第六傷 遺体の、遺体のさようなら 第53話

 零はごくりと唾を飲んだ。


――それが栗栖さんの目的なの? 何の意味があってそんなことするの?


 頭は疑問符でいっぱいだ。


「きいろが言ったんだ」


 正しくは書いてあった。

 利一の瞳は曇りきって、別の世界でも見ているようだ。


「お前はなぜ怪我を治してくれるのか。

 お前は関係のない俺らの怪我をなぜ治してくれるのか。

 それはお前が怪我の何らかのエネルギーが必要だからじゃないのか? きいろが自殺したときも脚の怪我を治したのもお前の仕業だろ。どうだ、言ってみろ」


 そう言って刃先を喉から少し離した。喋る余地をくれたらしい。


「…………エネルギーが必要。その通り、だよ。痛みを集めている、の。他の人には言わないで、ね」


 零は真摯な眼差しを利一に向けた。


「そうか、本当なのか。俺がお前を包丁コイツで刺すと言ったのは、その痛みを集めるためのお礼だ。きいろの最期を看取り、秘密を守ってくれたお礼」


「知ってるん、だね。わたしが最期に会ってた、こと」


「勘で言ったつもりが、当たってたんだな。俺はお前が何の秘密を守っているのかは知らなかった。遺書に書いたら、警察に見つかるからか……」


「最期、最期、きいろは何て言ってた?」


「憶えて、ない。ただ、蝶のように飛び去っていったことだけは憶えてる、よ。それと、乾杯をした」


「乾杯」


 利一は眉をひそめた。


「栗栖さんが買ってきた、トマトジュースで、乾杯、した、三人で」


「三人、他に誰かいたのか?」


「沙々くんを含めて、三人だって言ってた」


「そうか……。なあ、嘘を吐かずに答えろよ。

 きいろは結局、誰のことが好きだったんだ」


「好きって、エロスの好き?」


「エロスは何か知らんけど、ラブの方だ」


「ご、ごめん」


 零は首をすくめながら考える。ここで本当に包み隠さず話してしまっていいのだうか。


――この質問をしたということは勘付いているんでしょ。


「く、栗栖さんは、沙々くんが好きなん、だよ。

 九十九くんのことを復讐? するために一緒にいたん、だって」


 片目だけで慎重に利一の顔を覗き見る。利一は深い溜息をついて、頭を抱えた。


「……やっぱりか?」


「気づいて、たの?」


「あいつが俺と付き合うなんて、裏に何かないとおかしいだろ」


「どう、して?」


「俺だって馬鹿じゃない。きいろが沙々のことを好きだってことくらい知ってた。

 だから、俺がきいろに告白するだなんてしなければ……」


 そう言って、利一はぼろぼろと涙を風呂場に流した。排水溝に吸収されていく。


「全て、全て、俺が欲張らなきゃこんなことにならなかった‼」


――マズイ、包丁を持った人が感情を高ぶらせちゃダメでしょ‼


 利一は興奮して、包丁を振り上げた。そして、自分の腹部を刺そうとした。

 けれど、次の行動で利一は唖然とする。


「っ゛あぁ‼」


「おま、え……」


「ダメ、だよ。九十九くんは、怪我なんか、しちゃ」


 苦し紛れに零は声を振り絞った。

 

 零は利一の腹の前に手を滑り込ませ、利一の自身の腹ではなく、零の手を刺したのだ。零の手は包丁で貫通している。血で手が生暖かくなり、同時に激しい痛みが襲う。


「刺すなら、わたしを刺して。

 さあ、抜いて、よ」


「太刀川さん……っ」


 利一は痛くないようにと、一気に刃を抜いた。血が噴水のように溢れ出し、風呂場を染める。利一のレインコートが役立った。零の血を全てかぶってくれたのだ。


 利一は目を白黒させている。

 零は必死におまじないを唱えた。


『痛いの、痛いのさようなら。痛いの、痛いのさようなら。痛いの、痛いの――』


 自分の貫通した手の中に指を入れ込み、怪我を治す

直接怪我の箇所に触れるのが、最も早く治るコツだ。


 数秒後、血は止まり、零の手は綺麗に戻った。その様子に利一は目を瞠る。


「……本当に治せるんだ」


「……うん。それで、お礼ってのは?」


「ああ、もういい。もう、いいよ……今ので、死のうと思っていた決心が崩れた。浅はかだった」


 利一は包丁から手を放し、その場にへたりこんだ。


「そっか。ごめんね、何もできなく、て」


「馬鹿な俺たち三人に付き合ってくれて、ありがとうな。

 俺が死ねば全て終わると思ったけど……無理だった」


「それが、普通、だよ」


 再び、利一は瞳を涙で濡らした。


「ごめん、ごめんな……太刀川さん……」


「栗栖さんのこと、黙ってて、ごめん、ね」


「ごめん……最低な俺たちでごめん……」


 終始、利一は謝っていた。

 零の血で濡れたレインコートは零が洗い、処分する運びとなった。


 零は刺された方の手を差し出した。


「今日のことは、忘れない、で。ただ、自分を責めない、でね。みんな悪くない、から」


――わたしが沙々くんと付き合わなかったら、こうはならなかった。


「ごめん……太刀川は優しいな」


「ううん。ナイショにしてて、ごめんね。栗栖さんとの、約束、だったんだ」


「ごめんな……」


 ずっと謝る利一を零は駅まで見送った。


――これでよかったのかな。本当は、


「もっと刺してほしかったなあ」


 治ったばかりの手をさすった。


――自分を傷つけるっていう発想はなかった。そうすればもっと早く痛みを集められたかもしれにないのに。でも、あの子にこれ以上、背負わせるのはよくないよね。よし、家に帰って包丁とか片付けなくちゃ。まだ、痛みが続くなあ。


 そっとボイスレコーダーのデータを消した。



 家に帰ると、還太朗が帰ってきていた。事情を説明する羽目になり、膝詰めで説教をうけることとなった零だった。

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痛いの、痛いのさようなら 瑞木キュウ @Mizuki9KyuKyuKyu

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