第56話 悪霊
「なんかわかんないけど! とりゃあああああああああ!」
気合の入った掛け声とともに二人のを抱きかかえ滑り込んだ陽菜子。
「うっ! いっだああああ 先輩二人は助けたけど、何ですこれえええ! いだああああ!」
抱きかかえ逃げるには十分な時間があったが、陽菜子は動けなかった。
あの女の包丁が右太ももに突き刺さっている。
血は出ていないが、当人にとっては理解不能なその痛みに思わず陽菜子がうめき声をあげた。
「ナウマクサンマンダ バザラダンカン!」
八神が不動明王の真言と霊符を包丁女にぶつけると、若干だが奴は怯んで飛び下がった。
破邪の力がこもった左手を使うには時間が足りないという八神の判断であった。
「本条!」
「くっ! う、うごけ、動けません! 二人は早く逃げて!」
陽菜子はなんとか護と真由を逃がそうとするも、黒い霧のようなものが蛇の姿になって二人に纏わりついている。
その煙のような悪意の先にあったのは、護のゲーム機であった。
「これか!」
八神はあの呪詛シールを引き剥がそうと手をかけるが、火に突っ込んだかと思うほどの痛みが指先から伝わった。
だが八神は怯むことなくそのシールを引き剥がし、白鷺美冬から携帯するよう言われていた霊符とペットボトルに入った霊水を呪詛シールへと注いでいく。
ジュウ…… ギャアアアアアアアア
複数の悲鳴が重なるような断末魔が聴こえてきたが、あの包丁女は四つん這いで蜘蛛のように蠢きながら、金切声をあげて護と真由に飛びかかった。
陽菜子は足を縫い付けられているような状態であったが、それでも腕を伸ばして二人を守ろうとする。
本能で理解していたのだろう。二人が得体のしれない悪意ある存在に襲われていることを。
一瞬、陽菜子の持つ陽の気にひるんで飛び下がったものの、包丁女の悪霊は舌なめずりをしながら護と真由に近づいていく。
だが、その動きは唐突に止まった。
音もなく現れたのは、江戸、戦国の姫を思わせる女性であり、ハチマキにたすき掛けをし手には長刀を手にしていた。
護、真由と包丁女の悪霊の間に割って入り、凛とした目で相手を見つめていた。
『キシャアアアアアアア!』
じりじりと悪霊が近づき、姫の姿が朧気になっていく。
八神はシールから漏れる黒い邪念の処理に霊符を放ちつつ、結界班に連絡し指示を仰いでいた。
陽菜子は体の痛みに耐えながらも、護と真由を守ろうと必死に吠えている。
「護君! 真由ちゃん! 大丈夫だから逃げて!」
包丁女の悪霊が、にちゃりと 笑った。
姫は辛そうな表情を見せながらも引くことをせず、護と真由の前で立ち塞がる。
そしてとうとう、肉薄した悪霊の放つ瘴気に苦悶の表情を浮かべながら、姫の姿が消えかけたその時。
「うおおおおおおおおおおおおおお!」
包丁女に飛び掛かる姿があった。
男の声で泣きながら我武者羅に飛び込んできた姿が、二人の目に飛び込んできた。
「うちの子に、手を出すんじゃねええええ! いだああああ! いでええええええ!」
「あなた!」
そこには大和田健三と、妻の皐月が悲鳴を上げながら包丁女を殴り叩きつけている。
「ま、真由! に、にげよう!」
金縛りから解かれた二人は、陽菜子に手を貸しつつ距離をとる。
「この野郎おおおお! うちの家族に手を出しやがってえええ!」
全身の痛みに涙と鼻水を垂らしながらも、健三はあの包丁女の悪霊を引き離していた。
「あ、あなた…… ご、ごめん、なさい」
突如背後で声をあげた皐月。
健三が振り向いた時、あの包丁女が背中から皐月の体に入り込もうとしているところだった。
「ご、ごめんなさい、にげ、にげて こどもたちを」
皐月は自らがどういう状態にあるのかを理解し、逃げるように訴えた。
「さ、皐月…… お、俺は、お、お」
健三の記憶がフラッシュバックした。
東大に入っても、親しい友人がほとんどできず、無論彼女など無理かと諦めていた時期。
教授の手伝いで、中高生のキャンプのボランティアに参加したときのこと。
健三は一目惚れをした。
都内の女子大からボランティアに来ていた皐月。
明るく清楚、しかも笑顔がキラキラと輝く姿に、健三は天使だと思わず呟いていた。
皐月のことを思うと夜も眠れない。授業も頭に入らず、なんとか教授に頼み込んで手に入れた連絡先から必死にすべての勇気を振り絞って食事に誘った日のことを未だに覚えている。
よく笑い、おいしそうに食事をする子だった。
健三のことを、ただの東大生ではなく人としての魅力を見てくれるような女性であったことに感動した。
家庭的で料理が上手で綺麗好き。
(そうだ、俺はあの日から、ずっと君に恋をしていたんだ。
なんで、なんでこんな簡単なことを、大切なことを見落としていたんだ。
出世のために外面の良い事をしてばかりで、いつの間にか分厚い外皮と自分の境目が分からなくなっていた。
今でも好きで好きでたまらない。
皐月の作ってくれたお弁当は課内でもおいしそうと評判であり、良い奥さんをもらったとよく言われる。
そうだ、そうだろう、俺の嫁は、皐月はああああああああ!)
「皐月に何してんだああああああああ! 俺の嫁を! 俺の全てを! ゆるさねええええええええ!」
包丁女に切りつけられ、全身が泣きたいほどに痛むのに、健三は叫びながら包丁女に怒鳴りつける。
【 手のかかる子じゃ、なれどその意気や良し! 妻を守れなくして、何が大和田家の当主じゃ! 】
健三の頭に、脳裏に、長刀を構えた凛々しい姫の姿が浮かび上がりそして……
「皐月をかえせえええええええええええ! あああああああああああ!」
もう、涙も鼻水も分からないほどに、ぐちゃぐちゃになった顔で健三は叫んでいた。
『 ぐじゅうううううふしゅうううるうううううううがあああああああ! 』
どれくらいだろう、やがて健三の腰に温かい二つの何かが感じられた。
「パパあああああああ!」
「おとうさん! おかあさあん!」
いつしか、4人は抱き合って泣いていた。
嗚咽しながら互いに抱き合い、無事を確かめ合う。
「あああ! さつきぃ! まもるぅ! まゆううううう!」
わんわんと、子供のように泣く健三を皐月は子供たちごと抱きしめ、泣いた。
ガチャン! ガラスが割れるような音がして4人が振り向くと、八神が右手を血に染めながら呪詛シールを破り捨てた瞬間であった。
「よかった」
陽菜子は、健三の背中に手を当てながら彼に力を送り続けていた。
自身が放っているであろう、陽の気を助かってほしい。みんながまた一緒に仲良く暮らせるようにと、己が願っても届かなかった思いとともに。
しばらくして、通りに人が戻り始めた時、八神は健三の頭から水をぶっかけていた。
「わっ! き、君に何をする!」
「霊水をかけておきましたので、後遺症を防げると思います。後日、結界班で念入りに清めの祓いを行いますので ( これで漏らしたのを隠せるはずです )」
八神の囁きに、健三は「ああ、うむ」と恥ずかしそうに答えていた。
霊事警察 鈴片ひかり @mifuyuid
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