ほどよい力加減について

「そっかぁ。わかったようなわからないような……」

 私はあたりを見渡す。どこまでも白い空間が広がっているように見える。

 しゃがみこんで、床を触ってみる。大理石みたいにツルツルしていて、冷たい。私の履いている靴との摩擦で、転ぶことはないみたい。

「さっきさ、百合ちゃんとか、MOTHERさんとかを呼び出して、好きなタイミングでバイバイしたりしてたけど、それ私にもできるの?」

「もちろん。でも最初はコツがいると思うわ」

「どうやるの?」

「強く念じるの。できるだけ具体的に思い浮かべる。見た目、身長、体重、声、口癖、服装……でも、力んじゃいけない。ほどよい力加減が大事なの。最初は人間じゃなくて、動物からやってみたら」

「わかった……やってみる。……まずは、柴犬を出してみるね」

 私は柴犬の見た目、手触り、鼻息、匂いなどを思い浮かべる。……この空間に、柴犬が現れろ……!

 あれ?

 うーん。

「力が入りすぎてる」

 集中していたから全く気が付いていなかったけど、クールさんが私の背後にまわっていた。肩をぽんと叩かれる。

「はい。深呼吸。吸って、吐いて」

 すぅ、……ふう。

 クールさんは私を背後から抱きしめる。

 セーラー服同士が擦れる感触。

「変に力が入るといけないから、私が押さえといてあげる」

「う、うん」

 逆に緊張しちゃうような気がするけど。

「もう一回やってみて?」耳元でクールさんが囁く。

 私はもう一度、柴犬が現れることを強く念じる。一方で、クールさんのハグが気になって、念がやや乱れる。力が、いい感じに抜けて……。

「わぁ!」

 可愛らしい豆柴が、楽しそうに私たちの周りを駆け回る。

「すごい! できたよ!」

 しゃがみ込むと、小さな柴犬は私の胸に飛び込んでくる。

「へえ、なかなかやるじゃない」

「でしょでしょ! ほどよく力を抜くって、そういうことか! なんとなくわかった気がする!」

 私は初めて生み出した柴犬を撫で回す。

「ねね、しばらくこの柴犬と遊んでもいい?」

「ええ、いいけれど。……でも」

「え?」私が背後のクールさんに振り向いたとき。

 ふっと、手の中の感触が消えた。

「あれ、え、あれ?」

「最初は、あまり持続できないと思う……っていうのを、伝えたかったんだけど」

「そうなんだ……」

 なんとなく、原因はわかった。

 意識が一瞬だけ、柴犬じゃなくてクールさんのほうに引っ張られたのだ。そのとき、ぷつりと、何かが途切れた。それがいけなかったのだろう。

「訓練したら、少しずつ、伸びていくと思うわ。慣れたら無意識で持続できるようになる」

「クールさんは、それができるの?」

「わたしはまだまだ、……だと思う。お互い訓練を頑張りましょ」

「うん……そうだね。あとね、ちょっと思ったんだけど」

「なに?」

 私はちょっと迷ってから、口にした。

「えっと、クールさんは、念を送って呼び出した人とバイバイしてたじゃん? ……あれって、私に対してもできるの?」

 クールさんは少し困った顔をした。

「私があなたを消せるのかって質問?」

「う、……端的に言うとそうだね」

「……それは、正直よくわからない。私たちは『特別』だから。強く願えばできるかもしれないけど、私一人ではできないかもしれない、……し」

 そして私を見つめた。

「別に、したいとも思ってないから」

「そっか……なんだかちょっと安心したかも」

「それに、…………まあこれはいいわ……えっと、要するに、一人でいるよりも、二人でいろいろなものを見たり、体験した方が、楽しいでしょ?」

「そうだね。それはそうだと思う」

 聡明な彼女に一緒にいると楽しいと言われて、ちょっとくすぐったい。さっき出会ったばかりなのに、ずっと前から一緒にいたみたいな安心感が彼女にはある。

「まだ何かこの世界について質問はある?」

「そうだなぁ」

 私は考える。疑問なんて、挙げればいくらでもありそうだけど。

 周囲を見渡す。私は最初、この空間で意識を持って、そして……。

「あ、そうだ。私が目を覚ました時、クールさんが近くにいたけど、私が眠っている間は、クールさん何してたの?」

 ひょっとして、気の遠くなるくらい長い時間、彼女は一人きりだったりして。

「何もしていないわ」彼女は簡潔に答える。

「正確には、あなたが目を覚ました瞬間に、関係性が定義され、私も意思を持つようになるの。だから、あなたが目を覚ます前には、この空間には時間は存在していなかった」

「そうなんだ。……よかった」

 クールさんは首を傾げる。「……よかった?」

「うん! だって、クールさんが独りぼっちだったら、すごく寂しかったと思うもん。だから、そんなことなくて、よかった」

 クールさんは私をまじまじと眺めて、微笑む。

「ありがとう。……天然ちゃん、優しいのね」

「うん! だってそう定義されてるからね!」

 そうして、二人して笑い合う。思えば、初めてかもな。二人で笑ったのは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る