第42話 妹のような
「夏樹ちゃんの?なんでここに?」
「あなた達とバンド練習をしていると聞いたので」
亜里沙はイラつく。要件を聞いたのに欲しい答えが返ってこなかったこと、そして直感的に彼女が自分らにとって嫌な存在だと感じたから。しかし桔梗は亜里沙と対照的にどこか腑に落ちたような顔だった。
「や、夏樹ちゃん今日はバイトで来ない……っていうか、あのさ、そうじゃなくって、ここ私たちが予約して使ってるスタジオなのね。ずかずか入ってきてなんなのさ、マジ。あなたが夏樹ちゃんと友達だからなに?って感じ!私たちとあなたかんけいないんですけど!」
「関係はある、よ……」
「はあ?何がどう関係あ……」
憤り亜里沙は言いながら秋乃へと近づいていく。睨みつけるように顔を合わせた時、亜里沙の脳内で情報が駆け巡った。
「あれ、ちょっと待って。今……秋乃 深宙って……いった?」
「あ……うん」
「えぇええ!?待って!!マジ!?嘘!!マジで!?」
口元を抑え目を見開く亜里沙。その瞳は夜空の星を映すように輝きを放っていた。
「あのっ、あのぉ!!握手してもらっていいですか!」
「え、うん、いいよ」
ぎゅうっと秋乃の手を握りしめる亜里沙。その顔はさっきの敵意むき出しの表情とはうってかわり、とろけるように幸せそうな表情へ変わっていた。桔梗は首を傾げ、亜里沙の反応に戸惑う。
「亜里沙……?」
「ほら、お姉ちゃんも握手した方が良いって!!この人あれだよ、モデルの芸能人!!『re:season』のギター秋乃ちゃんだよー!!!」
「あ、亜里沙の推しって言ってた……えぇ!?なんでこんなとこに居るの!?」
「そう!なんでですか!!」
姉妹ふたりが一斉に秋乃へと視線を送る。圧を感じて秋乃は少したじろいだ。しかし、ここで引くわけにはいかなかった。
「あたしがここに来た理由……それは、その理由は……夏樹ちゃんを引き抜きにきた、って感じですっ」
絞りだすように言い切った秋乃。姉妹二人の反応はというと、姉である桔梗はあっけに取られたような顔で、妹はさらに驚きと困惑が入り混じったような複雑そうな顔をしていた。
時間が止まったかのような凍った空気の中、亜里沙の頬に、たらり汗がつたい落ちる。そして、
「夏樹ちゃんは上げられません!!!!」
亜里沙にとってあこがれの人物からの頼みともとれるそれを断ることは、とてつもない苦渋の決断だったようで、半泣きになりながらそう言い放った。
「あの、なにか事情が?訳を聞かせてください」
桔梗が戸惑いながら言った。
「……この後、お時間いただいてもいいですか」
スタジオのレンタル時間が勿体ないと思った秋乃は、一旦二人の練習が終わるまで待つことにした。そして二時間後、近くの喫茶店で待ち合わせをしてそこで落ち合った。
「あ、秋乃ちゃん!」
店内に入るなり、とてててと秋乃へ駆け寄ってくる亜里沙。
「と、隣……いいですかっ」
緊張で真っ赤な顔の亜里沙。秋乃は微笑み「うん、いいよ。どうぞ」と手で座ってと促した。あとを追うように桔梗も二人の座るテーブルへ。秋乃の隣で幸せそうにデレデレしている亜里沙を微笑ましく思いつつ秋乃の正面へ着席した。そして、
「じゃあ秋乃さん、お話聞かせてください」
「はい……――」
秋乃は二人に事情を話した。自分たちも夏樹をバンドへ誘っていたこと、亜里沙たちのバンドへ加入したことを聞いていなかったこと、彼女を諦めきれないという事。
「……気持ちはわかります、秋乃ちゃんの」
亜里沙はパフェに刺さっていたクッキーをかじりながら言った。
「……でも、それでも……無理。だって夏樹ちゃんを誘ってたの私たちが先だったし、バンドに入ったこと言ってないのは夏樹ちゃんを叱らないとですけど……」
「うん、そうだね、それはそうで……でも、それでも諦められなくって」
まるで子供のわがままだな、と桔梗もは感じた。感情でどうこうできる事ではないのに、気持ちを述べるだけの秋乃をただただ不思議に思っていた。それと同時にこのままでは平行線、時間が勿体ないとも。なのでもう桔梗はこの話を終わらすことにした。
「けど秋乃さん、冷静になってください。この話って私たちにしても意味ないと思いませんか?」
「……です、ね」
「これは夏樹ちゃんの気持ちが重要で、私たちで決められることではないんです。あの子の意志を勝手に捻じ曲げてはいけないと私は思います」
「お、お姉ちゃん……そんな言い方ぁ」
はわわわと慌てる亜里沙。しかし秋乃もそれは理解していた。二人に言って交渉し夏樹を譲ってもらったところで、彼女自身の気持ちが変わらない限りこちらへは来ないだろうと。
「なので、そういうお話なら直接夏樹ちゃんにお願いします」
「お姉ちゃんんんん!!嫌われちゃうからぁ!!」
必死に抗議する妹を意に介さない姉。ミルクティーをあおりにこっと微笑んだ。
「……あの……」
けれど秋乃は、本命はそこではなく。
「はい」
「それは諦めます。けど、それじゃあ……夏樹ちゃんの事を聞いてもいいですか。彼女の話をしても」
桔梗は頷く。
「それは勿論いいですよ。妹もまだあなたと話したがっているので……ね?亜里沙」
「お姉ちゃん!!!」
居心地悪そうにしていた亜里沙の表情が一気に明るくなった。
――
黒澤姉妹との話を終えた後、亜里沙にせがまれファミレスで夕飯を一緒に済ませた。どことなく佐藤 春の妹、百合に似ている彼女に頼まれてしまうと断りづらく秋乃は感じた。そうして夕陽が落ち道中の電灯がともり始めたと頃、彼女は住まいである高層マンションへとたどり着いた。
秋乃は基本的には一人暮らしだが、家事の類は兄の雇っている家政婦の女性が行ってくれている。自分としては独り立ちがしたいために実家と離れ暮らすことを選んだのだが、目が欲しかったのかそれを条件にだされしぶしぶ了承した。
ただ一つだけ救いだったのは、その家政婦さんが若く24歳と比較的、歳が近かったこと。気さくで明るく喋りやすいので、メンタルケア的な面で助かっていた。
(……まあ、それすらも兄の企みかもしれないけれど)
ふとマンションの入り口に人影が見えた。出てくるマンション住人が黄色い声をあげていることでだいたいは察しがついたが、近づきそれは確信へと変わる。
「……遅かったな、深宙。何をしていた」
180をこえる高身長と、しなやかに伸びる長い脚。さらさらと艶やかな黒髪に猛禽類のような鋭い目つき。街を歩けば誰もが振り返り、羨む容姿。彼の名は秋乃 司静。国内外で活躍する天才ギタリスト。
「……兄さん……」
秋乃 深宙の6つ年上の兄である。
「あたしが何をしてても関係ないでしょ」
目を逸らす深宙。司静の目がより鋭くなり、威圧する。
「関係ない?関係ないわけないだろう……お前はウチの会社のタレントだぞ」
「仕事はちゃんとやってる」
「そうだな。仕事はしっかりやっているな。それは認めてやろう」
その司静の上からの物言いに若干の苛立ちを感じる深宙。怒気を込めた言葉で言い返す。
「だったらプライベートくらいは放っておいて」
「何を言いているんだ。放っておいてやっているだろう。だから一人暮らしも許容しているし、行きたい高校もお前に選ばせてやった」
「……じゃあなんで来たの?」
「なぜ?それは本気でいっているのか?お前、心当たりがあるんじゃないのか?」
まるで首をゆっくり絞められていく感覚。はっきりと言えばいいのに遠回しにじわじわ責めてくる。いつも時間効率を気にしているくせに、こういうところに無駄に時間を使うところが気に入らなく兄らしいと深宙は不快になった。
「ライブにでたから、ですか」
「ああ、そうだ。お前はウチのタレントだ。勝手なことをするな」
「けど、あれは別に仕事には関係ない……お金だって貰ってないし、ただの趣味で」
「――おい。なら、俺から目を逸らすなよ」
司静の言葉のひとつひとつには重みがあった。それは彼の実力やこれまでの実績による圧倒的な自信からくるものだと深宙は考える。そんな兄に対して自分は太刀打ちできる力が無い。実績も実力も兄の足元にも及ばない。そのことから気落ちし、いつの間にか俯いていたらしい。兄の言葉で体が反射的にびくりと動き、顔をあげた。
「なぜ目を逸らした?後ろめたいことが無いのなら、俺の目を見て会話をしろ」
「……はい」
「確かにそのライブにでたことは咎められるものではない。だが、それはお前が一般人である場合だ。例えそれが報酬を得ていなかったとしても、お前がその場にいるということだけであらゆるところで影響が出てくるんだ。例えば、あの配信の再生回数。『rush blue』とかいう多少人気のあるバンドの影響もあっただろうが、それでもお前が出ているということで増加しているのがデータで出ている。チケットの売り上げもしかり」
司静は一歩、深宙へ歩み寄る。
「お前は秋乃 深宙だ。勝手にその名前を、ブランドを使うな」
「……自由は、ないってことですか」
「いいや、自由はある。俺の言う通りにすれば、最低限の自由はな」
深宙は奥から吐き気が込み上げてくるのを感じた。だが、それと同時に司静の目的がその忠告だと解りもう一方でほっとしている自分がいた。要件は済み、これで帰ってくれるのだと。
これからのバンド活動をどう続けるか、大きな問題が残ってはいるが、とにもかくにも早くこの状況から解放されたいという思いの方が強かった。
(……最低限の自由……わかってはいたけど、あたしは、籠の鳥……)
「……兄さん」
「なんだ?」
「あの日の、先日のそのライブは観てくれたんだよね……あたしのギターどうだった」
「いいや。時間が無くてな。観てはいない」
「……」
「だが先月の『re:season』が行ったライブは観たぞ。そうだな、はっきり言ってしまえばお前の演奏は依然直接聴いた時から何も変わってはいなかった……相変わらずの物真似、出来の悪い贋作、劣化コピーでしかない」
言葉が深く、鋭く深宙の心に刺さる。
「そして、やはりあれはバンドではない。それも変わってはなかった。あれが父さんによって結成されてもう数年が経っているのに何も変わっていない。バラバラでまとまりがなく、お前も独りよがりな演奏を続けている……そんなところだな。俺の感想としては。参考になったか?」
深宙は答えがわかっていた。兄が『re:season』での演奏を観てそう答えることは。ただ、彼女が本当に観てほしかったのは、春と一緒に出たライブだった。
深宙の口は開いたまま言葉を形成できずに震え、再び俯いてしまう。それを頷いたものだと司静は認識しそれ以上は続けなかった。そして、
「……ああ、そうだ。その『re:season』について話に来たんだった」
「……?」
「お前は来年から別のバンドに入れる。俺が作る別のバンドにな。その方がいいと判断した。数年も『re:season』で無駄にさせたのは父さんの失敗だ。あの人でもそういうミスをするのだな……」
「別バンド……?」
「ああ、そうだ。俺が集めた腕のある奴ら、お前はそこでギターを弾け。父さんにはもう承諾してもらった。そして、もう勝手なことはするなよ……こちらはこうして制限を設けることで、できる限りの自由を与えたんだ。この間のように勝手にバンドを組んでライブをするなんてことは金輪際やるなよ。もし、勝手なことをすれば……もう俺はお前に、自由を与えてやれない」
司静のその眼差しにその言葉が何かの冗談や脅しではないことが伺えた。
「わかったか?わかったのなら返事をしろ」
ここでその提案を断れば、瞬時に有無を言わさずに連行される。
「……はい」
思わず目を逸らし俯く。すると司静は指で深宙の顎をあげ、強制的に目を合わさせた。
「目を見て俺に誓え」
「……わかりました、誓います」
満足したのか司静は小さく頷き深宙を解放する。
「さっきの話だが、俺の作るそのバンドは社内のスタジオを使って徹底的に完璧に仕上げる。ライブも出来る限り多く行い、ゆくゆくは世界に通用するレベルにまで完成させる。だから、お前も会社に近い所へ住んだ方がいいだろうな……ここだと二時間はかかるし、活動にも影響がでる」
「……どういう」
「会社の、家の側に引っ越せ。学校も付近の所へ転入させる。父さん母さん二人も納得しているし許可もしている……時期までに身の回りの整理をしておけ。いいな?」
深宙は、
「はい」
と答える他なかった。そうして要件を済ませた司静は深宙と別れた。近くに待たせたマネージャーの車に乗り込み、「出せ」と命じる。それに応じ走り出す車。一人ぽつんとたたずむ深宙の姿が遠くなっていく。
「……」
ノートPCの電源を入れる。多忙である司静にとってこの移動時間も貴重な仕事の時間であった。だがしかし、そこでふと気になった。昔から自分の真似ばかりをしていた妹の作ったバンド。それが一体どういうものだったのか。
「……答え合わせ、といったところか」
司静はYooTubeを開いた。
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