苦悩の断片




 綺麗になっていた土壌も薄黒く汚れている。

 見える範囲では屍鬼もいなくなっていた。まさか全部復活したのだろうか。


 空中から眺めていた俺は帝都トレモロの手前の大地に降りる。

 少女を抱えたままその光景を半ば呆然と見ていた。

 いや、どうなっている?

 黒い景色を見上げている俺の腕の中で少女が身じろぎをした。


「降ろしていただいても良いですか?」

「まだ危ない気がするが」

 手を離さない俺の顔を見返してくる。

「…知り合いがいる気がするのです」

「は?この中にか?」

 少女が頷く。

 いたとしても、この中に入らせるわけにはいかない。

 腕から降ろさない俺に困った顔をしたまま、少女が見上げている。身体が良くなったのは魔法で与えたもので、天然に回復していないのだから、やたらに動いてほしくないのだが。


 しかし彼女の顔はいう事を聞かない顔をしている。

 そして俺は女性のそういう顔は、母と姉のおかげで苦手だった。


「ああ、もう、本当に苦手だよ」

 彼女を降ろして魔石をマジックバッグから取り出して、手元で魔法を掛ける。

「〈衙兵〉」

 魔石に刻んでから少女に手渡す。

 少女の手に乗せて、魔法の円が身体の範囲で作用しているのを確認する。少女が薄く見える魔法に目を細める。

「防御の魔法だ、胸の所にでも入れておいてくれ」

「あ、はい。有難うございます」

 後ろを向いて何かしているのは見ないで、マジックバッグから別の魔石を出して、魔法を刻む。

「〈防塞〉」

 手早く数個の魔石に掛けてから、足元に埋める。素早く反応してその場所に浄化と防護の魔法円が浮かび上がる。変な所で役に立ったな。


「この場所を魔法で守っているから、どうしようもなくなったらここまで戻ってくれ。俺が死んでも構築されたままだから大丈夫」

「そんな、あの」

「何時もかけているものだから気にするな」

 俺の顔を見てから、確認が出来たのか少女が頷く。

「はい、あの。分かりました」

「じゃあ行こうか、あ、と、名前は?俺はエルムというけど」

「あ、私はリングです。よろしくお願いします」

 そう言って早歩きでリングが歩き出そうとする。

「待て待て」

 俺は手を伸ばし、せめて穢れだけでも無くなれと魔法を放つ。


「〈浄界〉」

 俺の伸ばした手から炎が吹き荒れて、前方の黒い靄共々清める。驚いたリングが足を止めて俺を見た。

「あの」

「君は避けて使ってるけど、本音は横にでもいて欲しい」

「…分かりました」

 感情で走るのは、怖いから止めて欲しい。ついさっきまでひと月以上は動かずに飲食もせずに生きていたのに、この行動力は何なのだろう。


 二人で海側から、帝都の中に入る。

 来るときに使った道には幾百の屍鬼の遺骸が横たわっていたはずなのに、何処にも見当たらない。

 どうなっている?


 いない屍鬼。見当たらない生者。

 俺は幻でも見たっていうのか?あの聖別は本物だと思えていたし、実際、使徒レベルの力だったはずだ。

 三回目の〈浄界〉を放った後に、リングが息を飲む音がした。

 その視線の先を見る。


 ボロボロのゲインが歩いて来た。

「おい、ゲインどうしたんだ!?」

 走り寄ると、傷だらけの顔でゲインが小さく笑う。

「何だかわからない内に、黒い霧が出て来て」

「お前と一緒にいた冒険者たちはどうした」

「霧に捲かれて行方が分かりません。エルムさんは会われませんでしたか?」

 ゲインの問いかけに俺は頷く。

「俺達は会っていない。なあ、リ」


 確認のために振り返ると全力でリングが俺の横に走ってきていて、前に居るゲインのカバンを掴んで手を突っ込んだ。その肩掛けカバンからハンドベルを力の限り掴んで奪い取る。それからゲインから距離を取るように後ろに数歩下がった。

 ゲインが降った、金色のハンドベルをリングが握っている。


 いきなり行動したリングに声を掛けようと思った時に、ゲインが酷く冷たい目でリングを見つめている事に気付いた。

「…何故、お前が生きているんだ」

「残念だったわね、私が生きていて」

 お互いから視線を離さずに、リングもゲインも酷く憎んだような表情のまま、そこに立っている。

 俺は二人から同じぐらい離れた距離に移動する。

 これはどういう事だ?二人は知り合いなのだろうか。


「離れないでくださいエルムさん、その女は偽の聖女です」

「あなたが偽物でしょう!?」


 ああ、なんとなく、分かって来たぞ。

 そのハンドベルが神器って訳か。

 本人達の技量はどうだろうか。見極められるか?


「この国を壊してどうするつもりよ!」

 リングが目いっぱいハンドベルを打ち鳴らした。

 その途端に、リングの周りに数多のベルが出現する。それはゲインが歌で顕現したやり方とは異なった展開の魔法だった。

 リングの周りに現われたハンドベルは、それぞれが鐘楼の鐘のように自立で動いて音を鳴らす。


 チッと、ゲインが舌打ちした。


 カランカランと教会の鐘の音が一面に響く。

 繰り返し重なるように、鳴り響くそこに一切の穢れなど存在せず、清浄な大気は見知った気配が出現するようで背筋が寒くなる。


 これは、アブローネか。

 リングの傍に立っているような気配までする。

 このまま顕現するんじゃないかって思った時に、ゲインがもう一つのハンドベルをカバンから取り出した。


「え?」

「そんな、女神など降臨したとて、何ができる訳でも無し!!」


 ゲインは黒いハンドベルを、ガランと一振りした。

 その音は重くて、今、女神が顕現しそうだった辺りの空気を一瞬でかき消し、重く暗い霧が一面に広がり、視界が塞がれた。


「リング!さっきの所まで走れ!」

 何も見えない中で、俺が叫ぶと離れていたリングが動いた気配がした。軽い足音が離れて小さくなる。

「逃がすわけが」

 怒鳴るゲインの腕を走って近寄り掴む。

「まあ、待てよ。まだ俺がいるんだ。俺の相手をしてくれよ」

 俺を見上げたゲインの顔が嫌そうに歪む。


「あなたは、いったい。今の僕に触れるなんて」

 確かに、黒い霧はゲインの身体から吹き出しているようだが、そんな事は関係ない。俺は右手に剣を召喚してゲインに切りつけた。

「!!」

 とっさにハンドベルで自分の腹を庇ったゲインが俺から離れる。

 勿論そんなもので、俺の攻撃の全てが防げるわけがない。走って近寄り腹を狙う。

 防具を持たないで庇うゲインの方が不利なのは当たり前で。


 ゲインの腕や横腹から血が吹き出す。俺の剣は綺麗に研いであるから切れ味は上々だ。

「あ、あなたは魔法使いでは!?」

「話す余裕があるなんて、凄いなゲイン!」

 剣で打ち込んで、己を庇って出した腕を掴み魔法をぶち込む。

「〈旋風〉」

 強い風魔法が、ゲインの利き腕を切り落とした。

「いっ!?」

 腕と共に転がった黒いハンドベルを足で踏みつける。


「僕の、ベルが」

「俺は手を抜かない主義でね」

 手を伸ばすゲインの前で、踏みつけた黒いハンドベルに魔法を打つ。

「〈潰滅〉」

 足の下のハンドベルがザラッと崩れて、風が綺麗に粉を遠くへ運んで行った。


 地面に転がっているゲインが、俺と一緒に風の行方を見た後で俺を見上げる。その視線を受けて俺もゲインの顔を見た。

 片腕が切れて血が流れているゲインは青い顔のまま俺を見上げている。


「は、あ」

 さっきまで怒鳴っていたゲインは、震える溜め息をついた。

「お前がやったのか、今回の事は」

 ゲインが無表情なまま、ゆっくりと口を開く。


「どうやって、壊したのですか?」

「やり方を聞くって余裕だな?元々俺は聖なる魔法は普通に使えるだけなんだ」

「あれで普通」

「得意な魔法は、破壊全般だからな」

 そんな事を自分で言って少し嫌になる。

「破壊」

「ああ、殺戮と破壊が専門だな」

「そんな、あなたは」

 俺は首を傾げて、否定的な声音で言ったゲインを見る。


「俺はそう見えないって?」

「はい」

「良く言われるよ。中性的な顔で体格も良くない子供だって」

「ええ」

「舐めて貰って結構。その分俺が有利になるだけだ」


 ゲインがまだ俺を見ている。

 それから嬉しそうに笑った。


「ああ、あなたがそうしてくれたことで、僕は救われました」

「…は?」

 ゲインの腹が急に裂けて、腹から血を吹き出して呻く。そんな切り方はしていないはずなのに、どうして腹が裂けるんだ。

 慌てて抱えようとして、手で払われる。


「僕はこうするしかなかった」

 地面に横たわったゲインが笑いながら、血を吐きながら俺を見ている。

「渡りは、本当につらい。けれど、そこから抜け出すことも出来ない。蔑まされて、殴られて、侵されて、飢えて飢えて」

 俺は何かを告白しているゲインを見ることしか出来ない。

「あなたみたいに、無償でご飯をくれる人なんて、稀だった」

 ゲインの視線がおぼつかなくなっていた。涙が幾筋も流れている。


「エルムさん、ありがとうございました。僕は嬉しかったんです。だから」

 ゆっくりと息が小さくなっていく。

「僕は、この国に恨みはなくて、ただ、あの国が」

 ゲインの後悔を聞いている。その声が途切れた。視界はもう見えなくなっているだろう。耳だけは聞こえているだろうが。


「そうかい。まあ、償えよ」

 俺はまだ小さな息のあるゲインに向かって魔法を掛けた。

「〈再生〉」

 動かないゲインの身体の周りに光が何重にかかり回りだす。

 消えようとしていた命を繋ぐことなど、俺には簡単な事だ。


 ゲインの周りをまわっていた光が小さな光の粒になり、天へと上っていく。何回も使った魔法に失敗はなく、閉じようとしていたゲインの目がはっきりと開き、地面から俺を再び見上げた。


「……はあっ!?」

 ガバッとゲインが起き上がる。

「おお、元気に起きたな」

「ちょ、え、ええっ!?」

 混乱したゲインが立ち上がって自分を触りまくっている。それから切ったはずの右手が戻っている事に驚いて、俺を見た。


「あ、なたは」

「は?お前の気持ちは聞いたから。それにお前の命と引き換えに聖公国でなんか仕掛けが発動するんだろう?」

「その、それは」

「気持ちは分かったよ。けれどいくら嫌いだからって、国民全部とかは俺は黙認できない」

「あの」

「だから防ぎたいと思ってやったけど」

「その」

「……発動しちゃってる?」


 ゲインが小さく肯いた。

 俺は天を仰いだ。

 間に合わなかったか。発動条件は何処だったんだよ。


 黒い霧が完全に晴れた先には、逃げたと思っていたリングが案外近くにいて、俺の始末に不満顔で立っている。

「どうしてそれを、許すの?」

「死んだら許されるとか、簡単な許しだな」

 俺の言葉にリングがはっとする。

 それから俺を見て、じっと見て、もはや睨んでいる視線を向けてから、ハアッと溜め息を吐いた。


「エルムが私の命の恩人だから、これ以上は言わないわ。あのまま死んでいたらこんな事も言えてないし」

 立って俺の横にいるゲインが不安そうな顔でリングを見ている。

「でも、私の神具を盗んだのは許さないわ。これがあれば沢山の人を助けられたのだから」

「…分かっています」


 険悪な二人はほっといて、俺はフィランスタ聖公国へと飛ぼうと身体を浮かす。その俺を見て二人が大きな声を出してきた。

「何処に行くんですか!」

「何処に行くのよ!」

 案外、仲が良いのではと思うのだが。


「フィランスタ聖公国に行く。どうやらそれが狙いだったらしいし」

「私は行けないじゃない!」

 そんな風に怒られても。その判断をしているのはリングだし、俺が頼んでいる訳でもない。

「この国をどうにかしてからじゃなきゃ、いけないわ」

「おう」

「魔力がもう無いのよ。悔しいけど。お願いするわエルム」

「おう」

 丁寧な言葉なのに激しい。

 そうか、皆は自前の魔力だから、あんな強い魔法の後は大変だという訳か。魔力は時間があれば回復するが、それ以外はポーション頼みになってしまう。今のリングがポーションなんて飲んだら、体力が追いつかなくて倒れるだろうな。

「さっきの、円陣に入っている方が良い。此処がどうにかなったって、軍隊が見に来たらリングは連れて行かれるかもしれないから」

「私の国だから、嫌とは言わないわ」

「こき使われるぞ?」

「いいわよ、私がしなければどうにもならないって、教えてあげるわ」

 何でこんなに苛烈なんだよ、この子。


 口を閉じたリングの代わりのようにゲインが飛んでいる俺を見上げて口を開く。

「僕を連れて行ってください」

「理由を」

「何か出来ることがあるはずです」

 まだそういう事を言うのか。

 まあ、前に聞いた時にもこの言葉自体に嘘はなかった気はする。それが本心であるなら連れて行ってもいいけど。


 俺は降りてゲインの腰を抱えて浮き上がり、フィランスタ聖公国に向かって飛んだ。

「あの、エルムさんはお人好しと言われませんか?」

 抱えられているゲインが、失礼な事を聞いてくる。

「はあ?言われねえよ」

「…本当かなあ」

 本当だよ。



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最凶女神の使徒エルムの日常 棒王 円 @nisemadoka

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