唐突なお色気展開はありません
それから私は練習を重ね、豆柴が私の周りを駆けずり回るくらいには上達できた。かなりの集中力と根気と、ほどよい力加減を必要とするみたい。クールさんは慣れたら無意識のうちに生成できると言っていた。私は豆柴を生成しているときは、クールさんのほうに意識を向けることはできないから、まだまだ訓練が必要みたいだ。
「ふう、疲れたなぁ」
豆柴にお別れをしてから、私は息を吐く。
「お疲れ様」
「ねね、この世界って、お休みの概念はあるの?」
辺りを見渡しても真っ白の世界が続くばかりで、寝具の類は見当たらない。
「それは、望むならどのようにもできるわよ」
そう言って彼女は部屋を生成した。
白で統一された部屋に、思わず「病室みたい」とコメントすると、彼女はその部屋に彩りを加えていった。黄緑色のベッド、目覚まし時計、猫のカレンダー、勉強机、本棚、クッション、クマのぬいぐるみ……。
「ざっとこんなもんかしら」
「すごい! ニ⚪︎リのお部屋がそのまま出てきたみたい!」
私がそうコメントすると、クールさんは「解像度が低かったかしら」となぜか悔しそうに言った。
「まあいいや、これから部屋はアレンジしていけばいいもんね。えっと、ここはクールさんのお部屋ってことでいいかな?」
「どちらでも」
本当にどちらでも良さそうに彼女は言う。
「じゃあ、隣にクールさんの部屋も作って! 色違いで!」
クールさんの部屋は、水色っぽい感じがいいかなと伝えると、彼女はすぐに作ってくれた。曰く、一度生成したものの再利用の場合はすぐ生成できるのだとか。
「あとは、お風呂とかも欲しいなぁ」
「どんなお風呂?」
言われて少し悩む。高級温泉宿みたいな広いのもできるのだろうか。
「できないこともない。ただ正確さは欠けるかも」
「うそうそ! 水道光熱費が大変そうだし!」
「そんなの気にしなくてもいい」
「そうかもしれないけど! 気分的に!」
クールさんはキョトンとしている。私の庶民的なこだわりは、言語化が難しい。
「足がちょっと伸ばせるくらいのお風呂場で、お願いします」
「わかった。それならたぶんできる」
と言って彼女は、近くにお風呂場を作った。
「そういえば」
私はあることを思い出す。
「疲れたな、とはちょっと感じたんだけど、お腹すいたな、とは感じないんだよね。ご飯って食べなくてもいいの?」
「その設定も、自由にできる。デフォルトでは疲れの設定はON、食欲の設定はOFFに設定されている。疲れをOFFにしたら、感じないようにできる」
なるほど。それさえも自由だとは。
「そっか、じゃあとりあえず食欲はOFFのままでいいや。食欲がない世界って新鮮でいいな」
「わかった。この設定を変更するにはMotherシステムを呼び出さないといけないから、そのほうが助かるかも」
「そうなんだ。ようし、さっそくお風呂に入ってこようかな」
着替えを探そうと思って、ふと思いついた。
「これって、私がパジャマを生成できるの?」
「もちろん」とクールさんは答えた。
「意識が飛んで、突然のお色気展開になったりしない?」
「それは大丈夫。人間は服を着ている時、無意識のうちに服の存在を認識している。それだけの認識があれば、さっきの豆柴みたいに消えることはないわ」
「よかった、それなら安心だね」
そう言って私は、ベージュの可愛いパジャマを生成した。一度こういうのを着てみたかったんだよね。
お風呂から上がると、クールさんがリビングルームを作ってくつろいでいた。テレビの前に丸い机とソファがある。部屋の隅に置かれた観葉植物は造り物だろうか。
「お先に。いいお湯だったよ」
ぽかぽかとしたいい気分で私は言う。「このあとクールさんも入る?」「そうするわ」「なんだか、二人暮らしみたいで楽しいかも」「……なら良かった」
クールさんがお風呂場に向かうのを見送って、私もソファに腰掛ける。記憶を頼りにスキンケアセットと鏡を生成する。いい感じ。
それにしても、なんとなく不思議な感覚である。私の記憶には、抽象的な記憶しかない。たとえば、スキンケアセットを生成はできるけど、よく見ると文字がぼやけている。メーカー名もどこのものかよくわからない。化粧水や乳液ではあるのだけど、どこか具体性に欠ける感じがする。
幼少期の記憶もおぼろげだし、昨日までの記憶も無いと言って過言ではない。漠然とした記憶はあるのだが、それは色々な人の記憶が混ざった状態のように思えて、どれが私自身の記憶なのか、判別がつかない。私自身の記憶として、はっきりと自覚できるのは、クールさんと過ごした今日のことだけだ。
そんな状況を、私は深く悩むことはしない。比較的楽観的にできているみたいだ。漠然とした過去しかないのなら、未来のことを考えればいい。クールさんとの関係性が定義された今日から、私の記憶は始まる。
一通りの夜のルーティンが終わって、私は少々手持ち無沙汰になる。こういうときは、本を読みたくなる。私は本を生成する。
文庫本サイズのそれは、表紙がどこかおぼろげで、書かれている文章もあまり面白くない。手触りや質感は私の求める文庫本そのものなのだが、内容はさっぱりだ。
私が文庫本と格闘していると、クールさんがお風呂上がりの格好でリビングに来た。
「クールさぁん、この本なんだけど……って」
私はクールさんの格好を二度見する。キャミソールにショートパンツ。白い肌の露出が多くて、ちょっとびっくりする。
「その格好、寒くない?」
「そうかしら。塩梅がわからなくて」
「うう……なんか目のやり場に困る気がする。……ちょっと待って、私の色違いを出すから」
水色のフリルのついたパジャマを私は生成する。
「これ着て」
「……ありがとう」
クールさんは不思議そうな顔でそれを受け取った。
しっかりしている人かと思ったけど、少し抜けているところもあるかもしれないな。……それとも、私が意識しすぎているのだろうか。
クールさんに着替えてもらって、私は本のことについて話す。
「えっとね、この本を生成したんだけど、なんだかいまいちで」
「見た目はすごく精巧にできているみたいだけど」
「中身の文章が、深夜4時に書いた文章みたいにぐちゃぐちゃで、ストーリーもよくわからないんだよね」
「……そう。生成したものは、生成主の特性に依存するから、その影響かも」
え。てことは。
「これって、私が書いた本ってこと!?」
「正確にはそうではない。そうね、天然ちゃんを模した人工知能が書いたと言うべきかしら。天然ちゃんの特性も入っているけど、人工知能の性能の影響も多分に含まれていると思う」
「そうなんだ……じゃあ、この世界には本はないの?」
自分の書いた本もどきしか生成できないなんて。本好きの私からしたら生きていけないかもしれない。
「外部との情報のやり取りは、Motherシステムを介して行われる。今日はもう疲れているでしょうから、明日呼び出して相談してみるわ」
「ありがとう! 本が読めるなら安心だ」
クールさんが隣のソファに腰掛ける。何をするでもなく、行儀良く座ってぼーっとしている。
「クールさんは、こういう暇な時間って何するの?」
クールさんは少し考える。
「……猫の動画を見るか、暗記物の勉強をするか、料理の下拵えを済ませるか……あとは」
「あとは?」
「やっぱ今のなし。……これはちょっと言えないわ」
「え! 何それ! 気になる!」
「えーと、そうだ、ストレッチをするわ」
「それ今考えたでしょ! 何だろう、気になるな」
私には言いづらいことって何だろう。感謝の正拳突きとか?
お風呂入ったあとにやるかなぁ。
そんなことを考えていると、クールさんはポツリと言った。
「日記を書いてるの」
「え、そうなんだ! いいじゃん」
確かに、ちょっと言うの恥ずかしいかもな。見せて! なんて言ったら困るだろうことは、容易に想像できる。
「ちなみに、どんなことを?」
「え……」
軽く聞くだけならいいかな、と思って聞いてみた。
「恥ずかしい……」
クールさんの顔が少し赤くなる。普段クールなのに、恥ずかしがる様子はどこか幼さを感じさせて可愛いな。
そろそろ「やっぱいいよ、プライベートなことだもんね」と言って解放させてあげようかと思った時、クールさんが答えた。
「その日あったこととか、嬉しかったこととか、考えたこととか」
なんだ、普通じゃん、と言おうとした時、
「……天然ちゃんのこととか」
と付け加えられ、「えっ」と驚いてしまった。
「ほら、関係性が定義されているから……重要なのよ、私にとっては」
「そっか……そうなのかも、うん」
クールさんの日記の登場人物に私がいることに驚きつつも、一応納得する。クールさんに日頃観察されていると思うと、ちょっと恥ずかしい。
日記か。文章を書くのは好きだから、私も始めてみようかな。そうクールさんに伝えると、「いいんじゃない」と。
「今日、クールさんの関係性が定義された日から、日記をつけ始めるね!」
過去は漠然としているし、この世界も漠然としている。ただ一つだけ、確かなのは、クールさんとの関係性。それを守るため、より確かなものにするために、文章で記録を残していく。そう宣言すると、クールさんはちょっとだけ嬉しそうな顔をして、頷いた。彼女の表情の変化はわずかなものだけど、私はそうポジティブに受け取った。
言語空間におけるクールさんと天然ちゃん かめにーーと @kameneeet
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