エピローグ

 講義が終わって空きコマだったので学食に向かった。内容が詰まった講義だったので、忘れないうちにざっと振り返っておきたかった。

 二年生になり講義が概論から各論になって、具体的な判例などをとりあげることが多くなった。それぞれの判例の根拠や、従来の判例との比較、新しい点、その時点での法律など、細かく追いかけなければいけないことは多い。考えなければいけないのは、現在でもその判決は妥当かどうか。妥当でないならばそれを裏付ける法律はあるか、その他の要因は。

 コーヒーを注文し席について、講義の参考書とルーズリーフを広げる。コーヒーを飲むと、ただの苦い水だった。だけど安いから文句は言えない。それを少しずつ飲みながらページをめくる。周りでは学生たちの賑やかな声。その賑やかさが、却って僕を集中させる。

 考えなければいけない。僕の頭の中には、いつもあのノートの文字がある。

 ――なんで? ――わからん。

 僕はそれを突き詰めたくてこの大学に入ってこの学部で勉強をすることにした。当の本人は、大学に進学しなかったみたいだったけれど。

 そういう選択もあるんだろうと思った。でも、僕は正直に残念だった。だけどそれはそもそも――そう思って、僕はいつも引き返してしまう。それ以上どうしても近づくことができない。

「ここ、空いてますか?」

 声が聞こえて、視線だけ動かすと正面の席に誰かが座ろうとしていた。僕はそのまま目線を下げて「どうぞ」と答える。

 正面に水色のお盆が置かれた。ラーメンが乗っているのだろう、安い醤油とあぶらのにおいがした。

 僕は自分の勉強に戻る。参考書を読みながら、これまでの判例の要点をまとめていく。しばらくそうしていると、正面に座った人が全然ラーメンに手をつけていないことに気がついた。

 麺が伸びそうだ。スマホでも触ってるんだろうか。

 そう思って何気なく視線をあげる。

 短い綺麗な茶色い髪、形の良い額の下で、鋭い目つきが僕を見つめていた。

 彼がその目つきで言う。

「佐原」

 でも、その目つきが本当は全然怖くないって、僕は知っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

限りなく近づける 数田朗 @kazta

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説