第十三話 地球変
某国某所で、それは最初に観測された。
「……え? ……は!? 何ですって……? ロシア上空に……巨大質量体が出現!?」
「どうした!?」
「え……いえ、ロシア上空、静止軌道手前に、巨大な質量体が突然出現したと……」
「ハ……!? 突然とは何だ! ワープしてきたとでも言うのか!?」
「このデータが事実なら、そうなります!」
「バカな! 宇宙人の侵攻でも始まるってのか!? 映像は!?」
「今、直近の衛星が……あ、出ます!」
モニタには、衛星からリアルタイムで送られてくる映像が表示された。そこには、宇宙に浮かぶ大地としか形容できないものが映し出されていた。
「……演算出ました! ……は? オーストラリアの、三分の二ほどの広さ……?」
「これが……CGじゃ、無いというのか……?」
「北進していますが、このスピードじゃあ……ああ! 重力に捕まってる!? そんな! このままじゃあ……!」
「……ジーザス……」
それは間を置かずに各国で観測され、世界中をパニックに陥れた。
まず、空に闇が生まれた。
そしてその闇は瞬く間に広がって、ブルゥンディ・ベルの大地を包み込んだ。
自分達が移動している感覚は無い。闇が能動的に大地を呑み込んだのだと思えた。
闇に包まれたと感じて、さほど間の経たぬうちに、何かが変わった、という感覚があった。
次の瞬間、完全だった闇の中に、点々と、光が生まれた。
それが星の光だと判った。ここが地球の遙か上空の宇宙空間であると、感覚的に理解していたからだ。
足元には、先程までと変わらない大地がある。あの大地ごと転移したのだと知れた。
自分が、ブルゥンディ・ベルに落ちた時に通り抜けた、膜のようなもの。それが、空気をこの大地に止め、宇宙線の脅威から守ってくれてもいるのだということも、同時に理解していた。
――それが、夢希の認識だった。
「成したぞ! 私は! ハァッハッハッハッ――」
「オマエはぁッ!!」
このままでは、取り返しの付かないことになる――その、直感、全身で感じる危機感に追い立てられるように、夢希は、愉悦に浸るゴルジェイに攻め掛けた。“こちら”へ来てから、チラリと感じた違和感は、頭から消えていた。
背中のイリアは、レイラの死に悲しみを感じながらも、自分を失ってはいない。この状況の変化にも、若干の戸惑いこそあれ、大きな混乱は無い。
そういったことが、夢希にはただ、感じられていた。
その、イリアの強さは、夢希の存在があるからだ、という理解は、夢希のうぬぼれでは無い。夢希もまた、イリアを背中に感じているからこそ、戦えるのだと信じられた。
そして、イリアなら必ずフォローしてくれる、という信頼があるからこそ、夢希は躊躇いなく攻撃を仕掛けられた。
「これが……オマエのしたかったことだって言うの!? あんなモノまで使って!」
「フッ……君たちこそ、たくさん殺してくれてありがとう!」
「たくさん殺した……!?」
「そうとも! 君たちが手を組んでからの土の国の犠牲は、膨大だ! この転移も、核で生んだマナだけでは叶わなかった! だから君たちのおかげだと言う!」
「全て思惑通りだったと……? 何で……そんなことをッ……!」
「散りゆく生命の輝きこそが、この大地の上でマナへと還る! この大地ごと地球へ飛ばすには、莫大なマナが必要だったのだ!」
「ただ自分が帰るために、戦争なんてしてたんじゃないの!?」
「そうではない、そうではないのだ、ブルー・ローズ!」
「だったら何のためにッ……!」
「地球をッ! アイディアルな世界にしようというのだ!」
「アイディアル……!?」
「人のアイディアを形にしてみせるのがマナならば、それこそが、
「そんなこと……!?」
「やってみせた! この私がッ!」
「だけど! 重力に引かれてこんなものがこのまま落下したら! その地球が、無事じゃ済まないでしょう……!?」
夢希の脳裏には、自分がブルゥンディ・ベルに現れた時のことが思い浮かんでいた。ゆっくりと落ちていく感覚。あの時、夢希が無事であったのは、“あちら”だったからこそだと思える。
しかし、“こちら”に現れたこの大地が、こちらの世界の理に支配されるなら、この質量の落下は終末をもたらすと、夢希にも想像できた。
「マナの魔法が! それすらも解決する!」
「確証も無い楽観で……!」
「どのみち行き詰まる地球のためだッ!」
「そんな身勝手な正義感で、悪意を振りまくなッ!!」
「この崇高な思想を悪意と言うかッ!」
「生命を徒に奪う行いが、悪意でなくて何だ!」
「生贄とはヒトが太古から行ってきた文化だよ!」
「そんな野蛮さは文明が否定したッ!」
「魂がマナに囚われ続けることは悲劇だ! 私はそれを救ってもいる!」
「この大地で生まれ育まれた生命もある! それを……私達と一緒くたにするなッ!」
「……とことんわかり合えぬな! 君とはッ!」
「オマエの視野の狭さが、そうさせているんでしょう!! そうして戦花に乗ったなら、いつか人のセンスはもっと広い視座を持てるって、信じられないの!?」
「それも戦花あればこそだ! だからマナを地球にもたらす必要があると言っている!」
「その老人の頑迷さを捨てろ!」
「理想論を振りかざすだけの若造が!」
お互いが、主張を剣に乗せてぶつけ合う。それは、今はまだ、拮抗しているように見えた。
戦いの最中、夢希は不意に、一人の女性と対面していた。
周囲は、光に包まれているようでもあり、闇に包まれているようでもあり、認識はおぼつかない。だが夢希は、この感覚に覚えがある。イリアと初めて逢った、あの瞬間の、意識の交感だ。
「……何が起こって……貴女は?」
「スーラよ、ユキ」
「……スーラ……? 貴女が……?」
「思い出したの。私は、フランスからあちらへ落ちて、故郷の、ニースの海を、再び見ることを夢見ながら、戦って、命を落とした……。その無念が、マナへ還ることを拒み、そして、その想いの残滓が、あの空で、貴女の戦花を形作ろうとするマナに巻き込まれた」
「……そんな……」
それ以上言葉にならなくとも、夢希の悲しみの感情はスーラには正しく伝わった。
「悲しんでくれて、ありがとう。でも、もう変えようのない事実よ。私は受け容れている」
それが、強がりでは無いことも、夢希には正しく理解できる。
「……そうだ! あの男はッ!?」
「もう解っているでしょう? ここ、と言うか、いま、と言うべきか、とにかく、時間も空間も超越して、私達の意識だけがこうして対面している。現実では一秒と経ってはいないわ」
夢希も、何となくは感じていたことだったが、そう言葉にすれば、腑に落ちたような気持ちになった。尤も、“言葉”という夢希の主観が正しいものかは、夢希自身にも判らないが。
「スーラは……何か伝えたくて、私の意識に語りかけているの……?」
「ええ、そう。私は、こんな形でとはいえ、地球に戻ってこられた。未練が叶えば、この意識も消えてしまうかも知れない……。だけどこのままじゃ、地球が壊れてしまう。私は、私の存在を、地球を救うために使いたい! 消えてしまう前に。……お願い、ユキ、この想いを、叶えさせて……!」
それは、どこまでも純粋な意思で、献身だとか自己犠牲というものとは無縁だった。
だから、夢希は、その先に別れしか待っていないとしても、友人として、その思いを遂げさせてあげたいと思う。
そして、その夢希の想いもまた、言葉にしなくても、スーラには伝わった。
(ユキの心は、泣いている……)
それが、ユキとゴルジェイ、二人のぶつかり合いに、イリアが最も強く感じたことだった。
そして、確信した。
ゴルジェイという男は、決して戦花を満開させることの無い男だ、と。
地球を救う、という妄執は、確かにゴルジェイに小さくない力を与えてはいる。だが、戦花を通せば、その動機は、自己愛的なヒロイズムでしかないと知れた。
ならば、ユキと二人、力を合わせれば、負ける道理が無い、と確信できる。
事実、ユキは一人でもゴルジェイと渡り合っている。イリアは今、邪魔にならないように、そして、いざという時に備えて、見守るだけだった。
むしろイリアが恐れるのは、ユキが、この世界の大地のみではなく、ブルゥンディ・ベルもまた、共に守るために、その戦花を満開させてしまうかも知れないことだった。
ユキの心が涙を流すのは、どちらにとっても悲劇的な結末を、真実嘆くからだ。それを回避するためなら、彼女はその身を犠牲にするかも知れないと、イリアには思えた。
――それは、一瞬。
戦いの中、その、ほんの一瞬に、ユキに何かが起きたということだけが、イリアには感じられた。
「イリア! もう終わらせるから、手伝って!」
そしてユキが発したその言葉から、悲愴感のようなものは微塵も感じられず、イリアはそれを、嬉しいと思った。
「
「その思い上がりが、オマエ自身を殺すのよ!」
イリアの参戦によって、瞬く間に劣勢に追い込まれたゴルジェイは、だが、現実を受け容れられずにいた。
――何故だ。この地球を救う男だぞ。マナは私を助けるはずだ。こんなことがあるはずが無い。……この女が。この、青い薔薇などというものが現れなければ!
そうして視野を狭めたゴルジェイは、青薔薇に渾身の一撃を振り下ろそうとして、その背中から、イリアの白百合によって貫かれた。
自分が死ぬという認識も無いまま、ゴルジェイの妄執は、光の粒子となって、あっけなく空に消えた。
改めて違和感を覚えて、周囲を見回した夢希は、違和感の正体を見た。それは、高い、山だった。
その山は、戦花を通して、夢希には、富士山よりも遙かに高い山だと見えた。事実、その二倍前後の高さがあったし、夢希がエベレストを直接見たことがあれば、それには及ばないと知れただろう。
「大穴が……反転した?」
それは、言葉にしてみれば正しいとは信じられない、どこかもどかしい、ぼんやりとした理解でしかなかった。
だが。
「ユキ。あれも気にはなりますが……」
「解ってる。そのために急いだんだから」
その不可思議な現象に背を向けて、青薔薇と白百合は、手と手を取り合い、光の矢のように疾く、ブルゥンディ・ベルの大地が進む方向へ先回りせんと、南の空へ飛んだ。
土の国南方の山岳地帯が戦花の目にはっきり見え始めた頃、更にその先に、夢希はそれを見つけた。
それは、まだぼやっと、細い棒のように見える。だがその上端に見えるものを、夢希は知っていた。
「宇宙ターミナル! ならあれは軌道エレベータ……あの形は……バベル!!」
ロシアの上空に現れ北上したブルゥンディ・ベルは、いつしか北極を越え、太平洋側へ南下していた。
ターミナル・コロニーは、既に見上げる位置にある。ここでようやく、夢希にも大雑把な高さが知れた。
夢希たちが大地の南端に到達する頃には、空はぼんやりと青らみつつあった。
これだけの質量がかなりのスピードで前進落下しているにも拘わらず、前方に断熱圧縮が発生していないのは、この大地の周囲を包む不思議な“膜”が、地球という現実とブルゥンディ・ベルを隔絶しているからだと、夢希には感じられた。
それでも、この大地が、直接地球の地表と接しようとすれば、未曾有のカタストロフィが起こることは疑いなかった。
夢希たちが南端から飛び出して振り返れば、当然のことだが、ブルゥンディ・ベルの大地には“地下”がある。少し離れて見た程度では底が知れない。事実、一〇キロメートルを超える“深さ”があったが、それを今、夢希が知る由は無い。夢希に解るのは、思っていた以上に時間の猶予が無い、ということだけだった。
「イリア!」
「ええ!」
青薔薇と白百合が手を取り合い、生み出された光の巨人は、二人の強い想いと決意によって、いつかよりも遙かに大きな姿を形作って見せた。
それでも、大陸規模の大地の前では、豆粒ほどにさえ届かない小さなものだ。それが大地を支えたところで、無力に見えた。
――それでも、だ。
二人の生んだ力は、確かにブルゥンディ・ベルに影響を与えていた。重力加速度と慣性に逆らわんとする動きだ。
「でも……足りない!!」
夢希の悲痛な叫びを嘲笑うかのように、ブルゥンディ・ベルはその西側をバベルに接した。
その圧倒的な質量による負荷に、千年保つと言われた軌道エレベータは、無力だった。
神話は、顕現した。
その時、再び加速しようとしたブルゥンディ・ベルを感じて、夢希は察した。
「宇宙から降り注いだマナが……地球のみんなの感情に反応している……!?」
それはまだ、この大地に直接触れている夢希たちがマナを通じて現す影響に比べれば、ごく小さなものだった。
それでも、その影響は、確かに起こったことだった。
「なら……私達は、人に希望を見せなければならない!!」
(――そう。だから私も、想いを遂げる……!!)
スーラの声が聞こえた。
光の巨人は更にその大きさを増し、そしてそのフォルムを女性的なものへ変えていって、その背中に、羽が広がった。
それは、夢希が見たスーラの姿形、そのものだった。
国連軍の戦闘機PK-2は、それを確かにカメラで捉えた。
その映像は、全世界で、リアルタイムで視聴された。
恐ろしく巨大な大地を押し返さんとする、光に包まれた、翼持つ、人の姿。
その姿形は、多くの人にとって、大天使や神の降臨を思わせた。
そして、大地の大きさに対してあまりにも頼りないそれが、しかし、確実にそのスピードを減速させていると見えた。
人はその姿に、知らず、希望を抱いた。
想いはマナと反応し、光の粒子となって舞い上がった。
どこへともなく飛んでいった光たちが、モニタの向こうに、人の形をしたそれに、集まってくるのが映る。
それは、天使に力を与えていると多くの人に信じられた。その信じる想いこそが、事実、力となった。
光の天使の、大地に接した両手から、ブワッと光が広がった。
慌てて引いたカメラが映したのは、その光が、波打つカーテンのように広がって、大地を優しく受け止めているように見える光景だった。
それによって見る見る速度を落とした大地は、その底をゆっくりと海面に沈めていった。やがて天使の姿も、海の中に消えてゆく。
そして。その底が海底に接したのだろう大地は、最後の減速を始めた。数十キロメートルほども海底を抉りながら南下すると、その“地下”部分のいくらかを海上に現したまま、遂にその場に静止した。すると、それまで不思議と零れ落ちること無く保っていた大地周辺の海が、大瀑布となって、地球の海へ降り注ぎ始めた。
南米大陸とオーストラリア大陸の中間、海の上に突き出したそれは、まるで海の上に浮いているように見えて、その神秘的な姿は、地球上に現出した楽園のようにも思われた……。
最悪は、免れた。だが、ブルゥンディ・ベル、その膨大な体積が押し退けた海水の量は、尋常では無い。
太平洋沿岸を中心に、世界中を、大津波が襲った。
バベルの塔の崩壊。
世界を飲み込まんとする大洪水。
その神話的カタストロフィは、世界中の人々に、強い不安と恐怖を植え付けた。
そして、その不安と恐怖は、一部地域で『龍脈』と呼ばれる概念によって地球中を巡り、遍く広がったマナと結びつき、世界中で壊滅的パンデミック現象を引き起こした。
初期の、その原因不明の病の世界的流行が、魔法的な原因によるものであるなど想像もできない地球人は、より不安や恐怖を増幅させ、それが被害の更なる拡大に繋がったのだった。
人々の不安や恐怖に触れたマナは、未知の病を生むのみならず、動物のモンスター化すら引き起こした。
当然、ごく一部の地域を除いて社会機能は破綻し、それに伴う治安悪化は、更なる死者の増加に繋がった。
やがて地球人に『魔素』と呼ばれることになるマナの影響が広く知られる頃には、手遅れだった。
夥しい数の死者が出た。百億を超えていた地球の人口は、一年も経たぬ内に百分の一を割り込み、その後も更にその数を減らしていった。
生き残った人々は、マナによる魔法的現象がもたらした数少ない恩恵の一つ、小型核融合炉を利用して、軌道エレベータの宇宙側ターミナル・コロニーを宇宙船として、種の保存と同時に外宇宙に新天地を求める『方舟計画』を実施する。
それからはじき出され、地球に取り残された人々は、滅びに向かう絶望の中で生きようとした。
自らの意志で地球に残った人々は、地下に潜り、地上の浄化を待つ。だが、それが成る日は、知れない……。
パンデミックが本格化するより前に、突然現れた大陸規模の大地の調査は行われた。
国連が主導する形ではあったが、各国は競うように各分野の研究者、技術者を送り込み、第一陣のみでその数は万に迫った。
だが、その大陸を覆う膜のような不思議な“何か”は健在で、その中に入ることができた人々は、しかし、外に戻ることは決して無かった。その後にも数度、送り込まれた調査・探索・救助隊も同じ末路を辿るに至り、そして、地球上がそれどころではなくなったこともあり、人類はその謎の大陸に近づくことを諦めた。――当然、その内側が、破滅的状況からも隔離されていることなど、知る由も無かったし、閉じ込められた人々もまた、自分達を閉じ込める檻が、実は命を守ってくれていたことなど、知るはずも無い。
そして三角の大陸に閉じ込められた人達は、この大地で、生命の
地球に落着したばかりのブルゥンディ・ベルの海岸線に、海から離れてゆく二人分の足跡があった。どちらの足跡も、女性のものと見える……。
足跡は、波と風に掠われて、遠からず、その痕跡を消した。
――ブルゥンディ・ベルを知るひとは、幸せなひと?――
遠く遠くから、優しく囁く透明な、その歌声のような問いかけに、答えるものは、もう、いない――。
― 完 ―
戦花繚乱 ブルー・ローズ ~三角大陸戦記~ みたよーき @Mita-8k1
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