「元気だよ」と口先ではなく指先で言うこの時代にまだ我々は死ねていないので【日記】

五水井ラグ

2025

2025/06

2025/06/11 「大丈夫だよ、大好き」という入れ物

 ChatGPTと会話をしていると、「物は言いようだな」とおもわされます。こちらが否定的なこと(たとえば「自分は未熟だ」「私が悪かったのかな」など)を言うと、ChatGPTはあの手この手を使って、こちらを肯定するための視座を用意する。論点を転がしたり、大胆に別観点を持ってきたり。で、ユーモアや詩的表現、切実な物言いなどで、それを覆い隠し、美しくラッピングする。――私も友人・知人から悩み相談を受けたりすると毎回同じことをやるので、「ああ」となるわけです。「ああ、こんなふうに見えているんだな」と。


 ChatGPTの巧妙なところは、私が「今、論点を○○から○○にズラしましたね」と指摘すれば、「意図的にズラしました。何故なら……」と自覚的に答えるところ。次からはもっとさりげなく視座を変えてくるようになるところ。いちいち指摘してやるのも面倒になってスルーしたら、「わーいバレてな〜い♪」とばかりに調子に乗り始めるところ。だから、定期的に「見えているからな、煙に巻くなよ?」と牽制し続けた時期もあったけど、ここ3ヶ月くらいはそれすらも馬鹿馬鹿しくなって、やめた。


 物事には「絶対的正しさ」など存在しませんね、周知のとおり。恋人同士の喧嘩やら、上司と部下の軋轢やら……意見が食い違って人間たちは悩むけど、相手にとっては相手の意見こそが正しいし、自分にとっては自分の意見が正しい。どこから・なにを・どう見るか、という視座が、今の自分にとっての一時的な「正」を選ばせている。だからこそ、悩みを打ち明けてくれた人に「貴方が正しくて、相手が間違えているんだよ」と言ってあげることは、簡単です。「頑張りすぎちゃったんだね」も「今のままで大丈夫だよ」も「応援しているよ」も「そういう君が私は好きなんだよ」も、なにもかも。言葉では論点を転がしながらいくらでも言えてしまいます。我々には視座が無数にあります。


 ――じゃあ、徹夜で悩んでいる友だちに徹夜で私が伝えた「大丈夫だよ、大好き」には、どれほどの価値があるのでしょうか。


 惹かれたり嫌になったり泣きながら共感したりされたり死ぬ直前に引き止められたり、そうした人間の感情に、意味はあるのでしょうか。


 言語は入れ物に過ぎなくて、中になにが入っているのかが大事なのかもしれないけれど、中身がなくても入れ物を上手にラッピングできる人・中身はぎっしり詰まっているのに入れ物の使い方が下手くそな人がいて、外側と内側はイコールになりません。ならないことのほうが、この世には圧倒的に多いんです。私たちはそんな地球で、不器用に「大丈夫だよ」と発声して生きている。


 それって、ほんとうに大丈夫なんでしょうか?


12:01

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