父は英雄、母は精霊、娘の私は転生者。/松浦
<未来の相棒>
お昼寝の時間になってアミュエルを寝かしつけていたエレンは、オリジンに念話で呼ばれて顔を上げた。
「どうしたんだい?」
隣にいたガディエルに問われて、エレンはどうしようかと迷った。
「母様から呼ばれたの。このままアミュをお願いしてもいい?」
「もちろんだよ」
アミュエルもちょうど寝入った所だった。エレンはアミュエルを起こさないように慎重にベッドから身体を浮き上がらせると、そのまま水鏡の間へと転移した。
「母様、どうしたんですか?」
「あ、エレンちゃん! 聞いてちょうだい! あーちゃん産まれたんですって!」
「本当ですか!? きゃー! お祝いしないといけませんね!」
オリジンの言う「あーちゃん」とはアウストルの事だ。まるでアウストルが産まれたような言い方をしているが、アウストルは第二子を妊娠していた。
予定日を少し過ぎていたので心配していたのだが、突然ヴィントが来て、ようやく産まれたと泣き叫びながら報告してきたらしい。
アウストルは風を司る白虎の大精霊だ。獣から人化して大精霊となった精霊は元々の姿である獣の子を産むと聞いていた。
小さな可愛い子虎が産まれるのを想像していたエレン達は、今か今かとわくわくしていたのだ。
「ついにヴァン君もお兄さんになったんですね。そういえば性別ってもう分かるんですか?」
獣姿で産まれると、すぐには性別が分かりづらいと聞いた事がある。素朴な疑問を投げかけると、オリジンはあっけらかんと言った。
「力の性質が違うからすぐ分かるわよ~女の子ですって!」
「女の子!!」
きゃ~とはしゃぐオリジンとエレンは、ガールズトークができると大喜びした。
「昔のヴァン君も小さくて可愛かったですけど、やっぱり産まれたばかりの赤ちゃんはもっと小さいですよね。どのくらいの大きさで産まれるのかな?」
出会った頃のヴァンは、二歳の頃のエレンと大きさがほとんど変わらなかったと記憶している。
同じ猫科であれば、産まれたばかりの子猫は柔らかい毛が逆立っていて、ぱやぱやしているとよく表現されているのを思い出し、子虎もそうなのだろうかと妄想が止まらない。
「あら、ヴァンと出会った時はエレンちゃんも小さかったのに。そういえばあの時のヴァンはたしか十歳……くらいだったかしら? 女の子なら、もっと小さいかもしれないわね」
くすくすと笑うオリジンに、エレンはそうだったと苦笑する。
(転生前の記憶があるせいで、つい大人の目線で見ちゃってたんだよね)
懐かしい気持ちになりながらも、あの時の思い出が蘇る。
初めて会った時のヴァンは、まるでもふもふでふわふわの大きなぬいぐるみのようで、エレンは夢中になったのだ。
「ふわああ早く会いたいなぁ~。どのくらいで会えるんでしょうか? 少なくとも二~三ヶ月は様子を見た方がいいですよね?」
「あら、エレンちゃんは知らなかったのね。白虎の一族は産後三年くらい会えないわ。でも今回は……どうかしら?」
「三年!?」
予想以上の長さにエレンは驚きが隠せない。
「ヴィントとあーちゃんは風を司っている者同士だけれど、そもそもの種族は違う子達なの。けど両種共に母乳を与える期間が長いのよね。力が強い種族同士のせいか、力が安定するまでが長いのよ。わたくしがヴァンに会えたのも、それこそエレンちゃんの時と変わらないわ」
「そ、そんなに長く会えないんですか……」
子猫のようなぱやぱやした毛をした子虎が見てみたかったエレンは、しょんぼりと肩を落とす。
「あ、でもね? 恐らく……だけど、少し早めに見れるんじゃないかしら?」
何やら言い淀んでいるオリジンにエレンは首を傾げた。
「だってあの子が……」とか「多分大丈夫よね?」と小声で何やら言っている。
どうしたのだろうかと疑問に思っていたが、そういえばいつもオリジンの横にいる人物がいないことに気が付いた。
「あれ? そういえば父様とヴェルク達がいませんね。アウストルの子供が産まれたのは知ってるんですか?」
ロヴェルと毎日大騒ぎしている双子の弟妹がいない。弟がヴェルク、妹がサティアという。
ロヴェルはアウストルに第二子ができようとも全く興味がないようだったが、ヴェルクとサティアは気になっていたはずだ。
「あ~……サティアちゃんは今日も元気に人間界で好きな子を追いかけてるわ」
サティアは一目惚れしたカイに夢中で、仕事中もそっちのけで追い掛けてしまうのでよく注意していた。
さらに双子の兄であるヴェルクは妹を心配してか、時折ナイトのような立ち位置でサティアの側にいた。それならば、今日も一緒に行動しているのだろう。
「では、父様は領地でお仕事ですか?」
三人一緒にヴァンクライフトの屋敷に行ったのかもしれないと聞いてみれば、オリジンは苦笑した。
「違うわよぉ。あーちゃんの娘が産まれたと聞いて、たまたま居合わせていたヴェルクがあーちゃんの所に押しかけちゃったの」
「お、押しかけた? 子供が産まれたばかりのお宅にですか!?」
何てことをしているのだとエレンは青ざめた。
「そうなの。産まれたばかりの子を盗み見て、その場で婚約を申し込んじゃって大騒ぎになってるの。産後すぐのあーちゃんがもう大激怒でね……大暴れしているみたい」
ちょうどその時、どこか遠くの場所から爆発音が響いた気がした。
「……十歳のヴェルクが婚約を申し込んだんですか? 産まれたばかりの赤ちゃんに?」
「そうなの。元々ヴェルクもエレンちゃんみたいにふかふかの毛に目がないから、赤ちゃんにすぐ会いたかったみたいで……事前に産まれてもしばらく会えないとは伝えていたんだけど、こっそり会えば分からないとでも思っちゃったのかしら?」
「え、待って下さい……。母様的にヴェルクの行動はおかしくないんですか?」
「え? もう十歳でしょう? 好きになっちゃったなら仕方ないんじゃないかしら? 産まれてすぐに親が勝手に許嫁を決めてたら、本人達が嫌がって決闘とかもよくあるし。どちらか嫌になったりしたら、その内別れるわよぉ」
「それはそれで……なんだかなあ」
精霊達が持つ婚姻の概念は、各種族に委ねられている部分が大きいせいか、実にあっけらかんとしたものだった。
ヴェルクはどちらかといえば人族寄りだ。ヴァンクライフトの屋敷でもよく遊びに行っていた事もあるし、小さな頃からエレンの婚約事情を間近に見ていた。
そういった環境から、好きになったら婚約するものという知識があったのかもしれない。
聡く物事の理解も早い子ではあるが、やはり十歳の幼子というべきか。
気持ちに素直でいつも妹と一緒に問題行動を起こすのが悩みの種ではあったのだが、まさかそんな事をしでかしていたとは。
困った子だわ、とオリジンが溜息を吐きながら事の次第を説明した。
サティアは人間界にいるカイの下に行くのがほぼ日課になっていて、ロヴェルとヴェルクがサティアを追い掛けて行っていた。
けれど今回は、たまたまサティアがヴァンクライフトに転移した瞬間にヴィントの報告を受けたらしい。
ヴェルクはさっそく赤子に会いたいと言い出し、転移しようとしたその行動にオリジン達は目が点になった。
『申し訳ございませんが、私も愛しい妻と子に三年は会えないのですよ。お会いできません』
『では、こっそり会うとしよう』
『は? ま、まさか私の巣をご存じなのですか!?』
そう叫ぶヴィントの疑問にヴェルクはニヤリと笑った。
『産まれたらすぐに会いに行こうと思っていたんだ。だからねーさま達にこっそり教えてもらっていたんだよ』
そう言い放ち、ヴェルクは転移してしまった。
ヴェルクの言うねーさまが双女神の事だと気付き、ヴィントはさらに青ざめた。
『個人情報ぉおおお!! 逃げて、逃げて私のアウストル!! ちょっとロヴェル様助けて下さい! 私ではお坊ちゃまを止められませんんん!』
『うわ、おいやめろ引っ張るな!』
「……って、そのままロヴェルも連れてかれちゃったんだけど、すでに遅かったみたいで……」
肯定するかのように、また爆発音が微かに響いた。
オリジンの説明にエレンは呆然としすぎて思考が止まった。また続けて響く爆発音にハッと意識が戻る。
「えぇ……ヴェルクはアウストル達の住処をいつの間に知ってたんですか?」
「あの子達はお姉様達の眷属に近いじゃない? だから時折、お姉様達に遊んでもらいながら教育してもらっているのよ。だからそこで聞いたのかもしれないわ」
「ああ~……」
精霊の中でも白虎の一族は出産直後の母親が非常に凶暴化し、子の父親だろうと近付けば殺されそうになることもあるらしい。そんな話を聞いてエレンは頭を抱えた。
考えてみれば精霊という種族は様々な特性を持ち、それこそ千差万別といっていいほどに性格が変わっている。
そのせいで相手を理解できず衝突することもしばしばあり、その仲裁をするために精霊城の騎士である霊牙が存在するのだ。
凶暴化している霊牙の総長を止められる者がいるのだろうか?
ヴェルクの問題行動は今に始まった事ではないとはいえ、今回ばかりは相手が悪すぎる。
(でも父様が向かってるなら私は口を出さない方がいいよね……?)
いや、しかしあのロヴェルがちゃんとアウストル達を止めるだろうか? 「落ち着け筋肉」などと言って、余計に怒りを煽りそうである。
ヴェルクをお説教するにしても、ロヴェルは己の子であるにも拘わらず双子に対してどこか淡泊な所があった。
ロヴェルと顔が似過ぎているせいか、自分に注意しているみたいでやりにくいとは聞いたことはあったが……。
色々と思うことが湧き起こってしまって、アウストルの出産のお祝いごとが、頭からすっかり吹っ飛んでしまった。
しかし、近付いてきていた爆発音がついに地響きへと変わる。そこでようやく、エレンはある事を思い出した。
「あっ!」
「エレンちゃん?」
急に顔を上げたエレンは、先ほどまでうんうんと考え込んでいた表情を一変させた。
「母様、ちょっと行ってきます!」
「え? エレンちゃん!」
急に転移して消えたエレンに驚いたが、オリジンはすぐに水鏡を覗き込んだ。
そこには獣化した状態のアウストルが怒号を浴びせながらヴェルクを追い掛け回していた。少し遠くでロヴェルがやる気なさそうに追い掛けて来ており、ヴィントはなぜか『愛しのアウストルゥ~!』と泣き叫びながら後に続いていた。
そんな状態の場所に向かって叫ぶエレンの姿があった。
『こらぁ~! アミュエルがお昼寝から起きちゃうでしょう!? やめなさ~い!』
「あら……アミュちゃんお昼寝中だったのね……」
母は強しというべきか、ヴェルクに一発物理的に雷をお見舞いしたエレン。
逃げ続けていたヴェルクが雷に驚いて止まった瞬間、エレンがこう言い放った。
『アウストル! ヴェルクは改めて後で寄こしますから今は安静に! 赤ちゃんが一人になっていますよ!!』
『チッ、クソ!! 姫さん、ぜってーこのクソガキ後で寄こせよッ!』
『はい』
『ねーさまっ!?』
『ヴェルク、ちょっとこっちにいらっしゃい!』
水鏡の向こうでは、そんなやり取りが行われていた。
「あら~……。やっぱりエレンちゃんは最強ねぇ」
くすくす笑うオリジン。その後、すぐに帰ってきたエレンはこんこんとヴェルクにお説教をしていた。
その間、疲れ果ててぐったりしていたロヴェルを甘やかすのにオリジンは忙しかった。
*
そんな騒動から約三年の月日が流れる。
時折、アウストルとヴェルクの攻防戦が行われていたが、そんなに早く会いたいならばとアウストルが折れてくれて、無事対面が果たされた。
しかしこの初お披露目場にヴェルクは連れて来ていない。なぜならば暴走して邪魔しかしないからだ。
「アミュ、今日はお友達を連れてきたよ」
そう言いながらエレンが紹介してきた相手に、アミュエルは目を見開いた。
「うぎゃあ~」
姿に似合わないダミ声を発しながら、よちよちと歩く白虎の子虎は一直線にアミュエルの下へと向かい、片手をポンッとアミュエルの膝に置いた。
アミュエルよりも遙かに小さい動くもふもふに、アミュエルは一瞬でとりこになる。
「きゃわいい……」
五歳のアミュエルは内気で喋ることがまだまだ苦手ではあるが、しっかりとエレンの血を受け継いでいるらしく、もふもふに目がなかった。
「この子はリュフトヒェン。リュヒって呼んであげてね」
「ぎゃあ~」
リュフトヒェンが片手を上げてアミュエルに挨拶をすると、頬を赤らめながらアミュエルが子虎のリュヒをきゅっと抱きしめた。
優しい気質の二人の相性はとても良いようで、エレン達もホッとする。
「うちの子リュヒちゃんは可愛いでしょう~? 可愛いでしょう~~? あーぎゃわいい!!」
暴走気味のヴィントに邪魔をするなとロヴェルが呆れながら窘めている横で、いつの間にやってきたのかヴェルクが両手を広げて言った。
「さあ、もうリュヒを返しておくれ。その子は僕の婚約者なんだ」
突然現れた優しい笑顔のヴェルクに、エレン達がぎょっとした。
「ヴェルク!? どうしてここが?」
「酷いよ、ねーさま。リュヒのお披露目を僕に教えてくれないなんて」
「貴方はダメだと言っても毎日会いに行ってるでしょう?」
「それが婚約者の務めさ」
そんな会話を見ていたアミュエルは、黙って首を横に振った。
「いや…」
「ぎゅ~」
心なしか、リュフトヒェンもアミュエルにしがみついている。しかし、邪魔をするなと言わんばかりにリュフトヒェンの尻尾がヴェルクに向かってシッシッと追い払おうとしているように見えた。
「お前、こいつに嫌がられていないか?」
ロヴェルがきっぱり言うが、ヴェルクはどこ吹く風だ。
「とーさまと違ってそんな事などあり得ません」
「どういう意味だ。というか、お前あの駄女神から何か貰ってるだろう」
ピタッと動きを止めるヴェルクは、まだまだ隠し事が苦手なんだと察する。
「それが何か問題でも?」
「分かったぞ。お前、あいつらから携帯型の水鏡を貰ってこのチビを追いかけ回しているな?」
ロヴェルの発言に、周囲の者達はギョッとなった。
「えっ! ヴェルク、いけませんよ!」
いち早くエレンが怒るが、ヴェルクは開き直ったのか堂々としている。
「じゃあなぜかーさまは水鏡で見ても良いのですか?」
「わたくしは世界を見守って管理するのがお仕事だからよぉ~。個人を追い回す趣味は……あ、ロヴェルは別ね!」
「俺は良いんだよ、同意しているからな。このチビは理解するのも無理だろうが」
「ヴェルク、リュヒに嫌われますよ」
「えっ」
かなり動揺したらしく、ビクッと肩が跳ねた瞬間、懐から何か転がり落ちた。やはり携帯型の水鏡を貰っていたようだ。
「お坊ちゃま……これは没収します!」
「なぜだヴィント!」
「駄目です! 私は父親としてリュヒを守る立場ですからね! こそこそと見ているなんて恥を知りなさい!」
ぷりぷりと怒るヴィントにヴェルクはぎゃあぎゃあと抗議する。
「お前だってそれを使ってアウストルを見る気だろう!」
「ギクッ!」
「どっちもどっちだな、お前達……」
誠実はどこにいったんだとロヴェルは呆れていた。
「まだ幼いから、誠実が湾曲してリュヒを見守る事に全振りしているんでしょう……。あ、ということは、サティア!」
「やだわ、ねーさま。わたくし持ってないわよ」
「……本当に?」
「そうよ。わたくしは直接この目でカイを見て触れたいもの。あんなもの邪道よ!」
「こっちはこっちで問題あるな……本当に誰に似たんだ」
「本当に正直……。……サティアは父様ですね」
「ん? じゃあヴェルクはオーリか? ……確かに言われてみれば」
双子の行動に頭を抱えている大人達を余所に、アミュエルとリュフトヒェンはお互いを見つめ合い、ニコッと笑った。
「よろちく……」
「ぎょあ~」
未来の相棒に出会った二人は常に一緒にいるようになり、これはこれで周囲の大人達を振り回すことになるのであった。
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