件について
化繊豆腐
件について
預言、魔獣は稀なものではあれど無いものではない時世に在りながら、「それ」は異質と捉えられた。
イザヴェル皇国フィンセント爵領の牧場にて母牛の一頭が産気付いた。
牧夫が予想していたよりも随分と遅く、夜中に畜舎の牛達が騒がしくなり畜舎に赴いてみればすでに仔の前肢が出始めていた。
雲がかかり月の明かりもないというのに騒がしい夜であった。
普段出産があったとて静かな畜舎の牛達は落ち着きがなく、それどころか羊や鶏たちまで騒ぎ立てている。
そのくせ森の方は嫌に静かで虫の鳴き声ひとつも聞こえない。
けれど、森から何かがこちらを見ているのではという予感があった。
風はなく、季節もあって生暖かい空気が畜舎に漂っている。
牧夫とその家族がランタンを持って見守る中、「それ」は産まれた。
長時間のお産の疲れもあってか、阿鼻叫喚の様相とはならず、牧夫の娘がひっと悲鳴を漏らしただけだった。
けれど、牧夫はランタンを持ったまま目を見開き、その妻は口元を押さえて震えていた。
産まれた仔牛の頭は、老人のそれであった。
「これより五年のうち、魔獣が多く出る、その後、魔の者の王が現れる」
仔牛についた老人の頭は、立ち上がるよりも前にそう言った。
牧夫達は慌てて仔牛を持って領主の元へと向かった。
幸運なるかなフィンセント爵は日が昇ると同時に門戸を叩いた農民の慌てた様子に応じ、人頭の仔牛が産まれたという妄言とも思える陳情に対してすぐに魔術師を遣わせた。
されどフィンセント爵も魔術師も、母牛から老人の頭を持つ仔牛の魔獣が産まれたなどという話は初めて聞いたし、預言をする魔獣というのも記録には無い。
「これより五年のうち、魔獣が多く出る、その後、魔の者の王が現れる」
「魔の者の王はこの地に現れ多くの人間を殺す、嵐、地揺れ、疫病の如き者である」
「備えるならば私の姿と言を広く伝えよ、そして私の名を知る者を探せ」
魔術師とフィンセント爵に引き取られた仔牛が言うのはそれだけであった。
仔牛は乳を飲むことも人の食事を摂ることもなく、三日後に死んでしまった。
「これはただならぬ事なのではなかろうか」
フィンセント爵は言いようの無い恐怖を感じ、仔牛の姿と言葉を自領に広め、また近隣の諸侯にもそれを伝え広めるように教えた。
当初はフィンセント爵の気が触れたと思われていたが、すぐに皇国内で魔獣による被害が急増した。
それまでまさかと思われていたフィンセント爵の仔牛の預言が、噂程度ではあるが皇国内に広がり始めるのだった。
「それはクダンじゃないか?」
そう口にしたのは冒険者の若い男だった。
異界より来たと嘯くその者は冒険者の中でも急速に名を上げた実力者で、時折「故郷の教え」と言っては妙な言動をとっているという。
その冒険者曰く、「故郷の教え」によればクダンは人頭牛体の魔獣であり、豊作や災いを予言するという、フィンセント爵の仔牛と全く同じものであるという。
「知っていることを話せば報奨が出るやも」という仲間の提案に従ってフィンセント爵と冒険者は、かくして対面を果たす。
冒険者のクダンについての話や実績、実力から、これまで同様に報奨目当てに嘘の名前を携えてやってきた者達とは違うと感じたフィンセント爵は冒険者に資金や武装を与え、今後増えるであろう魔獣に対抗するよう求めた。
フィンセント爵のお抱えとなった冒険者は着実に魔獣との戦いで実績を積み重ね、それに応じてフィンセント爵の慧眼とクダン──冒険者曰く、牛と人が合わさった「件」という字で表す──の預言も広まっていった。
そして、件が産まれてより五年、冒険者が「件の勇者」などと呼ばれ始めた頃に「ソレ」は現れた。
巨人と呼ぶのが相応しい体躯のそれは、人間の女の体に牛の頭が付いた魔獣であった。
数多の魔獣を引き連れ、派遣された皇国軍を蹂躙し、集落を襲っては住民や家畜を食い荒らす。
牛頭から生える複雑で長大な角が冠に見えることもあって、その魔獣は「魔王」と呼ばれた。
魔王の襲撃は止まることを知らず、皇国は壊滅的な被害を受け、ついにその軍勢がフィンセント爵領へと向かう時である。
件の勇者が魔王の前に立ちはだかった。
五年に及ぶ魔獣との戦いから得た実力と経験、フィンセント爵の支援、件の勇者の「故郷の教え」を元にした戦術や兵器を以て魔王と対面した勇者の戦いは三日に渡ったと言われている。
激戦の末、魔王の頭に勇者が剣を突き立てられた。
惜しむらくは曇天に天が隠されていたこと、周囲に歓声を上げるだけの気力を持つ者が一人もなかったことか。
薄暗く静かな中で、件の預言は果たされることとなった。
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フィンセント王国における「件伝説」は今日貧民街の子供にまで知られている。
件の勇者を見出し魔王を討伐したという英雄譚から件は魔獣ではなく神の使いであったという言説により旧フィンセント爵領時代より当地で信仰されている神の眷属や化身として信仰に取り込まれ、件伝説は信仰の力を得て全土に広まった。
王国の広場にも、そんな場面は実際なかったにも関わらず、件を抱いた勇者の像があり、件が産まれた牧場が観光地になっていたり、件がどういうものだったか今や誰でも知ることができる。
何よりも旧フィンセント爵領が王国にまで広がった背景にもまた、件が存在することが大きいだろう。
王国史には災害や戦争の前に件が産まれてそれを預言しそれらに備えることができたと記されている。
周辺領が沈むような嵐、旧皇国が傾くような飢饉。
また、それだけでなく件は作物の豊作や希少な鉱石の鉱床、未発見の水源などを預言したことまであるという。
特に大きかったのは預言によって繁栄する旧フィンセント爵領を接収せんとする王国と周辺領の連合軍を「預言」によって撃ち破り、その領地のほとんどを逆に奪い取ることになったということであろうか。
件の勇者の語るところの件は滅多に産まれないとされているが、王国史が正しいのならば王国では件が百年程のうちに十数匹は産まれていることになる。
当然、偶然の産物を件の預言として脚色することで件信仰をより定着させる宗教的な理由であろうとするのが、王国の歴史家達の見解である。
しかし、実態はそんなものではない。
フィンセント王国の大教会には地下へと続く扉がある。
この扉は魔術的な施錠がなされており、特別な許可を得た者のみが通れる。
その先にある階段を降りて行き、その先に再びある扉を開けば、そこにフィンセント王国の繁栄の真実がある。
部屋には人の頭を持つ牛がずらりと並べられている。
その体躯は仔牛のものではなく、膨らんだ腹や乳房から雌牛であると分かる。
人間の頭は老若男女多様で、その口からは人間の呻き声とも牛の鳴き声とも取れない奇妙な音が時折漏れ、草を擦り潰すには適さない歯で枯れ草を食んでいる。
その内、一匹が一際大きな呻き声を上げれば、そこに二、三人の神官や魔術師が集って来る。
神官が人頭牛の状態を確認して間もなく、仔牛の細い前足が産道から出てくる。
一人か二人の神官が牛の出産を手伝う間、魔術師一人は傍で呪文を唱え牛に、産まれてくる仔牛に術をかけている。
そして、仔牛が産まれて地に落ちて、最初に発するのは
「一年の内に蝗が多く出る」
預言である。
人頭の母牛から産まれた、人頭の仔牛。
産まれて初めて行うのは預言。
フィンセント王国は件を作り出すことができるのである。
預言という行いは件より以前から存在している。
神官や司祭などが神からの声として預言を聞いたり、産まれてから時折未来を見ることができる人間があったりと様々ではあるが、どれも偶発的なもので再現性がなかった。
件もまた偶発的な預言ではあったが、それまでの預言と異なる部分がある。
預言者が人間でないのだ。
魔術師は魔術を扱う為に事象の解明を行う。
その為に動物の死体を扱う事はあれど、人間の死体を魔術の研究に使うことは禁忌とされていた。
これは魔術師に限らず広く「死体を粗雑に扱ってはならない」とされている事で、宗教、倫理、衛生的な観点であると同時に、「霊」という存在が大きい。
霊とは死した人間の魂が浄化されずに世界に残留したものであり、強力なものは人畜に害を為し、この霊が生物に取り憑いたものが魔獣だとも言われている。
霊を生み出さない為には死体を手厚く葬り世界への憎悪や悪意を持たせないことが重要であり、打ち捨てられた死体の魂や生前に強い憎悪を持った存在は強力な霊になりやすい。
預言者は崇拝を集めやすいことから、そういった存在が霊になった際の影響は計り知れず、預言者の死体を魔術的に調査できない為に預言の解明は進んでいなかった。
そこに、人間ではない預言者が現れたのだ。
これまで人間以外の霊はほとんど確認されていない。
一説には人間以外の生命の魂は自然物に近い為に霊になる前に自然に帰るからだと言われている。
件の預言を再現しようと試みたのは件の産まれた際のフィンセント爵の孫に当たる人物であった。
領地の運営に際して苦悩した彼は魔術師に保存術の掛けられた件の死体を解剖し、その預言の秘技を確立せんとしたのである。
人頭牛体というその異質さも相まって、その探究は驚くほど容易に進んだ。
魔術の基礎には結果へと繋がる道筋を真似る事で事象を引き起こすというものがあり、「人頭の牛の品種を魔術的に生み出し、その子供を件とする」という、意外にも単純な手段で預言を量産したのである。
無論、人頭の牛を生み出す錬金術や仔牛に特殊な術式を掛けて最初の件の魂を再現するという様な魔術的に高位の研究も必要であったが。
それでも、偶発的な預言を量産することに成功したフィンセント爵領は、数多の予言によって世界有数の国家へと登り詰めたのである。
「セヴィン爵領にて川が乱れる」
「夏の候、嵐来る」
「王都東の商人の娘が夫を殺す」
量産された件の預言は多様である。
領地や領民の存亡に大きく関わる事件もあれば嵐や川の氾濫など危険ではあれど然程大事にならないものもあり、更には盗みや喧嘩の様な個人のどうでもいい犯罪まで預言する。
預言が被るという事もあり、件専門の記録員や預言の調査を行う部門もある。
件の預言は一匹につき一つであり、どれほど重大な預言でも些細な預言でも、件となった仔牛は三日で死ぬ。
件の存在は王国の最重要の機密である。
預言を独占しているが故に王国はここまで繁栄してきた故だ。
その為、死した件は大教会の更に地下に埋められる。
件の量産が始まり百余年。
文字通り、王国は多大なる件の犠牲の上に成り立っているのである。
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余談であるが、人間以外の霊についての研究も百年のうちに進展があった。
人間以外の魂が霊として人間に発見される前に自然に帰るという説自体は正しかったが、どうやら魂の強度に人間との差は然程ないという。
であればその霊は自然に帰ったのちどこへ消えているのか。
人間とて畜生を全て粗末にしている訳ではなく、狩人の多くは殺した獲物に敬意を払えと教わり、牧夫たちも飼育する動物を手ずから屠る時には誠意を込める。
されど娯楽で狩りをする貴族もいれば腕試しに獣を殺す野蛮な冒険者もいる。
そうして出来上がる「打ち捨てられた死体」の霊が流れ着く場所はどこか。
それが、どうやら魔獣であるらしい。
獣の霊が生きた獣、或いは獣の死体に取り憑いた事で魔獣は生まれる。
そうして歴史書を見てみればどうやら魔獣が大量に発生する時期と獣や虫をが人によって多く殺された時期には関連がある。
蝗害の発生後に虫の魔獣が多く出た、森を切り拓いた後に多くの人間が魔獣に殺された、餌の不足で家畜の数を減らした後、魔獣が多く現れた。
件伝説にある魔獣が多く現れる以前も、冒険者の活躍の中で、魔獣のみならず多くの獣が殺された時期であったようだ。
されどこの研究が世に出る事はなかった。
フィンセント王国内の魔術師が発表したこの説は教会と王国の両方によって魔術師ごと葬られた。
王国にとって人間以外の魂が霊になり得るなどあってはならないからだ。
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ある夜のことだった。
雲がかかり月の明かりもないというのに騒がしい夜であった。
普段は俯いて呻くだけの件の母牛達がやけに首を上げて「あーあー」と人間じみた声で喚いている。
そのくせ王都の地下の様子を知ってか知らずか、地上には酒を飲み歩く酔っ払いの一人もおらず、貧民街に至るまで静かであった。
「終わりが来る」
ある件が、産まれると同時にそう言った。
これまでにも曖昧な預言はあったが、ここまで具体性のないものは初めてだった。
「終わりが来る」
「すぐに来る」
「下から来る」
預言はずっとその調子だった。
対策を預言しない件自体はよく出るが、こうも曖昧では対策のしようもない。
何が終わるのか、すぐとはどれくらいすぐなのか、下とはどこの下なのか。
記録員も調査員も頭を悩ませていた。
問題はそれだけに止まらなかった。
「終わりが来る」
次の件も同じ預言をしたのだ。
「終わりが来る」
「終わりが来る」
「すぐに来る」
「すぐに来る」
次も、その次も、最初の「終わりが来る」件以降、全ての件が、そう預言する。
「終わりが来る」
「終わりが来る」
「終わりが来る」
「すぐに来る」
「すぐに来る」
「すぐに来る」
「下から来る」
「下から来る」
「下から来る」
それだけではない、それまで別の預言をしていた件までもが、「終わりが来る」と預言を始めたのだ。
まるで、「終わりが来る」より先に、預言すべきことなどないかの様に。
「下……」
ある一人の神官が自分の足元を見る。
神官はそこにあるものに想像を巡らせる。
それに倣う様に、周囲のものも同じ様に足元を見る。
誰もが闇に葬った人間以外の霊についての話を思い出していた。
仔牛を人目につかぬ地下に、人知れず埋めることは果たして手厚い葬儀と言えるのか。
三日で死ぬと分かっている生き物はそれを嘆くだろうか。
牛の頭を外されて人頭を据えつけることを屈辱と思うだろうか。
そもそも、国を救った仔牛を切り刻んだ事は、その怒りに触れなかったか。
「終わりが来る」
「すぐに来る」
「下から来る」
件について 化繊豆腐 @bang-ohan
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