*終
瞬く間に、希維治の体は薄桃の光に包まれ、次第に変化を帯び始める。黒髪の狭間に見えていた耳は薄桃色の三角の耳になり、慶光の雄芯を咥える秘所の少し上には同じ色の毛並みの良い尻尾が揺れている。希維治は、薄桃の耳を持つ狐の半獣に姿を変えていた。
「ンぅ……あれ、俺……何か、耳が……?」
一瞬意識を失っていた希維治が我に返り、まだ少し覚束ない視線を泳がせながら慶光の目に映る自身を見上げる。
『儀式が上手くいった。これで晴れて、希維治も儂と同じく豊穣の神の使いとなり、儂の正式な嫁となれたのだ』
ほれ、この通りだ、と言いながら慶光に手を導かれて耳に宛がわれ、希維治はそれを実感し、目をぱっちりと開けた。身を起こし、改めてこわごわ薄桃色の耳に触れ、慶光から解放された腰の辺りに生えた尻尾にも触れてみる。確かに、希維治は姿を変えている。それはつまり、神通力の施しによる変身が成功した証しだ。
これで、ようやく慶光と一緒にいられるようになった。その喜びを示すために、希維治は迷うことなく慶光に抱き着く。
「慶光様! 俺、神様のお使いになれました! これで、ずっと一緒にいられるんですね!」
『ああ、そうだ。
「俺、もう慶光様から離れません。ずっと、ずっと一緒です」
『儂も、お前をひとりにはせぬ』
交わす言葉は永遠を誓うよりも甘く、互いを結びつける。抱擁をわずかにほどいて見つめ合う慶光に、希維治は感極まったように涙をあふれさせながら、告げる。
「――あなたを、
『――希維治、儂もお前と共にありたい、
見つめ合いながらそっと触れた唇は、繋がり合って蕩けた肌よりも熱く甘い。永遠の契りを誓ったふたりはそれから微笑み合いながら幾度も口付けを交わし、一層濃密に愛を深めていった。
希維治が慶光の妻となる神となって十日後、ふたりは無事祝言を挙げた。
屋敷の大広間には馬食とともに作った馳走を並べ、旧知の仲の神々を招いてのささやかな宴が開かれた。
まっさらな白無垢に身を包んだ希維治の姿は、唯一無二の美しさであったと、宴に招かれたものは申していたという。
永遠の契りを交わしたふたりは、この世のしあわせを具現化したかと思うほどに嬉しそうな顔をして寄り添い並んでいたとの話だ。
***
ヒトならぬものが見えていた忌み子と呼ばれ蔑まれていた子どもが、人喰い様と呼ばれる神の使いに嫁として捧げられ、それ以降そのものを見た者はいない。
子どもを差し出した家族はそれきり村から忽然と姿を消し、それもまたどこへ行ったのか知る者はいない。村を走る水路を使って、遠くの国へ出ていったというが、定かではない。
そうして、その忌み子が神の使いの嫁になって幾年月が流れていった。いまではもう、彼の名や姿を知る者はおろか、人喰い様の話を知る者もいないという。
「慶光様ぁ、お八つにしませんかぁ」
うららかな春の陽だまりの中、美しい黒髪に薄桃の狐耳を生やした青年が、伴侶の名を呼びながら、広い屋敷の中を歩き回っている。その手には盆に乗った草団子の盛られた皿と、湯飲みが二客。その後ろを、大きな土瓶を捧げ持つ馬耳の青年がついて歩く。
「どちらにいらっしゃるんでしょうねぇ、主様。書を読んでいると思ったんですけど」
「うーん……あ、馬食さん、もしかしたらあそこかも」
「お心当たりあるんですか、希維治様」
馬食の言葉に希維治はうなずき、足早にそこへ向かっていく。向かう先は、庭先の大きな木のところだ。
案の定、希維治たちが向かうと、庭の大きな
「慶光様、こちらでしたか」
『おお、希維治、馬食。見ろ、今年もヒナが無事巣立ちそうだ』
慶光が指す方には、ヒナたちを見守る大きな鴉が枝に止まっており、ゆったりと微笑んでいるように見える。
「もうすっかり仲良しになられましたね、慶光様と、鴉」
『まあ、言葉を介せぬようにしたら、ただのカラスと同じだからな』
「もうそろそろ許してあげたらどうです? お話したらいいじゃないですか」
『いいや。あいつはずる賢いからな。儂らを油断させておいて、いつまた希維治を
存外頑固なところがある慶光は、ずいぶん昔に自分の嫁がこの鴉の妖にそそのかされて災難に見舞われたことを怒り、それ以来仕置きとして人語を介する力を奪ってしまったのだ。希維治に余計な言葉を吹き込まないためだという。
人語を介せなくなった鴉は途端に大人しくなり、何故か屋敷の庭先に住み着くようになって、いまに至っている。
「でもまさかメスの鴉だったなんて」
「しかも主様に惚れていたなんてねえ」
『だったらなおさら希維治に近づけるわけにはいかぬ。また
もはやそんな気概なぞこの鴉にはないと思われるのに、本当に、頑固な人だ……と、希維治は半ば呆れながら苦笑する。その頑固さも、希維治を想う愛情ゆえのものだと思うの、憎む気にもならないからだ。
縁側に座り、八つ時のお茶と団子を食べながらそんなことを考えた希維治は、隣で団子を
「大丈夫ですよ、慶光様。だって俺には、あなたと言う神様のお使いがついているんですもの」
数えることも飽いてしまうほどの歳月を経ても尚、自分に対して頑固なほど愛情を注いでくれる彼を、希維治はこの上なく愛している。
大切な彼の手にそっと自分の手を重ね、微笑みかけると、慶光もまた、ゆったりと微笑み返してくれる。
『そうだな、儂にも希維治と言う神の使いがついておるからな』
こうしてうららかに春日が降り注ぐ中、今日も忌み子であった彼は、神様と共に穏やかに過ごしていくのだった。
(終)
人喰い様への生贄嫁がしあわせになるまで 伊藤あまね。 @110_amane_
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