最終話 日は没し、月は出ずる

 粉雪のように、魔素が色彩を反射しながら散っている。夕暮れ時。太陽は最後の残火を世界に届けて消えていく。抉れた地面の底、1人の少女がうずくまっていた。それは触れてしまえば崩れて溶けて消えてしまうような、儚く脆い存在に見える。声をあげて涙を流すその姿は、深い絶望と共にあるように思えた。


 俺は気がつくとまた世界に生まれ落ちていた。意識だけだった自分に、身体という形が付与されていく。一度壊れて再構成されていくのは、不思議だけど何故だか不快ではない。自分の輪郭は確かにあるけれど、それはよく出来た絵画のようにぼやけていて、境目がハッキリしない。だけど俺は歩いた。そして、ゆっくりと静かに彼女を後ろから抱き締める。

 

「!?」


 ビクリとして、彼女の泣き喘ぐ声が一瞬止まり、驚きが伝わってくる。周囲の魔素が共振して揺れ、またすぐに秩序を取り戻した。だけどその身体は震えていて、でも暖かくて、それは前と変わらなかった。


「なん、で?なんで、生きて、るの?」


 俺は黙って抱き寄せる。さっきよりも強く。


「おか、しいよ……そっか、これは幻覚。私の身体データが見せているんだ。バカみたい」


「違う、俺は確かに、ここにいるよ。ずっと、ずっとただこうしたかったんだ。ただカンナの側でいられたら、それでよかったんだよ」


「そんなわけない。トバリくんは死んだ。生きているわけがないよ。どんな魔法やトリックもありえない、だからこれは幻覚。私の……願い」


 彼女はこうやっていつも独りぼっちだったんだ。いつも、最後には独りになる。どれだけのことがあったんだろう。長い年月で、精神が擦り切れてしまってもおかしくないのに、こうやって生きてきたんだ。


 俺も、気づけば泣いていた。彼女の想いが嬉しくて、悲しくて、寂しくて。震える体も、魔力も、周りの魔素も、なにもかも溶け合ってしまった。境目はさらにぼやけて、だけどそれが心地よかった。俺の想いも、彼女に響いている。きっと。


「俺も、カンナと同じ役割を得たんだ。ずるいよ……こんなの、勝てるわけない」


 彼女はまた軽い驚きとともに、「え?」と小さくこぼした。俺は軽く笑みがこぼれる。そして、深く息を吸う。


「だから、一緒に生きよう。どんな運命だって一緒に、背負いたいんだ」


「嘘だ。そんなこと、あるわけないよ。そんなの……」


「きっとこれもバグってやつだな。君の魔力が俺のコードを書き換えたんだ。運命を、塗り替えたんだよ。だからこうして生きてる」


 俺はなるべく軽く聞こえるように、優しく語りかけた。だけどカンナは震えていた。やっぱり君は優しい。だからこそ苦しんだんだ。


「ごめん、ごめんね……トバリくん……。私は……君をこんな、こんな地獄に……巻き込んでしまった……」


「違うよ……。俺は巻き込んでくれて、嬉しいんだ。おかしいと思うかもしれないけど、ありがとう」


 力が嬉しいんじゃない。強さも魔力も知識も、何もかもどうでもいい。ただ……


「君といられるなら、それが嬉しいんだ」


「なんで……なんでそんなに私のこと……?」


「わかんないよ……とにかく好きなんだ。理由はたくさんあるけど、そんなものなくたって、ただ一緒にいたい。これが、俺の意志なんだ。運命だとかコードだとか、そんなのもどうでもいい。もし、君が許してくれるなら、ずっと一緒にいてほしい」


「だけど……そんなこと、許されるのかな。まだ、心の苦しみは消えないの。ううん、むしろ、トバリくんを巻き込んでしまったことで罪悪感が込み上げてくるの。どうしたらいいか、わかんないよ」


 俺はカンナの肩をつかんで、顔を正面に見据える。その目は腫れていて、涙でぐちゃぐちゃで、でも少しだけ、昔のように微かな光が宿っている気がした。そんな姿は初めてだった。だけど、とても愛おしい。


「自分を罰するのは、もうやめよう。自分を……許していいんだ。それに、ひとつわかったこともある」


 間を空けて見つめると、彼女もゆっくりと見つめ返した。


「バグの判断は、俺たちに任されてる。主観なんだよ。こんなガバガバなコード、呆れちゃうけどさ」


 彼女は黙ったまま俯いて、深刻そうな顔をしている。きっと、認められない気持ちも、思い当たる気持ちも、両方があるんだろう。だけど、真実を見つめなくちゃいけない。そうしなくちゃ、きっと前に進めないから。


「カンナが苦しんでいるのは、一番はきっと、自分の事を異分子だと思い込んでいるからだ。きっと、それはきっと、強くて重たい思い込みだけど、少しずつ、一緒に外していこう。どんな時だって俺は君の味方になるよ。誰が何と言ったって、関係ない」


 俺には、彼女の深いくびきを直接外すことはできない。どんなにチートみたいな能力があったって、こんなことすらできないんだ。最後は彼女自身が決めなくちゃいけない。向き合って、選ばなくちゃいけない。


「私は……ずっと自分で自分を苦しめ続けてきたってこと、なの?わかんないよ……今は頭がぐちゃぐちゃで、何も、わからない……」


「たぶん、わからなくてぐちゃぐちゃで、それでいいんだよ。ただ、信じてくれないかな?俺は君が好きだってことをさ。あとは、カンナがどうしたいか、どんな人生を選ぶかだ」


 太陽は影に沈み、夜の闇が落ちてくる。だけど、月はその光を受けて、今も美しく照っていた。揺らぐ魔素はさらにその優しい月光で煌めいている。


 綺麗なカンナの瞳。それはすべて写し取って、複雑な揺らぎを湛えている。まだ、迷いがあるんだろう。自分を、今までの長い年月を、そう簡単に変えることは難しいから。でも俺は信じてる。ただ、信じている。


 俺はそっと口づけをした。2人の魔力が交じり合って、溶け合って、それに2人が包まれていく。この浮かんでは流れるたくさんの感情に、名前を付けるのは野暮なのかもしれない。みんなが痛みと呼ぶものも、幸せと呼ぶものも、区別なく、愛おしいのだから。


 これは、俺が転生するまでの物語。彼女が死んで、俺が死ぬまでの物語だ。だけど、このリインバースでの死は新たな始まりでしかない。そして、たとえどんな運命であっても、輪廻であっても、君と一緒ならきっと……。


 太陽が沈んでも、月が出るように、世界は循環し、流れていく。

 命は巡り、ただ過ぎ去る現象としてその微かな足跡を刻む。 

 俺たちは囚われている。いろんなものに縛られている。

 だけど、それでも自由だ。きっと、自由なんだ。

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日没のリインバース 八夢詩斗 @tatsumu-t

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