第5章:「人生という名の方程式」

 春の柔らかな日差しが久我家の庭を包み込む朝、ミチは縁側で深呼吸をした。昨日の出来事が夢のようだった。自分の才能が家族を救い、そして家族の絆を深めたのだ。ミチの胸に、温かな喜びが広がった。


 朝食の席で、健一が珍しく話し始めた。


「母さん、昨日はありがとう。母さんのおかげで、僕は大切なことに気づいたよ」


 健一の目には、深い感謝と反省の色が浮かんでいた。


「仕事も大切だけど、家族との時間ももっと大切にしなくちゃいけないんだね」


 ミチは息子の言葉に、目頭が熱くなるのを感じた。長年、息子との距離を感じていたが、今やっと通じ合えたような気がした。


 美香も、これまでにない優しい笑顔でミチを見つめていた。


「お母さん、私、お母さんの数学の才能をもっと理解したいの。これからは積極的に支援させてください」


 美香の言葉に、ミチは驚きと喜びを感じた。長年、自分の趣味を家族に理解してもらえないと諦めていたが、今やっと認められたのだ。


 そんな中、太一が突然立ち上がった。


「おばあちゃん、僕、決めたよ! 大学は数学科に行く!」


 家族全員が驚いた顔で太一を見つめる。


「本当なの、太一くん?」


 ミチの声は少し震えていた。


「うん! おばあちゃんと一緒に数学の問題を解いてるうちに、数学って本当に面白いって気づいたんだ。もっと深く学びたいって思ったんだ」


 太一の目は輝いていた。ミチは孫の成長を誇らしく感じながら、密かに涙をぬぐった。


 その日の午後、田中先生が久我家を訪れた。


「久我さん、素晴らしいニュースがあります」


 田中先生の顔は喜びに満ちていた。


「地域の高齢者向け数学教室で、講師を務めていただけませんか?」


 ミチは驚いた。自分が人に教えるなんて……。不安が胸をよぎる。


「私に、そんなことができるでしょうか……」


 田中先生は優しく微笑んだ。


「あなたの経験と才能は、多くの人の励みになるはずです。高齢者の方々に、人生の新たな可能性を示せるんです」


 ミチは深く考え込んだ。自分の才能を活かして、誰かの役に立てる。そう思うと、心が躍るのを感じた。


「わかりました。挑戦してみます」


 ミチの決意に、家族全員が拍手を送った。


 それから数週間後の夜。久我家のリビングでは、珍しい光景が広がっていた。家族全員が集まり、数学パズルに挑戦しているのだ。


「ねえ、この問題、どう解けばいいの?」


 健一が首をかしげる。


「うーん、こうじゃない?」


 美香が答える。


「違うよ、こうだって!」


 太一が熱心に説明を始める。


 その様子を見守りながら、ミチは幸せな気持ちに包まれた。かつては理解されなかった自分の趣味が、今は家族の絆を深める道具になっている。


 ふと、ミチは思わず声に出した。


「人生は数学のようね。いくつになっても新しい解き方が見つかるのよ」


 家族全員が顔を上げ、ミチを見つめる。そして、みんなで笑顔を交わした。


 窓の外では、満月が優しく久我家を照らしていた。ミチは心の中で誓った。これからも、家族と共に、そして多くの人々と共に、人生という名の数式を解き続けていこう、と。


 七十八年の人生を経て、ミチの新たな船出が始まったのだった。

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【えっ!? おばあちゃん計算速すぎ……!? 小説】おばあちゃんの頭の中の秘密の算盤 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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