ごたごたデイ
清寺伊太郎
第1話 ごたごたデイ
家の中を可能な限り汚して、穢して、ぐっちゃぐちゃのめっちゃくちゃにした後、すべてを元の通りに。何もなかったかのように。
そんな予定を俺は立てた。何故かって?知らん。何も大きい家じゃあないんだ。一回くらいやってみたくもなるだろう。でもこれは今日の俺にとって絶対に必要なことなんだよ。これをしなきゃ俺は明日を生きられない、そう思ったんだ。だが、意外と几帳面な俺だ、いざやるとなると心がざわざわしてきやがる。
まあいい、もういいんだ。散らかそう、壊そう、狂おう。
俺はベッドから目を瞑ったままジャンプをした。下の階に何の遠慮もなく力士のように地を踏みしめて着地した。俺のガタイはいい方だ、俺はこの地面がひび割れていると思う。大きく息を吸い込んだ後、咳き込み、床に唾を吐いた。ああ汚してやるよ。心の中にある怒りを、飢えを、狂気を、すべて俺の力に。
椅子を蹴り倒した、引き出しを全部出した、ハンガーに掛かっている衣類を捻り落とした。ハンガーはひん曲げた。カーペットを捲り上げ、電子レンジを転がした。一緒に炊飯器もついていった。開いた炊飯器から乞食みたいに渇いた米が散乱した。冷蔵庫は意味なく開け、中身を引っ搔き出した。扉を取ろうとしたができなかった。木製の机の上の教材や本、あらゆる物を投げ飛ばし、机は横倒しにした。投げ飛ばした中に鋏があった。それを握り締め、ぶんぶんと回した。舌を出して狂気を演出した。そしてカーテンのほうへ向かった。窓ガラスと接触し浅いカキン、という音が鳴るが、カーテンには縦筋が入るばかりで痒そうだ。カーテンは結局手で引きずりおろした。次に見つけたのは、シャープペンシルであった。床に転がっていた。隣には電子辞書があった。シャープペンシルは母が、電子辞書は父が買ってくれたものだ。俺はシャープペンシルを握り締める。おらあああぁ!と発しながら電子辞書に刺した。力が伝わりきらず途中で傾き肘から崩れ落ちた。くっそ!ああ!横に教科書があった。中身を開き、力任せに破り捨てた。何度も何度も破り捨てた。後ろに放り投げた時に棚の角に手をぶつけた。痛みが走った。しかし気にしなかった。何度もぶつけた。何度も何度もぶつけた。もうぶつけにいっていた。左手の色が変わってきた。歪んだ顔は笑みを作っていた。数学ⅠA、数学ⅡB、現文、古文、漢文、世界史、日本史、物理、化学、生物、数学Ⅲ、埃をかぶった家庭科。一回一回破れるたびに数を数えながら全部ちぎった。他に転がっていた赤ペンや鉛筆は方々へ投げたのち両手で折った。折った鉛筆はギザギザしていてカーテンを裂くのによさそうと思ったが、不快な音とともにすぐ均されて使い物にならなかった。
やはり信じられるのは己の拳だけだった。壁を殴った、強く殴った。自分以外を始めて殴った。拳は十分に硬かったはずだ。しかし、壁は一枚上手だった。皮がめくれて爛れたようになる。それでも止めない。ドン!ドン!ガン!ドン!ドン!ガン!ドン!半開きの口からは涎。荒い呼吸をしながら左拳と右拳を交互に突き出す。だんだんと無意識になり、感覚が消えていくのを感じた。壁は突き抜けたのだ。
刹那、俺の中で何かが壊れた音がした。否、これは重なる音、ぴったりはまった時の快感。それに近いものであると悟った。気が付くと俺は回っていた。両手を雄大に広げ、俺はこの箱の中で舞っていた。床に落ちている数多の雑貨を踏みつけに、歪な地面に足を捻り、土踏まずを貫かんとする鋭利を嗜みながら俺は舞った。神秘主義者が神との合一を求めるように俺は舞った。もう誰も俺を止められはしないと思った。壮大な劇場が頭に浮かび上がった。俺は涙を流して喜んだ。もう何年も回っているような気持だった。
回転しながら俺の手にはいろんなものが引っ掛かった。写真立てやドアノブ、クローゼットの取っ手、テレビ、パソコン、賞状。他にもたくさんのものを引っ掻いたが加速する体には把握できなかった。あらゆるものを薙ぎ倒し、壊した。今までの何倍もの膂力が俺の身に宿った。今なら確信がある。綺麗に壊してやるよ。俺は回転を少し緩めて狙いを定めた。窓を一瞥した。敵はカーテンを剝いで一糸まとわぬ透き通ったガラスであった。俺の拳はきっとあれを貫くだろう。よもや音もせず、すり抜けるように破壊するのではないか。そうだそうだそうだ!俺は強い!とにかく強い!誰にももう絶対に屈辱は味わされてたまるか!紫に変色した彼の拳が一層色を深くし、窓を突き破る。甲高い音とともにきらきら光る白い結晶が自由を求めるように飛び出した。
ああきっとあのどれかが明日の俺なんだ。
* * *
この世界には戻るものと戻らないものがある。俺の部屋には今、木の匂い立ち上る机とその上にシャープペンシルと電子辞書、小さなゴミ箱がある。それ以外はもう何一つとしてない。赤黒く艶めいたその選ばれたものたちは朝日に照らされ、燦然としているが、いまだ画竜点睛を欠いている。俺はぼうっとする頭で液体を部屋にばらまく、ばらまく。さらさらとしているのになぜこんなにも粘っこい匂が鼻を衝くのか。美しい朝を邪魔しないでくれ。最後の怒りを絞る。また回る回る。ガソリンをまく。シャープペンシルも電子辞書もゴミ箱も床に落ちる。俺もとうとう倒れる。合一だ。合一の時だ!目の前にはペンと辞書!震える左手でシャープペンシルを握る。右手で電子辞書を抑える。これは力でない。儀式だ!合一だ!誕生だ!俺はペンを辞書の充電差込口に突き刺した。小さな火花が俺の目の前で祝うように咲いた。人生で一番穏やかな笑顔をしてやった。ははは
ぼん
これですべて元通り。何もなかったかのように。
ごたごたデイ 清寺伊太郎 @etuoetuoduema
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