EP.4

 遙花のお母さんが看護師さんにお願いしてくれて、僕は病室に入ることができた。

 遙花は昨夜ゆうべ、夕食後に倒れたのだという。

 無理をしていたんじゃないだろうかと思う。僕に見せなかっただけで。

 以前にも同じようにベッドの上で、同じような微笑みを浮かべていた人が、そうだった。


「ごめんね、発表会……」


 透明のビニールに覆われたベッドの上、消え入りそうな声で遙花が謝ってくる。

 僕はぐっと唇を噛みしめ、喉元に襲いかかってきた熱い塊を無理やり飲み下した。


「……僕はいいよ。どうせ誰と組む気もなかったし」


 言ってから、なんとなく言い方がマズかった気がして、あわてて付け足す。


「遙花と組むのが嫌とかじゃなくて」


 遙花はフフッと笑うと、首を傾げて悪戯っぽく言った。


「本当にぃ? 最初は嫌々だったでしょ?」

「嫌々っていうか、意味がわからなかった。急に来て、僕に伴奏してほしいって……ほとんど話したことないのに」

「そうだよねー。いきなりすぎで、意味わかんないよねー」


 遙花はあきれたように言うと、フーッと長い息を吐いた。それからまた、僕を見つめた。


「私ね、アキちゃんのピアノ、聴いたことあるの。『二つのアラベスク』っていう曲。不思議で、綺麗で、聴いてる間、なんだか揺らめいてる水の中にいるみたいな……たゆたってるみたいだった。そんな経験したことなかったから、すごく興奮して……自販機の前にいるの見つけたときに、思わず声かけちゃって……ごめんね。引いたよね」

「いや……そんなこと言われたことなかったから、ちょっとびっくりして」

「後でプログラム見て、晶ちゃんだってわかって、でも声かけらなくて……。晶ちゃんと同じ高校だってわかったとき、やったー! ってなったんだ。でも、押しかけたりしたら迷惑かなぁ、って。いきなりピアノ弾いてください、なんて……。ウジウジしてるうちに、急にタイムリミットっていうの? なんかまた体が悪くなってきちゃって……焦っちゃって……」

「それで……つまり、僕にピアノを弾かせたかった、ってこと?」


 なんだか拍子抜けする答えに、僕は少し気が抜けたが、遙花は首を振った。


「違うよ。私の野望はそんなことじゃないよ。もっと贅沢なこと。私は晶ちゃんのピアノで歌いたかったの。それをやり遂げたら、きっと自信がついて、その勢いで晶ちゃんに告白して……OKもらうつもりでした」

「……OKは決まってるんだ?」

「そうよ。違う?」


 澄まして言う遙花に、僕は思わず笑ってしまった。

 遙花の豪胆で、強引で、ストレートな告白に。

 椅子に座って、ビニールシートにそっと触れる。


「じゃあ、来年の発表会で歌ってもらってからだね。まだ、やり遂げてないんだから」


 遙花はじっと僕を見つめた。

 目の端にじわりと浮かんだ涙が震えている……。


「歌えると思う?」

「じゃないとOKしないから」

「…………厳しいなぁ」


 遙花はがくんとうなだれてから、顔を上げるとニコリと微笑んだ。

 透明なシート越しに、僕の手に手を重ねた。


「頑張るよ、私」

「うん…………」




*** ** ***




 それから。



 一年後 ――――



 遙花は、歌えなかった。



 再発した病はなかなか効く薬がなくて、治療が長引いた。








 だから、最終的に僕らがこの歌を皆の前で発表できたのは、結婚式でだった。



「……結婚式で歌う曲じゃないけどな」


 招待客に白い目で見られるんじゃないかと僕は不安だったが、遙花は一蹴いっしゅうする。


「いいの! 私たちにとっては、意味のある曲なんだから……誰にも、なにも、文句は言わせません!」

「……まぁ、題名だけ聞いてたら、今の季節に合わせたと思ってくれるか」

「そうよ! お母さんも曲は聴いた覚えがあるかも、って言ってたけど、英語の歌詞の内容なんて知らないって言ってたし……だから、伴奏者さんは責任重大ですよー。頑張ってね!」

「はいはい……」


 僕が立ち上がると、遙花が手を差し出してくる。

 僕はすっかりふっくらと肉のついたその手を取り、歩き出した。


 扉が開くと、目の前にマホガニー色のピアノが置いてある。

 僕が椅子に座り、遙花はスタッフからマイクを受け取った。


 司会の久瀬さんは、ニコニコ笑いながら涙を浮かべ、それでもアナウンサーとしての面目躍如とばかりに、流暢に曲紹介をしてくれた。


「では、皆様への感謝を込めまして、新郎新婦による歌のプレゼントです。曲は二人とって、思い出深い一曲。今日という秋の日にぴったりの、懐かしいナンバー……『落葉のコンチェルト』」



<End>

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いつか『落葉のコンチェルト』を 水奈川葵 @AoiMinakawa729

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