第30話 手術について

「ぼく、もうすぐ性転換手術うけることになったから」


吉田の放った一言で、弥隼と水上は凍り固まった。弥隼はパンを食べるためにぱくりと開いた口が塞がらず、声を出すこともできない。一方の水上は混乱と心配が入り混じったような表情で吉田を見つめている。


そうやって動揺する二人とはうってかわって、吉田は表情筋をリラックスさせながら、おにぎりを一口ほおばる。まるで一人だけ天気の話でもしているかのような気軽さだった。


最初に冷静に戻ったのは水上のほうだった。彼女は箸をもったまま手を止め、息を呑んだ。


「ちょっと待って。それどういうこと?」


「うん。手術の予定、来週ね。だから一週間くらい休んじゃうから……」


「ちょっと待て、ら、来週!?」


弥隼は思わず、口に含んでいたパンを喉に詰まらせそうになった。


「そうだよ。なんか、ずいぶんびっくりしてる?」


「そ、そりゃそうだろ!冗談……じゃないよな?」


「もう、そんなわけないじゃん。てゆーかこの前も僕、手術したいって言わなかったっけ?」


「そ、そりゃ聞いてはいたけど……」


弥隼は口をつぐむ。確かに以前吉田の口から一度は「僕も性転換手術したい」と聞いていたけど、ここまで本気だとは思っていなかった。それにその時、この話題で喧嘩になりかけたので深く踏み込むのを避けていたのだ。


しかし、来週だなんて。いくらなんでも早すぎる。ここまで事が進んでいるとは思いもしなかった。


「でも、アイドルになるのは諦めたよ。さすがに難しいかなって思ってさ」


吉田は冗談めかして笑った。


こいつ、思考回路が飛躍しすぎている。性転換のことをファッションかなんかと勘違いしてるんじゃないだろうか?


「お、親はなんて言ってるんだよ!?」


「んー、僕が幸せになれるなら好きにしろ、って」


弥隼と水上は顔を見合わせ、苦い顔をした。二人ともどう返していいのかわからず、空気を伺いあっていた。


手術には当然リスクがある。弥隼の場合は国の意向で行われた手術なので費用も全額免除になったが、吉田は違う。相応に高額な手術代が必要になる。


それに、一度手術してしまったら完全に元の体に戻るのは不可能だ。その上心理的な負担も大きいし、偏見に晒されたり、いじめの原因になるかもしれない。


きちんと考えているのだろうか。突き抜ける衝撃と共に、吉田のことが心配になってしまう。


しばらく静まり返ってから、水上はそっと箸を置いた。そんな彼女の所作にはどこか力強さが感じられる。


「吉田くん、考え直そうよ。」


彼女は、困惑しながらも芯の通った声でそう言い放った。


「大人になって、自立してからでも遅くないはずだよ?」


「……ううん、やるなら若いうちがいいんだ。」吉田はきっぱり言い切った。


「成長期が過ぎた後だと骨格とか身長も不自然になっちゃうし、費用も高くなっちゃうからさ」


水上は唇を震わせて、吉田の純粋な眼差しを受け止める。なんとか反論を紡ごうとする彼女の顔はどこか悔しそうに見えた。


「で……でも!まだ中学生なんだよ!?大人になったら理想と違って後悔するかもしれないとか、考えたことあるの!?」


「考えたよ?」吉田はサッパリと言った。


「でもね、幸せって掴める時に掴まないとどこかに行っちゃうんだよ。憧れの女子高生にもなれないまま、みんなにキモがられ続けてハタチを待つなんて僕には耐えられない。もし大人になってから性転換しても、僕は女子高生になりたかった憧れを捨てきれずに、きっと変質者になっちゃうよ。憧れは年相応の時期に叶えておかないと、後でどうにもならなくなっちゃうんだよ」


吉田は片手に持っていたおにぎりを置いて、話し続ける。


「それにさ。」吉田は苦笑いを浮かべながら続けた。

「今の僕はクラスのみんなにめちゃくちゃ嫌われてて、キモいだとかウザいだとか言われててさ、正直、これ以上落ちることなんてないよ。だからもう、今の自分なんて捨てたいんだ」


「……も、もう、知らない!」


吉田の言葉を聞き終わると水上は叫び、机を強く叩いた。そして何も言わず、足早にテラスを去っていく。近くにいた生徒たちは怪訝そうに彼女の後ろ姿を観察していた。


「……水上さん、なんで怒っちゃったの?」


「お前のことが心配だからだよ」


弥隼は俯いた。視線を落としたその先にはただ黒いコンクリートの模様があるだけだった。


……水上さんが怒ってしまった理由。実際はひとことで片づけられるほど簡単なものじゃないのだろう。


それに、もうひとつ引っかかっているのは吉田が吐き捨てた言葉。『これ以上落ちることなんてない』。吉田は現在自分を取り巻く人間関係を、それほどまでに憎んでいるのだろうか?


弥隼としては、吉田と過ごす日々のことを気づけば好きになっていた。外野にどれだけ陰口を言われても、吉田の存在はその負担を軽減してくれるような、そんな力があった。


……でも、吉田にとって俺はそういう存在になれなかったのだろうか。


だが、問題の本質はそこじゃない。今本当に大事なのは、吉田の選択が彼を不幸にしてしまわないか、それだけだ。


女性になりたいという彼の憧れ。自分にはそれを捻じ曲げる権利はない。だとすれば、自分にできるのは吉田の選択を見守り、彼が不幸にならないように付き添ってあげること。それが、自分にできる唯一のことなのかもしれない。


***


帰り道は、またふたりに戻ってしまった。


「ねぇ、水上さんと仲直りはしたいんだけどさ、そのために手術をやめたくはないよ。どうすればいいのかな?」


吉田はぽつりとつぶやいた。彼の声はいつもより少しだけ小さく、不安が入り混じっているような、そんな淀みがあった。


「水上さんもきっと吉田のことを嫌いになったわけじゃないよ。……何日か経てば元にもどるんじゃないのか」


「ほんとかなぁ」


静かな風が流れるいつもの道で、二人の歩幅はどんどん小さくなっていく。


「……正直なとこ、こういう時どうすればいいのか俺にもわかんないんだ」


吉田は何も言わず、こくんと頷いた。通学路には足音だけが淡々と響く。


結局、気の利いたアドバイスのひとつもできないまま自宅についてしまった。吉田の力になってやれない自分がもどかしくて、しょうがなかった。


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女体化して最弱になった不良少年を人間扱いしてくれた、たった一人のトモダチ 温泉いるか @orca_onsen

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