魔島
宮﨑
魔島
高音と低音のまじった、栄エンジンの心地よい音が徐々に近づいてきて、やがて轟音となって耳朶を震わせた。私はツァイスを構え、無心で連写する。先頭を疾る彼の零戦が、私の頭上をすぎさるまで。どうせ大本営の報道部によって破棄されるフィルムだ。戦局の変化に伴い、帰投する航空隊の写真は検閲をほとんど通らなくなった。戦闘を終えた機体は、大小の傷を負っているし、オイル漏れで見てくれも悪い。それに、僚機を失い、孤独に帰ってくることもしばしばだ。そんな内地の士気を下げるような写真が大本営のお気に召すわけがない。それでも写真を撮るのは、自身のエゴゆえに他ならない。
むしろ、検閲を通り、日映の広報誌に載るくらいなら、私は彼の機体を撮らないだろう。主計中尉の端正な横顔や、高射砲小隊の訓練風景など、内地に受けの良い写真を撮る。
捨てられるからこそ、彼の飛行機を撮る。私のツァイスが写しているのは、煤けた機体であり、彼であり、南方ののっぺりとした青い空だった。
やがて、彼の零戦は、でこぼこの残る土の滑走路にみごとな三点着陸をきめた。
それに続くように、列機がおりたってくる。 整備兵がすばやく各機に群がり、タイヤにチョークを噛ませていく。ペラの回転が止まると風防がひらき、くたびれた顔をした搭乗員たちが続々とおりてくる。 私は数える。未帰還は七。陸攻の護衛にしては、明らかに損失が多い。
しばらくして兵舎から彼が出てきた。いちはやく、乗機の点検と少将への報告を終えたらしい。
「火ください」
従軍記者である私と彼は妙に気が合った。被写体とカメラマンというだけでなく、たまにこうしてタバコや酒を交わしつつ、話す仲だった。場所は海岸だったり、ガンルームだったり、酒保だったりした。
彼が吸うのは戦地で配給される台湾産の軍用タバコではなく、手紙と一緒に内地から送られてくるチェリーだった。一度だれから送られているのかと尋ねたことがあるが、彼はあいまいに笑い、答えてはくれなかった。
あるいはリーベからのプレゼントと恋文だったのかもしれないし、ただ内地の問屋から買っているだけかもしれなかった。
「一本どうぞ」
チェリーは軍用タバコよりも香ばしいが、甘ったるい。正直言って、好みではなかった。煙はベタ塗りの青空に消えていった。
彼はうまそうにチェリーの煙を吐き出し、そのまま煙と一緒に言葉も紡いだ。
「また魔島です。三機も喰われました」
太平洋戦線には、該当地での戦闘の悲惨さから、特殊なあだ名のついた島が三つある。
ガダルカナル島。餓島。
ボーゲンビル島。墓島。
そしてマレセンテル島。直径一キロにも満たない、ちっぽけな環礁島で、戦術的にも戦略的にも価値のない、両軍に忘れさられた島。しかし、この島には奇妙な怪談話がつきまとっている。空戦のさなか、その上空に迷いこんだ飛行機は、敵味方をとわず、みずから島に堕ちてゆくというのだ。
私たちは、数多くの搭乗員の血を吸い続けるその島を、畏怖の念をこめて魔島と呼んでいた。
はじめて魔島の餌食となったのは、一機のグラマンだったらしい。
その話を語ってくれたのは、もちろん彼だった。去年の冬のことだ。トラックのレスで、馴染みの給仕に、お替わりのビールを注文したあと、チェリーを燻らせながら、
定期爆撃のあと、護衛任務を終えた僕たちはどこからともなく飛来したグラマンの群れと交戦状態になりました。当時の米軍搭乗員はジャクばかりだったから、空戦自体はすぐに終わったんです。
ええ、ありがとう。優秀な部下たちのおかげですよ。
妙なことが起きたのは、その後でした。
編隊を組みなおしている途中、一機のグラマンが低空をよろよろと飛んでいるのが見えたんです。空戦が行われた空域からはかなりの距離がありました。はじめはさっきの生き残りが逃げているのかと思いましたが、どうも様子が変です。
全くもって戦闘機の機動じゃありません。かといって、ひたすらに逃げ回っているわけでもない。まるで幽霊みたいに、一定の速度で、機体を小さく揺らしながら、小さな環礁があるだけの小島のまわりを飛んでいるんです。
ええ、そうですね。マレセンテルです。ちょうど電球に群がる虫のようでもありました。
不思議に思いましたが、見逃すわけにはいきません。私は僚機を連れ、グラマンへの攻撃にあたりました。
空戦というのは敵機よりも高い位置を確保し、機銃弾の射線と敵機の軸線を合わせたほうが有利です。ですから、背後を取られないように。頭を抑えられないように、戦闘機は急激な機動をするわけです。しかし、やはり例のグラマンは動かない。僚機に背後を取られても、ただただ緩やかな旋回を続けるだけなのです。
さすがに気味が悪くなりました。しかし、同時に興味も湧きました。コックピットのなかは、一体どうなっているのだろう、と。
僚機は私に手柄を譲ろうとしてか、あるいはその様子の異様さに圧倒されてか、撃ちません。
本来あってはならないことですが、私はグラマンと並走し、そして彼の顔をみました。
ここで、彼は口を閉じてしまった。
ぬるいビールで口を濡らしたあと、どこか遠いところを見るようにレスの窓を見た。やがておもむろに、
彼は笑っていました。狂気的ではなく、純粋な、南方の単調な青ではない、ここでないどこかを見つめる、どこか哀愁のこもった笑顔でした。
彼は墜ちました。やはりゆっくりと旋回しながら、一定の速度で、墜ちていったのです。
退屈な青い風景のなかに、真っ赤な炎が立ち昇りました。
恐ろしいほど美しい赤でした。
戦争は退屈なほどゆっくりと進行した。
それに比例するように、次々と魔島の犠牲者が出た。グラマンも、コルセアも、ペロハチも、零式も、陸攻も、陸軍の飛行機も、どんどん墜ちた。やはり彼らは、何かに魅入られたように、島に激突して死んでいった。
噂は止まることなく、南方の航空隊に広がっていった。重力に異常が発生しているだの、原住民の呪いだの、勝手な尾鰭がたくさんついていた。
ある日、米軍の爆撃機が基地の近くの島に不時着し、五人の捕虜を得るという事件が起きた。士官たちはこぞって尋問をした。私は、そのうち比較的仲の良い航空参謀に、魔島に関して訊いてみるよう頼んでみた。
数日後、航空参謀が返答をくれた。彼らは魔島で墜落事故が多いことを知っているが、堕ちるのは主に戦闘機なので、戦闘機乗りの資質の問題だと思っていたようだ、と。
その答えが返ってきた日の夕方、私は彼に尋ねた。
なぜ彼らは堕ちてしまうのでしょう、と。
眼の前の浅瀬では、十キロ爆弾を使った漁が行われている。水中で爆弾を起爆し、衝撃波で気絶し、海面に浮かんだ魚を拾うのだ。
ずん、とくぐもった炸裂音がして、真っ白な水柱が立った。波紋が収まると、白い腹が次々と浮かんでくる。ゆっくりと、ふらふらと、魚たちは死ぬために浮かんでくる。
守備隊の兵隊たちが、歓声を上げ、ふんどし一丁で海に飛び込んでゆく。
彼はその様子を眺めながら、寂しげに笑って、何も答えないのだった。
ある日、彼が慰問袋を持ってやってきて、さも嬉しそうに、
「蕎麦を作りましょう」
といった。慰問袋には申し訳ていどに、蕎麦粉が入っていた。
「信州の女学生が送ってくれました。内地も食料には困っているだろうに」
私にとっても嬉しい申し出だった。爆弾で死んだ魚にはもう飽きていた。
できあがった蕎麦はおよそ麺ではなく、蕎麦がきと呼ぶべきものだった。出汁つゆがないので味噌汁に入れ、一口ずつ食った。粉っぽく、固いので、私は嚥下するのに苦労したが、彼は旨そうに食った。
「お袋の味ですから」
彼は少し自慢げだった。
戦争は単調に続いた。単調に、ゆっくりと、ふらふらと破滅に向かっているようだった。
ある日、内地から彼に手紙が来た。いつもチェリーと一緒にくる、びっしりと文字が書き込まれたものではなく、簡潔に必要な情報だけが記された、電報の写しのような類のものだった。
「君、学生時代は文科でしたよね」
魔島で部下を再び失った彼は、いつもの快活さを失っているように見えた。ガンルームのハンモックに寝そべり、整備兵のヘル談を聴きながら、 怠惰な様を見せていた。
「小説本を、何か貸してくださいよ」
私は彼の故郷であろう信州を舞台にした小説を貸した。たしか、堀辰雄の『美しい村』だったと思う。学生時代に先輩から借りて、定期的に流し読みをして、そのまま返していない本だったから、気楽だった。
そのころから、彼は高級士官用のチェリーを銀蠅するようになっていた。喫煙量が増え、一日に何本も吸った。小説は、一日も経たずにすぐに返ってきた。
「なんで残酷な本を貸すのでしょう」
彼には珍しい、ぶっきらぼうな物言いとともに。
その夏、時局は滑らかに悪化していった。慰問袋も届かなくなったし、タバコの配給もめっきり減った。航空隊はどんどん数を減らしていったし、馴染みの隊員もたくさん死んだ。魔島で死んだものもいたし、そうでないものもいた。平和な様子を写した写真でさえ、ほとんど検閲を通らなくなった。
九月に入ったころ、東京の本社から内地への帰還命令が出た。
「おめでとう」
彼はにこやかに言い、ささやかながら、航空弁当とサイダーで送別会をしてくれた。
酢飯は乾いていた。サイダーは炭酸が抜けていた。
私は翌日には大発と軽巡木曽を乗り継いでトラック泊地まで戻った。レスに入ったが、メニューも少なくなり、馴染みの給仕もすでにやめてしまっていた。私はすいとんを頼んだ。蕎麦がきより不味かった。
レスから宿舎へ歩いているとき、塹壕を掘っている陸軍の兵隊たちに会った。彼らは異常に痩せていて、腰は曲がり、眼窩が窪んで見え、まともに髭も剃れていないようだった。私は彼らの分隊長に話しかけた。
彼らはボーゲンビルの生き残りだった。師団が壊滅したが、他の部隊に編入するほどの栄養状態でもなく、南方の島々にバラバラに送られて、土木工事に従事しているらしかった。
私は取材を申し込み、集合写真を撮ることを提案した。彼らは困惑していたが、やがてきっちりとした隊形になった。
私はシャッターを押した。撮っているあいだ、彼らは微動だにしなかった。
さらに翌日、朝の散歩中、ガダルカナル島に配属されていたという下士官に出会った。魔島の噂を知っているか尋ねると、知らないと答えた。写真を撮らせてくれないかと頼むと、彼は激怒して、どこかに行ってしまった。
翌日、私は輸送船の大潟丸で帰還することになった。
私はデッキに出た。手すりに寄りかかる。雲が空を覆い、海はその色を反射している。 一面が灰色に染まっている。
そんな風景でも、あの基地の、のっぺりとした青空よりはましに思えた。
お昼時を過ぎると、デッキで過ごす人が多くなってきた。そのうち乗り合わせた海軍士官たちが、小声で魔島の噂をしているのが聞こえた。興奮した様子の彼らは、叫ぶようにささやいた。
「まだジャクならいいだろうが」
「零戦隊の隊長まで墜ちてしまったら、形なしだろう」
「少佐だぞ」
「だから搭乗員あがりは駄目なんだ」
そこで私は、彼が魔島で死んだことを悟った。
ふと、灰色の風景に変化が起きた。暑い雲が割れ、曇天の隙間から光が差し込み、かすかに南方の単調で退屈な青が見えた。ふと、その直下の水平線上に、赤い光が見えた気がした。
機位を失った零戦が、ゆっくりと墜ち、そして魔島から最後の灯火を放っている。そんな光景がふと思い浮かんだ。
すぐに雲は閉ざされた。光が失われた。青も消えた。甲板には、軍用タバコの辛い紫煙が漂っている。
私は彼から餞別にもらった最後のチェリーに火をつけようとして、手を滑らせた。チェリーは南方の青い海に沈んでいった。
ふと顔を上げると、水平線上を一機の零戦がふらふらと飛んでいるのが見えた。もう、写真を撮る気にはならなかった。 (終)
〈註 〉
ツァイス……ドイツのカメラメーカー、カール・ツァイス社のカメラのこと。
三点着陸……主翼の二つ、尾翼の一つの車輪を同時に着地させる着陸方法。姿は美しいが難しいと言われる。
チョーク……航空機の位置を固定するための器具。
陸攻……ここでは日本海軍の一式陸上攻撃機のこと。双発の爆撃機で、物資や人員の輸送にも使われた。
リーベ……lieb(独語)に由来。恋人のこと。
ガダルカナル島……ソロモン諸島最大の島であり、同国の首都ホニアラがある。第二次世界大戦の激戦地で、展開した日本軍部隊の多くが補給路を絶たれ、多数の餓死者を出したことから、略称のガ島をもじった餓島(がとう)とも呼ばれた。
ボーゲンビル島……パプアニューギニアに属する島。フランスの探検家ブーカンヴィルが発見。太平洋戦争においては陸海空で激戦が繰り広げられ、多数の戦死者が出たことから墓島(ぼとう)と呼ばれた。現在ではブーゲンビル島の呼称が一般的。
マレセンテル島……ニューギニア島北西の海上四十海里に位置する無人島。スペインの探検家ジョアン・マレセンテルが1667年に発見した。米西戦争においてスペインからアメリカに割譲されたのち、太平洋戦争ではその周辺空域が戦場となり、行方不明機が多数発生したことから魔島(まとう)と呼ばれた。英語ではBermuda of the Pacificとも。戦後はフランスに売却され、現在にいたる。
チェリー……日本のタバコの銘柄。1904年大蔵省専売局により発売。バージニア葉の甘みと細切りが特徴的。
トラック(島)……西太平洋カロリン諸島に属し、太平洋戦線における日本海軍最大の基地があった島。前線部隊の交代、休憩、補給の拠点でもあった。現在はチュアック・ラグーンと呼ばれる。
レス……レストランのこと。
グラマン……アメリカ海軍のF4FまたはF6F艦上戦闘機のこと。ここでは戦争初期に使われたF4Fを指す。
ジャク……航空機操縦の未熟練者。素人。新米。
コルセア……アメリカ海軍のF4U戦闘機のこと。
ペロハチ……アメリカ陸軍の双発戦闘機P38のこと。
慰問袋……前線の兵士に配布された小さな巾着で、なかに内地の人々の手紙と、タバコなどの嗜好品が入っていた。
蕎麦がき……蕎麦粉を熱湯でこねて餅状にしたもの。蕎麦を使った麺(蕎麦切り)が普及する以前に、長野の山間部など米の収穫量の少ない地域で広く食べられていた。
ヘル談……猥褻な話。隠語。
銀蠅……食事時にあまった食料をせびること。または酒保や補給から嗜好品や食品をくすねること。ここでは後者。
ガンルーム……士官や兵卒の溜まり場のこと。
航空弁当とサイダー……飛行中に食べる弁当。手巻き寿司などが主に好まれた。サイダーも糖分補給の観点から搭乗員に配給されたが、高空では噴出しやすく、敬遠されがちだったという。
大発……輸送用のボート。
〈参考文献〉
佐藤有『南太平洋戦線 魔の島』放埒社、2018年。
大嶋幸次郎『マレセンテルの島陰にて』行真出版、1976年。
赤穂咲造『ああ我ら魔島の住人』第一美野社、1999年。
中野二郎「航空消耗戦と逃避言説−マレセンテル島の事例を中心に」『航空心理史』12巻、2003年。
戦部俊二「海軍魔号事件の責任論の受容」『海軍通史』88号、1980年。
Anderson, J. H., & Evans, L. A. (1980). The Memory of The Tale of Maresentel Island. AD Journals, 15 (9), 123-154. doi: 28732829
Oliver, J. G. F. (2007). Crash Accident in War Time. Journal of Naval Struggles, 34, 23-88.
David Kalend. “U.S. NAVY HAS OCCPIED MARESENTEL” The Indianapolis Daily News, June 21st, 1944.
https://www.TIDN.com/1944/06/21/archives/agg.btml?ResultScore=59, (参照2022-10-9)
魔島 宮﨑 @il_principe
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