幽霊の手

冬野ゆな

第1話

 ジョーンズ・リッカーは新しい家から配信できるのを心待ちにしていた。

 四日ほど前に着いたばかりの新居は、郊外の一軒家だった。茶色い切妻屋根で、外壁は淡い黄色で塗られている平屋建て。人が住むにもじゅうぶんなスペースを持った屋根裏部屋がひとつあり、外にはガレージもついている。このあたりの相場よりもずっと安く売りに出されたこの家に、ジョーンズは「配信部屋」をいちばんに作り上げていった。

 都会住まいを諦めたのはこれが要因だ。ジョーンズはゲーム配信を主体に活動している、いわゆるゲーム実況者ともいわれていた。ゲーム中に大声をあげることも多々あって、都会のアパートメントだと周囲の迷惑になるのはわかりきっていた。それに新作ゲームへのリアクション動画も撮るから、余計に声をあげられる場所を探す必要があった。そういうわけで、都会から離れた郊外のこの土地を選んだのだ。郊外といっても車を使えばすぐに大型スーパーに行けるし、それほど不便さは感じなかった。ジョーンズはほぼ即決で家を決めると、二週間ほどかけてゲーム配信を休養して引っ越しを進めた。


 屋根裏部屋を自分の部屋としてようやく片付けたあと、一階の配信部屋から携帯電話で動画も撮影した。

「やあみんな! 二週間ぶりかな、引っ越しが終わったよ! どう、僕の新居だ」と言って軽く携帯電話を動かして、新たな配信部屋を見せる。「新居一発目の配信は、明後日の九時を予定してるよ。ゲームじゃなくて、まったり雑談配信にするつもりだ。そこで今後の予定を話すよ。それまで待っててくれよな」

 画面に向かって手を振り、動画を締めくくる。

 簡易的な動画をネットにあげたあとは、最終調整をしておいた。思ったよりも順調に事は進んでいた。引っ越しを手伝ってくれた友人たちにも感謝せねばなるまい。当の友人たちといえば、この家が安いからといってすぐにからかってきたのだが、そんなこともなかった。なにかと「物音がしない?」だの「だれかの声がした気がする」なんて言ってきたが、この数日でも特にこれといったわかりやすい現象はなにも無かった。例えばドアのノック音だとか、だれかが廊下を走り回っているとか、叫び声がするとか。そういうものは何もなかった。というより、音を出されたりドアが開いたりといった異常事態でなければ、気付きにくいだろう。もちろん、夜中にいるはずのない赤ん坊の声がすることも、キッチンが荒らされていることもなかった。

 そのあとは二日前に言った通りになった。なにも問題はない。


 予定の時間になると、彼は配信をつけた。映った画面に、リスナーからのコメントが流れていく。少し画面の調整をしてから、ジョーンズは声をあげた。お披露目の時間だ。

「えーと、見えるかな。やあみんな、久しぶり! 新居からの初配信だ!」

 なにしろこのために配信部屋も作り上げたのだ。

 さっそく見えている部屋に対してコメントしながら、スパチャを投げてくれるリスナーもいる。

「やあミリー、スパチャありがとう。どう、この後ろ!」

 立ち上がって椅子を動かして、配信部屋がよく見えるようにする。

 新居に入ってからすぐ、躍起になって作り上げた配信部屋だ。棚にはゲーム関連グッズをそれらしく並べてある。ぬいぐるみを手にとって、画面の端で軽く動かす。

「今回の配信部屋は日本で買ってきたマリオ・グッズ中心にしたんだ。やっぱ僕はマリカー配信から始まったからね。これは前から作りたかったんだよ」

 流れていくコメントを少し目で追いながら、天井から吊したカートを示す。

「ほら、いいだろ。天井からも吊したんだぜ!」

 前々から構想していた甲斐があった。これからまた増やすつもりだ。ジョーンズは椅子を戻して座り直し、手に持ったままだったぬいぐるみを画面の隅に置いた。ゲームはやらないのかというコメントが目に入る。

「今日は雑談配信にしようと思ってね。この二週間で新作の発表はまだ無いでしょ」

 返事をしつつ、次は新居についてのコメントだ。

「新居はねぇ、結構安く手に入ったんだ。そのせいで引っ越し手伝った友達に、『ハイ! 声が聞こえる!』なんて言われてね。心霊配信? やるわけないよ。僕、いちおうゲーム実況者だよ!?」

 それにしても、コメントが妙に騒がしい。最初は心霊なんて言い出したからコメントが騒いでるのかと思ったが、それにしてはコメントが流れるスピードが速い。そのなかには「後ろ」だの「いる」だの混じって流れてくる。

 後ろを振り向いてみても、そこに何かいるというわけじゃない。

「いやあ、あのね、幽霊なんて言われても僕にはなにも聞こえてないよ。まさか変な声が聞こえてるとかじゃないよね。いま、僕、家にひとりなんだよ?」

 ほんの少しだけ声が止まる。もういちど後ろを振り向く。コメントを確認する。流れの速いコメントをよく見ると、「ガラスの向こうに誰かいる」と書かれていた。

「ガラス?」

 この部屋でガラスといえば、物置のドアだけだ。ドアにはガラスが二枚貼り付けてある。さっき振り向いたのとは反対側だ。ジョーンズは恐る恐る、物置のほうを見た。二枚あるガラスの両方に、ぺったりと手が貼り付いていた。

 ちょうどガラスの向こうから、誰かが手を貼り付けてこっちの様子を見ようとしている。ちょうどそんな風に見えた。いや事実として、だれかが貼り付けている。そろそろと近寄る。真ん中は木材だから、実際にはそんな風に手をつけたら逆に見えないはずだ。けれど、そこになにかが「いる」というのは強烈にたたき込まれた。

「……やあ?」

 おずおずと声を掛ける。

 怪奇現象だ。本当に怪奇現象が起きてしまった。興奮で恐怖は上塗りされ、それが生きている人間かもしれないという別の心配は頭から飛んでいた。ここには自分以外にだれもいないはずだ。ジョーンズは携帯電話を手にした。

「いざとなったら通報を頼みたいんだけど……」

 リスナーに向けてそう語りかけつつ、携帯電話で動画を撮る準備をした。そろそろと近寄っても、手はそこにあるままだ。動く気配すらなかった。

「誰かいるのか」

 冷や汗が流れる。ネットが繋がっていてリスナーもいるはずなのに、足が竦む。けれどこのままではいられない。意を決して、ゆっくりとレバーハンドルに手をかけた。そして下に引いたあとは、一気に開けた。

 そこには何もいなかった。


 その日の配信は動画のその部分だけ切り抜かれて一気にバズった。せっかくの家なのにこんなことが起きるとは思わなかった。だが、不思議なことにそれ以上のことはなにも起こらなかった。例えば次第に音がするようになるとか、人影が見えるようになるとか、廊下の隅に誰か現れるとか――そういった新たな現象はなにも起きなかったのである。

 いちど、廊下の向こうに影が見えてドキリとしたものの、自分の影だったことがある。それくらいだ。つまるところ、起きる現象としては配信部屋のドアガラスの向こうからぺったりとした手が映るだけというそれだけの現象が常に起きた。

 そのくせ、手は常にそこにあった。

 しばらくすると配信でも気にならなくなって、出てきたり消えたりするたびに話題になり、次第にリスナーの間で「ハンディ」という名のあだ名まで付けられた。配信部屋を弄り、椅子の位置を変えたが、ハンディのことを気にするリスナーは多かった。

 ゲームで先へ進まないときに「ハンディ、代わってくれ」とたまに弄ってみたが、ハンディは特になにもしてくれなかった。いい意味でも悪い意味でも慣れきってはいたが、ジョーンズにとって、これは少し頭の痛い事態でもあった。

 別に心霊配信がしたかったわけじゃないし、そんなつもりでこの家に引っ越したわけでもない。けれども、心霊動画としてやらせをしてるんじゃないかなんて言われることもあった。

「やらせだったらもっとビックリするような仕掛けはするよな。なあ、ハンディ」

 それこそ手に近づいたら顔が浮かび上がってきたとか、それぐらいはやったほうがいいだろう。このご時世、それくらいやらないとバズらないだろう。なにが悲しくて、手が浮かんだり消えたりするだけにしないといけないんだ。それに、ゲーム配信以上のことをするつもりもない。ハンディになにか霊的なアプローチをしてくれと言われても、けっこう散々やってなにも反応が無いのである。

 あまりに害のない怪奇現象だが、変な霊媒師だの自称牧師や教会関係者だのからもDMが送られるようになると、さすがに辟易してきた。せっかく手に入れた家なのに、これ以上妙なものと「同居」することにも耐えられなくなってきた。ひょっとして安く売り出されたのはこれが原因だったのか。


 半年ほどした頃、ジョーンズはとうとう決心した。

「そういうわけで――せっかくの家だけど、引っ越しをしようと思うよ」

 リスナーに向けての配信で、そう打ち明ける。

 心霊配信を目的としたチャンネルじゃないしね、と続けると、リスナーのほとんどは理解を示してくれた。実際、この家に住んで「ハンディ」は人気になったが、それによって出て行ったリスナーもいる。別に心霊配信を見たいわけじゃないリスナーもいるだろう。

「ハンディとお別れするときは、動画を撮るよ。あ、でもハンディに会いたいって同業者がいたら連絡して。この家の住所を教えるから」

 リスナーたちのコメントがまた流れた。

 そうして次の引っ越し先が決まり、せっかく作った配信部屋も、屋根裏の荷物もぜんぶ段ボールに詰め直しだ。恐る恐る「ハンディ」のいる物置を開いたが、やっぱりそこには何もいなかった、ジョーンズは手早く中の荷物を段ボールに詰めて次の家に送った。

 最後に、予告した通りに動画を撮る準備をした。「ハンディ」の手は相変わらずそこにあった。ぺったりと向こう側から付けられている。

「今日でハンディともお別れだ。彼が次の住民ともうまくやることを祈ってるよ」

 自撮りのようにして撮る。まだいるのかともういちどガラスを見た。まだいる。

「じゃあな、ハンディ」

 何もしてこない相手ではあったけど、ここまでくると少しだけ寂しい気がした。

 そっとガラス越しに片手を合わせる。

「元気で」

 そしてリスナーにも手を振って動画を終了した。

 動画を切るころには、ハンディは消えていた。


 それから二週間ほどして、ジョーンズは新たな家で新たな配信を行おうとしていた。

 今度は前の家よりは多少値が張ったものの、ある程度は手の出る値段だった。友人たちからは「もしかしてついてきたりしてない?」などと言われたが、たぶんハンディはあの家に憑いていた何かだ。たぶんついてきてはいないと思う。

 改めて配信部屋を作り上げたが、前回とは違う配置にしようとは考えていた。この半年で手に入れたグッズもあったし、部屋の配置ももちろん違う。どういう配置にするかは考えていたが、やっぱり配信部屋を作るのは楽しかった。

「やあ! 二度目の引っ越しだ。今日は雑談で、次回からゲーム配信を始めるよ!」

 ジョーンズはうきうきと配信を始めた。

「そうそう、僕が引っ越ししている間に新作がいくつか発表されたよね。リアクションできなくてごめんねえ~。気になるものがあるから、もちろん買うよ! それから――」

 流れていくコメントを見ていると、リスナーたちがなにやら騒ぎ出した。

 ハンディがどうのと言っている。

「引っ越したからもうハンディはいないよ。前の家においてきちゃったからね」

 笑ってそう答える。

 けれどもコメントは止まらなかった。思わずじっと見つめる。

「何?」

 もしかして、ついてきたのか。

 それにしてはいやな予感がする。いや、嬉しさと「またか」というのが半々くらいか。流れていくコメントはそれどころではない。期待と不安。

「ハンディ?」

 後ろを振り向いた。

 ドアガラスの向こうから確かに両手が付けられている。

 だけどそれは、一人分じゃなかった。

 無数の手が、ガラスの向こうからぺったりと貼り付いていた。

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