第4章:「天才おばあちゃん、危機を救う」
久我家に暗雲が立ち込めていた。健一の会社で大規模な不正が発覚し、彼は窮地に立たされていたのだ。その日の夕食時、健一は重い口を開いた。
「実は……会社での問題が取り返しのつかないことになりそうなんだ……」
健一の声は震えていた。ミチは息子の苦悩に胸を痛めた。美香は夫の手を握りしめ、太一は不安そうな目で父を見つめている。
ミチは静かに立ち上がった。
「健一、みんな。家族会議を開きましょう」
家族全員が驚いた顔でミチを見つめる。いつもは控えめな母が、急に主導権を取ろうとしているのだ。
「私に、何か力になれることがあるかもしれないの」
ミチの目には、かつてない決意の色が宿っていた。
リビングに集まった家族の前で、ミチは深呼吸をした。そして、ゆっくりと話し始めた。
「私ね、最近、暗号解読のイベントに参加していたの」
健一は眉をひそめた。
「母さん、今はそんな話をしている場合じゃ……」
ミチは優しく、しかし毅然とした態度で息子の言葉を遮った。
「健一、聞いて。この暗号解読の技術が、あなたの会社の問題を解決する鍵になるかもしれないの」
リビングルームで家族が集まる中、ミチは深呼吸をして話し始めた。彼女の前には、古い暗号文書と健一の会社の帳簿のコピーが広げられている。
「みんな、よく聞いてね」
ミチは穏やかな口調で切り出した。
「この暗号と現代の会計システムには、驚くほどの類似点があるの」
健一は眉をひそめた。
「母さん、それってどういうこと?」
ミチは微笑んで、暗号文書の一部を指さした。
「ここを見て。この数列、一見ランダムに見えるでしょう? でも実は、フィボナッチ数列を基にした変換が施されているの」
彼女は素早く計算を始め、数字を紙に書き出していく。
「この数列を逆変換すると…」彼女の手が紙の上を舞うように動く。「こうなるわ」
美香が驚いて声を上げた。
「まあ! それって……」
「そう、これが本当の取引金額よ」
ミチは頷いた。
「古い商人たちは、こういった方法で大事な取引を隠していたの」
次に、ミチは健一の会社の帳簿に目を向けた。
「そして、ここを見て」
彼女は特定の数字の並びを指さす。
「この部分、通常の会計処理では説明がつかないわ。でも、さっきの暗号と同じ原理を適用すると……」
ミチは再び頭の中で計算を始める。今度は複雑な行列演算を駆使し、数字を変換していく。その手際の良さに、家族全員が息を呑む。
「こうよ」
ミチは結果を示した。
「これが、隠された本当の取引よ」
太一が興奮して叫んだ。
「すごい! おばあちゃん、それって学校で習う行列よりずっと複雑だよ!」
健一は呆然としていた。
「母さん、こんな複雑な計算を……本当に頭の中でやっているの?」
ミチは照れくさそうに微笑んだ。
「ええ、昔から数字を見るのが好きだったから。こういうパターンを見つけるのが得意なのよ」
美香が感嘆の声を上げる。
「お母さん、これは天才的ですよ。プロの数学者でもここまで素早くは、きっと……」
ミチは続けた。
「そして、この手法を使うと、健一の会社の帳簿全体を分析できるわ」
彼女は再び計算を始め、複雑な方程式を次々と解いていく。
「こうして全体像を見ると、不正の痕跡がはっきりわかるの」
家族全員が、ミチの説明に釘付けになっていた。彼女の頭の中で繰り広げられる高度な数学的思考が、目の前で展開されていくかのようだった。
健一が震える声で言った。
「母さん……これは驚異的だよ。母さんの能力が、会社を、そして僕たち家族を、本当に救うかもしれない……」
ミチは優しく微笑んだ。
「数字は嘘をつかないのよ。ただ、正しく読み取る目が必要なだけ。私にできることがあるなら、精一杯やらせてもらうわ」
リビングルームは、驚きと希望に満ちた空気に包まれた。ミチの隠れていた才能が、家族の危機を救う光となりつつあった。
「昔の商人たちは、取引の秘密を守るために、こんな風に数字を並べていたの。現代の不正会計も、似たような手法を使っているんじゃないかしら」
太一が突然、声を上げた。
「あ! それ、学校で習った現代数学の暗号理論に似てる!」
孫の言葉に、ミチの目が輝いた。
「そうなの、太一くん? もっと詳しく教えてくれる?」
太一は目を輝かせながら、祖母のミチと健一の会社の帳簿を交互に見つめた。
「おばあちゃん、これって… 多項式暗号の一種じゃない?」
ミチは驚いた表情を浮かべる。「多項式暗号? それは何かしら、太一くん」
太一は興奮気味に説明を始めた。「学校で習ったんだ。多項式を使って情報を隠す暗号化の方法なんだよ。これ、おばあちゃんが言ってた商人の帳簿の付け方と似てる!」
ミチは孫の説明を聞きながら、頭の中で数式を組み立てていく。「なるほど…」
彼女は紙とペンを取り出し、素早く方程式を書き始めた。
「こんな感じかしら?」
ミチが書いた式を見せる。
太一は目を見開いた。
「すごい! おばあちゃん、それそのものだよ!」
ミチは微笑んで続けた。
「じゃあ、この帳簿の数字を当てはめてみましょう」
彼女は驚くべき速さで計算を進め、複雑な方程式を解いていく。健一と美香は、その様子を畏敬の念を持って見守っていた。
「ほら、こうすると……」
ミチが最終的な結果を示す。
「この数字が、本当の取引額を表しているのよ」
太一は興奮して叫んだ。
「わかった! これって、おばあちゃんの商人の知恵と現代の暗号理論が組み合わさってるんだ!」
ミチは孫の洞察力に感心しながら、さらに説明を加えた。
「そうね。でも、この方法にはもう一つ隠れた特徴があるの」
彼女は新たな式を書き始めた。
「この多項式に、ある特殊な数を代入すると…」
ミチの手が滑るように動き、複雑な計算を瞬時に行っていく。
「見て。この結果が、さらに隠された別の情報を表しているのよ」
太一は目を輝かせながら、祖母の説明に聞き入った。
「すごい……こんな風に数学が使えるなんて」
それは太一にとって、数学が初めて「面白い」と感じられた瞬間だった。祖母の深い知識と経験が、学校で学んだ現代の理論と見事に結びつき、新たな発見をもたらしている。
健一は呆然としながら言った。
「母さんにこんなすごい才能があったなんて…」
ミチは照れくさそうに微笑んだ。
「才能だなんて……ただの年の功よ。でも、太一くんのおかげで、私の経験が現代の理論とつながったわ」
家族全員が、ミチの驚くべき数学的才能と、太一との世代を超えた知識の融合に、深い感銘を受けていた。この瞬間、久我家のリビングは、まるで最先端の数学研究所のような雰囲気に包まれていたのだった。
美香は息を呑んでただ目の前のミチを見つめていた。
彼女の目には、後悔と尊敬の色が浮かんでいた。
リビングのテーブルには、健一の会社の帳簿や財務諸表が広げられていた。ミチは眼鏡をかけ直すと、深呼吸をして集中力を高めた。
「さあ、仕上げるわよ」
ミチの指が素早く動き始める。彼女は紙とペンを手に取り、驚くべき速さで数式を書き始めた。
「まず、この四半期の売上高から始めましょう。1億2345万6789円……これを3で割って……」
ミチの口から次々と数字が飛び出す。彼女の手は止まることなく、複雑な計算を紙に刻んでいく。
「待って、おばあちゃん!」
太一が驚いて叫ぶ。
「その計算、電卓使わなくていいの?」
ミチは一瞬だけ顔を上げ、微笑んだ。
「大丈夫だよ。あたしの頭の中には特製の算盤が入っているのよ。その辺のパソコンには負けないわ」
そう言うと、ミチは再び計算に没頭した。彼女の指は、まるで踊るように紙の上を動き回る。
「この数字の並びに不自然さがあるわ。7の出現頻度が統計的に見て異常よ。これは……」
ミチは突然、何かに気づいたように目を輝かせた。
「わかったわ!これは、フィボナッチ数列を使った暗号よ。1, 1, 2, 3, 5, 8, 13...この数列を使って不正な取引を隠蔽しているのね」
健一は息を呑んだ。
「母さん、それってどういうこと?」
ミチは説明を始める。
「簡単に言えば、正規の取引と不正な取引を、このフィボナッチ数列を使って巧妙に混ぜ合わせているのよ。例えば……」
ミチは新しい紙を取り出し、複雑な方程式を書き始めた。それは、大学レベルの高度な数学を駆使したものだった。
「この方程式を解くと……」
ミチの手が紙の上を華麗に舞う。微分、積分、行列...次々と高度な数学的手法が繰り出される。家族全員が、口を開けたまま彼女の姿を見つめていた。
「そして、最後にこの逆行列を……」
ミチが最後の計算を終えると、部屋に静寂が訪れた。
「これで全部よ」
ミチは静かに言った。
「不正の全容が、ここに明らかになったわ」
健一は震える手で紙を取った。目を通すと、彼の顔が蒼白になる。
「こ、これは……すごい。母さん、いったいどうすればこんなことを……」
美香も驚きの声を上げた。
「お母さん、私たち、あなたの本当の力を知らなかったのね」
太一は興奮して飛び跳ねていた。
「おばあちゃん、すごいよ! 僕、こんなの学校で習ったことないよ!」
健一は深く頭を下げた。涙が彼の頬を伝う。
「母さん、ごめん。僕は……母さんの才能を理解できていなかった。本当にありがとう」
ミチは優しく微笑んだ。
「いいのよ、健一。家族のために力になれて、私も嬉しいわ」
部屋の中は、驚きと感動、そして深い敬意に包まれていた。ミチの周りには、まるで光輪のような輝きが漂っているように見えた。彼女の隠れていた才能が、今、家族の危機を救う鍵となったのだ。
「母さん……本当にありがとう」
健一の声は掠れていた。
ミチの分析は、健一の会社の調査でも決め手となった。健一の無実が証明され、会社の危機も回避されたのだ。
◆
数日後、健一は晴れやかな顔で帰宅した。
「やったよ、母さん! 母さんの分析のおかげで、真犯人が見つかったんだ」
ミチは照れくさそうに微笑んだ。
「よかった……本当によかった」
その夜、久我家では久しぶりに笑い声が響いた。健一は仕事と家族のバランスについて真剣に考え始めていた。美香はミチの趣味を理解し、支援しようと決意。太一は数学の面白さに目覚め、進路について真剣に考え始めていた。
ミチの活躍は、地域社会でも評判になった。高齢者の潜在能力に注目が集まり、ミチは多くの人々から尊敬の眼差しを向けられるようになった。
しかし、ミチの心の中には、新たな不安も芽生えていた。これからどうすればいいのか。この才能を、どう活かしていけばいいのか……。
そんな彼女の背中を、優しく押す人がいた。それは、田中先生だった。
「久我さん、あなたの才能は、もっと多くの人々の役に立つはずです」
ミチは、新たな挑戦への期待と不安を胸に、静かに頷いた。彼女の人生は、まだまだ終わりではなかったのだ。
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