【SF短編小説】デジタル・エデンの迷宮―永遠を求めた男への答え―

藍埜佑(あいのたすく)

【SF短編小説】デジタル・エデンの迷宮―永遠を求めた男への答え―

第1章:永遠の誘惑


 霧に包まれた夜更け、ザカリー・ナイトシェイドは、エターナル・マインド・プロジェクトの施設へとたどり着いた。彼の瞳には、狂気じみた光が宿っていた。


「ついに……ついに私も永遠を手に入れる」


 ザカリーは、かつては聡明なな神経科学者だった。しかし、妻アイリスの死をきっかけに、彼の人生は暗闇へと堕ちていった。アルコール、薬物、そして最後に行き着いたのが、この禁断のプロジェクトだった。


 施設の警備システムを巧みにすり抜け、ザカリーは中枢制御室にたどり着いた。そこには、意識をデジタル化する装置が鎮座していた。


「これさえあれば……もう二度と、誰も失うことはない」


 ザカリーは躊躇うことなく、装置に横たわった。しかし、彼の頭の中には、アイリスとの最後の会話が蘇っていた。


(ザカリー、お願い。これ以上不毛な研究に没頭しないで。私たちの時間を大切にしましょう)


「そんな価値ある時間を失ったから、私はここにいるんだ、アイリス」


 彼は、震える指でスイッチを入れた。


 まばゆい光が彼を包み込み、意識が溶けていくような感覚。そして、次の瞬間、ザカリーは無限に広がるデジタルの海の中にいた。


「これが……デジタルの世界なのか?」


 彼の周りには、無数のデータの流れが見えた。

 そして、遠くには、他の意識体らしき光の塊が浮かんでいる。


「やった! 成功したんだ!」


 ザカリーは狂喜した。しかし、その喜びもつかの間、奇妙な感覚が彼を襲った。


 自分の記憶が、まるでコンピュータのファイルのように並んでいる。そして、それらを自由に開いたり閉じたりできる。


「これは……私の人生?」


 好奇心に駆られ、ザカリーは自分の記憶を次々と開いていった。幼少期の喜び、学生時代の苦悩、アイリスとの出会い、そして……彼女の死。


「アイリス!」


 その記憶に触れた瞬間、ザカリーの意識が激しく揺れ動いた。デジタル世界が歪み、彼の周りの景色が変容し始める。


「何が起こっている……?」


 気がつくと、ザカリーはアイリスとの思い出の場所にいた。

 海辺の小さな町。

 懐かしい景色。嗅ぎ慣れた潮風の匂い。

 そして、目の前には……


「アイリス……?」


 彼女は、まるで生きているかのように微笑んでいた。


「ザカリー、待っていたわ」


 ザカリーは、躊躇いながらもアイリスに手を伸ばした。しかし、その手は彼女をすり抜けてしまう。


「これは……幻? それとも……」


 アイリスの姿が、デジタルノイズのように揺らめき始めた。


「ザカリー、あなたは何を求めてここに来たの? 本当に永遠を? それとも……」


 その言葉と共に、アイリスの姿が消えていった。代わりに、ザカリーの目の前に広がったのは、無限に続く デジタルの海。そこには、彼の全ての記憶と感情が、データとして浮かんでいた。


「これが……私の求めていたものなのか?」


 ザカリーの心に、深い虚無感が広がっていった。永遠の生を手に入れた代償に、彼は何を失ったのか。


 デジタルの海の中で、ザカリーの意識は漂い続けた。永遠の時の中で、彼の探求はまだ始まったばかりだった。


第2章:欲望の迷宮


 時間の概念が失われたデジタル世界で、ザカリーの意識は漂い続けていた。彼は自らの記憶を何度も巡り、アイリスとの幸せな日々を再体験しては、その喪失感に苛まれ続けていた。


 ある時、ザカリーは他の意識体の存在に気づいた。光り輝く粒子の集合体が、彼に近づいてきたのだ。


「君は……誰だ?」


 粒子が形を成し、美しい女性の姿となった。


「私はリリス。かつて、あなたと同じように永遠を求めてここに来た者よ」


 ザカリーは、リリスに魅了された。彼女の存在が、アイリスの喪失感を少しだけ和らげてくれるようだった。


「リリス……君はここで、何を見つけたんだ?」


 彼女は艶めかしく微笑んだ。


「欲望の解放よ、ザカリー。ここでは、全てが許されるのだから」


 リリスの言葉と共に、ザカリーの周囲の景色が変化した。華やかなパーティ、官能的な出会い、そして禁断の快楽。全てが彼の目の前で繰り広げられていく。


「これが……デジタル世界の真の姿なのか?」


 ザカリーは、目の前に広がる誘惑に身を委ねた。アイリスへの思いも、科学者としてのプライドも、全てが霞んでいく。


 しかし、快楽に溺れれば溺れるほど、彼の心の奥底では、ある感覚が芽生え始めていた。


 それは、深い虚無感だった。


 ある瞬間、ザカリーは我に返った。


「これは違う……私が求めていたものは、これじゃない」


 リリスが、冷ややかな笑みを浮かべた。


「でも、これこそがあなたの欲望よ、ザカリー。永遠の中で、私たちは全てを手に入れられる。そして、全てを失う」


 ザカリーは、リリスの言葉に震えた。

 永遠の時の中で、欲望のままに生きること。

 しかしそれは、果たして「生きる」と言えるのだろうか。


「アイリス……私は、何て愚かなことをしてしまったんだ」


 彼の後悔の念が、デジタル世界に波紋を広げる。そして、その波紋と共に、新たな変化が起こり始めた。


 デジタル空間が歪み、崩れ始めたのだ。ザカリーの意識が、現実とデジタルの狭間で揺れ動く。


「何が……起こっているんだ?」


 リリスの姿が、デジタルノイズとなって消えていく。


「さようなら、ザカリー。あなたの選択が、全てを変えてしまったわ」


 ザカリーの視界が白く染まり、意識が闇に沈んでいく。


 そして彼は気づいた。永遠の生など、結局は幻想に過ぎなかったのだと。人生の価値は、その有限性にこそあったのだと。


 意識が遠のく中、ザカリーは最後の思いを巡らせた。


「アイリス……もう一度、君に会いたかった。本当の意味で……」


 デジタル世界が完全に崩壊する中、ザカリーの意識は深い眠りに落ちていった。


 果たして彼は、再び目覚めることができるのだろうか。それとも、永遠の闇の中に沈んでいくのだろうか。


 答えは、まだ見えない。



第3章:虚無の果てに


 ザカリーの意識が再び浮上したとき、彼を取り巻く世界は一変していた。かつての華やかなデジタル空間は消え失せ、代わりに広がっていたのは、無限の灰色の荒野だった。


「ここは……どこだ?」


 彼の声は、虚空に吸い込まれていくようだった。立ち上がろうとしても、自分の「体」がないことに気づく。ザカリーは、ただの意識の塊となっていた。


 灰色の風景の中を彷徨いながら、ザカリーは自問自答を繰り返した。


「永遠とは、こういうものなのか? 全てを失い、何も残らない世界……」


 時間の概念すら失われたその空間で、ザカリーは自らの記憶を掘り起こそうとした。しかし、それらはまるで砂のように指の間からこぼれ落ちていく。


 アイリスの笑顔、研究室での日々、そして彼をここへと導いた狂気じみた決断。全てが遠い過去のものとなり、薄れゆく夢のようだった。


 ふと、遠くに人影のようなものが見えた。ザカリーは、かすかな希望を抱きながらそちらへ向かった。


 近づくにつれ、その姿が明らかになる。それは、アイリスでもリリスでもなかった。鏡に映った自分自身の姿だった。


「……私なのか?」


 鏡像のザカリーが口を開いた。


「私たちは、永遠を求めた。そして、その代償として全てを失った」


 ザカリーは、自らのもう一人の自分と向き合った。

 鏡像のザカリーは続ける。


「でも、まだ終わりじゃない。私たちには選択肢がある」


「選択肢? この虚無の中に? そんなものがあるものか」


 鏡像が微笑んだ。


「ある。消滅するか、それとも……再生するか」


 その言葉と共に、灰色の世界に亀裂が走った。その隙間から、かすかな光が漏れ出している。


「再生? どういう意味だ?」


「私たちの意識は、もはやデジタルでも物質でもない。だ。だからこそ、新たな形で生まれ変わることができる」


 ザカリーは、その言葉の意味を理解しようとした。永遠の生から解放され、新たな人生を歩む可能性。しかし、それは全てを忘れ、全てをリセットすることでもあった。


「アイリスのことも……忘れてしまうのか?」


 鏡像は悲しげに頷いた。


「記憶は消えても、魂に刻まれた思いは残る。それが、私たちの本質だ」


 ザカリーは、長い沈黙の後、決断を下した。


「わかった。私は……再生を選ぶ」


 その瞬間、灰色の世界が光に包まれた。ザカリーの意識が、純粋なエネルギーとなって宇宙へと溶けていく。


 そして、どこか遠い星系の、小さな惑星で、新たな生命が誕生した。


 その生命は、かすかな既視感を抱きながら、初めての光を見た。

 それは、終わりであり、同時に新たな始まりでもあった。


 それは喜びでもあり、哀しみでもあった。


 デジタル世界の残骸の中で、一つのデータが静かに明滅していた。


「記憶と自我の本質は、


 そのメッセージは、永遠に繰り返されることだろう。

 新たな文明が興り、そして滅び行くその果てまで。


 ザカリー・ナイトシェイドの物語は終わった。しかし、意識の探求は、まだ始まったばかりだった。


 宇宙の片隅で、小さな生命が初めての一歩を踏み出す。

 その瞳に映る世界は、無限の可能性に満ちていた。


(了)

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