神の使徒の役割




 そうやって、何日も移動をしながら。

 寝る時だけ足を止める様な強行軍をしながら、半壊している帝都に着いた。

 端が少し焼けているが、都市としてはまだしっかりと存在している方だ。屍鬼が零れるほど増えてもいないようで。都市の外に屍鬼の姿は見えない。


 よく見れば小さな光の円が残っている場所が何か所かあった。〈聖なる円陣〉が掛けてあるのだろう。どれも魔法力がなくなりかけているのか薄く小さくなっていたが。

 その近くに人がいるのかも知れないが、気配はない。


 光の円に近寄ってみるが屍鬼に邪魔をされる。〈聖清〉で散らして傾いた住居を探すが生きた人は見つからない。

 建物の破片や焼けた街路樹、魔法戦の影響でへこんでいる道とか、足元が良くない街の中でゲインの手を引いたりして、ゆっくりと人を探しながら歩いていく。

「生きている人を見掛けませんね」

「そうだな。それにしては屍鬼が少ないから、どこかに」

 遠くから反響して、魔法の詠唱が聞こえた。


「ああ、誰かいるな」

 俺が呟くとゲインがにっこりと笑う。

「はい、そうですね」

 何回か反響して消えていく声は、少し追いにくい。


「あの、多分あちらだと思います」

 耳をすました俺の上着を引っ張り、ゲインが指をさした。その方向は、この帝都トレモロの中心部に見えたが言う通りに行ってみる事にする。

 時折ある高い塔に上って中央を見てみようかと思った。ゲインが転ぶのを支えながら、崩れかけた塔に登って下を覗く。


 高い所にいる分には下にいる屍鬼に襲われることはない。

「あ!?」

 人の声が聞こえた。

「あれ、ゲインじゃない!?」

 下に人が見えた。小さな場所に魔法陣が見えてそこに人が数人集まっていた。どう見てもそれは冒険者に見えたが、その中の一人が手を振りこちらを見上げている。

「やった!ゲインが来たよ!!」

 他の人もこっちを見上げる。疲れた様子だったが動けているようだ。


 横のゲインを見ると、小さく笑っているだけで手を振り返すとか、声をあげるとかはしない。不思議に思って首を傾げると、俺の顔を見て笑った。

「降りましょうか」

「…そうだな」

 俺達はそのまま魔法で飛び、塔を降りて瓦礫に囲まれている魔法陣の中に降りた。


 手を振っていた女性が、ゲインに抱き付く。

 抱き疲れたゲインは微笑んでいる。

「モネさんお久しぶりです」

「うん。ああやっと助かる。お願いしていい?」

 会った途端にゲインに頼むのは、違う気がするが。

「はい」

 肯いたゲインはカバンから、大きな金色のハンドベルを取り出した。


 それから俺をじっと見て、真面目な顔をして頭を下げる。

 俺が首を横に振るのを見てから、口を開けた。


『晴れたる 彼の国  きらめく 空よ

 光は さしこみ 人々 いのる

 心は おびえず しあわせ 満ちて

 叶うは われらの ほまれなる歌』


 ハンドベルが鳴り、朗々たる歌声があたりに響き渡る。


 おい。何だよこれは。

 どう見たって、加護持ちのレベルですらない。

 この範囲は、この強力な聖別の力は。

 どう見たって。


 一音が強い力を持ち、大気を転がっていく。その範囲は恐ろしく巨大に広がり、このトレモロと言う都市の殆んどを覆って、天からの光が降り注いだ。帝都中の屍鬼が全て倒されただろう。正常な空気があたりに満ちている。


 歌い終わったゲインは、俺を見た。にっこりと笑っている。

 何処にこの牙を隠していたんだよ。

 自分が使っていた魔法が陳腐に思えた。


「助かったよゲイン。何処にも連絡できなくて困ってたんだ。あなたは渡りだし、フィランスタ聖公国の誰にも連絡がつかないし」

「そうですか。僕はエルムさんに連れて来てもらったんです」

「その人?ありがとう、ゲインを連れて来てくれて」

「おう」

 片手を上げて答える。


「それで、まだ生き残っている人を捜索したいんだけど、もう平気だと思うから、付き合ってくれる?ゲイン」

 何故か俺を見るゲイン。いや自分の自由にしろよ。元々お前の知り合いだろう?

 モネという冒険者はゲインの手をガッチリと握っている。逃がしたく無いという感情がだだもれだ。


 俺は少し笑ってゲインを見る。

「じゃあ、俺は行くから」

「え、何処へ!?」

 ゲインが驚いたような声をあげる。

 いや、最初から言っていたはずだが。この様子だとギルドで話を聞くとかはできないだろうから、情報なしのまま行くしかない。


「ガロニ島に行く」

「え、じゃあ僕も」

「待って、まだ助けたい人が街の中にたくさんいるの。ゲインは残ってよ」

「え、でも、あの」

 俺と冒険者の女の間で、交互に顔を見ている。


 俺は片手を振る。

 守ってやるなんて、なんて思いあがっていた事か。


「さあ行こう、ゲイン」

「あの」

「短い間だったけど、楽しかったよ」


 手を引かれて離れていくゲインに、そう言って街中を歩く。

 見渡す限り、恐ろしいほどの数の屍鬼が静かに横たわっている。

 幾百、幾千の魔物が。


 すごいな。誰の使徒だ、あれは。

 アブローネではないだろう。聖公国で言われていないなら他の神の使徒のはずだ。あんな力を与えられる神と言ったら、パロッタかもしれない。


 女神アブローネに対しての男神パロッタ。

 信仰されている数はアブローネの方が多いが、神格という話では同等だと聞いている。

 なるほど。

 それなら納得がいくな。


 俺は都市を縫って外を目指す。

 ああ。

 自分の思い上がりが、嫌だ。

 俺は、魔力も他者から奪わなければならない、ただの。


 こんな事が出来る魔法力を自分で保有している人とは、俺は格が違う。

 見せつけられると本当に、めげる。




 海が見える場所まで歩いた。ちょっと眉根が寄る。

 真っ黒な、全然青く見えない海。水平線辺りは青く見えるけど、手前は真っ黒だ。


 俺は、俺に出来る事をしよう。

 結局はそれしか出来ない事の、言い訳にもなりはしないが。


「〈聖清〉」

 手を伸ばして、海に向かって魔法を放ってみた。

 一瞬、青い色が見えたがすぐに黒い色に戻る。

 これは船とかで海を渡るのは不可能だろう。というか、これは一体どういう現象なのだろうか。海が黒いだけで、別に屍鬼の気配もない。


 けれど、青色が見えたのだから、元は青いはずだ。

 ならばなぜ、黒い色をしているのか。


 …分からないから、後にするか。悩んで先に進まないのは悪手だ。

 ガロニ島に行こうと身体を浮かせる。

 何処かで、都市の全てを助けてから、ゲインを連れて来た方が早い気がしたが、俺は自分に出来る分を手放すのは好きじゃない。


 あとから来て全て綺麗に聖別されても、俺のやる気は減るが、他の人にとっては良い事だろうし、まあ、いいか。

 遠くにうっすらと島影が見える。そこに向けて飛ぶ事にした。



********************



 歩いて行ってしまったエルムを見ていたゲインに、モネが手招きをする。

「あの人が気になるの?」

 モネはゲインが昔、通りすがりに助けた冒険者の一人だ。彼女が思うほど仲が良いわけでは無い。今日、再会するまで会った事もない。

「だけど、魔法使いなら平気じゃないかな」

 しかしモネは緊急事態にゲインが来た事で浮かれている。


「そうですけど」

「冒険者みたいだし、ここまで来れるならある程度の力はあるでしょう?」

 モネの首からは、金色のギルドタグが下がっている。それを見てゲインがさらに冷たい目になる。

「…そうですね」

「それなら、困っている人を助けようよ」

「……そうですね」

 ゲインの反応にモネが首を傾げる。

 昔会った時のゲインは子供で、年上のモネのいう事を素直に聞いていた。

 だからこのゲインの反応が不思議に思える。


「どうしたの?ゲイン。昔なら助けられる人全部助けるって、意気込んでいたのに」

「ええ、そうですね、昔なら」

「…え、うん」

 ゲインが無表情に自分を見ている事にモネは首を傾げる。


「モネさんにお会いしたのは、まだ十代の前半でしたね」

「うん、そうだったね。詠者になったばかりだったっけ」

「はい。それから僕はずっと渡りをしています。十年以上」

「もう、そんなになるのかあ」

 モネはゲインの話を流して聞きながら壊れた家を覗き込み、生き残っている人を探している。さっきのゲインの歌なら傷も治って、動けているはずだ。


「もうずっと、渡りをしています」

 同じ言葉を繰り返され、モネはゲインを見る。

 しかしモネにはゲインの真意は分からない。

「モネさんは渡りをどう思いますか?」


 話をしながら人を探しているモネは、ゲインの顔が分からない。

「え。うーん。聖公国のやり方だから、他の国の私達が何か言うべきじゃないと思うけど」

「そうですか」

 静かに頷いたゲインは、モネの横で家を覗き込む。


「誰も見当たらないね、どうしたんだろう」

「そうですね。他も見ましょうか」

「うん」

 モネと一緒に、ゲインが歩いていく。

 その先に生きている人の気配はない。


 ゲインはもう一度、エルムが去った方向を振り返った。


 それから、先ほど振ったのとは違う色の、ハンドベルを取り出した。




********************



 大きな島の砂浜が、黒い波で洗われている。海水が洗っていった砂は元々の色をしていて、変色をする事はない。

 砂浜の上の草が生えた土の上にはもう屍鬼が歩いている。本当に島が屍鬼で埋まっているような状況ではある。


「〈浄界〉」

 俺はもう一段強い魔法を使う。〈聖清〉よりも範囲が広い。とは言っても十倍ぐらいの範囲だが。


 浜辺に動く屍鬼はいなくなる。

 屍鬼の面倒な所は、稀に復活する事だ。だから本当は焼く方が良い。さすがにこれだけの数をいちいち確かめて火葬してやることは出来ない。

 ここに住んでいた誰それと、確認ができない。


 だから、〈浄界〉を使う。これは、聖なる魔法だけではなく炎の魔法だからだ。一面を焼き払う魔法はどう見ても人でなしの魔法なのだが。

 〈業火〉よりは範囲が小さい。だが、聖と炎の混じった魔法だから、焼けた後は聖別しなくて済むという、魔法開発した人の面倒が嫌という感情が分かる魔法だ。


 俺が使う事はあまり無い。

 〈聖清〉もあまり使わない。俺にそういう魔法を望む人がいないからだ。クラータ王国に聖女はいないが、司祭や僧侶はそれなりにいる。

 ゲインにしてもそうだが、特化した魔法を使う人はそれに長けていて、力が強い。使えるが特化していない俺にそれを求める人が少ないのは、ごく普通の事だ。


 この〈浄界〉にしたって、パメラが使った方が強い。あの炎に特化した魔法使いは、しばしば俺よりも強い炎の魔法を放つ。

 焼け焦げた草を踏んで、そんな事を考えながら島の中に歩いていく。


 本当に何処に行っても、屍鬼がいる。

 こんなに湧いているなんて、どうなっているんだ?

「〈浄界〉」

 歩きながら、探査もかけるがどういったわけか、範囲に魔法使いの一人も見当たらない。死霊術師がいないなら屍鬼の親玉の魔物でもいるのかと思ったが、それも見当たらない。

 ただ、屍鬼がいる。


 焼き払った後で少し考える。

 逆に屍鬼しかいない。そういう事態な訳だ。

 この島に発生した屍鬼はどうして、急速に増えたのか。魔法使いがいないのに増えることはあるのか。そして屍鬼の餌がないのに、ここに居続けるのはどうしてなのか。


 この島はクラータ王国より少し小さいぐらいの大きさの島で、歩けば数日で縦断できるだろう。中央を通って反対側に抜ければなにか気配があるだろうか。

 そうやって、島の中央に近付きながら、何回目かの探査を掛けた時だった。


 反応があった。

 けれどそれは、魔法使いなどではなく。

「え、まさか、嘘だろ?」

 俺は身体を浮かして、探査に引っかかった場所に飛んで行った。

 薄く光る小さな円が見える。


 それは確かに魔法円で、その中に少女が一人で倒れていた。

 少女の周りにはひしめくように屍鬼が群がっている。倒れても意識はあるのか少女は目を開いてその絶望を見ていた。


 急いで降りて、魔法を放つ。

 円を描くような範囲を思い描いて、単詠唱を口にする。

「〈浄界〉」

 ばっと炎が渦巻き、中心であるこの魔法陣の外から奥に向かって、広がっていった。

「おい、大丈夫か?」

 少女を抱えると、その眼から涙が零れた。

 からからに乾いた肉体をしている。爪も髪も水分が無い。


 ここから動けなくて何も口にしていないのだろう。この事態になってから二か月は過ぎているはずだ。もしその間ずっとここに一人でいたとしたら、魔法の力だけで生き続けていた事になる。

 横抱きにして、水筒から水を飲ませる。

 果実水だが、ゆっくりと口に含ませた。

「〈内治〉」

 そのまま魔法を掛ける。治癒よりもまずは身体の中身を治すことを優先した。順番を間違えれば危ない気がした。

「〈治癒〉」

 ゆっくりと魔法が浸透するように、少女の顔を見ながら慌てずに掛けていく。


 体力はないだろうから、これ以上の魔法は止めておく。どんなに魔法力が高い者が掛けても戻せない物もあるのだ。

 もう一口水を飲ませる。

 少女がはっきりと俺を見た。良かった、人としての意思はある。壊れていない。


「喋れそうか?動かなくていいから」

 まだ俺が抱えたまま、少女に聞いてみる。

「嫌だったら、話さなくていい」

「いえ」

 小さな声で少女が答えた。

 少女の手はまだ震えていて、その指先で俺の頬を撫でる。

「あなたは生きている人ですね?」

「ああ。ここを浄化しに来た。君はどうしてここに」

 少女の目が辺りを見回す。焼いた後なので黒くなっているが、その外側にはまだ屍鬼がうろついていた。


「両親が、司祭だったのです」

「うん」

 深く息を吸ってから話し始めた少女を見る。息がしづらいなら、話さなくていいのだが。


「ある日、この島に何処からか屍鬼が来ました。それを知った両親は、魔石に防御の魔法を掛けて私を此処に置いて、討伐に出かけました。最初に聞いた話では数はそれほど確認されていなかったので」

「…」

「そのあと、両親が帰ってくることはありませんでした。島の人がたくさん外に出て行きましたが、私は待っていたのです。いつの間にか最後の一人になってしまったようで、屍鬼は私を狙ってとどまっている様でした。それならここで息絶えるまで居ようと思って」

「そうか」

「…あれがあれば、事態は終わっていたのに」

 少女が何事か呟いたが、俺にその意味は分からなかった。少女も俺に説明する気はないようで、いきなり長く話して疲れたのか、口を閉じた。


「…どうして屍鬼が増えたかは分かりません」

「そうだよな」

 やはりそこが一番の、懸念事項だ。


 ただ、これで屍鬼がこの島から動かなかった理由は分かった。

 この少女がいたからだ。

 屍鬼は人間の血を吸う。生きた人間の血でなければならない。どうしても世界に屍鬼しかいないような事態になればお互いを齧ったりはするだろうが、基本的には人間しか食べない。だからこの島の屍鬼はただ一人の為に、この島にとどまっていたのだ。

 少女はその意義を分かって、留まることを選んだ。


 俺は少女を抱きかかえたまま、もう一度飛び上がる。彼女がいなくても魔法陣はまだ輝いていた。優秀な司祭だったのだろう。或はもう駄目だと知って命を注いだか。


「私ばかりが生き残ってしまって」

 一緒に島を見降ろした少女が呟く。

「…君のご両親を覚えているのは君だけだ。今はまだ覚えていてほしい」

 抱きかかえている腕の中から俺の顔を見られた。

「私が、覚えている」

「…そうだ。君とご両親が過ごした時間はもう、君の中にしかない。だから今は辛くてもそれを持っていてほしい」

 じっと顔を見られている。


「あなた、も?」

 俺はそれには答えなかった。あの村の時間を手放さないのは、俺の我が儘だから。

 少女に顔をそっと撫でられる。

「はい。今は泣いても我慢します」

「そうか」

 とにかく、このまま彼女をこの島に置いていくわけにはいかない。


 いったん、帝都トレモロに戻ろう。

 魔法で飛ぶから一時間もかからないで帰れるだろう。ゲインが聖別した場所で他の生存者と一緒に保護して貰えばいいかな。


 どうせだし、ゲインも連れてくるか。その方が早いだろうし。

 やれやれと思いながら、帝都の方角へ飛ぶ。

 少女はギュッと首に掴まって、あたりを見ていた。黒い海を見て悲しそうな顔をしている。いずれこれも解明して戻さなければ。


 そうやって海の上を飛んで、帝都が見えてきた時。


「…は?」


 強い使徒の魔法で聖別されていたはずの帝都は、真っ黒な霧に覆われて生者の気配などしなかった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る