3−3 奔流と運命
「さあ、あんたらの運命が転がる音を、聞かせてくれ!」
賽の目は、サイコロに賭けられた対価がその者の運命を左右するさまを見るのが好きらしい。いっしょに遊戯盤を囲むのは初めてだが、シハースィは彼が人ならざる者の運命をも損なうところを何度も見たことがある。制約が多いぶん、見返りも大きい魔術なのだろう。
化かしあうことは前提の遊戯だ。要所要所で月光の視線を使い、人間たちの真意を把握していく。
「ん、これは捨てとこうかな」
「おお実はこれを待っていたんだ」
「糸巻き栗鼠の針葉樹か。多要素を持つカードを捨てるとは、なかなか大きく出たな」
月光を返したくないと慎重に魔術を敷き、自分の有利を築いていく貴人。
余裕はあるようだが、どこかこちらの出方をうかがうような魔術師。
本業ではない余白の部分であるにもかかわらず、技術的に高度な魔術の応酬が続く。相手のイカサマを指摘したり、あえて見逃してみたり。それも駆け引きだ。
(賽の目は……意外)
そこに運命の転がる音があるのだろう。各々がカードを引くためのサイコロを振るのを、賽の目は楽しそうに凝視する。
そしてそれはなぜか、魔術師が振るときに顕著だった。
シハースィは懐疑の念を膨らませる。
この魔術師は、そんなにも面白い人間だろうか。この男のなにが周囲を惹きつける?
貴人から月光を取り返すという目的を変えるつもりはない。だがそうして予定調和にシハースィたちが勝てば、そのあとは。
賽の目が魔術師を気に入り、彼の手札の一枚になるのだとしたら。
それは、つまらない。
逸脱した器用さで罠を仕掛けていく魔術師よりも、自身の運命を賭けながら大胆に仕掛ける賽の目のほうがよほど愉快ではないか。
(……うん、ちょっと、崩してみようかな)
なにか勘づいたのだろうか。
まずは目的を果たそうとシハースィが流れを変えようとしたところで、彼は動いた。
さりげなく捨てられた魔術師の手札に、目を瞠る。
描かれているのは、月の映る水たまりに口をつけている猫。
「……いま、それ捨てちゃうんだ」
「いやはや……」
貴人がわずかにたじろぐ。それぞれの手札の傾向はある程度読めている。おそらくはこのターン、魔術師と貴人の一騎打ちともいえる状況になるはずだ。それも、無理やり引き込まれた貴人がかなり不利なかたちで。
魔術師の捨てたカードを、貴人が拾うか否か。
わかっていても選ぶことしかできない、これは罠だ。
たしかにこの一手は面白い。
(でも、それだけでは終わらせないよ)
拾うことを選んだ貴人が完全に崩れるよう後押しをしてやりながら、シハースィは、魔術師がうまく隠してきた隙を鋭く突いた。
「おおお!」
「な……っ!」
「……は?」
三者三様の、人間の反応。
勝敗は決まった。
敗者は貴人だ。対価を守る猶予を与えない、役無し。完膚なきまでに魔術師が負かした。
そして――
「あんた、そのカードを最後に残すのはなしだぜ」
「……知っている」
――同時に、シハースィが魔術師を脱落させた。
ぐわんと、
あまりの衝撃に椅子から崩れ落ちたのは、魔術師だ。反射的に手を伸ばそうとして、しかし魔術師はそれには構わず、自力で立ち上がる。
魔術師は、シハースィが謀る可能性を、考えていた。
「……ふうん」
ただならぬ気配に、周囲の者たちもなにごとかと騒然としているが、なにが起こっているのか正確に理解した者はいないだろう。
(や、見えてても信じられない、けど)
シハースィの目には、時の流れの渦巻くのが見えていた。魔術師をとりまき、その過去が、未来が、彼自身との繋ぎを失う準備を始めている。
轟々と、こちらへ流れ込もうとしている。
敗者が賭けたものは、勝者が得る。それが賽の目が扱うサイコロの魔術だ。誰が相手であろうと、どんな対価であろうと。その因果は必ず成立する。
だが、勝敗は決まったばかり。
まだシハースィは魔術師からなにも奪っていないはずなのに、これほどの運命を揺るがすものとは、いったい。
(それでいて、簡単に捨ててしまえるものって)
と、派手に椅子の転がる音がして、シハースィは思考をこの場へ戻した。
「ひいッ……!?」
悲鳴をあげたのは貴人だ。その首筋には、ナイフの刃。
突きつけているのは、魔術師だった。
「……え、待って。君いまから、なにを奪われるかわかってる?」
「自分の賭けたものを忘れるわけがないだろうよ」
そうだろう? と言わんばかりの視線。
魔術師自身のことでありながら、それは貴人にも向けられていた。
ざあっと恐怖に染まる貴人の顔を見て、魔術師はわざとらしい乾いた笑みを浮かべる。
「は、滑稽だな」
ナイフを貴人にあてがった状態で、彼は称賛の拍手を送るように手首を叩いた。
「覚悟もなく盤上に立った憐れさに免じて、麻酔を打つ時間ならくれてやる」
どこまでも馬鹿にした言いかただが、貴人はなにも反論できないようだった。
それほどに魔術師のたたずまいには隙がなく、そして、彼自身が覚悟のうえだと、その態度が示していた。
震える唇がいくつかの魔術を紡ぎ、身体を包む。
貴人が覚悟を決めた顔で魔術師を見上げると、彼は露ほどの躊躇いもなく、まるでステーキ肉にナイフを入れるかのようななんでもない優美さで首筋に刃先をすべらせ、貴人の首にあしらわれた竜の鱗をはぎ取った。
「なるほど、これが魔術による因果の縛りか」
その意志を持ち行動するだけで、力は要らないのだろう。
ならば自分もやってみようと、シハースィはまだ内容を確認していない、ただそこで渦巻く運命を、引き寄せる。
「……っ!?」
先ほど揺らいだのとは比べ物にならない、衝撃。
今度はなにかしらの対策をしていたものか、それでも魔術師はテーブルに手をついた。血の気を失った顔を、は、とため息ひとつで持ち直す。
「はははっ、これはいい! ああ、とてつもなく素晴らしい、こんなに素晴らしく転がる運命の音は、初めてだ」
賽の目が、恍惚とつぶやいた。
転がる、などという簡単な言葉で済むものか。時の奔流すらかき乱すようなその運命は、とうてい一人の人間がたどるものではなかった。
(気になることはいろいろ、ある。けど)
とりあえず――と、シハースィは魔術師の顔を覗き込む。
「ね、君の名前なんてもらって、どうしたらいいの」
「好きにしろ。もうお前のものだ」
甘い笑みを浮かべ、まるで婚姻の気を匂わせるような言葉を紡ぎながら。彼は、貴人から剥ぎ取った月光の竜の鱗を恭しく捧げてくる。
「要らないなら捨てればいい」
「え」
「待ってくれ、い、今のが名前を奪われた現象だと?」
「ほう、まだ余裕があるらしいな」
もう自分の清算は済んだとばかりに、魔術師はふたたび貴人のほうを向いた。
結界も張られていない主ホール。
続けざまに起こる異変に、他のテーブルで遊んでいた者たちもこちらを気にしている。
魔術師と貴人のようすを見れば対価の支払い最中であることは言うまでもなく、なにがやり取りされるのか、そわりと空気が浮き立った。
「あとは、右目だな」
魔術師の、ひとりと夜になじむ落ち着いた声が、その期待を煽る。
もはや、貴人は見世物でしかなかった。
彼の無抵抗は、余裕からくるものではない。無駄と知っているからだ。
それは魔術の理をよく理解している者のふるまいで、だからこそ、見せびらかしてしまおうと考える魔術師の残忍さが際立っていた。
貴人の顎に手をかけて上を向かせた魔術師。
魔術でナイフを浮かせ、文字通り目と鼻の先に。自分は数歩下がる。
ひと呼吸おいて。魔術師の指がくるりと回された。シャンデリアの灯りを赤く反射する刃が、眼窩をなめるように深々と突き刺さる。
「あああああああああああッ!」
こちらの痛覚をも刺激するような、悲鳴があがる。
絶望という谷をさらに切り崩していくようなその声は、言わずもがな、貴人のもの。たかだか麻酔の魔術程度で抑えられる痛みではないだろう。
かなり定着が進んでいたものか、ぶちぶちと神経の引き千切られる音が聞こえてくる。
サイコロの魔術による対価の支払いだ。雑に瞳を抉られたところで、その命が損なわれることはない。命があるだけましだと思えるかどうかは、その者によるだろうか。
生々しい音や凄惨な光景に耐えられなくなった観客は気を失い、それを温いと周囲があざ笑う。
その空気感を魔術師が先導している。
(ああ、愉快だ)
なんて、なんて愉しそうな目をしているのだろう。これでは、賽の目に共感を覚えてしまうではないか。
(それに――)
世界の理に触れる魔術師が名前を失くすなど、不便もいいところだろうに。なにより、過去と未来に信じられない深さで運命の根を張りながら、彼は今、そこへ紐づく運命を失ったのだ。
なにかを得るなら、なにをも捨てる覚悟を。
その危うさを、思えば。
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月光は歪み咲う ナナシマイ @nanashimai
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