下
俺の思考はまともに働けていなかった。
さっきまで、自分の部屋に居て――
どうして急に『中学生時代の夢』なんかを見ているのだろう。
「ねぇ……ねぇってば、
「ん、あぁ。ごめん。」
「良いけど……ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だよ。気にすんな。」
俺の向かい側に座る、
「……はんはよ。」
なんだよ、と言ったつもりなのに。
「ぶっ、はははっ、面白ーい。」
面白いという言葉こそ棒読みだが、ニコニコ笑顔で俺を見つめるユラ。俺は少し安心する。あぁ――ユラだな、これ。間違いない。
「体調悪いんだったら早く寝なよね。」
ユラはいつもの調子で俺にそう言った。俺は改めて、今置かれている状況を考える。 俺とユラの間には丸いローテーブル――ちゃぶ台というのだろうか――があり、その上にはノートやら教科書やらが並んでいる。どうやら、試験勉強の真っ最中らしい。ちなみにこれでも俺は中学時代、学年2位という好成績の持ち主だった。まぁそれも、得意の存在感の無さによってあまり表沙汰にはならなかったのだけど。
「で、どこが分かんねぇって?」
不意に口がそう動いた。予め話す台詞が決まっていたかの様に、俺はユラにそう言った。ユラは特段気に留めることもなく言う。
「全部だよね、もう。」
「お前はそろそろ塾に通ったほうが良いんじゃないか?」
「やだよー。どうせお金自腹になっちゃうし。」
母さんたち絶対払ってくれないもん。と、事も無げに言う。俺はこのやり取りが、昔あった事をふと思い出した。
月見里家は特殊だった。
圧倒的不仲、というのだろうか。
母親と父親の仲も悪ければ、親と子供の仲も悪い、といった感じの家だった。
血の通った他人が3人、同じ家で暮らしてるだけ。
そうユラは言っていた。
結論から言うと、ユラはおかしかった。
出会った時からそうだったか、俺と出会ったからそうなったのかは分からないが、月見里揺綺という人物はどうにもおかしかった。
その理由に気づいたのは、確か中学生時代だったはずだ。
――ユラの両親が死んだのだ。
交通事故、だったか病気だったかは覚えていないが、とにかく死んだのだ。
そこからだ。
ユラは俺と文字通り『いつでも一緒』に居た。
親戚に引き取られるまで、ユラは俺の家に住んでいたのだが、もうその頃には随分と道を外れていた様な気がする。
「ねぇ、桐瑚。」
目の前にいるユラが口を開いた。俺は虚ろな目でただユラを見る。
「桐瑚は私に愛をくれたよね。」
私を愛して、必要としてくれたよね。と。
どうしようもなく愛に飢えた少女の末路がこれだった。
俺は目の前で今にも崩れそうな、ユラの頬に手を伸ばした。指先が触れる。ユラは俺の手をそっと、自分の頬に押し付ける様に握った。冷たく、透き通る様な感覚が指先から広がっていく。ユラは静かな声で呟いた。
「――愛が欲しい。」
「私に愛をくれる人が欲しい。」
「その人にはずっと、私のその人でいて欲しい。」
その歪みから零れ出たのが、あの呪い。
俺は辻褄が合って安心すると同時に、後悔で身も心も潰されかれる。
不意に俺は笑いがこみ上げてきた。――あぁ、なんだ。
「全部俺のせいか。」
その瞬間、目の前に居たユラは微笑んで――砂の様に崩れていった。
夢は終わりだ。
目が覚めると、俺はアパートの部屋に戻っていた。リビングの、いつもはユラが占領している2人掛けのソファーにご無体に寝かされていた。
「あ、起きた?」
キッチンの方からユラの声がした。俺は体を起こしてそっちを見る。ダイニングのテーブルセットの椅子に、行儀悪く座るユラが、不満そうな顔で俺を見ていた。
「水無瀬さん、だっけ?お前の彼女さん。帰っちゃったよ。」
「そう、か……。」
悪い事したなと思いつつ、まだはっきりしない頭で考える。それから携帯を見るが――何の通知も来ていなかった。
「……あれ?」
あの時俺は確か、通知を見ておかしくなった気がしたのだが。通知は愚か、何も届いていない。戸惑うと同時に、そこから既に夢だったのかもしれないなと思い始めた。
「ほれ。」
ユラが椅子から降りて、ソファーの前に置かれた折り畳み式のテーブルの上に紅茶を置いた。ティーパックで出すタイプの暖かい紅茶の入ったマグカップだった。
「さんきゅ。」
俺はそれを持ち上げて口を付けた。ユラも隣で同じ様に紅茶を啜っている。
「桐瑚さぁ。何で恋人いる事教えてくんなかったの?」
「え、あぁ。悪い。普通に忘れてたっつーか、まぁそんな感じ。」
「ふぅん。でも――彼女さん嫉妬すんじゃないの?」
ユラはごく自然にそう言った。俺は思わず顔を顰める。
――それはお前じゃ無かったのか?
「あー、水無瀬さんはそういうの気にしないからさ。」
「へぇ、なら良いんだけど。追い出されるかと思ったから。」
俺はここで、1つの仮説を思いついてしまった。
コイツ—―完全に無意識で俺を呪ってるんじゃないか?
自分が独占欲に駆られている事にも気づかず、というか恐らく目を逸らしている。
俺を独占したいとは思っているが、自分がそう思っている事さえ気づいていない。
水無瀬さんの意見を借りるならば――コイツは多分、ただただ俺に恋をしているだけなんだろう。重たい、重たすぎる恋を、純粋の産物だと本人が1番思っているのだ。
……恐ろしい。何となくそうな気がしてきた。
「……ねぇ、桐瑚さ。」
「あ?」
「水無瀬さんのどこが好きなの?」
ニコニコと下世話な顔で、無邪気に聞いてくるユラ。でもやっぱり――目が笑ってない。流石に純粋の産物だとしても、嫉妬ぐらいは普通にするってことか。
それとも狂気の片鱗か。……考えたくねぇな。
「優しいとこ。」
「ふぅん。仲いいんだ?」
「まぁな。」
今日が初対面だけどな。初対面っつーか、今日知り合ったが正しいか。
「ふぅん……。」
息を吐きだしながら、ユラは目を伏せた。俺はそれを横目に紅茶を飲み込む。喉に、暑い液体と憂鬱感が流れ込んだ気がした。
「桐瑚。」
もう一度ユラが俺の名前を呼んだ。俺は視線を向けずに生返事を返す。
「とーご。」
やけに間の抜けた感じで、またユラが俺の名前を呼ぶ。俺は顔をユラに向けた。
――と、その瞬間に、ユラは俺の顔を両手で挟んで、ぐっと引き寄せた。
「にゃっ、に。」
さっき見た夢の中でも、似た様なやり取りがあったなー、なんて考えていると、ユラが笑った。
「ははっ、かわい。」
……面白い、じゃないのか。ユラは手をゆっくり離して、俺にもたれる様に抱き着いた。俺は動揺しながらも、ユラの体を支えて、背中に手を回す。
「好きだよ、桐瑚。」
ユラの口から出てきたのはそんな言葉だった。俺は、分かってはいたが、返答に詰まった。ユラは俺の胸に顔を埋める様に、ぎゅっと抱き着いた。
「好きなんだよ、ずっと。ずっと、昔から。」
気づいてなかった訳じゃないでしょ、と、今にも泣きそうな声でユラは続けた。俺はユラの背中をそっと撫でながら囁く。
「あぁ、まぁ。知ってはいたけど。」
嘘をついた。正直、今日水無瀬さんに言われなければ、よく分かっていなかった。
「俺も――俺も、お前の事好きだよ。」
「ははっ、嘘つきー。」
ユラは顔を上げて、俺の目を見た。俺はたじろぐ。
「まぁ……、本当に私の事好きになってくれたら、もっかい言って?」
にっこりと、悪戯っぽいそのユラの笑顔に――俺は初めてドキリとしてしまった。
翌日、俺は学校を休んだ。正確にはズル休み(しかも2日目)なのだが、今日は水無瀬さんからの宿題をこなそうと思ったのだ。
「……居るかな。」
というのも昨日の夜、水無瀬さんから連絡があった。どういう訳か、あの人は俺が眠っている間に連絡先の交換を勝手にやったらしく、メッセージが届いていたのだ。
――『先ほどの藍口さんのお話で、お隣さんとの交流があるとのことでしたよね。』
――『つまりお隣さんにも、私と同じく呪いが発動していないことになります。』
――『もしかしたら同業かもしれませんが、調べて頂けませんか?』
だそうで。ユラが今日丸1日寝ると言っていたため、チャンスなのだ。というわけで俺は今、
……困った事に、俺は人の家への訪ね方を忘れたらしい。まぁ、やったこと無いから、知らないも同然なんだけど。とりあえず、インターホンを押してみる。
「――はぁい。今行きまぁす。」
中から聞き慣れた飴谷さんの声。俺は安堵しつつ、自分の詰めの甘さに気づく。
――用件考えてねぇぇぇぇぇ!いきなり「呪われたんでー」とか言っても追い返されるだけだろ絶対……。やっべぇ……どうする……。
「おぉ、桐瑚くん。どうかしたの?」
シンキングタイム終了。飴谷さんが出てきた。しかも――ベージュ色の、フワフワしたパーカーと、揃いのショートパンツの部屋着を着て、いつもは掛けていないメガネを掛けた状態で。……可愛すぎねぇかおい。
「ぐっ……。あぁ、えーっと……、ちょっと聞きたいことがあって来たんですけど……。」
口ごもる俺。口ごもらずにはいられないのだ。だって、これ、どう聞けば良いの。
「あー……、そっか、分かった。まぁ上がってよ。」
「え。あ、はい。お邪魔します。」
すたすたと中に戻っていく飴谷さんに戸惑いながら、俺はその扉を後ろ手に閉めて部屋に上がった。
「ごめんねー、ちょっと散らかってるけど。」
「いえいえ、こちらこそすみません。突然。」
「ううん、気にしないで。」
俺の部屋と大差ない間取りのはずなのに、ここは物凄く――可愛らしい空間だった。何だろう、女子の1人暮らしってこんな感じなのかな。全てにおいて可愛いが詰まってる気がする。
「はい、どーぞ。」
「あ、ありがとうございます。」
テレビ台の前にはカーペットが引かれていて、その上にはローテーブルが置かれていた。飴谷さんはその上に緑茶の入ったグラスを2つ置いて、カーペットの上に座るように俺を促した。俺は右端に座り、グラスを手に取って、出された冷たい緑茶を口に含んだ。
「……で、何かあったの?桐瑚くん。」
「あー、えっと……。あの、飴谷さんって――。」
幽霊とか、呪いとか、そういうの信じますか?
「……んーと、つまり、今桐瑚くんは、幽霊になった幼馴染ちゃんと同居をしてて、その幼馴染ちゃんが、桐瑚くんに存在感が消える呪いをかけてる……ってこと?」
「まぁ、はい。そういう事です。でもその呪い、飴谷さんには効いて無いみたいで、何か心当たりあればと思ったんですが。」
飴谷さんは結構呑み込みが早かった。流石にこんな非科学的な事、直ぐには理解してくれないだろうなー、と思っていたのだが、全くの杞憂だった。むしろ食いつきが良すぎて引いている所でもある。
「実はね、私、大学でオカルト研究部に入ってるんだよねー。」
「え、そうなんですか。」
でもそれで呪いが効かないというのは無理があるのでは、と思っていると、飴谷さんは俺を見て得意げに笑った。
「だからまぁ、私はそういう類の話大好きなんだけど。呪いが効かないってのはそうだねぇ、――実はその呪い、私も昔受けた事あるから、かな。」
「はい?」
飴谷さんはいつも通りの可愛い笑顔のまま緑茶を飲んだ。俺は聞き間違いかと思って思考を巡らせる。
「……え、あのー、どういうことですか?」
「その呪いさぁ、あれでしょ?呪いを放った側の無自覚な独占欲が原因のやつ。」
「え、あ、はい。そうです、それです。」
飴谷さんは一瞬だけ――物悲しそうな、懐かしさを噛み締めるような顔になった。それから直ぐに笑顔になって、俺の方を見つめた。
「大変だよねー、あれ。しかも当の本人は無邪気な恋をしてるつもりだからさー。」
「ですね、言うに言えないですし。」
このままだと呪いトークで盛り上がってしまいそうだ。飴谷さんもそう思ったのか、少し恥ずかしそうに笑ってから首を傾げた。
「んー、何から話したら良いのかな。」
飴谷
中学生時代、飴谷さんはまぁモテた。可愛いし、優しいから当たり前だとは思うが。
そんな中、飴谷さんはとある男子生徒に一度だけ優しくしたんだそう。
物を貸してあげたとか、声を掛けてあげたとか、その程度だ。
だがしかし、思春期真っただ中の男子の事。
そいつは飴谷さんに好かれていると勘違いし、恋に落ちた。
だがまぁ、飴谷さんは平等に、他の人にも優しさを振りまいた。
それが仇となり、その男子生徒は自分の知らないうちに独占欲に駆られた。
最終的には呪いへと形を変え、飴谷さんの存在感は消えてしまったわけだ。
それに付け入り、その男子生徒は飴谷さんとの仲を深め、友人関係を築いたらしい。
そこから紆余曲折を踏んで――飴谷さんは呪いを解いて貰えた。
めでたしめでたし。
「……え、この呪いって解けるんですか?」
「うん、解けるよ。」
飴谷さんはその話を事も無げにし終えると、にこりと笑った。俺はその話の中に呪いが解けることの要素があったかどうか考え直す。
「でも、どうやって……。」
「簡単な事だよ?桐瑚くん。――独占欲の根源を取っ払えば良いんだから。」
独占欲の根源、という飴谷さんの言葉に、俺は思わず拍子抜けする。
「つまり、あれですか。……呪いを放った本人と恋人関係になるんですか。」
「そうそう、そういうことー。やっぱり桐瑚くん頭良いよねぇ。」
飴谷さんは自分のふわふわな茶髪を後ろで1つに括りながら、心地悪そうに話す。
「あの時はさぁ、私と仲良くしてくれるのがその人しか居なかったから、私が惚れちゃうのも時間の問題だったんだけどね。それで恋人同士になったら、呪いは無くなったよ。きれいさっぱり。」
「……なる、ほど。」
独占欲を満たす、ならば当然独占させるまでだという結論を突き付けられ、俺は泣きたくなった。それを知ってか知らずか、飴谷さんはふっと息を吐いた。
「まぁさ、突き放してみるのも1つの手だとは思うけどね。その幼馴染ちゃんは幽霊なわけでしょ?もしかしたら傷ついて成仏しちゃったりするんじゃない?」
「いや、成仏ってそういうのじゃ無かった気が……。」
俺は脳裏に、昨日の夜のユラを思い浮かべた。気が重くて堪らなくなる。
「まぁどっちにしろ、その幼馴染ちゃんの場合は、受け入れたとて成仏がオチじゃないかなぁ。悲恋が叶って、心残りが無くなるんだし。」
「でもまだあいつ、死んでることにさえ気づいて無いんですよ。」
「うーん、桐瑚くん。それは無いんじゃない?」
飴谷さんが唐突に真剣な顔になった。俺は少し首を傾げる。
「だって……3か月でしょ。3か月も君と一緒に暮らしてて、一度も外に出なかった訳でもあるまいし。案外もう気づいてるんじゃない?」
「……あぁ、それなんですけどね。比喩でも何でもなく、あいつ3か月ずっと引きこもってたので。」
「え?本当に一度も外に出てないの?」
「はい。あと多分、俺以外の人間と接してないですよ。」
「……はぁ、今どきの高校生って大丈夫なのかな。」
大学生にそれを言われてはおしまいな気もするが。
「でも、まぁ、そうですね……。うわー、どうしよう。」
「でもさー、――呪いを必ず解かないといけないって感じでも無いんじゃない?」
ここに来て飴谷さんが突拍子もない事を言った。俺は面食らって声が出なくなる。
「は……、え、どういうことですか。」
「んー、いやね?正直桐瑚くんは今、その呪いを受けても支障があるって訳では無いんでしょ?話を聞く限り、本当に小さい時から掛けられてるみたいだし。」
「まぁそうですけど……。」
現状の空気扱いに慣れてしまったのは確かだが、友達が欲しくないというのは嘘なのだ。出来る事なら、普通に学生生活を謳歌したいというのが正直な所。だがまぁ、それでユラを失うことになるなら……なんて考えかけた時に、飴谷さんが言った。
「でもまぁ君はきっと、新境地を望むんだろうねぇ。人付き合いも下手だとか、嫌いだとかいう感じじゃないでしょ?」
「……えぇ、まぁ。」
そうだった。現状俺は、幽霊にまでなった幼馴染にすがり続けているのだ。ユラ以外と友好関係を築き続けないなんてことは不可能だと、俺は理解しているようでしていないらしい。
「……あぁ、そういうことか。」
俺は不意に、唐突に、葬式の時の欠けていた記憶を思い出した気がした。昨日の夢の事も、きっとこれなら説明がつく。俺は気づいた事によって気持ちがすっきり――なんてしなかった。
「……桐瑚くん?大丈夫?顔色が……。」
「あぁ、大丈夫です。この所ずっとこんな感じなんで。」
飴谷さんは酷く心配そうな顔をしたが、俺はふらっと立ち上がって飴谷さんに礼を言ってそこを後にした。
「――ただいま。」
「おぉ、おかえり。」
扉を開けて、リビングに顔を覗かせると、またユラがソファーを占領していた。飽きもせずまた携帯を弄っている。俺はじっと、ユラを見つめた。
「え、何、どした。」
「いや、何でもねぇよ。……今日何喰う?」
「あー、オムライス。」
「……ガキかよ。」
「っるさいなぁ、そっちが聞いたんでしょうがー。ガキで文句あんのかー?」
「はいはい、無いですよ。ちょっと待ってろ。」
「わーい、桐瑚がオムライス作ってくれるー。」
「……その棒読み何とかならねぇのかよ、やる気失せるんだけど。」
「ふふ、そんなこと言って作ってくれんだろ?知ってるって。」
「……ちっ。」
俺は密かにこの他愛ない会話を楽しみつつ、キッチンに向かった。
チキンライスの具を切りながら、俺はこれまでの色々を頭の中で整理する。
俺とユラが中学生だった頃に、俺が何かをしたことによりユラに対して愛を与えた。
その行いが裏目に出て、ユラは俺からの愛を乞うようになった。
それ故の呪い――まぁ具体的には俺の存在感が消えるという、呪いが掛けられて。
(ということは中学以前の友人関係は、ただの俺の人付き合いが下手だった。)
俺の周りにはユラしか居なくなり、ユラの独占欲は功を奏した。
時が進んで高校生になって、ユラが死んだ。
俺は葬式に行き――。
「……。」
俺はここで、飛んでいた苦い記憶に触れた。葬式会場からユラの実家に行き、俺はそこでとある物を見た。
ユラの日記、だった。それも結構昔の。――丁度中学生ぐらいの時の。
その最後のページに、1行だけ変な文章が書かれていたのを、ご親切にもユラの身内が見せてくれたのだ。
『とうご いがい いらない』
狂気にも思えるその筆致と、いたる所に出来た涙の跡を見て、俺は何となく気づいたんだろう。俺はユラに好かれていた、という事実に気づいてしまったのだろう。
流石にその時、呪いとうワードと結び付けて結論が出るなんてことは無かっただろうが、恐らくば、俺は勘違いをした。俺のしくじりでユラを病ませて、死なせてしまった、とでも思ったのだろう。
それで記憶が飛んだというのであれば、俺は大馬鹿野郎だ。
まぁだから、俺は葬式に行き、ユラの狂気の片鱗を見て、記憶が欠けた。
そんな状態で家に帰ってくると、まぁびっくりユラが居た。
そこからはダラダラとした同居生活を送って、何も変わらなかった。
が、昨日、水無瀬さんに唐突に目を付けられた。
……唐突に目を付けられた?
「……あれ、つかそもそもおかしくね……?」
俺は少し考える。もともと水無瀬さんの事は一方的に知っていた。隣の教室の前を通る度に、ずっと本を読んでいる人が居るなー、と思っていたからだ。それに今までにも何度か登校のタイミングが被ったことだってあったのだ。それなのに。
なぜ急に、昨日、俺に声を掛けてきた?
「っあ……。いっ、てぇ……。」
頭に鈍痛が走る。確か、昨日の朝から酷くなっている。
「昨日……。」
水無瀬さんが声を掛けてきて、呪いについて説明されたこと。
頭痛がするようになったこと。――どちらとも昨日からの出来事だ。
何だ……、何が起きている?
体中を風が通り抜けている様な感覚に襲われて、不安に陥る。俺はすぐさまリビングに顔を出した。ソファーに寝そべっているはずのユラを探して。
「……ユラ、ちょっと――。」
「……ね、ぇ、桐瑚。」
ユラはソファーに座って、俺の方を縋る様に見ている。それから自分の両手を――確実に透けているその両手を、俺の方に向けて、泣きそうな顔になった。
「なに、これ。」
俺はユラに全てを説明した。というか、せざるを得なかった。
呪いの事も、死んでいるという事も、全てにおいて洗いざらい話した。
「……そ、っか。そうなんだ。」
ユラは無理やりに納得しようとしていた。俺はただ固唾を飲んでいた。
怒られるかもしれないし、案外無理に笑い飛ばされるかもしれない。
俺は俯き気味のユラの顔をそっと覗き込んで、ただ待った。
ただ黙った。
「……やだなぁ……。」
ユラは小さな声でそう言った。ユラはそれから、俯き気味だった顔をさらに俯けて、俺から目を逸らした。
「……まだここに居たいんだけどなぁ……。」
ユラは確かに泣いた。ぼたぼたと涙が落ちて、ユラのショートパンツの生地に吸い込まれていった。思えば、俺がユラの泣いている所を見たのはこれが初めてだった。
「……ユラ。」
俺は呟くように、その名前を呼んだ。ユラがそっと顔を上げる。涙でぐちゃぐちゃになったその顔を、俺は――愛しく思いながら、ユラを抱きしめた。
「……と、ご?」
「……泣くなよ。」
お前には笑って貰わないと困るんだよ。――俺はそう呟いて、ユラの肩に顔を埋めた。少しキツいぐらいに、ぎゅっと抱きしめた。
俺の記憶は葬式の時の記憶と、もう1つ、古いものが欠けていた。
遡ると恐らくだが、大体中学生だ。――大した中二病だと思う。
俺が夢に堕ちる前に見た携帯の通知、あれこそが俺の欠けた記憶だったのだ。
さながら黒歴史だ。それもこれも、ついさっきまで忘れていた事の全てなのだ。
中学生、俺は確かに――好きな人が居た。
その人に向けて書いたラブレターを、いつ渡そう、いつ渡そう、と肌身離さず持っていたのだが、あまりにも長い事タイミングを伺ったせいで、いつの間にか――。
そのラブレターは色あせてクタクタになってしまったのだ。
あぁ、俺は告白すらできないのか、と。確かに自分に絶望した。
それを忘れたくて、――実際忘れた。
その人が好きだったことも、ラブレターを書いたことも。
だから――『拝啓 ユラへ』というタイトルの通知を見た時、俺は絶望した。
過去に消し去ったはずの、黒っぽい恋情を――久しぶりに思い出して。
それが今も続いていることに、俺は泣きそうだった。
「好きだよ、ユラ。お前の事がずっと好き。」
「……へ、え、でも。」
「今ちゃんと気づいた。ごめん、長い事見ないふりして。」
「……。」
「大好き。もう離したくない。だからっ……。」
消えないで。俺の傍に居てよ。
――なんて台詞を言うには、あまりにももう遅かったのだが、ユラは笑った。
「ははっ……、気づくの遅いよ。」
「ごめん。」
ユラは笑いながら俺の頭を撫でて、嬉しそうに呟いた。
「そっかぁ……、なら……。」
――私消えずに済みそうだね、と。いつものマイペースな棒読み口調で言ったのだ。
結論から言うと、俺の頭痛とユラの手が透けたことはなんら関係が無かった。
俺の頭痛は、欠けていた記憶に刺激が掛かったことによるものだと解釈する。
というのもユラは、俺のオムライスを待っている間に思ったらしい。
「幸せだなぁ、これならいつ死んでも文句ないなぁ、って。」
けろっとした顔で、もとに戻った両手を見ながらユラはそう言った。もう既に死んでいる奴の台詞としては、成仏の合図として捉えられて然るべきなのだが――何せユラは知らなかった。それで、俺が事情を説明し、不格好ながらも告白を……したことによって、成仏が打ち切られたらしい。
「一体何を考えたら成仏に水差しなんかできるんだ……?」
「はは、単純だよ。」
桐瑚と2人で幸せに過ごしきらないと逝けないって、そう思っただけ。
「だからまぁ、これからもよろし――」
俺は反射的に、ユラの後頭部に手をやり、引き寄せていた。俺とユラの息が止まる。
「……あんま早く成仏すんなよ?」
「……わ、わかってるって!」
それからは普通に日常が進んだ。
水無瀬さんに事後報告をすると、少し嬉しそうにしてから
「そうですか。見た所呪いも少し和らいだようですし、お幸せに。」
と普通に喜んでくれた。てっきり、危ないからさっさと成仏させろとでも言われるかと思っていた。俺は水無瀬さんに心からお礼をし、今も時々会っている。
飴谷さんに事後報告すると、にやーっと笑ってから
「良いねぇ、良いねぇ、青春だねぇ。」
と言ってくれた。ちなみに最近、飴谷さんは恋人ができたらしく、結構頻繁に彼氏さんが出入りしている。
そして俺は。
「おぉ、おかえりー、桐瑚。」
「ただいま、――ユラ。」
化けて出てきた幼馴染が全然離れてくれません。 卯月ななし @Uduki-nanashi
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