第44話 約束ごとに
黒瀬 時貞は娘である夏樹の事が怖かった。娘が何を考えているかがわからなかったからである。男と女、そもそも違う生き物であり考え方も違って然るべきで、親子といえど他人でありよくわからなくて当然だ。
けれど嫁の清子がいた頃はそんなことを考えずにいられた。彼女は不思議なほどに夏樹の事を理解し、向き合えていたから。だから何を考えているのかわからなくても清子を頼ることで上手くいっていた。
『……なあ、最近夏樹変じゃないか?俺の事、親父なんて呼んだりしてよ』
『ふふ、変じゃないわよ。夏樹はね、お父さんみたいになりたいんだって』
『俺に?』
『そう。だからまずは男らしくカッコよくしたいんだって』
『そうなのか』
自分みたいになりたいと言われたことは嬉しい。だがせっかく嫁に似て綺麗で可愛らしい容姿で産まれたのにという気持ちの方が大きかった。でもそれを言ってしまうと嫌われてしまいそうで怖かった。
デカい図体で厳つい顔。そんな自分だが心は人並みに弱く、苦しい時は弱音も出る。清子はそんな自分を理解しずっと支えてくれていた。本音で話せないことを清子がオブラートに包み娘へと伝えてくれていた。だからずっと傷つかずに安全圏でのうのうといられた。
(……けど、もう清子はいねえ)
学校を辞めると言い出した時、本当は辞めさせたくなかった。バイトばかりで自分を犠牲にしているのを止めたかった。ほんとは店なんてもうどうでもいい。三人でいられたこの場所だったから俺は好きだったんだ。護りたかったんだ。ひとり欠けても駄目で、だからもう未練もないんだ。
いままで言えなかった。臆病で情けねえことこの上ねえ、遅すぎたかもしれねえ……でも、まだ失ってない。まだ間に合うはずだ。それを失くす前に、伝えなきゃなんねえ。例え嫌われることになったとしても。
――振り返るとそこには、鬼の形相で立っている夏樹がいた。眉間にしわを寄せ、明らかに不機嫌な空気を漂わせていた。まるで、あいつが死んで自暴自棄になっていた頃のようだ。
「……お帰り。勝手な事ってのは何のことだ」
「店でやろうとしてるライブのことだよ!あいつらから聞いた!一緒にライブ出ろともな!!」
「ああ、そうか。で、お前は何が気に食わねえんだ?やりゃあいいじゃねえか一回くらい。お前も本当はやりたいと思ってんだろ?」
同じバンドマンだから、唯一そこだけはわかる。ライブの後想像しちまったんだろ。ステージ上、俺の場所から見えるあいつらの背中を。その光景を。だからもう抜けたはずの癖……エアフットペダルやっちまったんだろう。
(一緒にやりたくてその気持ちを抑えきれなかったから、ライブの直後に春に会いにいっちまったんだろう?)
「てめえ、ふざけんな!誰がやるかよ!!しかも、よりによってウチの店で……馬鹿にしてんのかよ!!」
「なんで馬鹿にされたと思ったんだよ」
「ああ?だってそうだろーが!!おおかた店畳むから思い出作りにとかって話だろーが!!」
「ふ、はは……はっはっは!!」
「……何がおかしいんだよ!」
「いや、そこは俺譲りなんだよなと思ってな」
「はあ?」
「夏樹、お前は馬鹿野郎だぜ。そんなことあいつらは一言もいってねえ。いや、思ってすらいねえだろうよ。短絡的で馬鹿。やっぱり俺の子だなてめえは、くく」
「馬鹿にしてんのはてめえの方だったかよ、馬鹿親父!ふざけやがって……!!」
睨みあう二人。空気がピリついて雨の音が遠のいていく。高まる緊張感と集中力。そして時計がボーンと鐘を鳴らした瞬間、二人は突進していった。
――ガシッ!!!と互いの手を掴み合い力比べが始まる。ぐぐぐ、と押される夏樹。
「がっはっは!!懐かしいなおい!!昔よくやったな、この相撲だかレスリングだかわからんごっこ遊びはよ!!」
「ごっこじゃねえ!!俺はいつも本気だった……親父はいつも、話しても聞く耳持たねえからこうして体当たりしてたんだよ!!」
――ふと過る中学生の頃の夏樹。携帯を買うか買わないかの話し合いで俺がまだ早いと言った時もこうしてぶつかってきたことを思い出す。確かあの時も俺は……
「ちゃんと俺をみろよ!!いつも母さんばかりに頼りやがって!!」
そうだ。あの時も清子に任せて、夏樹をなだめてもらった。
「ぬぐ、うお!?」
夏樹の力がより一層増し一気に壁際まで後退させられた。それは単純に力負けしたわけではなく、時貞が夏樹の涙に驚いたからだった。清子の死から見ていなかったそのくしゃくしゃになった顔に感情を揺さぶられる。
これもまた怖がって目を背けていたものだったことに。本当は自分が支えないといけなかったのに、ずっと清子に任せていたがため気が付くこともなかった、夏樹の抱えていた想い。
「悪かった。不甲斐ない俺で……でも、それとこれとは別だ」
ぐぐ、っと時貞は押し戻す。
「お前は、ライブに出るべきだ」
「でねえよ」
「いいや、出ろ」
「絶対に嫌だ!」
「出たら、あいつらとやりたくなっちまうか?」
「……」
「それの何がダメなんだ?お前はお前の好きなことをしろよ。この店にいつまでも囚われんな」
「……っ、ひっく……よく、そんなこと、いえるよな」
ぽたりと大粒の雨が畳をうった。
「んなことできる、わけ、ねえだろ……俺はそんな勝手なことしちゃ、だめなんだよ」
「どうしてだ?」
「……親父もわかってんだろ、俺が、母さんを……」
「だから、お前のせいじゃねえよ!」
「どう見ても俺のせいだろ!!あんなの!!」
「うおおお!!?」
時貞は夏樹に引き寄せられ倒された。まるで柔道の技のように。
「く、なんつー握力だよ、ったく」
尻もちをついたまま夏樹を見上げる。ああ、ほんとおっきく育ったな……この身長も俺譲りか。昔の俺みたいにリンゴも素手で潰せるようになったみたいだしな。もうこのごっこ遊びじゃ勝てねえか。
(……いや、ごっこ遊びも、か。ドラムの腕はとうの昔に越されてるしな)
ほんと何もかも成長して俺を越していきやがる。ああ、清子にも見せてやりたかった。
――瞼を閉じるとあいつの笑った顔が見えた……そうだな、ちゃんと見てるよな。だから、俺も少しは頑張らねえとな。
「母さんが俺を迎えに来なければ事故になんかあわなかった……俺が遊びにいったから。遊んでばっかで、心配ばかりかけて……」
「やめろ」
「だから、母さんの代わりにこの大切な店を、『華魅鮨』を護らなきゃいけないんだよ!俺の人生をかけて!!」
ぎゅっと握りしめた拳。脚が震えている。
「誰が頼んだよ、んな事」
「……誰が、って……母さんもきっと」
「自分の代わりにこの店を護れってか?思うわけねえだろ、そんな事。むしろ逆だ」
「逆……?」
「自分の娘だぞ。それが、そんなになるまで自分を追い詰めて、自分の感情を押さえつけ、あげく人生を捧げるだ?それをあいつがお前に望むだ?んなわけねえだろ!!」
「そんなの、それこそ……わからないだろーが!母さんは死んでんだ!」
「わかるに決まってんだよ!!俺だってあいつと同じお前の親だ!!親が子の幸せを望まねえはずねえだろーが!!!」
どこの親が自分の代わりに人生捧げてほしいなんて、そうされて嬉しいなんて思うんだよ。いつだって、どれだけ大きくなって可愛げがなく憎たらしい口を利くようになったって――
『お父さんすきぃ』
『はっはっは、お父さんも夏樹が大好きだ!宝物だぜぇ!!ちゅー』
『むぁ、おひげいたいぃー!お父さんきらーい!!』
『んなああああ!?』
『ふふふ、二人ともおっかしいわね』
幼稚園の夏樹を抱きかかえ、幸せそうな顔の清子の姿が家の片隅に見えた。
――俺は、お前が……
「夏樹、お前は俺の……俺と清子の大切な子供だ。だから、そんな人生を歩ませるわけにはいかねえ。しっかり自分の人生を生きろ。お前の心から望んだ未来に歩めよ」
すとんと、崩れ落ちた夏樹。力なくうなだれ、俯いていた。
「……ゆるして、くれるのかな……」
「あたりめえだろ。むしろ今のお前を許さねえだろうな、あいつは。そんな苦しそうに毎日生きてるお前を見て嬉しいわけがねえ」
「……俺は、でも……」
「夏樹、ちょっと待ってろ」
「……?」
――事故があった日。あれ以来、母さんのことを不用意に言葉にするのをやめた。夏樹の心を抉るんじゃないかと怖かったから。だからいままで渡せずにいた。あいつが最後に残したこれを。
自室の机、二段目にある引き出し。そこにずっと置いてあった長方形の小さな箱。向日葵の柄の入った包み紙の上にメッセージカードが添えられている。俺はそれを手に取って居間へ戻った。
「……なんだよ、これ」
「それはな、あいつからお前への誕生日プレゼントだ。事故に会う前に用意してあった」
「なんで、今頃」
「悪い。けどな、俺はただただ怖かった」
「……怖かった?」
「お前がそれを渡されてもっと自分を追い込んじまうんじゃないかって。だからタイミングを見計らって渡そうと思ってて。だが、時間が経っていくとな、渡すのがどんどん怖くなっていった。あいつを失った悲しみが少しずつ薄れていって笑顔も少しづつ増えてきたのに、これを渡しちまうと……またそれで蘇って苦しむんじゃねえかって」
俺は夏樹の手を引き、その小さな手の平に清子の残したモノを乗せた。
「でも、今なんじゃねえかって思ったんだよ。これを渡すのは」
夏樹の目に映る、メッセージカードの懐かしい丸文字。『夏樹へ』と書かれているそれを目にした瞬間、想いと涙があふれ出した。
「夏樹、誰かの代わりに生きるなんてやめろ。これからはお前自身の人生を歩め」
――
――ブブブ。ロインに夏樹からメッセージが届いた。
『春。雨大丈夫だったか』
『うん。夏樹は濡れなかった?』
『ああ。家近かったしな。っていうかさっきは悪かった。すまん』
『大丈夫、気にしてないし気にするなよ』
『ありがとう。ところでバンドの話なんだけどよ』
『うん』
『結論からいうとお前らのバンドには入れねえ。もう俺は『マ⇔インドロゼ』に正式加入しちまってるし、今から抜けるなんて不義理できねえ。サポートでとはいえずっと一緒にやってきたバンドなんだ思い入れもある。勝手な言い分だけど、本当にすまねえ』
『そのことはもういいよ。大丈夫』
『けど、家でやるライブの件。それは出るよ』
『いいのか?』
『約束だしな。とはいえ一度だけ、だけど。それでもいいなら』
『わかった。セットリスト送るよ』
学校では根暗陰キャの無口くん、実はネットで人気の歌い手系YooTuberだった件。 カミトイチ@SSSランク〜書籍&漫画 @kamito1
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