夜の語らい

 日が暮れる間際に宿に帰ったあと、ふんだんに山菜が使われた夕食をとり、それなりに広い浴場で汗を流し終えてから、畳の上に敷かれたふかふかの布団の上に転がった。

「佐川由乃。そいつが、先輩の浮気相手の名前か」

 隣の布団で仰向けになった渡垣みらんは淡々と呟いた。熱が感じられないだけに、余計な怖さがある。

「まだ、浮気相手と決まったわけじゃ。それに、生きているかどうかも」

「生き死になんて些細なことじゃん」

 渡垣はさらりとそう告げながら、つまらなさそうにネイルを弄っている。

「現に、あたしも君も、いなくなった後も先輩のことを追っているわけだしね」

 たしかにそうかもしれない、と思うと同時に、その言葉にどことない危うさを感じた。どこが、とは言い切れない。というよりも、村へ向かう時あたりから、この金髪の女性が冷静だったことなんてなかったかもしれないけど、そういうことではない危険性が潜んでいるような。そんな気がした。

「今度はウチの番ね」

 どことなく胸の中で疼いた懸念も、渡垣の声に遮られる。後で考えればいいか。

「もしかしたら、君も予想してたかもしれないけど、女将さんも昔、先輩と仲良くしてたんだって。それでウチなりに、浮気女の存在はげろったよ。女将さんには女将さんの事情があるらしくて、名前までは割れなかったけど」

 だから、そこは君のお手柄。カラカラと笑いながらあたしを指さしてくる女性に、今更ながら教えてしまって良かったのだろうか、という不安が湧いたけど、あたしの手札も晒さなければ確度の高い情報の共有なんてできないだろうと割り切る。

「それでね。先輩とお義母様やお義父様が村から居なくなったあとも、行方不明になった人たちは探してたらしくて。そりゃ、あきらめきれないよね。山や森はもちろん、万が一にも灯台下暗しなんてこともあるかもって、普段使ってない建物なんかもあたったり、はては、熊の腹の中かもしれないって思った人なんかもいたらしくて、熊を仕留めたなんてことがあった時は、率先して腹を掻っ捌こうとしたくらい、みんな追い詰められてたけど、やっぱりみつからなかった。そうしているうちに、村人は徐々に減っていくだけで、まるで呪いみたいに子供ができる人も極端に少なくなった。そうやって、寂れていく村に、久々に先輩は来たってわけ」

 頬杖をついて顔を上げた渡垣は薄く笑っていたけど、目が座っていた。

「元々、人が減っていくにつれて、笑顔が消えて閉じこもりがちになっていた人たちの多くは、こう考えたんだって。中条のところの息子は復讐に来たんじゃないかって。先輩の活躍はなんとはなしに耳に入ってはいたみたいで、それでなんか余計に怖くなって、ほとんどの人が先輩を見て見ぬふりしたり、声をかけられても聞こえないふりをした。馬鹿だよね。そんなことをするわけないのに。けど、幸か不幸か女将さんは、数少ない先輩に好意的な人だったから、なんとかここに留まれたってこと」

 今日聞いた、佐川大地が自らの所業を思い出して、中条に詫びていたのも、同じ理由だろう。それこそ佐川は幼い子供の頃の記憶ゆえか、思い出すのに時間がかかったようだったが、既にしっかりと自我が芽生えていた大人たちはもっとはっきりとした恐れを抱いたのかもしれない。ともすれば、彼ら彼女らは、あたしが想像するよりもずっと、復讐されるのにふさわしい悪行に手を染めていたのだろうか。

「それで先輩はここを拠点にして探し物に性を出した。君の話からするに、佐川由乃って女を一生懸命探してたんだろうね。で、ここからはウチの経験からの意見なんだけね。一度なにかに打ち込んだ時の先輩って、中途半端なところでは手を引かないの。絶対に、ね」

「つまり、渡垣さんのところに帰ってくるまでに、なにかしらの成果が上がったと考えていいと」

「そうだと思う。しかも、記憶にあるかぎりだと、あの時の旅行より後に、長い間、ふらっといなくなることはなかったから」

「中条さんは、この件に関しては満足していた、と言いたいんですか」

 頷いた金髪の女は寂しげな顔をして、

「満足してたせいかあの絵を描いてからは、魂を込めるような仕事は一回もしなくなっちゃったんだけどね」

 ため息を一つ吐いた。その物憂げな表情を見ながら、

「渡垣さんは、この件、どこまでやるつもりですか?」

 問うた。

「納得するまで。できれば、佐川由乃の頬を引っ叩きたいけど、生きていない気がするしな」

「そうですか……」

 中条と同じように、納得するまでは帰るという選択肢はないみたいだ。もちろん、渡垣が社会人である以上、現実的な制約というものは存在するのだろうけど、できる範囲であれば、どこまでも掘るつもりなのだと。

「君は、もう止めたい?」

 だったら、止めないけど。さらりと放たれた言の葉に、

「いいえ。まだ、知りたいことがあるので」

 間髪入れずに返す。金髪の女性は目蓋を落とし、そっか、と呟いたあと、

「だったら、とことん、付き合ってもらおうかな」

 力を抜いて微笑んだ。

 あたしの調べ物だったはずなのに、いつの間にかおまけみたいになっている。そのことに関して、思うところがないわけではなかったけど、おそらく生前の中条ともっとも濃い時をともにしている女性の協力を得られるのだから、些細なことだ。とはいえ、中条の足どりについての手がかりは、現状、佐川のところで酒盛りをしたくらいしか目立った情報がなくて……

「実は、女将さんからとっておきのネタをもらったんだよね」

 頭の中にあった閉塞感は、悪戯っ子みたいな渡垣の言葉によって遮られた。

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永遠 ムラサキハルカ @harukamurasaki

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