第41話 緊急事態で


スタジオ【オウル】Bスタジオ。


――派手になるギターとベース、そしてドラム。今度のライブに向けてのセットリストを一通り終え、夏樹は「ふぅ」と息を吐く。


「あー!夏樹ちゃんまたため息―!やっぱりなんかあるんだ」


ガールズバンド【マ⇔インドロゼ】そのベースボーカルを務める黒澤 亜里沙が口をとがらせそういった。


「や、普通に疲れただけだから。12曲も通しでやったらそりゃ疲れんだろ……お前の姉ちゃん見てみろよ」


夏樹の顔向けた先には、体育座りで真っ白に燃え尽きた黒澤 桔梗がいた。


「や、お姉ちゃんは体力カスだから仕方ないよ」


え、言い方可哀そう……と夏樹は心の中で思ったが、亜里沙が毒舌気味なのは前から知っていたので特に突っ込んだりしなかった。彼女のキツイ物言いがクセになってファンになる人も少なくない。そういうキャラクター性も売れる要因に大きく影響しているのだろうと夏樹は分析していた。


(桔梗もそう……普段はしっかりもののイメージだが、時折こうしてへたれる面を見せる。こういうギャップで惹きつけられる奴もまた多い)


売れる要素、要因、可能性……演奏スキル、実績とファンの数。この二人にはそれが有り余るほどにあった。


夏樹は大きなレールに乗ったことを実感する。このままいけば、高い確率で成功するだろう。少なくとも今の自分の状況を打破できると確信できた。


「……な、夏樹……ちゃん」


まるでゾンビのように床を這い夏樹の所まで移動した桔梗。心配する夏樹をよそに彼女は、


「……だ、だいじょ、うぶ……?」


今にも死にそうな声でそういった。いや、お前が大丈夫か?と聞き返したかったが、彼女の自分を本気で心配している目を見て言葉が出なかった。


「なにか、あるなら言って?……私達、バンドでしょ……?」


その言葉を聞いた瞬間、息が苦しくなる。夏樹は再び深く息を吐く。


「わかった。けど、大丈夫だよ。何もないし、心配する必要もない……ありがと」


夏樹は桔梗に微笑む。その笑顔に「そっか」と微笑み返す桔梗。しかし亜里沙はその光景に不安を覚える。普段あまり笑わない夏樹が最近頻繁に見せるその笑顔。それが何かを誤魔化しているかのように見えて、嫌な予感がしていた。


夏樹はクールで、ライブなどの演奏では笑わない。魅せるような派手なプレイが有名なドラマーだがその実、なにより正確無比でミスが少ないところが玄人からの高い評価を得ている。


(……夏樹ちゃん、割とミスってた……今日だけじゃなくて、少し前から)


なにかを抱えていることは間違いない。でも言おうとしない。そこにどうしようもなく不安を感じる。だが、しかし……亜里沙は、桔梗は夏樹を仲間だと思っていた。だから不安でも「大丈夫」という彼女の言葉を信じようと二人は飲み込んだ。



――



仏壇の前、笑う母さんの遺影。俺は手を合わせた。


……母さん、俺……バンドに入ったよ。


父さんみたいに皆を笑顔にできるようなバンド。


凄い人気で、たくさんの人に応援されてて、ライブでもすごくて……。


――【マ⇔インドロゼ】での、他のサポートドラマーで入った時のライブの光景が過る。


沢山の観客が笑顔でステージ上の夏樹達を観ている。けれど――


(……だから、今度は母さんも笑ってくれるよな……)


――夏樹の中の母親は、悲しそうに眺めているだけだった。


ライブでいつも遠くに母親が立っているのが見える。客席の後方にぽつんと一人。それは幻なのだろう。夏樹の強い後悔と願いが見せているだけの、ただの幻。母親にも見てほしかった、見せてあげたかったという想いが生み出した都合のいい幻影。


けれど、笑ってはくれなった。悲しそうに、辛そうな表情をしている母親。その幻影はただただ夏樹を眺めているだけで、笑顔を見せることはなかった。


……俺の好きな音楽で、バンドで成功すれば……笑うはず。母さんはそれを願っているんだろ……?


「……親父、俺バンド組んだから」


――夜、親父と二人食事をしながら打ち明けた。


「むお?お、おう……マジか……どうしたんだよ急に」


「や、なんとなく」


「そうか。けどまあ良かったな。喜んでたろ、春も深宙ちゃんもよ」


「いや、別だよ」


「別?」


「あの二人じゃない。別のバンドに入った……【マ⇔インドロゼ】ってやつ」


ぴたりと親父の箸が一瞬止まった。


「……そうなのか。そりゃ、まあ……そうか」


「二人には悪いけど、でも……このバンドの方が好きなことで生きていける可能性は高いし、親父を助けられる」


「……」


どこか遠くを眺める親父。目を細め、髭を撫でた。


「まあ、お前が決めたことなら、良いんじゃねえか」


そう言って笑った。


「……ああ」


けど、その笑顔はどことなく母さんのように、苦しそうで辛そうな感情が透けて見えていた。





――ライブから二週間が経った。


相変わらずの曇り空の下、うだる蒸し暑さの中家へと帰った。いつも通り夕飯の準備を終えた後、地下室へ。ちなみに妹は僕の手伝いを終えるとすぐさま部屋に引っ込んでいった。なにかしてるっぽいが聞いてもはぐらかされ教えてくれない。兄離れってやつかもしれない……ちょっと寂しい。


まあ、それはそうとして今はもっと集中しなければならないことがある。そう、妹の秘密よりも始まった期末テストよりも考えるべきことが。現実逃避じゃないよ?


「やほー、春くん」


「おお、秋乃」


扉を開け入ってきたのは秋乃。今日はとある作戦のために会議をするべく僕の家へきてもらうことになっていた。


「さて、そんじゃあ時貞さんに貰ったアレ、アレンジしていくか」


「おっけー。それじゃPC借りるね」


僕が席をよけると秋乃がそこにひょいっと座った。僕らは数日前、一つの策を思いついた。夏樹を救えるかもしれない一つの手。しかしもしかすると逆効果となり最悪夏樹との関係が終わってしまうかもしれないが。ともかくこその作戦に必要なピースをそろえるべく時貞さんに貰ったデータをアレンジする作業に入った。


「……む」


「?」


ぴくりと動きを止めた秋乃。


「どうかしたのか?」


「椅子があったかい……!」


「え、そりゃまあ僕が座っていたからな」


「ふふ」


にこっと微笑んで秋乃は再びPCを操作し始める。え、もしかして嫌だったのかな。多少不安になりつつ、いや笑ってるし大丈夫かと心の整理をつけた。嫌ならもっと嫌そうにするだろ。


「でもさー、まさか昔バンドで作った曲をあたしたちに譲渡してくれるなんてね。これをアレンジしてオリジナル曲にしてみろか……一から作曲するのはハードル高いしありがたいねえ」


「オリジナルが一つも無い僕らにとっては渡りに船だな。っていうかまあ、正確にはカバー曲なんだけど。……時貞さんも夏樹の為に何かしたいって気持ちが強いんだろうな」


「そうだね。夏樹ちゃんの気持ちを変えられるように頑張んないとね」


貰った曲は三つ。昔、時貞さんと父さんが組んでいたバンドの曲。作曲者は黒瀬 時貞。作詞者は当時ボーカルだった坂本 旬という女性。ちなみに坂本さんはそのバンド活動の中である有名作曲家に引き抜かれプロとして芸能界で活躍されている。


(……当時はそれを裏切りと捉えて騒ぎ立てるファンが多く、誹謗中傷に晒されてたと噂で聞いたが……今は日本だけじゃなく世界でも活躍しているらしい)


……時貞さんが言っていた。


『――この三曲、俺が元を作ったんだが完成させたのは楽器隊の皆だ。作曲者の名義こそ俺だが、決して一人で作ったもんじゃねえ』


『そんな大事な曲、僕らが貰ってもいいんですか』


『いいさ。メンバーで分け合った曲はそれぞれの好きにしていいって取り決めだ。だからこの三曲は俺の好きにする、それだけだ。……ただ、一つだけ頼みがある』


『頼み?』


『動画にするときは夏樹の奴を参加させてくれ。あいつのドラムでこの曲を完成させてやってくれ』


「春くんと、あたし……そして夏樹ちゃん。皆で完成させようね」


「……うん」


ふと、携帯が光っているのに気が付く。


「お、噂をすれば時貞さんからロインでメッセージがきてる」


「え、なんてなんて?」


座っていた秋乃は飛び上がるように椅子から立ち、僕の携帯画面をのぞき込んだ。そしてそこに写っていたメッセージは――


『夏樹が【マ⇔インドロゼ】ってバンドに入ったみたいなんだが、お前らは知ってるのか?』


という衝撃的なモノだった。


「「……え?」」



――



スタジオ【オウル】Bスタジオ。


亜里沙は怪訝な顔で、


「……え、なに……あなた?」


と、突然の来訪者に聞いた。


動きを止める黒澤 亜里沙、桔梗。いつも通り練習を行おうと準備していた最中、突然部屋に入ってきた一人の女性に驚き固まる。一瞬バンドメンバーである黒瀬 夏樹かとも思ったが、彼女とは正反対の派手な赤みがかった長髪、高そうな女性らしいワンピースで別人だとわかる。夏樹は男っぽい服装を好むし、ワンピースなんて着ているのをみたことがなかった。彼女は被っていた可愛らしい大き目の帽子を外して頭を下げた。


「突然ごめんなさい、あなたたちは【マ⇔インドロゼ】の二人で間違いない?」


「え、いや……そうだけど、こっちはあなたが誰なのかってきいてるんですけど?」


「あたしは秋乃 深宙って言います。夏樹ちゃん……黒瀬さんの友達です」


ぴくりと亜里沙の眉が動く。


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