聖女の魔力は万能です/橘由華

  <異国の花>



 異国ザイデラから来た皇子――テンユウ殿下から留学時に行った視察のお礼として薬用植物研究所にザイデラの薬用植物の種や苗が贈られた。

 それらの贈り物が薬草に目がない研究員さん達を熱狂の渦に巻き込んだのは記憶に新しい。

 そして現在、研究員さん達は贈られた種や苗を研究所の薬草園で大事に育てている。

 斯く言う私もその一人だ。


「それは菊だろうか?」


 薬草園の一角で鉢に植えられた小菊に水を遣っていると、隣で見ていた団長さんに問い掛けられた。

 研究所の職員でもない団長さんがここにいるのは、今日も息抜きがてら所長に書類を届けに来た足で私の顔を見に来たようだ。

 恥ずかしながら、婚約者の御機嫌伺いというものらしい。

 まぁ、恥ずかしいだけじゃないけどね。

 会えて嬉しいのは、きっとお互い様だ。


「よく分かりましたね」

「葉の形が家にある物と似ていたからな」

「家というと……」

「王都の屋敷だ。義姉が育てているんだ」

「なるほど」


 義姉とは、軍務大臣である長男の奥様――エルフリーデ様か。

 いつかお会いした儚げ美人の姿が脳裏に浮かぶ。


「エルフリーデ様も育てているなんて、本当に流行ってるんですね」


 御婦人というか、貴族の趣味として植物の栽培は珍しい部類だ。

 エルフリーデ様とはまだあまり話したことはないけど、パッと見は極々一般的な貴族の御婦人のように見えた。

 彼女が菊を育てているなんて意外だ。

 やはりザイデラの物が流行っているからだろうか?


 そう。

 現在スランタニア王国では空前のザイデラブームが起こっていた。

 もちろん、きっかけはテンユウ殿下の留学だ。


 テンユウ殿下が帰国されてから、ザイデラから色々なものがスランタニア王国に輸入されるようになった。

 恐らく、視察の際にテンユウ殿下から話を聞いた誰かが販路を開拓したのだろう。

 私がオーナーとなっている商会も一役担ったかもしれない。


 ザイデラから入ってきたものには、最初に私が飛び付いた食材や料理だけでなく、家具や陶磁器、壁紙や衣装等もあった。

 植物もその一つだ。


 珍しい物好きな貴族をターゲットとしていたからか、輸入された植物は観賞用の花を付ける品種が多かった。

 豪華絢爛な佇まいが貴族達に受けると商人達が睨んだからだろう。

 実際に、華やかで異国情緒溢れる花々は貴族達のお眼鏡に適ったようで、育てた花を髪飾りの代わりに使った御婦人もいたと聞いている。


「あぁ。もしかしたら、今度行く展覧会に義姉上も来られるかもしれないな」

「そうなんですね」


 私の言葉を受けて、団長さんが思い出したように口を開いた。

 展覧会というのは、今度とある伯爵家で開かれる菊の展覧会のことだ。


 くだんの家の当主である伯爵様は、以前は薔薇の育成を趣味にしていることで有名だった方だ。

 品種改良にまで手を出しているほどの趣味人だったとか。

 そんな方がザイデラから入ってきた菊にはまったらしい。

 既にザイデラで色々な品種が生み出されている菊だけど、スランタニア王国固有の種を生み出したいと情熱を燃やしているという噂だ。


 その伯爵家で菊の展覧会が開かれることになったのは、私の言が原因だという話だ。

 伯爵家の人達と面識はないんだけどね。

 どこからか、【聖女】様の故郷では菊の展覧会が行われていたらしいという話が伯爵様に伝わったらしい。

 そして、どこがどうなってそうなったのかはさっぱり分からないけど、菊育成の第一人者(自称?)である伯爵様がスランタニア王国初の菊の展覧会を開催することになったそうだ。


 菊の展覧会の話は、確かにした覚えがある。

 子供の頃に近所の神社で菊の展覧会が行われていて、それは見事な菊達が飾られていたのだ。 

 その話をしたはずだ。

 ただ、どこで話をしたのかは覚えていない。

 研究所だったか、王宮でだったか……。

 まぁ、いい。


「伯爵様が育てているだけでも色々な種類があるそうですから、エルフリーデ様も楽しみにしてらっしゃいそうですね」

「セイも楽しみ?」

「もちろん! 薬用でも観賞用でも綺麗な花を見れるのは楽しみです」


 その展覧会だけど、社交嫌いの私もお忍びで訪れる予定だ。

 主催者である伯爵様は知っているけど、その他の招待客には私が来ることは秘されている。


 国王陛下にお願いして、普段はお茶会や夜会のお誘いは断ってもらってるのにいいのかって?

 一応、陛下と宰相様にお伺いを立てて、許可をもらった上での参加だ。

 やっぱり、色々な花、それも菊が見られるとなると気になってしまって……。

 ダブルスタンダードになってしまうのは非常に申し訳ないのだけど、そこは私が植物馬鹿だからってことでお許し願いたい。


「そうか、菊を見るのが楽しみか……」


 展覧会に行くことを快く許可してくれた陛下と宰相様だけど、無理を通してしまったかな?

 再度内心で申し訳なく思っていると、団長さんが意味深に呟いた。


「どうしました?」

「私はセイと出掛けるのが楽しみなんだが」

「!!!」


 気になって問い掛けたのは、間違いだったかもしれない。

 返ってきた答えに絶句する。

 そんなにストレートに言われましても!?


 あわあわとする私を見て、団長さんはイタズラが成功したかのように微笑んだ。

 きっと確信犯だ。

 私が恥ずかしくて返せなくなることを分かってて、言ってますね?

 ちくしょうっ!


「私も、楽しみですよ?」


 小さく小さく……。

 本当に小さな声だったけど、団長さんの耳には届いたらしい。

 私の呟きの後、団長さんはこちらを見て、嬉しそうに笑みを深めた。



 ◆



 展覧会の日。

 王宮で身支度を調え、迎えに来た団長さんと共に馬車に乗って会場に向かった。

 車窓から見上げる空には雲一つなく、とても気持ちのいい天気で絶好の展覧会日和だ。


 伯爵家の屋敷に着いたときには、展覧会は既に始まっていた。

 正式に参加するなら開始前に到着する必要があったけど、今日はお忍びだ。

 開始後の到着は予定通りである。


 執事さんに案内された庭では、参加者が銘々テントの下に飾られている菊達を見て歓談に耽っていた。

 ここが展覧会の会場のようだ。


 まずは主催者に挨拶をせねばと、団長さんにエスコートされながら伯爵様の元へ向かう。

 社交の場ということで今日はドレスを着ていた。

 更にお忍びということで、髪色を隠すために髪は纏めて、つば広の帽子を被っている。

 もっともエスコートをしている人がしている人なので、全く隠し切れていないんだけどね。

 後から入ってきた参加者がいることに気付いて、こちらを見たであろう人達がざわめく声が聞こえてきたもの。

 それでも声を掛けてくる人がいないのは、入場したタイミングと格好からお忍びであることが分かるからだろう。


 挨拶をした後は、伯爵様が飾られている菊について説明してくれた。

 菊は研究所にある物と同じく、ザイデラから輸入した種から育てたそうだ。


 見栄えがいいからか、飾られている菊は花が大きな大菊のみだった。

 記憶にあるよりも花が小さく感じられるのは、技術がまだまだ発展途上だからだろうか?

 けれども、品種は色々あるようで、花弁が幅広で花芯の中央に向けて鱗状に盛り上がっている物もあれば、まっすぐ細長く下に垂れ下がっている物もある。

 色も白や黄色だけでなく、赤や橙色の物もあった。

 ザイデラでは品種改良が進んでいるだけあり、種類が豊富だ。


 伯爵様はスランタニア王国固有の品種を生み出したいと熱く語っていたが、ここからどのような見た目の品種が生まれるのか?

 伯爵様の熱い思いを聞きながら、少し楽しみに思った。


 暫く会話して、話が一区切りついたところで伯爵様とは別れた。

 いつまでも主催者を独占している訳にはいかない。

 その後は団長さんと二人で菊を眺めながら、あれこれと話していた。


 そろそろ王宮に戻ろうかと話し、互いに踵を返したところで向こう側に見知った姿を見つけた。

 団長さんの兄で軍務大臣のヨーゼフ様と、その夫人であるエルフリーデ様だ。

 声を掛けてもいいだろうかと団長さんを見上げると、団長さんは頷いて、ヨーゼフ様に声を掛けた。


 声で気付いたお二人は私達の所まで来ると軽く挨拶をしてくれたので、こちらも同じように返す。

 公式の場で会ったときのように仰々しくしないのは、こちらがお忍びであることを察してくれているからだろう。


「お前も来ていたのだな」

「兄上こそ。珍しいですね」

「フリーデにせがまれてな」


 挨拶を終えて、ヨーゼフ様が口を開いた。

 ヨーゼフ様の口ぶりでは、団長さんと以前話したようにエルフリーデ様に誘われて共に来られたようだった。


「あら。偶にはよろしいでしょう? いつもお忙しくて御一緒できないのですから」

「もちろんだよ」


 ヨーゼフ様の言葉に対して、エルフリーデ様が少しだけ口を尖らせる。

 返すヨーゼフ様の視線は甘い。

 とても甘い。

 仲いいなー。

 お二人の仲の良さが滲み出る会話に思わずニッコリ。


 そのまま話を聞くと、お二人は展覧会の開始から参加されていたらしい。

 エルフリーデ様は展示されている菊の素晴らしさを語り、自分でも育てていると話された。

 中々の熱量に、私もつい色々と語りそうになったのは研究員のさがだろう。

 とはいえ、あまり長話をするのはまずいので、今度改めてお茶をしようとお誘いしたら快く頷いてくださった。


「お茶会とても楽しみですわ」

「私も楽しみです。あ、でも二人だけになるかもしれませんけど」

「構いませんわ! 菊について二人で色々とお話しましょう!」

「なら、お菓子やお茶は菊の節句にちなんだ物を用意しますね」

「菊のセックですか?」


 こちらから誘ったのだから、お茶会は私が主催した方がいいだろう。

 話ながらそう判断し、菊について話す会にしようとなったところで、頭の中に「菊の節句」という単語が浮かんだ。


 菊の節句とは、またの名を重陽の節句と言う。

 元の世界の暦では九月九日が、その日に当たる。


 少なくともスランタニア王国には、そういった日はないようで、「節句」という単語は通じなかった。

 私もあまりよく知らないんだけど、首を傾げるエルフリーデ様には季節の節目をお祝いする日だと説明する。


 菊の節句には無病息災や長寿を願って菊酒を飲んだり、栗御飯を食べたりするのだけど、どちらもお茶会にはそぐわない。

 お茶会に合わせるなら菊茶や栗のパウンドケーキがいいだろうか?

 考えたことを提案すると、エルフリーデ様は嬉しそうに頷いた。


「二人だけのお茶会か。少し寂しいな?」

「いえ、そのようなことは……」

「寂しいだろう?」


 私とエルフリーデ様の遣り取りを微笑ましそうに聞いていたヨーゼフ様が団長さんに問い掛けた。

 団長さんは否定するものの、困ったような表情を浮かべ、どこか歯切れが悪い。

 その返答に、ヨーゼフ様はすかさず切り込んだ。

 あの表情……。

 揶揄ってますね?

 公の場では見たことがない、兄弟の貴重な光景に思わずエルフリーデ様と顔を見合わせて笑う。


 団長さんとヨーゼフ様も一緒なら、お茶会じゃなくて食事会の方が良さそうだ。

 食事会なら菊酒や栗御飯を出しても問題ない。

 でも、エルフリーデ様との菊の女子会も捨てがたい。

 そして、エルフリーデ様と相談した結果、お茶会も食事会もすることになったのだった。

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