第十八話 『プレゼント』
「ウィリアム様。どうやらクロムウェル軍が王都の包囲を解いて撤退したようです」
私たちの作戦はなんの支障もなく進んだ。予測された反撃も、王都内での戦闘もほとんど起こらなかった。
それどころか、クロムウェル帝国側は王都に逃げ込んだ私たちをほっぽり出して国境方面へと軍を引いてしまったのだ。
好調と言えば聞こえがいい。だが、ここまで私たちの思い通りに物事が進むとむしろ敵の罠にハマっているのではないかと考えてしまう。
王都の東にはライル地域と呼ばれるなだらかな丘に囲まれた平野がある。
もしかすればクロムウェルの将はライルでの決戦に持ち込もうとしているのかもしれない。
「偵察を出そう。敵の動きを監視し、こちらに利のある場所まで連れ込んだ上でクロムウェルの軍と戦う」
下手を打てば取り返しのつかない敗北を喫する。
であれば、ここはしっかりと敵の動きを見切ってから反撃に移しても遅くはない。
「それと、戦闘報告が終わった部隊からしっかりと休息を取るように。騎士たちに調達した肉類や酒類も惜しみなく振る舞ってあげてくれ」
少なからず犠牲者も出ている。戦友を目の前で失った者もいることだろう。そしてこれからも作戦は続く。
騎士たちの心と体を労わらなければ勝てるものも勝てない。
今は束の間の余暇を皆に楽しんでもらおう。
*
この二日間、クロムウェル軍はライル地域の丘陵部で野営を続けている。
一方の我々も特に反撃を行うこともなく、交代で偵察と守備を出しては宴会を日中問わずに開き続けていた。
王都に残っている民衆からは騎士の蛮行についての通報が多数来ており、不満が溜まった市民による暴動が起きてもおかしくない状況となりつつある。
これ以上王都に軍勢を留まらせ続けるのは危険か。
「隊長たちを呼んでくれ。決定した作戦の最終確認をし、明日にはここを発つ」
反抗作戦も多くの者と話し合って決めた。
ライルの平野部に主力部隊を展開し、丘陵部から駆け下りて来たクロムウェル軍を右翼から大きくまわり込んだ別働隊で反時計回りに挟み込む。
王都奪還で数キロ単位なら部隊間の連携は十分に可能だとわかった。定石通りの横陣で敵をひきつけ、別働隊によるタイミングを見計らった奇襲攻撃で蹴散らす。
「全員集合致しました」
クリフの声で作戦概要書から目を離す。
短い期間ではあるが、ともに同じ目標へ向かって戦闘を乗り越えた彼らを私は信頼しているのだ。
私の前に並ぶ騎士たちの顔は眩しい。
自信に満ち溢れ、自分たちの行動に誇りを持っているからこそできる顔だろう。
「作戦を明日より実行する。先の見えない戦いではあるが、皆とならこの局面を乗り越えられると信じている。最後まで......私について来てくれるか?」
誰かが堪えきれずに笑い出す。
その誰かにつられて別の誰かも吹き出した。
「団長! なんで最後の最後に疑問形なんすか!」
「いまさら当たり前のことを確認せんでも...」
部下に恵まれたというべきか、皆に舐められているというべきか。
でもそんなことがどうでもよくなるくらいには、ここにいる騎士たちの温かさが私を勇気づけてくれた。
ハプロフ王国の命運を背負う者ではなく、ひとりの国に使える騎士として。
私は彼らとともに勝利の二文字を―――
「ウィリアム様! アリス様が王宮中庭へお呼びになっております!!」
「......まったく。締まらんですなぁ」
大笑いする騎士たちに手を取られ押し出され、私は急いでアリスの元へ向かうこととなった。
日が沈み、屋敷から漏れる明かりと月の影がほのかに照らす王宮の中庭。昼間に咲き誇っている美しい花々も、次の朝日にそなえて眠りについていた。
今は宴会で騒ぐ声と噴水の水が流れる音だけが聞こえてくる。
そんな中、アリスは八角形の屋根を八本の柱が支えた休憩所――ガゼボ――の下で私を待ってくれていた。
前に立つ私をチラッと見て、俯いて、またチラッと見てくる。
やはり気まずいのだろうか。
リボルスに着いた時から今日まで、なかなか話すこともできなかったし話しても出会って間もない頃のようなぎこちなさが蘇っていた。
「あ、あの......ウィリアム様?」
「どうした。急に呼び出して」
恐る恐る口を開くアリスを見ると心が締め付けられるような感覚に陥る。
それなのに、私の言葉は感情がのっていないように冷たい。
「作戦の話、トール様から聞きました。明日王都を出られるのですね」
「ああ。そうだね」
アリスの口からトールの名が出るとは思いもしなかった。いつのまにふたりは私無しでも話せるようになっていたのだろう......。
心が掻き乱されて、なんだか嫌になる。
刹那。モジモジとしていたアリスが、私の目をとらえた。
後ろに隠していた手を私の前へと差し出す。
アリスの小さな手には、ハンカチが握られていた。
「エリノアちゃんに聞きました......そ、その...大切な方を戦地に見送るときは、手作りのハンカチを贈るのだと。でも私、お裁縫上手じゃなくて。刺繍をしただけになってしまったのですが......」
よく見ればアリスの指には傷跡があるし、施された刺繍は少し歪にも見える。私と会わなかったのは、話す時のぎこちなさはこのため。
アリスが私のために贈り物を作ってくれたのだというこの事実だけで、嫌われたのかもという勝手な考えが丸ごと吹き飛んだ。
「アリスありがとう。アリスからの贈り物なら私はどんなものだって嬉しいよ」
不意に私の頬を涙が伝う。
アリスの顔がぼやけてよく見えない。
アリスに出会ってから、私は涙もろくなったように感じる。感情も前より表に出やすくなった。
アリスと出会えたからこそ今の私がいる。
私の頬に、サラサラとした布が当てられた。
優しい動きで私の涙をアリスが拭ってくれる。
「ウィリアム様にお願いがあります。必ず、アリスの前に帰ってきてくださいね」
再び見えたアリスの顔は、今にも崩れてしまいそうなほど儚い表情をしていた。
嬉しくて、そばにいたくて、狂おしいほどにアリスのことが好きなのだと。
伝えたい。この気持ちを。
今度こそ、もう何も恐れることはないのだから。
「アリス。私からもひとつお願いがある」
私の言葉に首を傾げるアリスの手をハンカチごと握りしめた。
「この戦争が終わったら、私と結婚してほしい。そしてふたりでゆっくりとした時間をともに過ごそう」
アリスの声が無限に遠く感じられる。
ほんの数秒の沈黙ですら、私のことをアリスが拒絶するのではないかという気持ちを倍増させる。
「いや...だったか?」
「......ちがうんです。こんな気持ち初めてで、なんてお返事すれば今の嬉しさを伝え切れるかわかんなくて」
アリスらしい。愛おしい答えが返ってきた。
「ウィリアム様。不束者ですが、末永くよろしくお願いします」
言葉の余韻が過ぎ去る前に、アリスをギュッと抱きしめる。
その瞬間、中庭に面している王宮の窓という窓から拍手と歓声が私とアリスを包み込んだ。
投げかけられる言葉はどれも思いやりのある温かいものばかり。
気恥ずかしさと嬉しさでどうすればいいのかわからなかったが、とりあえず深々とお辞儀をして屋敷の中へと戻る。
またひとつ、王都へ生きて帰ってこなければならない理由が増えたな。
*
「ブレント。王都の防衛もアリスのことも任せたぞ。ハンス! 我々も出陣だ」
ほんのり暖かい陽に照らされ、召集された騎士たちが戦地に向かって駆け出す。
昨晩の幸せを糧に、必ずやこの一戦で勝利を掴み取らなければならない。
辺境伯は自領で静かに過ごしたい! 四条奏 @KanaShijyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。辺境伯は自領で静かに過ごしたい!の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます