鍛冶屋ではじめる異世界スローライフ/たままる
<学園の九不思議ではじめる異世界スローライフ>
「九不思議? 七不思議じゃなくてか」
夕暮れ迫る学園の用務員室で、作業台に向かって椅子の修理をしていた目つきの悪い用務員の男性――名前をエイゾウと言った――は、作業をしている手を一時止め、振り返ってそう言った。
椅子に座って彼の作業を眺めていた虎の獣人である少女は頷く。
「うん。こないだフレデリカにも聞いたけど、確かに9つあった」
フレデリカというのは、この学園で図書委員を務める女子学生である。全ての蔵書を把握しているという噂すらある。
エイゾウはそれが九不思議の1つじゃなかろうかと考えたが、すぐにそれを振り払う。
ともかく、文字通りの生き字引であるフレデリカが請け合うなら確かなのだろうとエイゾウは思った。
「7つなら俺も自分が通っていた学校で聞いたことがあるがなぁ」
自分がいた前の世界の、という前提をエイゾウは語らなかった。
「ちなみに、9つはなにとなにがあるんだ? サーミャ」
エイゾウが尋ねると、サーミャと呼ばれた少女は虚空を見上げ、指折り数える。
「まず1つは真夜中に図書室から『1冊足りない』って声が聞こえるやつ」
「それ、フレデリカ嬢じゃないのか?」
「アタシもそう思ったけど、違うって本人が言ってた。で、誰もいない音楽室から聞こえるリュートの音」
「リュートなのか。いや、そうか」
エイゾウにとって馴染み深いのはピアノのほうだが、この世界にはまだピアノがない。
前の世界でピアノの原型と言われることもある、クラヴィコードのほうなら存在するのだが、そっちはそっちでこの学園にはまだないことをエイゾウは思い出し、九不思議に出てくる楽器がリュートであることに納得した。
「ええと、それと柱時計が真夜中2時を指すと、学校の姿が一瞬だけ過去の姿に戻る」
「柱時計って俺が修理したやつじゃないか?」
エイゾウは以前に生徒達から「魔王様」と渾名される学園長に頼まれて柱時計を修理したことがある。
サーミャは頷いて肯定する。
「うん。たぶんそうだな。他にはないし」
「あれにそんな不思議な力が?」
「さあ? ともかく、そう言われてる」
柱時計は修理できなかったのではなく、しなかった可能性にエイゾウは思い至るが、今そこを考えても結論は出ないなと思い直す。
「ふうん。他の6つは?」
「ある手順を踏んでから学園の屋根に行くと、未来の自分に会える」
「ある手順って?」
「さあ? そこまではフレデリカも知らなかった」
「まあ、普通に屋根に行くだけでそれが起きるなら、しょっちゅう起きるだろうしな」
エイゾウは苦笑した。誰かさんが考えた不思議だとして、その誰かさんは手順までは考えなかったらしい。
「あとは……。夜中に廊下を歩くと足音だけがついてくる」
「お、それっぽくなったな」
ただの反響っぽいなとエイゾウは思ったが、言わずにおいた。
サーミャは続けて言った。
「それから、旧校舎の倉庫に入ると、時々別の場所や時代に飛ばされる」
エイゾウは眉をひそめた。
「旧校舎? この学園に旧校舎なんてあったか?」
「ないよ」
サーミャはそう言ってにやりと笑う。
「だから不思議なんだって」
「まったく、誰が考えたんだか」
「あとは……」
サーミャは再び指を折りながら数え上げた。
「放課後の美術室で、絵の中の人物が動いて見えるのと、誰も使っていない教室のチョークで、夜な夜な未来の予言が書かれる」
「予言のほうは面白そうだな。当たるのか?」
エイゾウはワクワクしながら聞いたが、サーミャは肩をすくめた。
「さあ? 見た人がいないから、真偽のほどは分からないって」
「じゃあなんでそんな不思議が……。ま、そういうもんっちゃそういうもんだが」
エイゾウは苦笑した。不思議を9つも考えると雑になるのは仕方ないのだろう。
「で、最後の一つは?」
「最後は……なんだったかな」
サーミャは少し考え込んだ。そこへガラリと音を立てて用務員室の扉が開く。
そこには生徒会長の妹、ディアナの姿があった。
「あら、お取り込み中だったかしら」
「いや? 今は七不思議……じゃなかった九不思議について聞きながら、椅子を修理してたとこだよ」
「ああ、そうなのね」
「ディアナは何か用事か?」
椅子を修理する作業に戻りつつエイゾウが尋ねると、ディアナは頭を横に振った。
「いいえ。私もサーミャと似たようなものよ。で、どれを話したの?」
サーミャがディアナにこれまで話してきた8つについて答えると、腕を組んだ。
「んー、あ、そうだ。魔法実験室の髑髏の模型が夜中に廊下を歩き回っているって話よ」
エイゾウは作業を完全に止め、真剣な眼差しでディアナをじっと見た。
「おい、それ本当か?」
エイゾウの様子にサーミャは首を傾げた。
「他と違ってえらく食いつくな」
ディアナもキョトンとした顔をしていて、それに気づいたエイゾウは咳払いをした。
「いや、俺が前にいた学園にも似た話があったなぁと思って」
これは嘘であった。エイゾウは先日、所用で夜遅くに学園を巡回していた際、それらしき影を廊下で見かけていたのだ。
その時は疲れているせいだと思い込んでいたが。
「ふーん」
サーミャは怪訝そうな顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
エイゾウは話題を変えようと、ディアナに尋ねる。
「そういえば、九不思議について、学園長は何か言ってるのか?」
ディアナは首を横に振った。
「特に何も。むしろ楽しんでるみたい」
「そうか」
エイゾウは椅子の修理を再開しながら呟いた。
「まあ、あの人なら納得だな」
エイゾウは割と豪快なところがあるからな、あの女史は、とは口に出さなかった。虎の尾を踏むような真似はしたくない。
そうして、少しの間、部屋には椅子を修理する音と、サーミャとディアナがおしゃべりに興じる声が響く。
ややあって、ディアナが静かな声でエイゾウに呼びかけた。
「ねえ、エイゾウ」
「ん?」
「九不思議、本当だと思う?」
エイゾウは手を止め、真剣な表情でディアナを見て言う。
「どうだろうなぁ、分からない」
「えっ、あんたが分からないのか?」
サーミャが少し驚いた様子で言った。ディアナも僅かばかり怪訝そうな顔をしている。
それを見て、エイゾウは苦笑した。
「俺だって何でも知ってるわけじゃない。それに……」
彼は言葉を選びながら続けた。
「この世界には、まだ説明のつかないことがたくさんある。俺たちが『不思議』だと思うことの中には、本当は何か理由があるのかもしれない」
サーミャとディアナは静かに頷いた。
「なるほどな」
「そっか……」
エイゾウは椅子の修理を終え、立ち上がった。
「よし、出来た。そろそろ帰るぞ」
座っていたサーミャもディアナも立ち上がり、エイゾウの先に用務員室を出た。
あたりは夕暮れから少し宵闇が近づきある。3人は校舎を横目に、学園内の道を歩く。
「なあ」
そんな中、サーミャが小声で言った。
「もし本当に髑髏が歩いてたら、どうする?」
エイゾウは笑った。
「そんなことがあったら……まあ、挨拶くらいはするさ」
サーミャは呆れ、ディアナが感心したような顔をしたあと、すぐに笑い声に変わった。
3人が学園の出口に着くと、宵闇がすぐ側まで近づいてきていた。
「じゃあ、2人ともまた明日な」
「うん、また」
「さようなら」
サーミャとディアナはエイゾウに手を振って家路についていく。
エイゾウは2人の姿が見えなくなるまで見送ると、最後にもう一度学園を振り返った。
その時、エイゾウの目に何かが映った。窓際に人影が……それは髑髏の形をしていたような?
エイゾウは目を擦り、もう一度見た。しかし、その影はもう消えていた。
「まさか……」
エイゾウは首を振った。
「いや、疲れてるんだな」
彼はそう言い聞かせ、家路につこうとした。
しかし、どこか心の奥で、今見たものは本当に疲れのせいだったのか、という疑問が残っていた。
九不思議の真相は、まだ誰にも分からない。
そして、それこそが学園の魅力の一つなのかもしれない。エイゾウはそんなことを考えながら、静かに家路を急ぐのだった。
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