紅殻神鬼 叢雲

春日台昇

第一章 タマミ村

第1話

 7月下旬。真夏の昼下がり、翡色永華ひしょく えいかは広島県山県郡安芸の山奥に向かう路線バスに乗っていた。

 気温が35度を越える昼下がりだからか、バスのなかには乗客は殆どいない。永華はバスから見て奥の窓側の席に座り、バスの速度と合わせて移り変わる景色を眺めていた。

 車窓に映る景色は永華の住む都内では見ない、黒ぐろとした木々が覆う山々とポスターカラーで塗ったかのようにクッキリとした青空と白い入道雲を背景に、畑と田んぼ、所々に平屋といった似たような風景が延々と続いている。

「翔子……何処に行ったの……。」

 そんな無限に続く同じ景色は、永華の今の悶々とした気持ちと重なり、永華は無意識にボソリと呟いていた。

 永華の親友、如月翔子きさらぎ しょうこから最後の電話が来て、そして翔子が行方不明になって3日が経った。

 翔子と永華は幼馴染であり、永華が中学2年のとき、翔子が父親の仕事の都合で岡山に引っ越すまでは、毎日共に学び共に遊ぶほど仲が良かった。 

 永華が翔子と再会したのは大学生1年の前期春頃、偶然同じゼミに参加したことだった。

「翔子、翔子だよね!久しぶり、私だよ!永華、翡色栄華!」

「え?永華!永華なの!!」

 再会した時、永華は翔子の姿が中学生の時よりも凛とした美しさに磨きがかかっている事に驚いた。そして翔子は永華の知っている過去の翔子と変わってしまったのかと、一瞬永華は思ってしまった。しかしそれは直ぐに消えた。何故なら翔子は永華に再会したことへのはしゃぎぶりを見て、永華もいつもの翔子と同じだと心のなかで安心したからだった。

 その日の昼休み、二人は学食で同じテーブルを囲んでいた。翔子は今、史学部に所属し公認の民俗学研究サークルに参加をしていると話した。確かに翔子は昔から古典や世界史を好んでいた事を永華は知っていたので、翔子らしいと感じた。

 対して永華は文学部に所属はしているものの、大学のサークルに魅力を感じず授業を受けては帰宅するという堕落した生活を送っていた。翔子は相変わらず永華らしいと笑っていたが、永華もお互い変わらないねと笑い返した。

 永華と翔子は何度も学食で話したり、大学の近くの喫茶店で授業やら高校時代の学生生活など色々なことを話した。しばらくして永華は暇になると、徐々に翔子のいる民俗学研究サークルに顔を出しはじめ、夏期休暇に入る前頃には非公認のメンバーと化していた。永華もサークルのメンバーとは話が合うなと感じ、後期になったら正式にメンバーとして加入したいなと感じていた。そんなときである。

 夜、永華が自宅でシャワーを浴び終わり、ニュースを見ようとテレビをつけた時、永華の携帯が着信のメロディーを鳴らした。永華が携帯を手に取り画面を見ると翔子からである。

(確か翔子って今サークルのメンバーの人達と広島の方に合宿に行ってなかったっけ?もしかして今着いたところとか、そんな感じの連絡かな?)

 そんな事を思いつつ、永華は携帯の受話器ボタンを押す。すると翔子の焦燥感に包まれた上ずった声が聞こえる。

「永華、助けて!このままじゃ、私達……私、殺される!」

「ど、どうしたの翔子!何があったの!もしかしてサークルの先輩に襲われたの?」

「違う!今アイツらから逃げてるの!殺される!警察を呼んで!」

 翔子は何かから逃げているのか、ハッハッと息が荒い。時々クマザサか葉の長い雑草群を掻き分けているのか、草が衣服に当たる音が聞こえる。

「翔子、全然状況がわからないよ。今どこにいるの?」

「広島……安芸、珠縻たまみ村……!あぁ!永華助けて、奴らが来た!永華、永………。」

 その後翔子の悲鳴と、携帯が翔子の手のひら落ちたのか何回も硬い物に当たるノイズが走ると電話が切れてしまった。

 永華は暫くの間呆然と立ち尽くしていた。翔子が何者かに追われている、何故?永華は我に返ると急いで掛け直したが翔子はでなかった。

 その後永華の行動は迅速であった。まず無理矢理翔子のサークルの部屋に入り証拠を探した。出てきたのは合宿の資料と、それに関するであろう広島県の山間部に伝わる貴種流離譚伝説の資料群。さらに翔子の言っていた場所をインターネットで探し当てると、登山用の道具や護身用の武器等揃えた。翔子救出の準備が出来た時は、翔子から電話が来た3日後の明朝であった。

 永華は準備ができるとそのまま東京駅始発の東海道新幹線に乗り、バスを乗り継いで翔子が命懸けで伝えてくれた場所、広島県山県郡安芸太田町にある村のひとつ、珠縻たまみ村へと向かっているのだ。

 時刻は昼過ぎ。永華は三日三晩翔子の安否が気になり眠れていなかったのか、バスに揺られて一瞬瞼が重くなり、コクリコクリと頭が船を漕ぎ始める。しかし永華は目を閉じると電話越しの翔子の悲鳴を鮮明に思い出し、ハッと目が覚めた。

「翔子、待ってて。すぐ助けるから……。」

 永華は翔子を救うという意志を固める。

 そんなとき、永華の後ろの席から一人の女性が永華に対して声をかけてきた。

「どうしたんだい、お姉さん?そんな寝不足気味な顔して、もしかして傷心旅行?」

「え?」

 永華は意識の外から急に誰かが声をかけてきたので、間抜けな声が口から漏れる。

「いや、何か嫌な事を延々と考えてそうな顔してるからさ。」

 話しかけてきた女性は、ニッと屈託のない笑顔を永華に向ける。彼女の短く切った金髪が太陽の光を浴びてキラキラと光る。

「こーんなド田舎まで旅行なんて珍しいよ。何処まで向かうんだい?」

 女性は前側の席に持たれかかると、永華の方に顔を向ける。

「えと、珠縻たまみ村ってところです。」

「いやぁ!すごい偶然だ。私も取材でその村に行くんだよ。」

 金髪の女性は大きな手振りで驚きを表現する。

「一期一会とは言うが、偶然とはいえコレもなにかの縁だ。良ければ隣座ってもいいかい?」

「え、ええ……。」

 永華は女性の捲し立てる言葉に押され、何も考えられずに返答してしまう。女性はバスが信号で止まると、そそくさと席を立ち永華の隣の席に座った。

「あぁ、自己紹介がまだだったね。私は君嶋桐子きみしま きりこ、フリーのジャーナリストさ。」

 金髪の女性、桐子はそう言うと黒のジャケットから名刺を取り出して、永華に渡す。

 永華は桐子から名刺を受取り、ペコリと小さなお辞儀をする。

「どうも。えと、私は翡色永華って言います。翡翠の翡と色が苗字で、名前は永遠の華って書いて永華です。」

 永華は桐子に自分の名前を言う。

「よろしく永華さん。私はさっきも言ったようにジャーナリスト、とは言っても三文オカルト記事を書く程度だけどね。」

 桐子はそう言うとカバンから1冊のよれた雑誌を取り出して永華に渡す。雑誌には付箋が貼られており、そのページを見ると『伝説の妖怪UMAである鬼、ついに長野県山間部に出現か!?』という半ページ分記事があり、記者の欄に君嶋桐子と書かれていた。

 永華はこの胡散臭い記事を少し読む。鬼と呼ばれる人型のUMAが日本各地で目撃されており、それに関する小規模な事件も起きている事が取材で判明した。鬼の正体は極秘の人体実験による実験生物やら化学汚染の廃棄物による影響なのか、という眉唾物の考察で締めくくられた何とも言えない内容であった。

「この記事が妙に読者にウケてさ、編集部から催促されて、今回は広島にいる伝説の大蛇探しのために珠縻たまみ村に来た感じ。」

「な、なるほど……。」

 そう言いつつ永華は雑誌を桐子に返す。桐子もハハと乾いた笑いを出しながら雑誌をカバンにしまった。

「で、永華さんはどうして珠縻たまみ村に行くの?」

「それは……。」

 永華は口にしようとするが、勝手に口がつぐんでしまう。話そうとするとあの日の翔子の悲鳴が聞こえてくるようで、心が激しくざわめき始めるのだ。

「あんまり言えない事情?言えないのなら無理しなくていいんだぞ。」

 桐子は心配そうに永華を見る。永華の手は他人が見ても分かるほど震えているが、永華はソレさえも気がついていなかった。

「いえ、言わせてください。」

 永華はポツリポツリと桐子に何故自分が珠縻たまみ村に行くことになったのか話し始める。親友の翔子との再会や、その翔子とサークルのメンバーが珠縻たまみ村で行方不明になってしまった事など、洗いざらい全てを桐子に話し尽くした。

 桐子は永華が話し終わるまで真剣な顔つきで聞き続けた。そして永華が話し終わり、永華の表情が少し落ち着くと桐子は口を開いた。

「なるほど、行方不明の親友を探しでここまで来たってことか。」

「はい。」

「警察や親友の親御さんには連絡したのか?」

「いえ、警察は行方不明届けを出そうにも親族以外は出せないと門前払いを喰らいました。翔子の両親に連絡しようにも、そもそも電話番号が分からなくて……。電話番号を見つけるために翔子の寮に行ってはみたんですが、寮生以外は入ることが出来なくて……だから私だけでも翔子を助けないとと思ってここまで来たんです。」

「……わかった。なら私も君の親友探しに協力するよ。」

 桐子は震える永華の手に、自身の手を添える。そして永華に真剣な眼差しを向けて話した。

「いいんですか?私の話、信じてくれるんですか?」

「おうとも。私はオカルト記者だぞ、これでも相手が嘘やヘッタクレを言ってるかは話している様子を見て直感で分かる。君の場合、話している様子を見ていて嘘をついていないと感じた。だから私は直感を信じて、君の事を信じようと思っただけだよ。」

「あ、ありがとうございます……!」

 永華の手から震えが無くなるのを感じた桐子はそっと自らの手を離した。

「それに、その様子から察するに向こうの宿とかもとってないでしょ?」

「うっ……!」

「図星か……なら今回私の助手という体にしよう。向こうにも何とか話をつければいいだけだしさ。」

「すみません……何から何までご厚意をいただいてしまって。」

 永華は申し訳なさそうに桐子に頭を下げる。

「いいよ、いいよ。気にしなくていいからさ!旅はみちづれ世は情け、困った旅人を助ける事も旅のひとつだよ。」

 桐子は手を軽く横に振りつつ笑顔で答える。

「次は珠縻たまみ公民館。珠縻たまみ公民館。」

 二人が話している間にバスが停留所の近くまで進んでいたのだろう。バス車内に機械音声のアナウンスが流れる。永華は急いで停車ボタンを押すと、軽快なチャイム音が車内に響き渡る。

「おっし!それじゃあ行きますか。」

「はい、よろしくお願いします。桐子さん。」

 二人はバスが停留所に停まると、荷物を抱えてバスから降りた。二人の目の前に映る景色は、広大な山々とそれに囲まれた小さな村がある。そして村の一番近くの山の頂上には、日本の伝統的な風景とは真反対に位置するキュビズム絵画を3次元化したような奇妙な白い建築物が永華達を覗いていた。

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紅殻神鬼 叢雲 春日台昇 @Kasugadai-Noboru

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