第43話 また降り出した雨の音
――黒瀬宅。僕と秋乃は夏樹の事で時貞さんに話を聞きに来ていた。
「まあ、あいつがそう決めちまったからな。俺にはどうにも」
「ですよね……」
わかっていた事ではあるが、やはりこれは夏樹自身の問題で他の人間がどうにかこうにかできるものじゃない。
「だが、深宙ちゃんのその話は全く知らなかったぜ。サポートドラマーとしてのバイトはほとんどノーギャラも同然だったなんてな」
そう、深宙が調べてくれた結果わかったこと。夏樹は傭兵ドラマーとして多くの仕事を得ていた。割合的に普通のバイトが3に対し7くらい。だがその多くの時間を割いているのにも関わらず得ていた報酬は少なく、稼ぎをもとめているあいつからは考えられない事だった。
「……『マ⇔インドロゼ』に関しては、まったくお金を受け取ってすらいなかった……か」
ぼんやり遠くを眺める時貞さん。
「ま、それはそうとして、俺に出来ることはもう何もねえな。悪い」
そろそろ夕方からの仕事準備をするのだろう。時貞さんは腰を上げた。
「あ、あの……例の件は」
「ん?ああ、それはいいぜ。俺に出来ることはするし、なにより店的にも嬉しいしな。むしろ頼むわ。この『華魅鮨』に最期の思い出作ってやってくれや」
にかっと笑う。それを聞いて僕はホッとした。もしかしたら夏樹がウチのバンドに入らないことで、その作戦自体なくなってしまったのかと思ったから。……けど、これは夏樹の事だけを焦点にあてたものじゃない。だから、
「ううん。最期の思い出になんてさせやしない」
僕は首を横に振った。
「……ふふ、そっか。ま、頑張ってくれや」
困ったような表情で時貞さんはそういい、店の方に消えていった。
「春くん、あたしたちも帰ろう。準備、しなきゃ」
――
黒瀬宅を後にし、帰路へ着く。蝉の声が騒がしく、生ぬるい風が吹き抜け汗が垂れる。あらゆるものから放たれる熱気熱気にやられながらも歩いていると、向かいから誰かが来た。
孤立状態の立地にある『華魅鮨』に通じる一本道。店もまだ始まってないこの時間帯にここを歩くのは、
「……夏樹」
「……」
無言で立ち止まった。
「なんでロインも電話も返さないんだよ、おまえ」
僕は聞く。すると夏樹は返事をする代わりに、視線を逸らし気まずそうな顔をし言い淀む。
「……夏樹ちゃん、なんで?どうしてあたしたちになにも言わないで『マ⇔インドロゼ』にはいったの」
となりの秋乃がいう。
「なんでって、そりゃ……そっちの方が儲かるからだよ。人気や実績をみても誘われて入らない手はないだろ」
「約束はどうしたの……春くんと約束したでしょ、夏樹ちゃん」
「そんなのは昔のことだろ。春だって忘れてたんだし」
「じゃあ、ちゃんと目を見て話してよ。顔を背けてないで、ちゃんと見て」
その言い方に僕は驚いた。普段、基本的に誰に対しても優しく接している彼女だが、今のどこかトゲのあるその物言。滅多にみない怒りという感情があらわになっていることに面食らう。夏樹の態度に苛立ちを覚えたのだろうか。
そして、言われた夏樹はというと一瞬驚いた顔をしたが、すぐに感情を消した。そして秋乃の前まで来て、顔を近づけた。
「あいつらは稼げる。お前らは稼げない。だからあいつらのバンドに入った。約束だの夢だので生きてなんかいけやしねえ……俺に可能性を示せなかったお前らが悪い。この話はそれで終わりだ」
秋乃を睨みつける夏樹。しかし、秋乃も怯むどころか睨み返していた。そういえばこの初めて会った中学生の頃から割と気が強かったよな。
夏樹もそうだった。こういう挑発にすぐ乗ってくる負けず嫌いなところは、小学生の頃と変わらない。
「ふふ、くく」
思わず笑ってしまう。すると秋乃が不思議そうな顔でこっちを見る。夏樹も同様に不思議そうな表情を浮かべ、
「なに笑ってんだよ」
「いや、別に……でも、おめでとう」
「は?」
「これからは好きなドラムで、バンドで稼げるんだろ。良かったな」
『マ⇔インドロゼ』はチャンネル登録者数97万人。配信者としてもかなりの人気を誇るし、オリジナルの曲も数多くアップされている。知名度、収益、あらゆる面で見てもこれから更に伸びて稼げることは明白だ。完全に安定するとまでは職の性質上言い切れないけど、今の生活よりはかなり楽になるはずだ。
だから、友達としては嬉しい。強がりや虚勢とかじゃなくて、本心からそう思う。
「……昔から好きだったもんな、ドラムが。それを知ってるからわかるよ、お前の気持ち」
「俺の気持ちがわかる?ずっと……忘れてほったらかしにしてたやつに何がわかるって言うんだよ」
夏樹が僕の胸ぐらをつかんだ。
「春くん!」
間に割って入ろうとする秋乃。僕は彼女に手を向け制止した。夏樹の目を見据え僕は、
「それは、ごめん……父さんが死んでから、僕、変だったから」
夏樹の掴んでいる手が緩む。彼女の瞳は怒りと悔しさの色が悲しみへと変わった気がした。
「……そうだよ、お前は……仕方なかったんだよ。だったら、なんで……いえばいいじゃねえか。なんで約束破ってんだって、ふざけんなって……他のバンドに入ったのを言わなかった事、もっと責めろよ」
「責めたところで何も変わんないだろ。それに、僕は口が上手くないし……昔もそうだったろ」
「……いや」
「あ、そっか。お前、口より先に手が出て黙らされてたよな、僕」
すると秋乃が、
「え……ガキ大将じゃん!?」
といってぎょっとした。
「誰がいじめられっ子だ」
「いや今の構図が完全にそんな感じだし!」
こちらを指さし秋乃が眉を顰める。いや、まあ誰がどうみてもそうだけども。と、その時、
「ぷっ、ふふ、ふ……」
僕と秋乃のやり取りに夏樹は思わず噴き出した。あまりにも的確だったからなのか、それともガキ大将がツボにはいったか僕のいじめられっ子がツボったのか。良くわからないが明らかに頬が緩んでいる。夏樹はそれを誤魔化すため咄嗟に「んんっ」と咳ばらいをし平静を装ったが、そんなすました顔してももう遅い。
秋乃がその夏樹の様子をぽかんと眺めていると、彼女の手は力なく落ちるように僕の胸ぐら外れた。そして彼女はもう何も話すことはないというように、僕と秋乃の間を抜けていく。そして背を向けたまま、
「……もう行く。悪かったな……じゃあ、な」
そう言って再び歩き出す。ポケットに手を入れ丸まった背中。止められる雰囲気ではないし、止めようとも思わない。だが、一つだけ言っておくことがある。
「夏樹」
名前を呼ぶと夏樹は立ち止まった。こちらを振り向くことはない。
「最後に一つだけ夏樹に頼みがあるんだ」
「……頼み?」
「ああ。今度、『華魅鮨』でライブをやるんだ。その時、お前にドラムをやってほしい」
「……」
「それで僕はお前を諦めるよ。だから、最後に一度だけ一緒にライブさせてほしい」
最後に一度だけ。卑怯な言い方だが、あっちも相応の事はしているからな。それに僕らには手段を選んでいられるほど余裕もない。
「無理だ」
十数秒。たったそれだけの秒数だったが、彼女の思考している時間は長く感じていた。それは即答しないことから拒否することを察したからなのかもしれない。
――ポツンと、雨が落ちた。
☆
夏樹は二人と別れたあと、すぐに家へと駆けこんだ。
先ほどまでの明るい空があっという間曇天に覆われ、庭の池に大粒の水が跳ねて踊る。ここ最近で一番の土砂降りだった。
幸い家まで近かった夏樹は濡れずに済んだが、あの二人はどうなったのか。思考をかき消すように首をふり靴を脱ぐ。
部屋へ戻ろうと居間を通りかかった時、外を眺める父の姿が目に入った。昔よりも小さくなったような背中。それはそうだと夏樹は思った。長い間この家を支えてきた。いくら屈強な体をしていた父親も時の流れと共に老いていく。この華魅鮨が時代と共に薄れていくように、人も物も何もかも衰退していくのだ。
けれどそれは、はいそうですかと諦めが付くようなことではない。父が、母がどんな想いでこの場所を護り愛していたのかを夏樹は知っている。ずっと側で見てきたからだ。
だから今度は自分が護りたい。自分に出来る限り、全ての力を使って。母が愛した親父と、二人が愛したこの店を。
(なのに……勝手に諦めてんじゃねえよ)
春と秋乃の顔が、笑顔が過る。いくらかき消そうとしてもあの頃の春が歌をうたう。夏樹の中で響く歌が心を揺らす。だからこそそれが憎悪に変わる。ただ真っすぐに自分の大切なものを護ろうともがくのを邪魔してくる存在に。
「おい、親父……なに勝手に決めてんだよ」
大きくなってしまったそれは行き場を失くし父親へと向かった。
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