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伊藤沃雪

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 三原色から描き出される過剰なアニメーション、エフェクトを液晶一杯に浴びていた。馬鹿みたいに大音量の効果音。ご褒美だよ、と言いたげにキャラクター達もかっこいい動きを見せて笑いかけてくる。えも知れぬ興奮に浸り、筐体から生える棒キャンディーみたいなレバーを叩き下ろす。

 力一杯叩いてはだめだ、折れてしまうし、島(ホールで遊戯台が集まっている区画ごとの呼称)で遊戯中の人達に迷惑がかかる。慣れた〝風〟を出すには、スマートを装わなければいけない。平静を貼り付けて当たり画面からレバーオンしてATに移り、煙草を吹かす。耳をつんざくような音楽は、原作アニメでも人気が高いテーマソングだ。AT中この曲をバックに聞いていると疾走感があって、アニメの世界を駆け抜けている気になれる。たまらないんだ。


 もともと、遊技場なんて全然興味がなかった。

 金と時間が有り余っていて居場所がない、寂しくて哀れな人間が行き場を無くして最後に辿り着く駆け込み寺、無職達の受け皿みたいな印象だった。

 転機になったのは、俺が推し続けているアニメ『ヴァルキリー』のパチスロ台導入が発表されたことだ。一年前くらいにアニメ放送が終わって、公式からの供給も途絶え、ファンの間では二次創作をして互いに寂しさを慰め合っているような状況だっただけに、とても驚いた。好きなアニメ作品がよりによって遊技機になってしまうということには当然ながら賛否が分かれたし、俺自身も憤った。公式は何を考えているんだ、ご意見メールを書いてやるぞ、なんてSNSで発言したくらいだ。

 でも俺は一方で、これまで目にしたことのない『ヴァルキリー』のイラストや演出、アニメーションが見れる、機会があるのなら遊んでみたい。そういう欲求を抑えられなかった。


 初めて遊技場に入る前は、スマホで色々と検索して調べた。入場したらまず何をすればいいのか、どこらへんにスロットが置いてあるのか、一回いくらするのか。最低限の知識を備えて、俺は近所にある遊技場に向かった。通勤の時にも隣を通るのだが、照明がまぶしいな、電気の無駄遣いだろ、くらいにしか捉えてなくて、まさか自分が遊びに入ることになるとは思わなかった。


 恐る恐る正面玄関から遊技場に入ると、「いらっしゃいませ!」という店員の挨拶が飛んできてビクリとした。でも半分くらいはあらゆる台から鳴っている音楽、効果音に打ち消されていた。通勤の際に横目で見ていたが、遊技場の店員は執事服みたいな、スーツみたいな独特の制服を着ている。いよいよ異世界に入ってしまった気がして心細い。

 事前に調べておいた通りにホール内を歩き、目当ての『ヴァルキリー』の台を見つけた。

 ところが、『ヴァルキリー』には先客がいた。見知らぬ中年の男性がスロットを回し、喜々として演出に魅入っている。

「えっ……マジか」

 俺は思わず本音を口に出していた。島を見回しても、『ヴァルキリー』は一台だけ。どうやらこの中年男性が打ち終わる、または離席するのを待たなければならないようだ。事前知識によれば、遊技場ではゲーセンみたいに後ろに立って待つことはできない。休憩所にいるか、違う台を打っているかしないといけない。俺は近くに置かれていた『ジャグ』という台に座る。これは一番分かりやすい仕組みの機種なんだそうだ。微妙に可愛くないピエロが気になるが、打ってみることにする。

 財布から千円札を取り出す。お金の挿入口を探すけど分からなくて、少しの間千円札を握った指先がゆらゆらと宙を彷徨う。左側に挿入口を見つけ呑み込ませる。ガビビ、という古くさい音が鳴る。一枚二〇円の価値に変換されたメダルが下皿に吐き出された。


 突然、後ろでものすごい音がして、びくりと肩が上がった。思わず振り向くと、音の主は『ヴァルキリー』だった。赤や緑や虹色や、視力が悪くなるんじゃないかっていうほどの眩い光とともに、キュンキュンと音を立てる。距離があってよくは見えないが、液晶画面の中で『ヴァルキリー』の推しキャラ達が軽やかに動き回っている。俺は感動した。公式が沈黙して一年、もう二度と新たな映像を目にすることはないのだろう、と覚悟していたのに。

 今この瞬間に、勇気を出してこの椅子に座っていて、本当に良かった。そう思ったのだ。




 以降、俺は遊技場に通い始めた。

『ヴァルキリー』は導入されたばかりということもあって人気で、空いてないことばかりだった。『ジャグ』の方を打ち慣れてしまって、勝ったり負けたりしている。その内、よく隣に座ったりいつも遊びに来ている人、いわゆる〝常連〟と仲良くなった。若くて二〇代くらいに見える青年だ。『ジャグ』の目打ちができなくて困っていたところを助けてもらってから、色々教えてもらえるようになった。

〝常連〟の彼によると、『ヴァルキリー』は朝から入場待ちの列に並ばないと厳しいということだった。入場待ち、なんてものが存在するのか。〝常連〟と連絡を取り合い、土曜日の朝に入場待ちして狙ってみよう、という話になった。


 次の土曜日、俺は〝常連〟と一緒に列に並んでいた。驚くことに、新台入替があるわけでもないのに、土曜日には長蛇の列が出来ていた。皆、打ちたいと思っている台に座るために必死なのだ。順番を示す整理券を手に握って、そわそわと開店時間を待つ。

 開店すると、列の人々から興奮が滲んだ。一刻も早く台に座りたい、取られていないか確かめたい、そんな空気だった。

「おい、『ヴァルキリー』空いてるぜ」

〝常連〟が指さし、気を逸らせるようにして教えてくれた。俺はもう今すぐにでも走りたかったが、外聞を気にして全力の早足で向かってついに腰を下ろした。

 念願の『ヴァルキリー』だ。俺はそれだけで感動して呆然としてしまう。〝常連〟はそんな俺に苦笑しながら肩をポンポン叩いてきて、隣の台に座った。

「俺も演出見たいからさあ」

 そう言って、〝常連〟は早速マルボロに火をつけて煙を吐き出した。紙タバコだ。不思議なのだが、遊技場に来るのは電子タバコを好かない人間が多い気がする。とにもかくにも。俺は〝常連〟に頷いて、球貸機(サンド)に千円札を突っ込む。千円札から四〇数枚に化けたメダルを持ち、筐体に入れ込んでいく。レバーを叩き、ついに『ヴァルキリー』を打ち始めた。


 当たりが来るまでの通常演出画面は、キャラクター達がのんびり歩いたり買い物したりしているつまらないアニメ。これはどの台もそうらしいが、チャンス画面に入った途端に豹変する。画面端が緑になったり赤になったりしつつ、「超期待」「高確率」といった文字列が踊ってビカビカと光る。ただこれはまだ時期尚早だ。〝常連〟によれば『チャンスゾーンのチャンス』らしい。射幸心を煽る演出っていうやつだ。実際、俺は何度もこの演出に移行しては落とされて、何も起きない通常演出画面と行き来して、ガクリと肩を落とす。〝常連〟がケラケラ笑いながら励ましてくれた。

 といっても俺は、通常演出もチャンスゾーンのチャンス画面もとても楽しんでいた。チャンス抽選中も、チャンスから当たりに昇格するかどうかのチャレンジにしても、アニメ本編で見たシーンを新たに描き出したリメイクアニメ・別キャラ視点になっていたり、本編を補完するような台詞が入れ込まれていたのだ。アニメファンの俺としては感涙もので、本当にパチスロを作ってくれてありがとう、と言いたかった。

 感動したり舞い上がったり凹んだりしている間に、筐体はチャンスゾーンのチャンスを抜け、当たりを迎えた。「7を狙え!」という画面の指示通り目打ちをすると、ビッグボーナスだ。ビッグではアニメのテーマソングをBGMに打ち順の指示が出て、それに従って打つとメダル二五〇枚くらいの払い出しが保証されている。ただし油断はできない。ビッグボーナスを遊んでいる間も、ATという当たりモードの抽選チャンスがあるのだ。パチスロは通常画面以外では常に勝負、勝負である。


 爽快に進んでいくビッグボーナスを打っていると、〝常連〟がこちらを覗き込んできて嬉しそうに笑った。

「このテーマソング、神だよな。解像度高すぎ」

「めっちゃ分かる。今クールの『推しドル』もいいよな。サビで転調するとこがさ」

「そうそう! 胸にグッと落ちてくるんだよな、やっぱ」

 筐体の前面で横並びになっている黒い丸ボタンを押し続けながら、〝常連〟と大声で談笑する。遊技場内はあらゆる音が鳴っていて、声が小さいと聞こえないのだ。俺は台が当たったことも勿論だが、誰かとこうして好きなアニメについて話しながら、同じものを見て楽しむ、そういう体験ができて嬉しかった。

 アニメは、放映が終わってしまえばあとは潰えるのみだ。ファン達は二次創作やらオンリーイベントやらでコミュニティを維持し続けるが、いつかは皆飽きていなくなってしまう。『ヴァルキリー』もたったの一年で、推し仲間達がどんどん離れていったし、人によっては「懐かしいね」なんて言うくらいに忘れ去られてしまった。俺はパチスロを打って、好きなものがどんな形であれ生きているというのは、もの凄い価値があるのだと思い知った。誰にどう言われたって、好きなものは生きてる方がいい。


 結論からいうとこの日は勝ちだった。『ヴァルキリー』は俺の想いに応えてくれたのか、当たりが長く継続して一〇万円程度が手元に入ってきた。遊技場へ通って、初めてのまともな勝ちだ。この日は勝利祝いで、〝常連〟と一緒に焼肉を頬張った。



 俺は『ヴァルキリー』を打った興奮が忘れられなくて、週末になると足繁く遊技場に通い詰めた。そのたびに新しい演出、新しい発見があって、噛みしめるように味わった。完全に虜だった。


 だが周囲の様子は少しずつ少しずつ、植物が生い茂るみたいな鈍重さで変わっていく。『ヴァルキリー』の解析情報や設定判別などがネット上で明るみになると、ユーザーは厳しい批判を与えた。「これはクソ台」「打つ価値なし」「時間の無駄」みたいな辛口評価だ。伴って、打ちたいと思う人も減っていって、朝に入場待ちをする必要もなく、「よく空いている台」になっていった。

 確かに正直言えば良い台ではない。設定が渋いし、俺自身、気付けば負けがどんどん膨らんで、首が回らなくなってしまった。元来貯金する性質でもないので、有名な消費者金融でお金を借りてきて打ち続けた。この時はいつかパーッと勝って取り戻せればいいな、くらいに考えていたのだ。

『ヴァルキリー』が打たれないのが不思議だった。こんなに面白いし演出が豪華だし、アニメ本編と解釈違いがないのに人気が無いなんておかしい。好きな台をいつでも打てるのは嬉しいことだが、だからって『ヴァルキリー』の寿命が延びたわけではなく、やはりファン層は減っていった。漠然と寂しさを感じた。


〝常連〟とは特別仲違いしたわけではないが、隣で並んで打つことは減った。彼はあくまで勝ちたい人なので、もっと設定の良い台で打っていて、やがて遊技場自体に姿を見せなくなった。

「今の設定じゃ勝てないよ」というメッセージを貰ったのが最後だ。



 ある日、親に遊技場通いと消費者金融を利用していることがバレた。

 それはもうカンカンに怒り狂って、叱られて、俺は遊技場に行くことを禁止された。消費者金融のカードが取り上げられ、給料の入る口座も管理されるようになる。そこまで行って、俺はようやく目が覚めた。手に入るかどうかも定かでない、一時の娯楽のために一体いくら使ったんだろう。無駄にした時間と金を考え、馬鹿馬鹿しさと空しさに襲われた。後悔した。使った分を返すのには、消費者金融の高すぎる利率のせいで結局倍額くらいになり、とても苦労した。


 通わなくなってからも、あの遊技場に『ヴァルキリー』があるかは時々ネットでチェックした。数ヶ月くらいすると撤去されたのか『ヴァルキリー』は消えていて、別の新台に入れ替わった。遠い場所の遊技場も調べたが、ほとんど残っていなかった。

 こうして『ヴァルキリー』のパチスロは消えていった。

 俺もまた、ほとんどの人達と同じように別のアニメが好きになり、『ヴァルキリー』自体への愛も薄れている。勉強代はとても高くついたし、後悔している。

 ただ、俺は今でもあの空虚で無駄な日々のことを、無価値だったとは考えていない。ビッグを走っている間の演出も音楽も、筐体でしか味わえない独特の熱気があった。誰かにとっての「クソ台」「よく空いている台」だろうが、俺にとっての『ヴァルキリー』という台は、興奮や失敗や〝常連〟との出会い、あの遊技場という別世界の経験を含んだ、他に代えられない価値を、ひっそりと持っている。

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