とある川、上水にて。死別と出会い

ぴのこ

とある川、上水にて。死別と出会い

 月明かりが照らす静かな夜。きらきらと月の光を反射させる川のほとりに、ふたつの足音があった。ふらふらと、稚拙なダンスのように躍る足音。ひどく軽い両者の足音は、この場の空気をいたずらに震わせることはなかった。

 川のほとりには人影ひとつ無かったが、今この近くに人間が居合わせていたとしても、彼らの足音を聞きつけることは無かっただろう。


「ああ、川が見えてきたね」


「ええ、あなた。月の光が反射していて、とても綺麗」


 両者は夢見心地で言葉を交わした。手を取り合って、ゆらゆらと。酩酊状態の彼らは、それでも確かに、川へと、死へと向かっていた。

 ともに川に入水し、この世から去ることが彼らの目的であった。


「これで、僕たちの愛は永遠だ。僕たちは永遠に結ばれる」


「嬉しいわ。こんなに幸せなことって他に無い」


 泥酔者の千鳥足のように右に左にと揺れながら歩きつつも、やがて彼らは川のすぐ近くまで歩を進めていた。

 さらさらと、静かに、けれど絶え間なく。水龍が蠢くように流れる川の水。飛び込めば、確実な死が待っていることが見て取れた。

 それでも彼らの頭は、入水以外の選択肢を考えられなかった。


「ねえ、入水は、苦しいだろうね」


「ええ、きっと苦しいわ。けれど、あなたと一緒なら」


 ふふ、と。どちらからともなく、彼らの口から笑みが漏れた。


 とぷん、とぷんと。ふたつの波紋が川に浮かび、すぐに消えた。

 ふたつの命が消え去る音は、すぐに川の音にかき消された。


 静かな、静かな夜だった。




 ハリガネムシ(針金虫)とは、類線形動物門ハリガネムシ綱(線形虫綱)ハリガネムシ目に属する生物の総称。成虫は長さ数十センチ、直径数ミリほどの細長い糸状の体をしている。

 カマキリなどの昆虫に捕食されることで宿主に寄生し、3か月程度かけて宿主の腹の中で成長する。なお、宿主はハリガネムシに寄生された時点で生殖能力を失うため、仮につがいの宿主が2匹のハリガネムシに寄生されたとしても、寄生以降は子を成すことができなくなる。

 ハリガネムシが成虫になると、宿主を操作して水に飛び込ませる。この際、宿主はまるで泥酔状態のような行動を見せ、ふらふらと歩き回りながら水中へと向かう。

 ハリガネムシに寄生された宿主が水中へと向かうのは、水面の反射光に反応しているためだ。ハリガネムシは宿主を水面の光を好むように操作し、太陽や月の光を反射して輝く水面に身を投じさせているのだ。水辺に到着すると、宿主は躊躇することなく水中へと飛び込む。

 水中でオスとメスが出会うと、雌雄の二組は巻き付き合い、生殖活動を始める。

 ハリガネムシが河川に飛び込ませた宿主は、イワナやヤマメ、アマゴなど、河川に住む河川性サケ科魚類に捕食され、エネルギー源となる。

(帝都大学大学院理学研究院 『ハリガネムシに関する生態学的研究』より引用)




 川の中。水に流されるカマキリたちの死骸から這い出るものが、2匹あった。彼らがどう出会ったのか。どう相手を見つけたのか。それは彼らにもわからないだろう。彼らは、運命の糸が絡み合うかのように、ごく自然な流れで針金に似た体同士を巻き付け合わせていた。


「やっと会えたね。ずっと、会いたかった」


「ずっと、近くにいたのにね。あなたの姿も見られなかった」


 その夜、2匹のカマキリが命を落とした。その死骸は、別々の魚に食べられたことで永遠に離れ離れになってしまった。

 その夜、2匹のハリガネムシが出会いを果たした。その雌雄は、強く絡みつき多くの子を成した。


 その一部始終を知る人間はひとりとして居ない。

 静かな、静かな夜だった。

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