彼女がそうすると分かっていて
ぬりや是々
多くのフェイクのために
その夜、僕は新宿のバーにいて(店はだいたいいつも決まっていた)、適当な女の子に声をかけた。僕はこちらから誘ったと思っていたけれど、あるいは誘われたのは僕の方だったのかも知れない。僕達は同じ席で一緒にいくらかの酒を飲み、いくらかの会話をした。まずは彼女の話を聞き、僕の話をしたあと、また彼女の話を聞いた。それに気を良くした彼女は、僕が終電の話を切り出すと「私の部屋に来ないかしら。とっても美味しいワインがあるのよ。もちろんあなたにとって迷惑じゃなかったらということなんだけど」と言った。僕はそういう事なんだろうかと考えた。僕の返事を待つ間、彼女はテーブルの上のものをいじったり、髪をいじったりしていた。
彼女の部屋についた時にはすでに日付も変わっていた。招かれた彼女の部屋は物が少なかった。わずかに木製のベッドと、その脇の木製のコンソールだけが彼女の暮らしぶりを表しているようだった。
「素敵でしょう。ノルウェー産の木で作られているのよ」と彼女は言った。
「北欧産ではなくて?」と僕は訊ねてみた。
「ノルウェー産なの」と彼女はにっこり笑って答え「適当に座って」と言ってキッチンへと入って行った。
僕は改めて部屋を見渡した。そして床の上に敷かれた絨毯に直接座って彼女を待った。この部屋には、椅子のひとつだってありはしなかったのだ。
彼女の持って来たワインは確かに味もよく、半年くらい冷蔵庫に入っていたんじゃないかと思えるくらいよく冷えていた。我々はワインを飲み、語り合った。その間も僕はある種の人々がおこなう診療のように彼女の話に耳を傾けた。そうする事で、いずれ彼女と寝る事が出来ると考えていたからだ。
2時少し前、あるいは2時を少し過ぎた頃に彼女はワインの残ったグラスを床に置いて言った。
「ベッドに入る時間だわ」
「僕も一緒に入ってもいいかい?」と僕は言った。彼女は「朝から仕事なのよ」と言ってくすくすと笑った。
「僕は仕事はないんだ」そう告げると彼女は丁寧に言葉を選びながら言った。
「期待させてしまったのなら謝るわ。でも──そうじゃないの。うまく説明出来ないのだけど、それは正しいことじゃないの」
「絶対に?」
「絶対に」
やれやれ、と僕は思った。
彼女の部屋のバスルームに行き、僕は冷たいバスタブの中に座った。ワインを瓶から直接飲み、あらゆる物事をあまり深刻に考え過ぎないようにした。はじめのうちはそれでうまく行くような気がした。そして時間が経つにつれて僕の中でその考えはぼんやりと形を帯びていった。その形を今ははっきりと言葉に置き換えることができる。
浴室は寝室の対極にあるのではなく、彼女の部屋の一部として存在している。
そのままバスタブの中で眠ってしまい、目が覚めると部屋には僕ひとりきりだった。彼女のいなくなった部屋は、まるで小鳥が飛び立った後のノルウェーの木のうろか何かのようだった。僕はバスルームで顔を洗って髭を剃り、そして火をつけた。ノルウェー産の木で出来たベッドやコンソールはとてもよく燃えた。僕はそんな炎をそのままの姿勢で、長いあいだ見つめていた。
彼女がそうすると分かっていて ぬりや是々 @nuriyazeze
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