のことははっきりとは覚えていません。でも、あれが正しい選択だったという確信だけは、今も変わりません」


 教授はうなずいた。「ああ、その通りだ。我々の道のりはまだ半ばだが、確実に前進している」


 葵は遠くを見つめながら言った。「でも、まだまだやるべきことはたくさんあります。気候変動の影響は既に現れ始めていますし、一部の国々では十分な対策が取られていません」


 教授は葵の肩に手を置いた。「その通りだ。だが、君のおかげで、我々には希望がある。技術だけでなく、人々の意識と行動を変えることの重要性を、君は世界に示してくれた」


 葵は決意を新たにした。「はい。これからも諦めずに、一歩ずつ前に進んでいきます」


 その時、葵のスマートフォンが鳴った。国連の環境プログラムからの連絡だった。


 「葵さん、緊急会議の招集です。新たな環境保護条約の草案について、あなたの意見を求めています」


 葵は教授に向き直った。「行ってきます。新しい挑戦が待っているようです」


 教授は笑顔で答えた。「行っておいで。君なら、きっと良い解決策を見つけられるはずだ」


 葵は深呼吸をし、未来への決意を胸に、新たな挑戦に向かって歩み出した。


 人類の未来は依然として不確実だ。しかし、葵が示した道筋は、希望の光を灯し続けている。技術と自然の調和、人々の意識改革、そして国際協力。これらを通じて、人類は少しずつではあるが、持続可能な未来への歩みを進めている。


 葵の決断は、未来を大きく変えた。プログラムを起動していれば起こっていたかもしれない破滅的な結果を回避し、同時に環境破壊の進行も食い止めつつある。それは困難な道のりだが、人類全体で取り組むべき挑戦でもある。


 そして、葵の心の奥底には、かすかな記憶が残っていた。異世界で見た二つの未来の姿。それらを回避するための決意が、葵の行動の原動力となっていた。


 未来は未だ不確実だ。しかし、人類には可能性がある。葵はその信念を胸に、これからも前進し続けるだろう。人類と地球の未来のために。


 空には、久しぶりに青い空が広がっていた。その青さは、かつてないほど深く、美しく感じられた。


(了)


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【SF短編小説】時空を超えた葵の選択 - 2050年からの警告 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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