IMITATIONな奴ら 改編

弘田宜蒼

元号=改編

 平成も来年で終わりとなる、2018年8月下旬の土曜日の22時。放送作家事務所<レッドマウンテン>の休憩エリアのテレビで、お笑いコンビ、高速ラインNEO(高ネオ)の新たな冠(番組)『高ネオ STREET』のオンエアをチェックしていた。

 プライムタイム(19時〜23時)の番組が低視聴率により今月中旬で打ち切りとなり、急遽新たにスタッフが招集されてバタバタとロケとスタジオ収録が行われ、今夜が初回となる。

 レギュラーは高ネオの安在政高と多田夕起を筆頭に、同じくお笑いコンビのオクシデンタルリズム(オクリズ)の大政功希と飯田孝秋、昨今はバラエティのみならず、俳優業の仕事も増え始めてマルチに活躍している、KAORIの5名。これから企画内容や回によって芸人や役者をゲストとして招く予定ではあるのだが……。

 高速ラインNEOの売りは漫才で、2人揃ってネタが作れる稀有なコンビである。多田の作るネタは正統派な漫才なのだが、安在が作る漫才は動きが入っていてコントチックなのが特徴だ。

 だが、同学年だが後輩のオクシデンタルリズムの方が先に台頭し、オクリズの方が先に冠を任せられ、高ネオが彼らの番組にゲストやレギュラー出演していた。高ネオにしてみれば屈辱的だっただろうが、長年二番煎じでブームを知らない、地道に活動して来た苦労を重ねたコンビだ。

 しかしオクリズの番組は低視聴率により次々と終了して行き、今や形勢が逆転した。

 


 画面には『高ネオ STREET』とバックは黒、ロゴは赤で表示され、テーマ曲と共に高ネオの2人が映し出された後は、オクリズの2人がTTH(東京テレビ放送)正面玄関で、『仮面ライダー』のショッカー風の全身黒タイツの姿の男達にボコボコにされる。

 そこにKAORIが現れ、ショッカー風の男達を薙倒しオクリズは拍手を贈りKAORIはカメラに向かってドヤ顔で決めポーズ。

 メンバー紹介が終わった所で最後に5人全員が白バックの前に立ち、オープニングは終了。初回はこんな感じ。

「何? 高ネオの新番?」

 社長の陣内美貴がオフィスエリアから現れた。

「ええ。ちょっと気になったんで。初回ですしね」

「そうか、今夜からだったんだ」

 社長もオレの右隣の椅子に座ってテレビを観始める。

「さあ、今日から装いも新たにスタートします『高ネオ STREET』、ではありますけども、多田は腰痛を悪くしましてスタジオはお休みです」

 安在が苦笑いで告げた。

「初回でしょ? 今日」

「タイミング悪過ぎ」

「何で今日に限ってメインが1人いないの」

 オクリズの大政と飯田、KAORIも苦笑。

 その発言に「演出」として女性の笑い声が挿入される。だがスタジオには観客はいない。

「まあ今日は4人でVTRを観ましょう。ⅤTRには多田も出演してますから」

 安在は諦めモード、になるしかなく進行。多田の腰痛改善まで待っている時間などない程、番組立上げは急でオンエアまで時間がなかった。

「社長」

「何?」

「今回の番組も多分長続きしないでしょうね」

 座ったまま伸びをしながらぼやいてしまう。

「またそんな事言って、出演者が1人休んだからってどうなるか解らないよ」

 陣内社長はツッコミながらオレの肩に手を置く。お互い無表情で。視聴者の中には笑っている人もいるかもしれないが、作り手としては何とも後味の悪いスタートだ。

「でもメインですからね。まあ確かに先の事は解りませんけど」

 


第1回目のVTRのテーマは、『繁盛しているけど気になる!? 店』。ユニークな店主がいるラーメン店とお好焼店へ、レギュラーの5名はロケに出た。

「今日は二軒のお店に行きますが、食事だけじゃなくてツッコミどころ満載な店だそうです」

「味は一番だけど面白いんだろうね」

 元気な多田が相方にプレッシャーを掛ける。

「見たら直ぐに分かります」

 安在の進行で5名はロケバスに乗り込む。

『5人が向かう先は、東京・世田谷区内にあるラーメン店。その「気になる!?」ラーメンとは一体?』

 女性のナレーション。この声、聞覚えがある。別に売れっ子ではない。でも忘れたくても忘れられない声。

 気を取直してテレビに集中。ラーメン店は十二畳くらいはある屋台なのだが……。

「じゃあ皆注文して」

 安在の言葉で、

「オレ豚骨ラーメンの麺多目で」

「じゃあオレも」

多田と大政が注文し、

「オレはチャーシュー麺で良いや」

「私は普通の豚骨ラーメンをください」

飯田とKAORIも注文する。

「はいよ!」

 威勢の良い店主の掛け声。ここまでは普通。だが麺が茹で上がると……。

「さあここからが見物だよ」

 安在の言葉通り店主は麺が入ったザルを持って店外へ。

「何処行くの親父さん」

 飯田が問掛けるが店主は5メートルくらい離れた道路へと走る。一旦立止り今度は少し早く助走をつけて店の方へと戻って来ると、厨房の手前で「はーい!!」と掛け声を出して麺を上げる。

 が、

「ちょっと零れちゃってるよ!」

多田がツッコまずにはいられない程、湯切りのパフォーマンスが豪快というのか、雑。だが店主は……。

「はい、豚骨ラーメン麺大盛り!」

 全く意に介さず。

「何か大盛りじゃなくて普通になってると思うんだけど」

「それはもう客の自己責任だよ。基本的に麺は継ぎ足しはしないから。うち」

「客のせいにするんなら普通に湯切りしてよ! 親父さん」

 大政の不服にも、

「でも面白いサービスだったでしょ、あれ」

店主には柳に風。

「確かに面白いかもしれないけどさあ……」

「早く食べないと麺が伸びちゃうよ」

「逆に伸ばしてえわ!」

 店主と大政との不毛なやり取り。

「所で親父さん、もっと凄い湯切りがあるんですよね?」

「あれ、見たいかい」

 安在の問掛けに店主の顔は綻ぶ。

「さっきのより凄かったら麺なくなっちゃうんじゃないの?」

 飯田の予想は如何に。

 店主は麺を湯がき終えるとザルに取りまた店外へ。

「ちょっと今度は距離長くない?」

 KAORIは笑ってしまう。さっきよりかは10メートル程長い。そして店主は走り出す。

「遅いよ親父さーん!」

「遅いよ!」

 飯田と大村のツッコミに「はあはあ」言いながら走る店主。そして……。

「はーい!!」

 ザルから麺を上げて零れる、麵。地面に飛散する、麵。半分以上は零れた。それでも店主は、

「はい、チャーシュー麺お待ち!」

「チャーシュー汁じゃねえかよ、これ!」

意に介さない店主とやっぱり不服な飯田。

「麺が殆どないじゃん。親父さん!」

「だから客の自己責任なんだよ」

 店主は笑顔で不毛なやり取り再び……。

「私は普通に湯切り、お願いします」

「じゃあオレも普通の湯切りで豚骨ラーメン」

「何だよ、KAORIちゃんも安在も」

 多田は澄まし顔で注文する2人に大いに不満。

「もうパフォーマンスは十分楽しませて貰ったから」

「そうだね。面白かったじゃん」

「あんたらだけ普通に食えるってどういう事だよ!?」

 大政も合点が行かない表情。

「はい、豚骨ラーメンお待ち!」

「わあ、美味しそう」

 KAORIの率直な感想。に対し、

「親父さんも普通に持ってくんなよ!」

飯田もツッコミ、オクリズの魂からの叫び。

 KAORIも安在も普通に食事をし終えた所で、

「では多田さん、このラーメン店の湯切りパフォーマンス、点数を付けるとしたら何点でしょう」

安在が振る。

「まあ親父さんのキャラも湯切りもユニークで面白かったから、86点かな?」

「おめでとうございます、親父さん! 86点だそうです」

「楽しんで貰えたならありがたいね」

 店主は破顔し、一軒目は終了。

『次に一行が向かう気になる!? 店とは?』

 また「耳障り」なナレーションが入る。



 二軒目は墨田区内にある広島風お好焼店。

「ここは巨大お好焼が有名なんです。女将さん、早速お願いします」

「はい、ちょっと待ってて」

 女将は安在に言われた通り巨大お好焼の調理に取掛る。

 まずは生地を焼き、それから豚バラ六枚に焼きそばと焼いて行くがここまでは普通。

「確かにデカいね。1メートルくらいあんじゃない」

 大政が味よりも巨大さに興味を示す。

 次に女将は生地の上に大量のキャベツと焼きそば、豚バラを乗せて焼いて行くのだが……。

「ああ、良い香りがして来た」

 KAORIが感想を述べた刹那、女将は二つのフライ返しを使い、生地をひっくり返した。のではあるが……。

「ちょっと女将さん、それ正解なの!?」

「ダイナミックではあったけど」

 大政とKAORIを含め全員が苦笑して目にした光景は、大量に飛散するキャベツ。床にもキャベツの山。

「これで良いの。私はずっとこのやり方でやって来たんだから」

 この手の店主は皆意に介さず、柳に風なのか?

 そして上に乗せる生地を焼き、ソースを塗って卵を二つ焼き、その上に乗せた所で、巨大お好焼は完成。誰が見ても飛散した大量のキャベツは勿体ないと思う事だろうけど……。

「さっきはびっくりしたけど、味は旨い」

「うん。あれだけキャベツを乗せたら飛び散って当たり前だけど、これでも十分だね」

「広島風のお好焼って久しぶりに食べたけど、味は保証出来ますよ」

 多田、飯田と満足に食し、KAORIが視聴者に呼び掛けた。

 出演者一様が食べ終えた所で、

「じゃあ多田さん、ここの女将さんのお好焼の返しのダイナミックなパフォーマンスは何点か」

相方の問掛けに、

「さっきのラーメンもそうだったけど、味は良いんだよね。甲乙付けがたいなあ……90点だな」

「おめでとうございます。90点だそうです!」

「まあ、私はパフォーマンスのつもりじゃないけど、ありがとうございます」

 女将が破顔した所でロケ企画は終了。

 二軒の店主とも最後は破顔してくれてはいたが、自分の店に点数を付けられる。幾ら形式とはいえ、「芸能人が何様だ!」と言われんばかりの企画だ。

 画面はスタジオへと切替わり、出演者達の感想、というか座談会のような模様を流した後、

『さて次週は?』

またナレーションが入り、エンドロールと共にゲストの宣材写真を流し企画内容を紹介する。



 エンドロールの構成の欄に「中山裕介」の名前はあった。そして忘れられない声のナレーションの欄には、やはり、「早稲田望」という名前……。オレにとっては因縁の相手。見ただけ、聞いただけで虫唾が走る。

「初回にしては、中々面白いコンテンツだったと思うよ。まだ楽観視しちゃ駄目だろうけど、「コケる」心配はいらないんじゃない?」

「そうですかねえ……」

 私は彼の顔をじっと見ているけど、彼はテレビを観たまままた座って伸びをしている。こいつ、ガチで降板を考えてるんじゃ……正当な理由もなく降板されたんじゃ他の作家にも悪影響だし、冗談じゃない。

「社長」

「何?」

「この番組の構成、ちょっと再考させて貰っても良いですか」

 やっぱりそんな事を口に出しやがった。

「好きにすれば。その代り、スクールの講師に出て」

 「好きにすれば」っか。見限られたか? でも「その代わり」……そういやうちの事務所、一階のフロアで放送作家養成スクールも経営してるんだったな。オレは作家の仕事で多忙な為、一回も講師として出た事はない。

 番組を降板させるのは許可するけど、後進の指導に当たれ……いや、陣内美貴という人は降板させる気ゼロだな。そういう性質の人じゃないから。社長を見縊ってはならぬ。

 それに、仕事を途中で投出すのは放送作家である前に「社会人失格」だという事は自覚している。これでも。

 だが、オレの中で『高ネオ STREET』へのボルテージは下がった。やさぐれた作家がいては他のスタッフにも却って迷惑だ。

 そう思い、オレは一瞬の思念だけで、「本当に申し訳ないんだけど、今回の新番は降りたい」と下平希プロデューサー殿にメッセージを送った。

 直後から下平からは返信がバンバン届き、スマートフォンのバイブは止まらなかったが、翻意を翻させようとする内容だという事は予測が着くので、既読スルーにしていた。内容も、

『なんでそんなこと急に言い出すんだよ!』

とか案の定の内容だったし。

 

 

 下平希プロデューサー。制作プロダクション<プラン9>の社員。元ヤンキーにして元読者モデル出身という一風変わった経歴の持ち主。今回の『高ネオ STREET』からプロデューサーに昇進した。

 読モ時代はスナックやキャバクラでアルバイトをし、客がいない時は仲の良いスタッフとただ酒を飲んでいたという。そのせいで声はハスキーボイスで酒やけした感じ。

 だが元モデルはモデル。スタイルはスレンダーだし服装もおしゃれでアラサーとなった今でも『魔女の宅急便』のキキのような大きなリボンを付けたりしている、「プロデューサーらしからぬ」風采。歳も業界歴も1年先輩なのだが、初対面の時から「元ヤン読モ」「下平」と呼捨にしている。特に理由は、なし!



『高ネオ STREET』の構成会議は月曜日なのだが、オレは無論欠席し、木、金の収録にも行かなかった。陣内社長も「好きにすれば」の言葉通り、何の説教もしなければ咎めもしない。

途中で仕事を投出す事も、プロデューサーにメッセージだけで後は何の連絡もしない事も、無論初めてだ。

「中山君、今週の金曜日のスクールの授業に講師として出て貰うから」

「解りました」

 社長は睨む訳でも笑う訳でもなく、無表情で告げる。

 授業は19時からの2時間だ。他局で会議や打合せが入っているが、まあ間に合うだろう。

 そして金曜日の19時10分前、授業に出席する為、事務所に立寄った。

 陣内社長と共に1階のフロア内に入ると、7名の受講生は既に着席している。

「今回の講師は我が<レッドマウンテン>の稼頭でありホープである、中山裕介先生に授業を担当して貰います」

 笑顔で紹介する社長。何か、というか明らかに小っ恥ずかしい。

「その前に社長、この前道玄坂(渋谷区)のラブホに行ったでしょう?」

「行ってないよ! そんなとこ!」

 女性受講者が馴れ馴れしい口振りで陣内社長に話し掛け、社長は動揺しているのは明白。これは行ったな……。

「でも見てくれとか顔、社長さんに似てましたよ」

 もう1人馴れ馴れしい女性がいた。このスクールで、かは知らないが仲の良い2人なのだろうとは察する事は出来る。

「社長もヤル事はヤッてるんですね?」

「だから行ってないって言ってるでしょ!」

 オレも雰囲気に呑まれニヤリとしてしまい、陣内社長はガン飛ばす。

「私はラブホなんか行ってないからね! 社長をおちょくるような事言ってたらあんた達全員採用しないから!」

「えーっ!! それ権力の横暴じゃないですかあ」

「採用するかしないかは私が判断するの!」

 陣内社長の表情は無論仏頂面。むきになる事からして益々怪しい。  

 馴れ馴れしいのは女性2人だけかと思ったら、男性もいたか。他の受講生は皆笑いもせず見ているだけ。

「じゃあ中山先生、後は宜しく」

 社長は仏頂面のままキッとオレを睨むとパイプ椅子に座る。これ以上詮索するなよ! と目が言っている。解りましたよ。

「初めまして。我が<レッドマウンテン>のホープかどうかは解りませんが、陣内美貴社長からブーストされてる中山裕介です」

 受講生とは初対面なので、丁重に頭を下げた。

「別にブーストはしてないよ」

 陣内社長は澄まし顔で「フフンッ」と鼻で笑う。もう機嫌が直ったか? 瞬発力を求められる放送作家は気持ちの切替えが早い人が数多といる。

「ユースケ君、逢いたかったよ」

 いきなり「ユースケ君」はねえだろ。馴れ馴れしいにも程がある。

「えーっと、貴方は……奈木野淳子(あつこ)さん」

「淳子(じゅんこ)です。ナギジュンって呼んで良いから」

 強制的にあだ名で呼べってかい!

「ナギジュンさんはオレと同い歳。さっきの逢いたかったってどういう意味?」

「私の曾お爺ちゃんとユースケ君の曾お爺ちゃんが兄弟なの。だから私達三従兄妹」

「曾祖父って、ほぼ他人じゃん。でも何でオレが三従兄妹だって解ったの?」

「うちのお母さんが番組のエンドロールで「中山裕介」って見付けて、「何処かで聞いたような名前ね」って言って、ユースケ君のお母さんに電話したの。そしたらユースケ君のお母さんが「息子は放送作家をやってる」って返されたんだって」

「そうなんだ……」

 息子が不安定な放送作家という生業に就いているのを、未だに快く思っていないお袋さんがねえ……。

「まさかこんな所で親戚に逢えるなんてね。中山君、ある意味持ってる男」

 今度は陣内社長が悪戯っぽい顔。「持ってる」んじゃなくてこっちにしたらある意味「災難」だ。社長を無視して進める。

「それで、うちの事務所に入りたいって思ったんですか?」

「それもあるけど、私EXILEのファンで、メンバーの人に逢いたいなあって思ってるの」

「はあ?」

 嬉しそうな顔しやがって。逢えるって保証もないのに。

「それで逢えたらどうするの?」

「辞めちゃうかも」

 陣内社長の顔を一瞥する。笑みを浮かべているが、その反応は諦めか、呆れか、それとも両方かい?

「オレと同い歳で三従兄妹でEXILEに逢いたい。オメー何なの!?」

「オメーって事ないじゃん。私はガチでここに通ってるんだから。これでもね」

 ナギジュンはふざけて脹れっ面。「ガチ」なのはEXILEに逢いたいだけだろ?

「だって動機が不純じゃん」

「だから今まで派遣の仕事しかした事ない」

 EXILEに逢いたいと派遣の仕事に何か関連があるのか。不純だからアラサーになっても定職には就いていない……てか。

「まあ、放送作家も派遣みたいな生業だけどね」

 でも、ご自分が「不純」だとは自覚しておられるようで。多分、うちの事務所も不採用だろう。社長がこんな呆れる志望動機の奴を入れる訳がない。

「次は……重留一実(かずみ)さん」

「一実(ひとみ)です」

「失礼」

「一実ちゃん凄いんだよ。合コン千回も経験しててね」

 またナギジュン……入って来んなよ。動機も不純なら口数も不純。

「どんな人達と合コンするの?」

 別に全く以て興味はないけど、話の流れ上は致し方ない。

「弁護士とか会社役員とか、後、政治家秘書もいますよ!」

 声を弾ませやがって。だが今彼女が言った肩書が本当ならば、良いコネクションでパイプは太いな。

「そう。エリートばっかだね」

「ユースケさんの様な人ももっと合コンして欲しい。合コン盛り上げられる人は営業力もあるし、コネクションも増えます! きっと出世しますよ」

 目まで輝かせちゃって、オレの何を知っている? まあ、一理あるような気もするけど。とにかく楽しい人生を。

「ユースケさん、今日元気ですか!?」

「元気っていうか普通だけど」

「もっとテンション上げて行った方が良いですよ!」

 大きなお世話だよ! 好漢っぽくしてるけど、世間で言う「若者らしさ」をオレに求めて来んな!

「ええっと、君は川並……」

「光哉(こうや)です! ユースケさんも元気出して行きましょう!」

「はいはい、解った解った」

 こいつ正直疎ましい。でも目上の人達からはこれくらい灰汁が強い方が、一発で顔と名前は覚えられて案外重宝されたりする。何か悔しいが……。

 ある意味……ていうより相当個性が強い面々とのコミュニケーションを終えた所で、

「もう習ったかと思いますが、放送作家は「個」でもあり「集団」でもあります。集団生活が苦手な人もいるでしょうが、仕事に就く以上は徐々にでも慣れて行く必要があります。後、作家は会議の雰囲気を穏やかにする、盛り上げる事も仕事の一つです。そこからアイデア、企画案が出たりする事も多々あります」

一々言わなくてももう十分場は盛上られるだろうけど、自分が今、心得ている知識を淡々と伝えた。



 翌週月曜日。オレは相変わらず『高ネオ STREET』の会議を「サボった」。番組サイド、TTHからはまだ「解雇」の通知は来ていないから「サボり」だ。

 その間にも下平からは、

『何で既読スルーするんだよ! 会議に出ろ!』

といった内容のメッセージはバンバン送信されて来るし、もう1人の女性プロデューサーからも『気分が良い時に連絡して』とメッセージが何度も送られて来ているのだが、オレは生意気にも全て既読スルーしているのが現状。「もうそっとしておいて」、これが本音だ。

 そんな態度に出ていた翌日の火曜、某キー局での会議前に事務所に立ち寄ると、

「オッス、久しぶりだね。元気そうじゃん、ユースケ」

「ほんとに人懐こいし手子摺らさせるね。中山君って」

休憩エリアに何と下平プロデューサーと陣内美貴社長が椅子に座っていた。2人共憮然とした笑みを浮かべている。

「オッスじゃねえよ。何であんたがここにいるんだよ」

 このくらいで驚愕する性格ではない、案外冷静だ。予測していたし、これでも伊達にいつも「一見すれば冷静なユースケ」でやってはいない。

「ユースケを説得しに来たに決まってんじゃん!! メッセージも返信しねえしよ!」

 下平は立上る。今日のコーディネートは淡い水色のワンピースに頭には真紅のリボンを付けている。アラサープロデューサーもおしゃれする時代になったか。

「良いわね中山君、態々説得に来てくれるコネクションが友人にいて」

 陣内社長の顔は無機質。やはり「好きにすれば」は調子を合わせただけだったな。筋を通さないと承諾しない、そういう人だから。

「……そんなに、今回の番組にオレを雇いたいのか?」

「あたしの初プロデュース番組なんだよ!? こんな事でトラブルを起こしたくないに決まってんじゃん! バタバタと番組立上ても一度は承諾したのは自分でしょ!」

「それは君の都合だろ。こっちにだって都合があんだよ。承諾したのは社長が有無も言わせずにGOサインを出したから」

「また私のせいにして。うちの稼頭でいつも元気に仕事してんでしょうよ」

「そうだよ。何だよ都合って。今から新しい作家探すの大変なの解ってんでしょ! 番組開始も急だったんだし。これ以上バタバタしたくないのも解んでしょうよ。ユースケももうベテラン作家なんだしよ」

「他に作家は幾らでもいるだろうよ。ベテランって言うけどさ、ギャラも安いし構成も下手な若手に目を付けたって事かよ」

「またそうやって曲解する。下平さんは中山君を信頼してるからオファーしたんじゃないの。偏屈な奴だなあ。ごめんね、下平さん」

「良いんです、陣内さん。社長の言う通りだよ! 何年あんたと仕事して来たと思ってんの。あたしはユースケの構成力を信用してるからこそ、こうやって事務所にまで足を運んだんじゃん! 偏屈な性格も承知の上で」

「プロデューサーからこんなに信頼されて仕事を貰えるっていうのは、社長の私にとっても嬉しいし、作家冥利に尽きるんじゃない? 所で都合って何なのさ」

 下平と陣内社長の顔が気色ばんで行く。

「何もかもが急だったけどさ、ナレーターの早稲田望っていう人には、因縁があるんだよ」

「因縁?」

 唐突な言葉に下平は全く理解していない。

「オレがまだ大学生で、あの人も素人だった頃だ。一方的な一目惚れだった。それであの人と合コンをする事になって、何とかコンタクトは取れないかと思って、意を決して連絡先を訊いた」

「それで駄目だったんでしょ? どうせ」

 下平はまどろっこしそうな口振り。だが最後まで聞いて貰わねば。

「用なくなるって体良く断られて、それでトイレに立った時、友達とあの人が話してる会話を聞いちゃったんだ」

「何て言ってたの?」

 陣内社長も下平と然り。

「あの人は当時からナレーター、アニメの声優を志してて、オレには何の志もなかった。「そんな人と連絡先交換しても何の意味もなくない?」。確かそんな内容だった」

「それがショックだったんだ? 繊細過ぎるくらいのユースケ君だったら、ガチでヘコむよね」

 急に2人と別人の声。見ると浜家珠希が休憩エリアに出て来ている。誰に対してもフレンドリーで教育係を担当していたオレにも「ユースケ君」と呼ぶなど気さくな女性。

「お邪魔でしたか?」

「良いよ、珠希ちゃん。ゆっくり休憩して」

 社長……珠希は飲物の自販機の前に移動する。

「……珠希が言った通りだよ。頭に血液が上がって脂汗が大量分泌された」

「だから、早稲田望とは仕事したくないって言うの?」

 陣内社長の両目は仄暗く、今にも「ハアーー」と深い溜息を吐きたそうな表情。

「ええ。出来れば顔も見たくないし声も聞きたくない」

「かああ! 男のプライドってつっまんねえの!! 仕方ないじゃん、ギャラが安いナレーター、彼女くらいしか見付かんなかったんだから」

 下平は顔を掻きながら呆れた口振り。彼女の目も仄暗く冷めている。つまんねえプライドな事は自覚しております。。

「つっまんねえでも結構だよ」

 オレの口振りは投げやり。

「男の子のプライドって繊細だよ」

 珠希は理解している微笑み。ゼロカロリーのコーラを一口。が、もう「男の子」て年齢じゃねえよ、情けないけど。

「ユースケ、あんたタレント気取りのつもり? 共演NGとかさあ……」

「中山君、下平さんもプロデューサーとしてスタートしたばかりだし、何れはゴールデンの番組もプロデュースする事になると思うよ。いつまでも過去の事に拘ってたら前進は出来ないと思うけど。それに、今の日本経済、放送業界の極貧状態は釈迦に説法でしょ? プライム帯だろうが深夜帯だろうが、収入があった方が良いと思うんだけど」

 社長の顔は無機質だったり気色ばんだり呆れていたり。確かに少額でも収入があった方が、背に腹は代えられないのは自覚している。プライド云々は二の次だ。

「でも感謝もしてるんだよ」

「因縁の次は感謝?」

 下平も投げやりで心底呆れていらっしゃるまま。

「あの人にあんな事言われなければ、オレは放送作家には成ってなかったかもしれない。無頼だったオレを奮起させてくれた、そういう意味では運命の人。憎しみの中にも感謝の気持ちは持ってんだよ」

「ユースケ君って繊細だけど、執念深いんだか慈悲深いんだか良く解んないんだよね」

 珠希はコーラを飲みながら破顔。どうせ掴み所がない人間、男だよ! オレは。

「だったら、その憎しみを仕事で仕返ししてやんなよ」

「仕事で仕返し?」

 下平の唐突な提案に、今度はオレが理解出来ない。

「運命の人に対して仕事で遊んでやるんだよ。ディレクターもプロデューサーもそうだけど、放送作家も芸能人を手玉に取る職業でしょ」

「……悪い表現をすればな」

 中には従わないお方もいらっしゃるが……。

「せっかく作家に成れて一緒に仕事出来るようになったんじゃん! だったら早稲田望っていうナレーターをとことん手玉に取ってやるとか、そういう発想はないの?」

 下平は急にオレの両腕を掴み、激しく揺蕩させる。表情には必死さと目には若干の潤いが。この女はガチだ。

「中山君、下平さんの提案、案外悪い発想じゃないと思うけど」

 陣内社長は腕組をし微笑んでいる。2人の眼差しがビシビシ当たって目を避けたいが、もう諦めの気持ち、2人共ガチだから。

「……解ったよ。今まで勝手に「サボって」悪かった。仕事で早稲田望で「遊んで」みる」

 完全なる根負け、した訳で……。だって社長は眼光だけではなく言葉も鋭く、友人に目まで潤ませて力強く? かは解らないが説得されたら、オレは「NO」と言える度胸は持っていない。自分の意思を貫穿出来なくて少し悔しい気もするが……これ以上意地を張っていたらコネクションを失うどころか、干されてしまうのは遅疑な頭でも明白。

「やっと解ったか……」

 陣内社長と下平プロデューサーの溜息交じりのユニゾン。

「じゃあナレ原はユースケに任せる。頼んだからね。今度また「やっぱり辞める」とか言い出したらマジで縁切るから!」

「威しかよ……」

「コネクションを一人失っても、私は知らないから」

 陣内社長は腕組をしたまま子細ありげな笑み。この人の方が威しだ。

 だが下平プロデューサーも陣内社長も、目も声色もガチだ。二度も三度もチャンスをくれる訳がない。

「陣内社長、事務所にまで押掛けて済みませんでした」

 下平は軽く頭を下げた。表情には心底安堵が滲んでいる。

「いやこちらこそ。こんな頑固者の為に。今後とも中山を宜しくお願いします」

 社長はにこやかに頭を下げる。

「解りました。ジャンジャン仕事を振って行きますから」

 おいおい……。

「それじゃあ失礼します。ユースケ、今度は会議でね」

 下平は軽く右手を振る。

「解ってるよ」

 オレも軽く右手を上げ、彼女は再度頭を下げて出て行く。

「良いねえユースケ君は。あんなに信頼されて認めてくれるプロデューサーがいて」

 珠希はニヤニヤ。

「あんたまだいたのかよ。飲み終わったんなら早くデスクに戻れ!」

「だってプロデューサーが作家事務所にまで来るの初めて見たもん。下平さん目が潤んでたじゃん」

「まあな」

 珠希は尚もニヤニヤ。先輩の失態をとことん面白がっていやがる……。



 しかし下平も目を潤ませるような案件だったのだろうか? 友達としての叱咤激励か……それとも押しに弱いオレの性質を知抜いた演技だったのか……。

「番組制作の要となる人達に好かれて、うちの稼頭でもあるのに、そこんとこが今一つ自覚が足りないんだよね。ここにナギジュンや川並君がいないのが残念だね。仕事がオファーされて来るのがどれだけありがたい事か、旧交になるとああやって直接説得しに来てくれるって事がさ」

「そうですよねえ」

 陣内社長と珠希は子細ありげな笑み。まるで今にも「やれやれ」と口から吐き出しそうな様子。人の無様な姿を2人して嗤いやがって!

「社長、もし今度ユースケ君がオファーを承諾するのを渋ったら、契約更新を一考してみてはどうでしょう」

 珠希! 何という事を……。

「ああ、それも良いね」

 社長まで乗っかるんじゃない! ていうか本当にそういった提案に乗っかる人なんだ。事務所、作家によって区々だが、オレは今秋から1年から3年契約になる予定なのだが、

「中山君、今度自己チューな拘りなんか口にしたら、また1年、半年契約に戻すよ」

社長は悪戯っぽく嗤う。

 「やはりそう来る……どうぞご勝手に」心中で思いながら聞き流した。これも自己チューなのか?



 翌週の月曜日。下平との「約束通り」、TTH内B2会議室に顔を出した。

「ユースケさん、お久しぶりっす。どうしてたんすか? 身体の具合でも悪かったんすか?」

 作家仲間のNARINAKA君が心配そうにオレに言寄って来る。

「いや、何処も悪くないよ。只有給取ってただけ」

「作家にも有給ってあるんすか!? うちの事務所にはないと思うんすけど」

「事務所によるんじゃない」

 あからさまに驚愕する彼を適当に誤魔化す。彼は真に受けて「社長に訊いてみよっかなあ」と呟いた。

 NARINAKA君。本名は牧田成央(なりなか)。あだ名はナリ君。牧田家は江戸時代、譜代八万石の大名家という由緒ある家柄。成央という名前は先祖から名付けられたそう。

 しかし、牧田成央は病弱で21歳で早世している。しかもその父、成春も同じく病弱で26歳で亡くなったのだとか。

「だからオレも早世するんじゃないかって、今から不安なんっすよ」

 とナリ君は頭を抱えて言っていた。その割には好きな食べ物はラーメン、焼肉、スナック菓子と、「うーん……」と首を傾げたくなる。

 性格は温厚で平和主義者と自他共に認めている。彼曰く、「姉と兄の肉食獣同士の熾烈な喧嘩を側で眺めている内、争いには首を突っ込まない草食系の習性を身に付けた」らしい。

 もうお解りの通り、ナリ君の語調は大名家の子孫にしては「そうっすね」「マジっすか」「ガチっす」「ハンパないっすね」と典型的な若者言葉。只、基本的には敬語な所が彼の面白さであり、特徴。



「ちょっと酷いんじゃない? ユースケ君」

 気色ばんだ口振りの女性の声でびくりとする。

「……大石さん、済みませんでした」

振返り慇懃に頭を下げると、大石景子プロデューサーは微笑を浮かべて腕組をして立っていた。

「希ちゃんからの電話やメッセージも、私からの電話やメッセージも無視してさ。ギャラはちゃんと払ってるのに」

 そういえば大石さんからも電話が掛かって来てたしメッセージもバンバン送られていたっけ。

「ユースケさん、有給じゃなかったんすか?」

「ナリ君、今は有給の話は良いから……」

 訥弁。悪い嘘は所詮バレる。

「何が有給よ。ナリ君、ユースケ君は2回も会議をサボったんだよ。しかも希ちゃんに一方的にメッセージで「番組を降りる」ってだけ送信してね」

「マジっすか!?」

 またあからさまに驚愕するナリ君。目には「あり得ねえ」という言葉が裏打ちされている。

「下平が事務所にまで来て説得されて、自分の我がままだったって気付かされました」

「我がままにも程があるんじゃない? 私が希ちゃんに頼んで<レッドマウンテン>に行って貰ったのよ。ユースケ君は作家のキーパーソンなんだから辞めて貰っちゃ困る。番組はまだ始まったばかりなんだから、心機一転頑張って行こう!」

「はい……済みませんでした」

「そうだったんすか。なら一緒に頑張りましょうよ、ユースケさん!」

 大石さんは咎めはしたけど憤慨はしていない。だが、

「本当に済みませんでした」

こういう時の男は駄目だ。女は仁王立ち、男はペコペコ。情けないがこの構図になってしまう訳でして……。

 大石景子プロデューサー。こうと決めたら決然とした態度で突進み、現場では常にアットホームな雰囲気作りを心掛けてくれる人。オレ達スタッフにとっては姉御肌な人だ。



「ユースケさん番組を辞めようとしてたんですか?」

 笑みが交ざった女性の声。

「あっ、お貴さん、オレには有給使ってたって言ったんだよ」

「だからナリ君……それはもういいから。嘘付いて申し訳なかったよ」

 下手な嘘は付くもんじゃない、と心底痛切する。

「ユースケさんも嘘付いて休む事があるんですね」

「お貴さんはあるの?」

「いや、私は正直に言うけどね」

 お貴さんとナリ君は楽しそうに和気あいあいと談笑。こっちの気も知らないで……。

「はいはい、オレが悪かったよ、お2人さん」

「別に責めてはないっすよ」

 ナリ君、十分責められている気がしてならないんだけど。

「別に気にしなくて良いんじゃないですか。誰にだって仕事が嫌になる時はあるでしょうし」

 明るくフォローしてくれるお貴さん。本名は膳所貴子。父親は某IT企業の社長で実家は富裕。放送作家を「ふあー」とした気持ちでやっている。だの「時計や腕時計は止まると捨てる物だと思って、使い捨てだと思ってたんです」とか、「ロールスロイスで成人式に行った」、「大学生の頃、父親が海外出張でこれはチャンスだと思って彼氏と旅行に行こうとしたら、4時間くらいで父親の秘書が連れ戻しに来て彼氏は秘書からボッコボッコにされていた」。仕舞には「私、野菜が食べられないんです。だから食事はステーキかローストビーフ」などなどセレブ? というのか真実なのか嘘なのか、絵空事なエピソード多し。

 だが本人には嫌みっぽい感じはなく自然体。「何事も経験だって父親に言われて、大学時代にファストフード店でアルバイトした事がある。だから私はセレブじゃない」とも発言した事があるから、聞く方も笑うしか、ない。



「オレは戻って来ると思ってたぞ、ユースケ」

 次に現れたのは、下平と同じ制作プロダクション<プラン9>の社員、大場花ディレクター。

「ああ、心配掛けたな」

「オレからのメッセージも無視しやがって。既読にもなってなかったよな」

水色のカラコンの目は鋭いが、彼女は笑みを浮かべている。別に内憤がある訳ではなさそうだ。

「それは本当に悪かった……ごめん」

 大場花。業界歴はオレと同期だが、それよりも注目すべき点は、名前を音読みすると「おおばか」となる面白い名前の持ち主。「親は気付かなかったの」よく訊かれるようだが、本人は「気付かなかったんでしょう」と特に意に介さず軽く往なしているようだ。

 名前の通り女性ではあるが、服装、言葉は男。だからといってトランスジェンダーではなく、男性、女性とも交際出来るバイセクシャル。「基本的には恋愛対象は男だけど、女でも好きになっちゃったらしょうがない」と、奴は言っていた。

 旧交となったきっかけは、お互い安土・桃山〜江戸時代あたりの日本史が好きであり、趣味は城跡巡りだという事。オレもそうだが彼女もロケハン(ロケーションハティング。ロケ現場の下見などをする)の際に、近くに城跡があれば空き時間に見学、写真を撮りまくっている。

「そういやオレ、この前、江戸城に行ったんだぜ。ロケハンの合間に」

 ほら来た。

「江戸城かあ。近いっちゃ近いけど中々行かないよな」

 江戸城の中心部である本丸、二の丸、三の丸は皇居東御苑として開放されてはいるが。写真を見せて貰うと、天守台の前で万歳をしている姿。それも無垢な笑顔で。こういう所は「女性」っぽいんだよな。



「皆久しぶりだね」

 最後に現れたのは枦山夕貴ディレクター。制作プロダクション<ワークベース>の社員なのだが、曾ては芸能事務所に所属し、モデルを経てディレクターに成った奇を衒った人物。

 その理由は、「私は芸能人には向いていない。だったら裏方の仕事ならどうかな? と思って」と、安直なんだか堅実なんだかといった動機。

「整形の傷はもう良いの? 奇麗になっちゃってさ」

 大場が枦山さんの顔をニヤニヤしながら撫でる。確かに顔の印象が以前と違う。

「整形したんだ。しなくても別に元モデルで奇麗だったのに」

「嬉しい事言ってくれるね、ユースケ君。でももっと奇麗になりたくて二週間休みを貰ったの」

 否定はせんのかい! でも、オレと同じく二週会議もロケハンも欠勤していた人がいたとは……何か安心する。

「何処イジッたの?」

「まず鼻を高くして、二重全切開、グラマラスライン形成っていうのをやった」

「3ヶ所もやったのかよ。確かに変わったけどさ」

 大場は呆れ笑い。

「うん。奇麗にはなったと思うけど、それで二週間休んだんだ」

「そっ。有給使ってね」

「働き方改革っか。でも有給って十四日もないだろう」

「後は仕方なく欠勤にした。でも、ユースケ君が無断で仕事をサボった情報は入って来てたけどね」

「あっそう……」

 安心したのも束の間っか……。

「ユースケ君が番組降りたいって言うの珍しくない?」

「ナレーターの事で一悶着ありましてね……」

「キャスティングが気に入らなかったんだってさ。最初は他の女性ナレーターの筈だったんだけど、スケジュールの都合でギャラが安いあの人に決まったの」

 そこに下平がにやついて入って来た。

「タレントなら共演NGとかあるけどさ、作家さんは打合せの時に顔合わせるだけで、殆ど顔合わせる事なくない?」

「そうなんだよな。あのナレーターと過去に何かあったのか?」

 大場も首を傾げる。

「まっ、男と女の縺れってやつだよ。ね?」

 下平は顔も目もニヤニヤ。人の苦い過去を……何だと思ってんだ。全ては仕返しだろうよ!

「それより枦山さん、あんた鼻だけ整形しても十分かわいかったよ。何でモデル時代にやらなかった?」

「モデルの頃はファッションにお金掛けててお金がなかったの!」

 枦山さんは冗談で気色ばむ。強引に話題を変えたオレ。大場、枦山にも真相がバレたらイジられると察知したオレの狡猾さ……。

「将来的には誰目指してんの? マイケルジャクソン?」

「目指してねえし! 別に」

 今度は少しムキになって気色ばんだ。

 余談だが、下平や大場にはお互い呼捨にしているのに、枦山ディレクターだけは「さん」付け。これは「芸能事務所のモデル」だったからの違いなのか……は、自分でも分からないが、特に理由を考えた事は、ない。

 まあ、これでも和気藹々として二週間のブランクを感じずに「仕事復帰」出来そうなのは良かった。



 9月に入り、4期生となる<レッドマウンテン>放送作家養成スクールの7名は卒業。したまでは良いが、採用されないと思っていた奈木野淳子と重留一実は採用。しかも川並光哉まで……。まあ見方を変えれば、あれだけ個性が強ければ前にも言ったが、顔と名前は直ぐに覚えられるだろう。が、受入れられるか疎んじられるか……。キャラ、灰汁が強過ぎる、歪過ぎるのも問題なのだ。

 某キー局での会議前に同期の大畑新(あらた)と共に事務所に呼ばれた。

「多分、っていうか絶対教育係だぜ。3人採用されてオレとお前だけって所は引っ掛かるけどな」

 エレベーターで7階へ向かいながら大畑は面倒臭そうな口振り。

「予想は着くけど、誰がどの教育係に就くかだな」

 オレも浜家珠希で教育係は経験済みだが、正直気乗しない。ましては川並の担当だったらと思うと……ご免蒙りたい。

 2人で事務所内に入ると、

「社長、何で私だけ事務なんですかあ!?」

オフィスエリアから女性の声。あれは確か、重留一実の声の筈。

「事務でも採用されるだけましでしょ。不満なら良いんだよ。他の仕事に就いてくれたって」

「そんな冷たい!」

 陣内社長と重留の応酬。って事は、作家に成るのは奈木野と川並だ。

 オレと大畑がオフィスエリアに入ると、

「あっ! 待ってたよ、2人共」

社長は笑み。重留は不服のままでオレ達に顔を向ける。

「採用されたんだから良いじゃないか重留さん。放送作家事務所で働いてるって合コンで言ったらセンターに成れるかもよ」

 宥める義理はないけどお人好しで言って差し上げた。

「そうそう。業界の裏話も入って来るだろうし、恰好のネタになってモテモテになるかもしれないぜ」

 大畑も続く。

「こら2人共、余計な情報吹込まないでよね。良い一実ちゃん、事務の仕事もやり甲斐のあるものだって、やって行く内に解ると思うから」

 陣内社長は眼光は鋭いが優しい口振り。

「そうかなあ……」

 重留一実は尚も半信半疑。

「今日中山君と大畑君を呼んだのは他でもないよ。中山君はナギジュンの、大畑君は川並君の教育係をお願いね」

「はい。呼ばれた時点で解っておりました」

「右に同じ」

 大畑のやる気のない声な事。

「大畑君、君ももう新人じゃないんだよ。後進の指導にもあたる世代なんだから。その自覚はあるの」

 ほら見ろ。社長の眼光が更に鋭くなる。

「……まあ……ありはしますけど」

 やる気のない口振りの後は訥弁かい。こいつの本音は絶対「面倒臭え……」に決まっている。

「そうローテンションにならずにお願いしますよ! 大畑さん。オレ全力でサポートしますし、学びたい事も山程ありますから!」

「ああ、解ったよ……」

 快活な川並に対し、大畑の声は覇気が、ない。握手をしようと破顔して右手を差出す川並だが、大畑の顔は「仕方ねえなあ」と文字が浮き出ている。こいつ、今更だが後進を育てる気ゼロ、だな。

「社長、私はどうしてユースケ君なんですか」

「オレじゃ不満なのか?」

「いや、そうじゃないけど……」

「だって貴方達親戚なんでしょう」

 陣内社長の呆れ笑い。よく見る光景だ。

「そうか。ユースケ君、私達三従兄妹だもんね! 宜しくご指導をお願いね!!」

 解り切ってた事だろうよ……破顔しやがって。

「三従兄妹だろ。殆ど他人だし、この前までお互いの事知らなかったじゃねえか」

「でも親同士は知ってたんだから」

 頑ななやっちゃな……。

「私達も握手しよう」

 まっ、川並光哉の教育係じゃなかっただけまだましだったが……何か「終わった」ような気がするのは何故? 一応彼女と握手はした。

 複雑そうな微笑なんか浮かべちゃって、社長の私から言わせて貰えば、ここからが始まりなんだからね、ユースケ君。

「良いなあ2人は。作家に成れて」

 重留はしつこい。執念深いな、こいつ。

「事務の仕事も慣れて来たら面白さが解るって」

 確証はないが確言してやった。じゃないと諦めが悪いし埒も明かないから。



 9月上旬の月曜。今日からナギジュンも放送作家見習として教育係のオレと行動を共にする。

 『高ネオ STREET』の会議が終わった18時頃、

「ユースケ、ちょっと」

下平から足止めされた。

「今から調布まで早稲田望と打合せして来てくんない?」

「調布までか?」

「うん。ナレ原はユースケに任せるって言ったじゃん。そのナレーターは調布市内に住んでるの! はい、これ彼女の最寄駅の住所と電話番号。駅まで着いたら電話して欲しいんだってさ!」

「ふーん……」

 力の抜けた声で返事しやがってさ。まさかこいつ、今頃になって「嫌だね」とか言ううんじゃないだろうな。罷り言ったらマジでビンタするか縁切るからな。

「解った。今から行って来る」

 ユースケはメモを受け取った。よおし! 素直で宜しい。不満でも仕事を受けたら地道にこなす。だからこの男は重宝されるんだよな。

「へえ、タレントさんって皆都心に住んでると思ってたけど、郊外の人もいるんだね」

 ナギジュンは何でも物珍しげ。新人だから仕方ないが。

「郊外の人もいれば、東京都外に住んでる人もいるからな」

「そうなんだ。私も行った方が良いよね?」

「当然、って言いたいけど、良いよ今日は帰って」

「えっ!? ほんとに帰って良いの?」

「うん」

「まっ、ユースケにとっては「個人的な」打合せだから。ね?」

 下平はニヤリ。頭を一発はたいてやりたいが、全てを告白したのは自分だから何も抗弁出来まい。

「じゃあ私、お言葉に甘えて帰るね」

 とは言うものの、ナギジュンは会議室から出て行こうとしない。

「はいはい、解っておりますよ。これ、電車代。駅からは自転車だったよな」

 財布から千円を抜き、彼女に差し出す。

「ありがとう! お釣りは返すから」

「良いよ、取っといて」

「ほんと! 助かるう。じゃあ貯金しとこ」

 単純な感情で。破顔が尚更ムカつくというのか、何だかやる瀬ない。この後の「打合せ」もやる瀬ないっていうのに……。

「作家も大変だ。仕事以外にも出費があってさ」

 下平の言葉は同情。だが表情は全くの他人事……にしか見えない。

「だから気乗しないんだよ。教育係って」

 これが、衷心……。



 TTHを後にしオレは車で調布市を目指す。高速を遣って約1時間で調布市内の国領駅付近に到着した。

 メモにある番号に電話したが、1コール、2コール、3コール……出ない。知らない番号だからかもしれないが、電話して欲しいって言って来たのは誰なんだよ。

 駅正面のショッピングビルに目をやる。ファストフード店があった。仕方なく留守電に「作家の中山です」と、そのファストフード店で待っていますとのメッセージを入れて、車をパーキングに停車させて待つ……しかないからファストフード店に入った。

 コーヒーを飲みながら待つ事20分くらいは経っただろうか、因縁の相手、早稲田望が「中山さんですよね?」と言いながら現れた。初めて逢った時から全くと言って良い程変わっていないというのが第一印象。

 向こうはどう思ったかは知らないが、オレは立上って「初めまして」と白々しく頭を下げた。

「前に逢った事ありますよね?」

 早稲田の表情は少し切なそう。

「覚えててくれましたか。僕の事などもう毛頭にもない、抹殺されてると思ってましたから」

「その印象に残る目は忘れられないですよ。今回はナレ原を書いてくれるんですよね?」

「本題に入る前に一言だけ。僕は貴方とは二度と逢わないと思ってましたし、絶対に一緒に仕事はしたくありませんでした」

「何でですか!?」

 早稲田は唐突且つ不躾な言葉に気色ばむ。

「覚えてないでしょうけど、僕が大学時代、貴方と貴方の友達とで合コンをしたんです。その時、連絡先を訊いても貴方は教えてくれませんでした。暫くして貴方がトイレに行って友達と会話しているのを聞いてしまったんです。「何の志もない人間と連絡先を交換しても意味がなくない?」って」

「それは覚えてませんけど、そんな昔の事を蒸返らされても……」

 尤もなご感想だ。別に謝罪を求めた訳ではない。お門違いな内憤を吐露しただけ。無機質な表情と声を装ってはいるが、心臓は『バックン! バックン!!』状態。曲がりなりにも一目惚れした人と再会したのであるから、人間の心が揺蕩されない筈がない。

「まあ、今のは僕の本心を言ったまでですから。本題に入りましょう。確か早稲田さんは声優を志してましたよね?」

「そうですけど……」

 この妙な雰囲気に包まれた席の中で、また唐突に本題に入られても、そりゃ困惑するわな。

「その心は今でも変わりはないんですか?」

「まあ、オーディションにも行ってますから」

「じゃあ毎週、何かのキャラを演じてナレーションをして貰いましょう」

「演じる……例えばどんなキャラを、ですか?」

「今頭に浮かんでるのは、ある週では公家の娘役で上品に。またある週では大学教授役で理知的な感じに。っていうのはどうでしょう」

「私は面白いしやり甲斐もあるとは思いますけど、番組的には大丈夫なんですか?」

「ナレーションが入るのはオープニングとエンディングだけですから、特に問題はないと思います」

 ナレーターで遊べと言ったのはプロデューサーだから。

「じゃあ私は与えられた役を勉強してその役に徹します」

 早稲田が微笑を浮かべる。オーディションには受からない、ナレーターとしても収入は少ない現状の中、役を与えられる事には喜びを感じているようだ。

「じゃあ今日はこの辺で」

「ですね」

 小一時間、早稲田には飲物も奢らずに打合せは終了。失念していたっていうのもあるが、我ながらちっちえ人間……だ。

 だが喉が渇いたのはこっち。早稲田が帰った後、コーヒーをもう一杯注文して一気に飲み干した。喉はカラカラ、手や脇からは脂汗が出る。まるで大物タレントとの打合せをした時のような緊張感。

 ナレーターの早稲田望で遊べ。確かにあたしは言った。けど……。

「来週もぜひ観て頂きたく存じます」

 秘書風?

「来週も絶対観るのだニャン!」

 アニメキャラ風?

 番組の数字(視聴率)には影響はしてないし、早稲田も張切って役を演じ切ってるんだけど、

「ユースケ、ちょっと遊び過ぎじゃね?」

苦言を呈さずにはいられねえ。

「タレントで遊べ、手玉に取れって言ったのは何処の誰だよ」

 ギャグでムッとした顔しやがって、開直りも良いとこだ。

「そりゃ言ったけどさあ……」

 あたしもこれといって返す言葉が見付からず。でもここまで遊びやがるとは……ちょっぴり後悔してしまう。

 ユースケって、良しにつけ悪しきにつけて「真に受けて」、こうだと決めたら真っ直ぐに遊び過ぎ真面目過ぎるくらいにブレない芯を押通す奴だから、仕方ないっちゃ仕方ない……っか。そこがかわいくもあるし。



 9月下旬。陣内社長に抗ったせいで〈レッドマウンテン〉との契約は、1年契約のままかと思っていたが、無事に今月から3年契約となった。珠希も1年契約で更新はしたらしいが、30日の夜。

 打合せを終え、事務所へ戻ってホン(台本)の手直しをし、一通り終わった所で喫煙エリアに出て一服していた。すると『ガラガラガラ』と後ろのガラス戸が開き、

「ユースケ君、一本くれない」

と珠希の声がした。

「スモーカーだったっけ?」

「何か吸いたい気分になってね」

 珠希はにっこり。

「まっ、これニコチンが1ミリではあるけどね」

 箱を開け彼女に差出すと、「ありがとう」と言いながら一本取った。ライターで火を点けて差上げる。すると……。

「ゲホッ! ゲホッ!! ゲホッ!!!」

「そうなると思ったよ」

「1ミリでも結構きついね」

 2人で「ハハハッ」と笑い合う。

「実はさ、契約は更新したんだけど私、アメリカに留学するの」

「はっ!? また何で?」

 思いもよらぬ発言に声のキーが高くなる。

「ちょっと向こうのバラエティを勉強したくなったの。ここ1年くらい、ちょっと自分を見失いかけてたんだよね」

「籍は<レッドマウンテン>に置いたままなんだろ? よく社長がOKしたな」

 やっと冷静さを取戻す。

「うん。社長にはちゃんと説明した。私は私を取返す為に、暫くアメリカのテレビ業界を勉強したいって。仕事でもプライベートでも自分って価値のない人間だなあって、思い知らされる機会が幾度となくあるじゃん。生きてればさ」

 彼女は紫煙を真っ暗な空に向かって吐きながら、表情も目も真剣だ。かなり思い悩んでの結論だったのだろう。

「そこまで自分を卑下する必要はないと思うけど、まあ、自分独りの力じゃなあ……」

 どうにもならない事はある。

「だけど、そんなの受入れてたまるか! って思うし、誰が見ても頷いて貰えるように、只ひたすら何にも替え難い自分を証明したいって、陣内社長に想いをぶつけた」

「初めは社長も流石に困惑しただろう」

「うん、してた。でもそれが珠希ちゃんが見出した結論だったら、私は何も言わないって受入れてくれた」

「そっか。なまじの決意ではなかったら、誰も文句は言えないよな」

 オレも三日月が見え隠れする空に向かって紫煙を吐く。教育係を担当した人がいなくなるのを寂しく思いながら。

「端的に言えばGo ing My wayだよ」

 珠希は破顔した。

「そういう事だな。でも無理はしないように」

「ありがとう。ユースケ先輩もね」

 彼女はオレの右肩に手を置く。励ましたつもりだったが、逆に後輩から励まされているような、何とも複雑な心境、である。



 年が明けて1月中旬。『高ネオ STREET』は半年で終わるものだと思っていたが、実際は5ヶ月、数字は10%台前半ではあるが安定している。

「皆、番組は4月以降も継続される事が決まったよ! 出演者、スタッフも全員続投ね。2月の石村社長の定例会見で発表されるから」

 会議冒頭、大石さんの嬉しそうな顔。下平もオレと目が合うと微笑を浮かべて頷いた。自分の初プロデュースする番組が当たったんだから嬉しさは解らなくもないけどね。

 高速ラインNEOの2人はTTHとは今年3月までしか契約されていなかったが、言わずもがなメインなので契約更新。しかも来年1月までの1年契約。

「2年、3年と番組が継続されると思ってるんですか?」

 会議終わりに大石さんに詰寄った。

「ホンに「001」って書いといて良かったでしょ。スタッフが直ぐ終わるって思ってたら面白い企画は生まれないし、出演者も乗らないじゃない」

 大石さんはウキウキした口振り。初回のホンに「001」と書けと指示したのはこのプロデューサーだ。高ネオの2人は「三桁までやるつもり?」と苦笑していたそうだが。

「なるほど。そうやって番組は作られて行くんですね」

 ナギジュンはしみじみとした口振りで頷く。

「大石さんは特別。中には厳格なプロデューサーもいて、バラエティの会議なのに笑い一つない番組もあるんだから」

「ゲッ! そんな人もいるの?」

「私はまだ優しいよ、ナギジュンちゃん。これから色んな現場を見て臨機応変な作家になって行かなくっちゃね!」

「はい!」

 ナギジュンはお返事だけは良いが、彼女は飽迄も、EXILEのメンバーに逢いたいだけが動機なんですがね。大石さんにどんな反応するか、今度チクってやろうか。



 3月に入り、奈木野淳子と川並光哉は正式に<レッドマウンテン>の放送作家と成った。2人には「株式会社 レッドマウンテン 放送作家」と印字された名刺が、陣内社長より渡される。

「放送作家に成れたんだな、オレ達!」

「私達って、「平成最後」だよねえ!」

 川並とナギジュンは破顔して喜びを分かち合う。その横で、

「良いなあ、2人は」

重留は相変わらず。彼女にも一応「レッドマウンテン 事務」と印字された名刺はあるのだが、まだ事務の仕事の楽しさが解らないようだ。といっても、オレも事務職はやった経験がないので楽しさは解らないんだけども。

「2人共、喜ぶ気持ちは解るけど、これからが「本番」だよ。暫くはナギジュンは中山君、川並君は大畑君と職場が同じだから、色々と勉強して咀嚼しないさい」

「はい! 社長!!」

 ユニゾンのお返事は良い事。

 ナギジュンは直ぐ様オレのデスクに来て、

「ユースケ君、これからも宜しくね」

と子細ありげな笑みで名刺を差出す。

「オレには名刺はいいよ」

「一度やってみたかったの。名刺交換」

「そう……じゃあこちらこそ宜しく」

 気持ちは解らないでもないが、ちょっと浮かれ過ぎな気も……オレも名刺入れから一枚抜取り差出した。付き合うしかないから。

 しかしその笑みに裏打ちされた気持ちは何だ? EXILEのメンバーに逢えたら本気で辞めるつもりか? それとも半年で思念が変わったのか?

「ユースケさん、元気ですか!」

 出た、苦手な青年……。

「元気だけど君までオレのとこまで来なくていいよ。大畑のとこに行け!」

 百パー皮肉。

「だってユースケさん、普段から元気なさそうですから」

 お気遣いありがとう。川並は意に介さず破顔したまま。

「これがオレの元気な状態なんだよ。人それぞれで何が悪いんだい?」

「別に悪くはないですけど、もっとテンション上げて行きましょうよ!!」

 ポジティブな奴。前に大畑に愚痴った事がある。「あいつ何なの?」って。そしたら「あいつはあんなキャラなんだよ。我慢してやってくれ」とライトに流されたっけか……。

 しかし、オレは我慢ならない。

「ナギジュン、これから打合せだけど付いて来るか?」

「ああ、行く行く! 勉強だもの」

 ここから逃げる事にした。ほんっと、あいつの教育係じゃなくて良かった。ナギジュンが辞める前にオレが辞める羽目になっていたな。



 3月下旬の会議。新たに新人作家が入る事になった。作家仲間の沢矢加奈さんと共に現れたのは……スレンダーな美女。

「紹介します。うちの事務所の新人の臼杵智弥(ともみ)です」

「宜しくお願いします」

 笑顔でぺこりと頭を下げる臼杵。少し緊張した面持ちだが、目力は鋭い。肝が据わっている事はまざまざと伝わって来る。

「奇麗な子っすね」

 ナリ君が耳打ちして来た。

「うん。奇麗さの中に底力も感じる」

「なるほど、あの目はハンパないっすね」

 ナリ君、本当に解ってんのかい?

「若い力が入って来てくれて頼もしいね。まだまだ解らない事も多いだろうけど、素朴な疑問でも口に出してね。訊かぬは一生の恥。その方が企画のヒントになったりするから」

「はい! 色々とご指導ください!!」

 大石Pは満足げに臼杵を歓迎する。が……。

「新人って事は、今見習中って事だね」

 ナギジュンのテイストはちと違う。

「うちの事務所は<レッドマウンテン>さんみたいに見習とか教育係は付かないの。今は私のサポートに就いてくれてる。『高ネオ STREET』が独立ち」

 沢矢さんは若干渋い笑みで解説。

「事務所によって区々なんだよ。誰かのサポートに徹する作家と、早くに独立ちする作家もいる」

「そうなんだ。まあ、お互い新人として頑張りましょうね」

「ええ!」

 臼杵はナギジュンの言葉と挑戦的な態度には意も介さずにこやか。

 何、この臼杵智弥って子。妙に凛としちゃってさ。この子には絶対に負けない! っていうか負けたくない!! 私の中で沸々とライバル心が芽生えて来た。

 それと、ここの女性作家、何かちょっと個性的っていうのかオカシイ。「お貴さん」って呼ばれてる人なんか、「作家にとって大事な事は何ですか」って訊いたら、「気負わない事ですね。私は作家を「ふあー」とした気持ちでやってます」って言ったり、会議中、「私は年収3千万の人でも我慢出来ます」とか言って皆に「無理無理!」って諭されたりとかして、私が言うのもなんだけど、世の中ナメ切ってる。

 そんな人がいるかと思えば、ユースケ君は「常識を身に付けないと仕事は貰えない」って教えてくれたし、もう何がどうなってるの!?



 会議が終わり、次の現場へ向かう為TTHの地下駐車場を目指してナギジュンと廊下を歩く。

「私、膳所さん、お貴さんだっけ? ああいう人正直嫌い」

「鼻に付くか? 根は素直な人なんだけどなあ」

「素直で片付けられる? 今日もコンビニのお弁当は食べた事ない。美味しいんですか? とか言ってたし、世間をバカにし過ぎ」

「あれは最早、彼女のセンスの一つなんだよ。外連味もあるだろうから全てを鵜呑みには出来ないけどな」

「「センス」っていうより「見立てる」って表現の方が合ってると思うんだけど」

「見立てるっか。作家っていうのは面白いセンスを身に付ける事と、プロデューサー、ディレクター、先輩作家に顔と名前を覚えて貰うセンスも必要なんだよ。後、得意ジャンルを見出す事もな」

「じゃああの人が言ってる事、全部嘘かもしれないじゃん」

「まあな、それはオレにも解らないけど、でもそれがお貴さんの得意ジャンルなんだろう。嫌う人もいるだろうけど、「面白い奴」って見てくれる人も必ずいる」

「私も嘘付いて行こうかなあ」

「いや、模倣は止めといた方が良い。嘘が十重二十重になって行くときつくなるだけだから。今のナギジュンのままで、面白いセンス、勝負出来るジャンルを身に付けて行ったら」

「ふーん……」

 こいつ納得してねえな。

「所詮人は人。自分は自分だからな」

 先輩として出来るアドバイス。こればっかりはやり続けながら自覚して行くしかない。

「得意ジャンルなら、私一つ持ってるよ」

 ナギジュンは得意げ。

「私昔、東京競馬場の近くに住んでたの。それで大学時代土、日に競馬場でアルバイトしてて、競馬を間近に体感したから競馬好きになって、乗馬ライセンス五級を取得したの」

「何だ。人の模倣しなくても立派な得意ジャンルがあんじゃねえかよ」

 何か溜息が出てしまう。

「じゃあ競馬好きと資格をアピールして行けよ。競馬番組に携われるかもしれない」

「うん、そうする!」

 嬉しそうな顔。さっきまでの不快な顔付は何処へ行ったのやら……。



 2019年4月1日の月曜日。

「新しい元号は、「令和」であります」

 宇多川内閣の塩村官房長官が「令和」と書かれた額縁を掲げた。

「令和」は万葉集から選ばれたという。人々が美しく、心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ、という意味が込められているのだとか。

何故、万葉集から選んだのかの理由については、約千二百年前に編纂された日本最古の歌集である事を上げ、豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だと述べられた。

その後は……同日正午過ぎ、JR新橋駅前のSL広場で号外が配布されるシーンがテレビに映る。待ち侘びていた数百人の群衆が一気に殺到し、近くにいた記者が目撃したのは号外を配布していた女性が人々に押し潰されている、恐ろしい光景。

「助けてー!!」

 叫んだ女性の手にはビリビリに引裂かれた号外の切れ端。騒動が収まるきっかけになったのは、ある男性の叫び声。

「もう号外はありません! 号外はないから下がって!!」

 この声をきっかけに暫くすると徐々に人が引始め、群衆は新たな号外を求めて去って行く。

「凄い騒ぎだね……」

 ソファに座った相方は渋い笑み。女性の事を不憫に思っているのだろう。

 他にも「令和」と印字されたパン、Tシャツ、キーホルダーが発売されたと、某キー局の番組は報じている。

「何でも商売にしちゃうんだよなあ……」

 オレもぼやかずにはいられない。

 1日の終わりに23時台のニュース番組を相方と2人で観ていた。

 相方こと奥村真子。東大の理系出身でミス東大にも選ばれた人物。卒業後はTTHのアナウンサー兼報道記者として勤務している。

 交際が始まったのも同棲生活が始まったのも全て彼女に逆プロポーズされたから。奥村行きつけの居酒屋に「飲みに行かない?」と誘われ、酒が進んで来た時、「私と付合って! っていうか同棲して!!」と突然のプロポーズ。遂には「YESなの? NOなの?」とまで詰寄られた。

 結果、こうして同棲生活をしているという現状は……「YES……」と答えてしまった、奥村の押しに負けてしまった……訳である。

「どうしていきなり同棲なの? 普通に交際して行けば良いのに」

疑問だったが、

「結婚を前提とした交際なんだから、早い方が良いじゃない」

とライトに流されたっけか。後は何も言えない程、彼女の気魄は凄かった。

 お互いの事を「相方」と呼合おうと提案したのも彼女から。戸惑いはしたがこれも押しに負けてしまった訳で……。何故「相方」なのかは確認してないけど。

 彼女は新人の頃あるバラエティ番組で、「付合うなら私と同じくらいの年収の人が良い。普段は私が料理してるのに、たまに外食しても割り勘というのは身の丈に合わない」という強気な発言をする割には、極度の上り症。入社4年にして念願だったBSの報道番組のキャスターを務める事になった際、それまで奥村はストレートニュースにしか出演した事はなく、前日に先輩アナからOGTを受けるも緊張して前日の夜は眠れない程だったと、後で窺知した。

 この性質のせいで「表情が硬い」「滑舌が悪い」と指摘されているのもまた事実。

 入浴時間をコミュニケーションの時間と大切にしていて、お互いの全身を洗い合うのが通例。これも彼女の押しから……オレは頭まで洗って貰っている。2人共もう慣れているのでエロい感じにはならず、さっきテレビを観ながら話しているような、お互いの意見、主張を言合うという、誠に「コミュニケーションの時間」である。

 でも、オレは風呂くらいは独りで入浴したいというのが、本音……だが、未だに口には出せまい。

「普段は西暦で通してるくせに、終わるとなると「平成最後の」「平成最後となる」とか囃子立てて、今度は「令和最初の」とかってまた囃子立てる。日本人の好い気な性質というか、天皇家を蔑ろにしてるっていうか、良いように利用してるよな」

「別に蔑ろっていうか、皆そんなつもりじゃないとは思うんだけど。まあ、私達メディアが煽ってる感はあるけどね」

 相方は画面を観たまま涼しい笑顔でライト。

「確かにメディアのせいとも言える。2000年が終わる頃にはテレビでも「今世紀最後の放送です!」とか盛んに言ってたじゃないか。大して放送年数も長くない番組がさ」

「まあ、それも覚えてはいるけど、その性質って、別に日本人だけじゃない気がする」

 相方は中々言葉が続かないのか、少し首を傾げる。

「じゃあ人間の害悪だな」

「人間の害悪ねえ……確かに日本人は熱し易く冷め易い人種ではあるかもね」

「何れにせよ、後2、3年後には「今年って令和何年だっけ?」とか言い出すんだよ、日本人は」

「うーん……」

 奥村は物思に耽っている。返す言葉が見付からない定義。

 オレもメディアにいる人間だから不遜な事は言えないけど、「今年は令和何年?」ってワードは必ず出て来ると確言は出来る。もうグローバル社会の世の中だから。

「さっ、ニュースも観終わったしお風呂入ろう」

 適切な返事が出来なかったからか、単なる気分転換か、相方に手を引かれて浴室へ向かう。Let's go Communlcation Time……。



 翌日の午後。メディアでは「令和熱」がまだまだ残っているが、国民各々は仕事で忠実忠実しく忙しい。

 『高ネオ STREET』で居酒屋ロケを行う事が決まり、下平P、大場Dらと共に居酒屋がある品川区内にロケハンに来ていた。その居酒屋でナリ君が美人のアルバイト店員を見付けたという事で、男性出演者にキメ顔で一言言って貰い誰が一番心にグッと来たかを対決するのだ。

 通常、プロデューサーはロケハンに参加しないが、下平はまだディレクター上がりという事で大石Pから指令が出た。

「ねえ、何処からカメラ回す?」

 下平の口振りは投げやりで表情も疲れている。働き方改革で少しは休めるようになったと思うのだが、抜穴は幾らでもあるのが世の中の常。

「居酒屋付近でオープニング撮って、後は店に入るで良いんじゃないか」

 構わず発言した。

「まあ、無難な始まりだよな。それより下平、今日は何か元気ないけど何かあったのか?」

「私もそれ、気になってたんですよね」

 大場とナギジュンは看過出来ないというより興味津々。少なくともナギジュンは。

「別に。大した事じゃないから」

「大した事じゃなくても何かはあったんですね」

「ナギジュンは人のトラブルを嬉しそうに訊くよね。教育係が寛容な人だからなの? それ」

 下平はジロッとナギジュンを睨む。ディスられたのはオレなんですけど。

「私、ゴシップ好きなんで」

「良いよな作家は。ゴシップをネタに企画を考えられるんだから」

 大場まで。ニヤニヤして……。それでも真面目に仕事しているんだぞ。放送作家を見縊るな!

「ほんとそうだよ。断っとくけど、あたし芸能人じゃないから」

 今度はオレをジロリ。

「ナギジュンはもう独立したんだよ。今後の言動は自己責任」

「ええっ! もっと教育してよユースケ君」

「興味の次は甘えかよ……解ってるよ」

 女は頭の切り替えが拙速なのか? それともナギジュンが独特なのか?

「でもゴシップ記事もネタになったりするの?」

「ものにもよる。あまり何から何までネタにしたらタレントを誹謗中傷する事になるからな。作家だってネタ探しに苦労してんだよ、プロデューサー殿とディレクター殿」

「何それ、喧嘩売ってんの?」

「今のはそういう風にしか聞こえなかった」

 下平と大場の脹れっ面。

「別に喧嘩を売ったんじゃなくて反論しただけ。先に吹っ掛けて来たのは大場だろ」

 プロデューサー・ディレクターⅤS放送作家。同じスタッフでも対極にいる。

「それは済まなかったな」

 大場は憮然と頭を下げた。納得はしてないな。

「それで下平さん、何があったんですか」

「まだ訊くか! 喧嘩だよ。夫婦喧嘩。3、4ヶ月旦那がうちに帰って来ない!!」

 下平はうんざり顔。

「えーっ!? それってもう他の女が出来てる可能性なくないですか?」

「それを言うな!!」

「気色ばんでるけど、もう一回やり直してヤリたいって事だよな?」

「大場まで……そうだよ!! それが醍醐味じゃん」

 心中で「ハハハハハッ!!」と嗤いつつも平静を装う。オレも入るとヒートアップするだけ。

「ほらナギジュン、もう下平Pの本音は解ったんだから良いだろ。仕事仕事」

「そうだな」

 大場も続こうとした所で……。

「所でユースケは内縁の妻と上手く行ってんの?」

 当て付けかよ……。下平は知ってるからなあ。

「うちは今の所な。今日も相方が握ってくれたお握り食べて来たし」

「へえ、ラブラブ!」

 ナギジュンは左肘でオレの身体を小突く。オレは頭を一発はたいてやりたい。

「その内お握りもなくなるよ」

「まあ、時間の問題かもな」

 大場まで……。下平からのとばっちりは聞き流して仕事モードに戻った。お握りがなくなる件は否めないから。しっかし何なんだ? この不毛なやり取りは……。



約2時間のロケハンを終え、助手席にナギジュンを乗せて一旦事務所に戻った。

 事務所が入るビルに近付くと、川並が事務所の所有のワゴン車を洗車中。側には陣内社長が目を光らせている。

「よっ! ナギジュンハニー、仕事に励んでるかい?」

「うん、励んでるよ!」

 半ば嘘だろ。新人だから興味を持つのは良いけど、まだまだ素人感覚。

「コウ君も大変だね。そんな雑用やらされて」

 笑顔の2人。仲が良いのは宜しいというか新人は生々しいというか。

「雑用なんかじゃないよ。この車、大畑君と君とで使いまくってるからね。洗車が終わったらワックスもするんだよ」

 社長は微笑を浮かべて釘を刺す。このワゴン車、最早大畑の「私物」みたいに使ってるからなあ。

「解ってますって社長。ナギジュンハニー、オレ達こんな仕事も地道にこなしながら令和最初の売れっ子作家に成ろうぜ!」

「こんな仕事ってねえ……」

「うん、そうだね! 私もガツガツ行きたいし」

 渋い顔の社長と破顔する希望ある川並とナギジュン。一対二の温度差。それにしても何なんだ、「ナギジュンハニー」って。王子様のつもりか?

「因みにユースケさん、今日は元気ですか!?」

 取って付けたように……っていうか取って付けたな。

「一々訊かなくてもオレはいつも元気だよ」

「だってユースケさんいつもテンション低いじゃないですか。やっぱりこの業界はテンションMAXで要領の良い奴が出世すると思うんですよ」

「先輩に対して説教かよ……」

 小声でぼやいてしまうが一理ある考え。だから何も言えねえ。けど、オレも「いつもローテーションなの、個性的で面白いね」と言われて周囲の人達から覚えられ易いんですけどねっ。それに「仕事は地道にこなす」て定評も頂いておりますが。

 その時、前方のフロントガラスを洗っていた川並の手がワイパーに触れると、エンジンも掛けていないのにワイパーが動き出す。

「あれ!?」

 まごつく川並。

「ハハハハハッ! 何でワイパーが動き出すの」

 爆笑するナギジュン。

「ハー……」

 頭を抱える陣内社長。

 川並よ、テンションが高くてポジティブな性格は宜しいが、要領は悪そうだな。

 洗車中の川並を残して3人で事務所に上がる。すると、やはり休憩エリアにいやがった大畑新……。

「後輩に面倒な仕事押付けて自分は休憩か」

 持っていた資料で頭を一発はたいた。

「あれも若手が通る道。れっきとした仕事だよ」

「れっきとしたねえ……」

 物は言いようだ。

「ユースケ君も私にあんな雑用させる気?」

 ナギジュンは子細ありげな顔付。不安なのか念を押しているのかそれとも両方か?

「別に。オレは自分でやれる事は自分でやるつもりだけど」

「なら良かった」

 破顔。不安だったのか面倒臭がっていたのか……。

「それよりユースケ、お前新しい彼女が出来て毎日充実してるだろ? 良いなあ、お前は」

こいつも知ってるからなあ。大畑のニヤッとした顔。色んな事を妄想してやがんな。

「あんたはもう結婚しただろ。妻がいようが彼女がいようがそう楽しい毎日じゃねえじゃん? 「ああ、今日も仕事か」って憂鬱な朝を迎える事もあるだろ」

「まあな」

「ねえ、ユースケ君の彼女ってどんな人?」

「その内逢う事になると思うよ。アナウンサーだから」

「余計な事言うな!」

 また大畑の頭を資料ではたく。

「良いじゃねえかよ、このくらい」

 名前を出されなかっただけまだましか。

「へえ、女性アナかあ。私もイケメン男性アナと付き合いたいなあ」

「EXILEのメンバーに逢いたいんじゃなかったのか?」

「それはそれ」

「目をときめかせちゃって。こればっかりは縁だよ」

「良い出逢いがあると良いな。ITの社長とかさ」

 大畑の一言に……、

「楽しみー!」

ナギジュンは心動かされている。余計な事を吹込みやがって。

「それより大畑、川並君の「元気ですか!?」、あれそろそろ止めるように言ってくれないか」

「ウザいか?」

「ウザくなかったら言わねえよ」

「でもあいつ努力家なんだぜ。最初はオレのキャラなら絶対売れるって自意識過剰に思ってたみたいだけど、「有無を言わせないくらいの実力を付けるしかない」って考え方変えたみいで、オレに内緒で社長に毎日企画書提出して採点して貰ってたんだってよ」

「そんな一面があったのか……」

 彼の見方を変えざるを得ない事実。人は見かけによらないというやつだ。

「ナギジュン、企画書の基本的な書き方は教えたけど、オレや社長には採点して貰わなくて良いから書くだけは書けよ」

「はーい! 解りましたあ!!」

 この笑顔。全然解ってねえな。企画書は書いている内にコツを掴んで行くものだ。ディレクター達からダメ出しされてその内解って来るとは思うけど。

 また大畑が余計な事を言うか心配だったけど、2人を残してオフィスエリアに入った。

 陣内社長は外の喫煙エリアで一服中。その背中は何か物思いに耽っているように見えた。

 オレも外に出て一服する事にした。

「今頃になって「大丈夫か? あの2人」って思い始めたんじゃないですか? 2人を雇った事を後悔してるとか」

「ああいうキャラも良いと思ったんだけどね」

 いつも強気な陣内社長が若干弱気な顔付。

「面白い奴と捉えられるか、軽い奴と捉えられるか」

「何とか私達で前者の方に持って行くしかないね」

 陣内社長は太陽が眩しい空を見上げて紫煙を吐き出した。

「まだまだ教育が必要な2人っか……」

 素朴な言葉を口にしてオレも紫煙を吐く。

「でも大丈夫よ、あの2人。川並君は軽いキャラの中に努力を仕舞っておくタイプだし、ナギジュンは動機は不純だけど、あの子はプロデューサーやディレクターに「ナギジュン」ってキャラクターを覚えられ易いから。それに、教育係である中山君もサイレントマジョリティに見えて仕事は地道にこなして行くキャラで、うちの稼頭になったしね」

 社長はオレを見てニヤリ。

「サイレントマジョリティね。皮肉ですか?」

「だってノイジーマイノリティじゃないじゃん」

「まあ、確かに……」

 陣内美貴という人は社長だけあって人の査定が上手いし育てる力も併せ持っている。オレも何だかんだいって作家の仕事一本で食べて行けてるから。

 春の陽光を浴び、社長とオレは室内に入った。



 「平成最後」となる4月下旬の会議。世間は十連休に沸いていたり、低所得者層の間では「収入が減る」などと困惑したりしているが、放送業界は関係なく通常通りの仕事。

 居酒屋ロケの内容も煮詰まって来て、タイトルは『ドヤ顔で一言選手権』と名付けられた。

「後はスタッフで少しシミュレーションしてみようか」

 大石さんがGOサインを出したのだが……。

「あのう、TTHってドラマ原作賞ってやってますよね?」

 臼杵智弥が徐に口を開く。

「うん、やってるけどどうかした?」

 大石さんはその先を予測しているような顔。

「今年も募集してるんですか?」

「多分すると思うけど、挑戦したいの?」

「もうプロット(内容)は出来て書き始めてるんです」

 臼杵は破顔する。賞を取れるかどうかはさて置き。

「若手の内に何でも挑戦した方が良いよ」

「そうね。何事も経験だから。色んなものを吸収しておきなさい」

 下平はライトな口振りで、大石さんはにこやかにエールを贈った。

 何? この女。作家成り立てで作家は作家でも小説書く気? 智弥ちゃんにだけは負けたくない! 何の根拠もないけど闘争心が芽生えて来た。

「締切りはいつなんですか?」

「確か8月だったと思う。何? ナギジュンちゃんも挑戦したいの?」

「はい!」

 大石さんは素朴な顔してるけど私もガチだ。

「そう。何でも挑戦する事は良い事よ。智弥ちゃんもナギジュンちゃんも賞が取れようが取れまいが頑張って!」

「ライバルがいるのは成長につながるしね」

 大石さんは微笑んで、下平さんは無表情だけど口振りは優しい。

「はい!」

 私達はユニゾンで返事をした。

 さあて、どんな内容にしようかなあ。



 会議が終わりユースケ君に訊く。

「小説ってどうやって書けば良いの」

「序論の知識もないのに挑戦したいって言ったのかよ」

 呆れられたけど訊くは一時の恥。

「オレ小説書いた事ないけど、まずは臼杵さんみたいにどんな物語にするかプロットを書く事。そうじゃなかったら頭の中で物語を構成して付箋を貼ってシーンを作成して行く事だな」

「なるほどねえ。私は付箋の方にしよっと」

 ナギジュンは臼杵智弥に初めて逢った時から対抗心を燃やしているみたいだが、それがあらぬ方向に暴走しなきゃ良いけどね。



 2019年、平成31年4月30日火曜日の23時過ぎ。ナギジュンをうちまで送り、オレは事務所で別番組のホンの手直しをしていた。

 『ガチャ』誰かがオフィスエリアに入って来たが、オレは「お疲れ様です」とノートパソコンに目をやったまま挨拶。

「相手の顔くらい見たらどうなの? 新人の頃から中山君は変わんないね。それよりまだいたんだ」

 声で陣内社長だと解る。

「もう直ぐ日付が変わって「令和」になるよ」

「ええ」

 腕時計を見ると24時まで5分前。

「新しい時代が始まっても、オレは何にも変わりませんけどね」

「相変わらずやさぐれてるね。続きはうちでやったら? アナウンサーの彼女が待ってるんじゃないの」

「待ってるかどうかは解りませんが」

 とは言いながらパソコンや資料をバッグに仕舞っている自分がいる。

「素直じゃないね、君も。そんなとこも新人だった当時から相変わらず。でも、良くも悪くも自分に正直に生きてるんだよね、中山君って」

 社長は苦笑だか微笑みなんだか解らない笑み。

「帰る前にテレビ観て行かない? 渋谷の状況とか、絶対全キー局で中継してる筈だよ」

「ミーハーですね、社長も」

「作家は色んな面にアンテナ張っとかないとね」

 2人で休憩エリアに移動し、陣内社長はテレビをつけた。案の定、中継をやっている。

『こちら渋谷は大勢の若者、警察官で黒山の人だかりとなっています』

 女性リポーターのアナウンスの後……。

『5、4、3、2、1! ……令和おめでとう!!』

 この状況は渋谷だけではなく六本木でも。若者たちの歓声は凄まじい。

「こんな雨の中を、思った通りだね」

 陣内社長の笑みは、今度は苦笑だな。オレも釣られて笑ってしまう。

『続いて大阪からです』

 アナウンサーの声で画面は大阪市に切換わった。その大阪では心斎橋から道頓堀川に飛び込む若者達。

『令和は僕達若者が引っぱって行きますよ!』

 学生と思しき若者。

『令和最高!!』

 4人の女性のユニゾン。

 そして皇居前広場では……。

『天皇陛下と皇后さまのお顔を良い場所で拝見したいと思いまして』

 とご婦人。

「この人達、昨日は「上皇さまのお顔を」って言ってたのに、今日は「新天皇陛下のお顔を」だもんね」

 苦笑から呆れ笑い。

「人にもよりますけど、日本人特有の傾向ですよ。熱し易く冷め易い」

「まあね。フフンっ」

「でも西暦が本でいうページ数なら、元号はその本の「第一章、二章」の章とも表現出来ますよね。だから気持ちの切替えが出来易い国民でもあるかもしれない」

「なるほど。そういう考え方もあるね」

 陣内社長は画面を観たまま頷いた。

「じゃ、帰って仕事の続きやりますんで。令和時代も引続き宜しくお願いします」

「こちらこそ。お互い身体には気を付けようね」

「今の挨拶は顔と目を合わせて言いましたから」

 オレがにやつくと、

「解ってるつうの! お調子者なとこも、君はほんとに根本が変わらない。私の方がこの業界に毒されちゃったかもね。フフフフンッ! 早く帰んなさい。彼女が待ってるだろうからさ」

陣内社長は伏目がちに自分を嗤う。 

 たが、いつも背中を押し続ける、というより蹴り飛ばしてGOサインを出す陣内社長が、身体の事を気遣うとは何と珍しい。社長として社員の状態はちゃんと見ているんだ、この人も。

 ちょっとした「発見」をした所でオレは帰宅の途に着いた。



 元号が「平成」から「令和」へと改元された数日後、別番組の打合せとロケハンを終えてナギジュンと共に歩道を歩いていた。するとどちらかのスマートフォンが着信音を鳴らす。一瞬自分のかと思ったがナギジュンだ。

 「メッセージだな」それは良いのだが気なるのは彼女の表情。笑みは浮かべていないが何処か「しめた!」というような目。オレは看過しなかったぞ。

「ユースケ君、今日は私電車で事務所に帰るから、車は良いや」

「そう」

 やっぱり何かあるな。

 ナギジュンは駅の方へ向かって行く。もう教育係ではないが、あの目は何かあると確信し、彼女を尾行する事にした。

 六本木から東京メトロ日比谷線に乗車し、恵比寿に向かっている。事務所とは方向が違う。友達と会う約束なのか、それともオレが予測した通りあらぬ事を画策しているのか。

 恵比寿からは山手線内回りに乗り五反田で下車した。五反田駅構内で1人の男性と落合っている。

 あの男性、見た事あるぞ……。

「待ちました?」

「いいや。オレも5分前くらいに着いたばっかりだから。念の為に確認するけど、淳子ちゃん、ほんとに良いのこんな事して?」

「良いんです。これで仕事が貰えるんなら。私、ガツガツ行きたいですから! 今のままじゃガツガツどころかカツカツですもん」

「そうなんだ。新人放送作家も大変だよね」

 そう言うと男性は笑った。

 これでほんとに仕事が貰えるんだろうか? 迷うとこだけど、今の私にはこの企図しかない。

 俵慎二と一緒に五反田のホテル街に入った。俵はキャップを被っただけでサングラスもマスクもしていない。私も当然帽子も被ってなければマスクもせず、お互い堂々と歩いている。

「ここにしよっか?」

「そうですね」

 あるラブホに入ろうとした刹那……。

「うちの社員とこんな所で打合せでもするんですか?」

「ユースケ君、どうしてここに!?」

「何か様子がおかしいと思って付けて来たら、ラブホに直行かい」

 ユースケ君はニット帽にUVカットの黒縁の眼鏡、マスクとこっちの方が変装している。

「……貴方は誰ですか?」

 俵慎二の声は明らかに狼狽している。

「申し遅れました。僕は奈木野と同じ事務所の中山です」

 名刺入れから一枚抜き取り男性に差出した。

「貴方も……放送作家……」

「貴方は、4月に公開したネット映画がヒットした俵慎二監督ですよね?」

「ええ、まあ……」

「7月期の深夜ドラマの監督にも決まってるそうで。そんな方が脚本には程遠い若手の放送作家に何の用があるんですか!?」

 声のボリュームを上げてやった。

「僕ら……付き合ってるんですよ、実は」

 俵監督……目を泳がせちゃって。見え透いた嘘を。

「ナギジュン、本当に俵監督と交際してるのか?」

「……」

 彼女は頷くだけ。

「本当に信じて良いんだな!?」

 ナギジュンにも顔は無機質で、でも目には力を込めて声のトーンを上げてやった。

「……ごめん。嘘……」

「だと解ってたよ」

 大きな溜息をお見舞いしてあげた。

「俵監督、彼女と肉体関係を持ってどうするつもりだったんですか。うちの社員を蔑ろにして、見縊らないでください!!」

 俵慎二監督の目を見据え、眼光鋭く更に声のトーンを上げてやった。

「いや、別に見縊ってはないですけど……」

「肉体関係を持つんならもっとメリットのある女性とどうぞ」

「はあ……淳子ちゃんごめん。オレ仕事が入ってるの思い出したわ」

 俵慎二監督は狼狽したまま脱兎の勢いで去って行った。

「ナギジュン、どうして枕までしようと思った?」

「私はガツガツ行ってジャンジャン仕事を貰いたいの! ユースケ君みたいな放送作家は「女に尻叩かれ作家」じゃん」

『グサッ!! ……』。

「……触れるし者よ、全てを打砕くジャックナイフ……」

 心中の声が出てしまう。

「オレはオレでもっと成長しなきゃいけないけどな。でもな、枕までして仕事を得ている作家は、何れ飽きられて衰滅するぞ。ドラマ原作賞、書いてるのか?」

「教えてくれた通り書いてる」

「だったら今はそれに集中しろよ。後空き時間があれば、好きな競馬の知識をディープな部分まで掘り下げてみろ。そうやって得意ジャンルや独特のセンスを地道に磨いて行った方が、絶対得策だぞ」

 彼女の目を見据えて真剣に言った。外連味でも皮肉でも何でもない。それが放送作家が生き抜く術なのだ。

「……ユースケ君、ここまで来たんだから1回どう?」

 ナギジュンの甘えた目。

「今までの話を聞いとったんかい!!」

真剣に説いた自分がバカらしくなって来た。

「聞いてたけど、私、脱いでも凄いんだよ」

「得意げに言う事か! 昔CMでそんな台詞あったな、そういえば。三従兄妹と肉体関係を持つ暇なんかねえし、近親相姦だろ! ほら、事務所に戻るぞ」

 ナギジュンの手を取ってホテルから離れた。そんなにガツガツ行きたいんなら、こっちにも考えがある。



 翌週月曜の『ーーSTREET』の会議。

「『ドヤ顔』は今週ロケに行くんだけど、来週はどうしようかねえ」

 大石さんはホワイトボードを見ながら迷っている。既に幾つかの企画案はディレクター達と勘考して挙がっているのだが……。

「候補には挙がってませんけど、新しい企画を思い付いたんですが」

「何? ユースケ君」

 大石さんは期待している表情。

「ご希望に添えるかは解りませんけど、ナギジュンと臼杵さん、それとうちの事務所に川並光哉って新人がいるんですけど、新人作家が出演者に企画をプレゼンするスタジオ企画があっても良いんじゃないかと」

「ちょっとユースケ君、マジで言ってるの!?」

 ナギジュンはプロデューサーより前に反応する。

「だってガツガツ行きたいんだろ? 臼杵さんはどう?」

「私はやらせて貰えるんなら幾らでも考えます。テレビに出れば他のディレクターさんやプロデューサーさんにも観て貰えるかもしれないですし」

「ほら、ライバルがそう言ってるんだぞ」

「そうよナギジュンちゃん。先輩がチャンスをくれたんじゃないの」

「確かに他局のプロデューサーとかが観てて「こいつは面白い」って判断したら、仕事のオファーが来るかもしれないね」

 大石、下平両プロデューサーからけしかけられたナギジュンは、

「解りました。智弥ちゃんに負けないような企画を考えます」

臼杵さんを一瞥する。

「面白い企画を考えようね」

「解ってるよ! そんな事」

 笑顔の臼杵に対し、ナギジュンの表情は無機質。バチバチ火花が飛び交っていた。

「じゃあ決まりね。再来週はその企画で行きましょ。後はどの企画を煮詰めて行こうか?」

「うーん……」

「これからで行くと、そうっすねえ」

大石さんもオレもナリ君も2人に対しては

素知らぬ顔。会議は進行されて行く。

 


 その会議が終わり、帰り支度をしている

と、

「ねえ、何であんな企画案を出したのよ」

ナギジュンは納得していない。さっきの火花

はどうした?

「企画っていうのはちょっとした会話がヒン

トになって思い付く事もあるんだよ」

「そうそう、会議中の何気ない会話からも

ね。だから作家やディレクターは常に

アンテナを張っておく必要があるの」

 オレと大石さんの解説にも、

「そうなんだあ……」

まだ釈然としていない。

「とにかく臼杵さんには負けたくないんだろ?」

「そりゃあの子には負けたくないよ!」

「だったら企画を練りに練る事だな」

「解ったよ。やってみる」

 ナギジュンの目に力が籠った。でも、ここ

まで説得せねば解らんのか……。

 


 木曜日、『ドヤ顔で一言選手権』のロケが

品川の居酒屋で行われた。この企画、シ

ミュレーションの時の方が盛上ったのだ。

「居酒屋って設定だから、本当は駄目なんだ

けどお酒飲んでも良いよ」

 大石さんの一言に、

「マジっすか!?」

ナリ君は目を丸くする。

「その方がよりリアルに出来ると思うから」

 この後の仕事もあるだろうに、大石さんも

呑気なものだ。とはいえ、飲酒のお許しが出

たのはナリ君と女性だが男性役として大場、

それとディレクターの真鍋君の3名。早速A

Dがコンビニまでビールなどのアルコールを

買いに行く。

 そして何故かオレは進行役に抜擢された。

「ユースケ君はいつも落着いてて安定感があ

るから、進行に向いてるんだよ」

 とは大石談。プロデューサーから頼まれた

のだから仕方がない。ターゲットになる従業

員役には枦山夕貴ディレクターが選ばれた。

 会議開始早々に3名はADが買って来た

ビール、チューハイやつまみなどを飲食し始

めた。然程酒に強くない3名は飲み始めてか

ら20分くらいで酔いが回り始め、このタイ

ミングでシミュレーション開始。

「ほら3人共、もう十分酔って来ただろ? 

枦山さんにドヤ顔で一言言ってみたら」

「オレから行っても良いっすか?」

「良いよナリ君。別に順番は決まってないか

ら」

「私を彼女だと思って言ってみて」

 枦山さんは今の所笑顔だが、3人には酒が

入っている為、目は全く期待していない。

「夕貴、重なり合おう」

 下種……。

「真顔で言う事かよ!」

「オレ的には純粋に言ったつもりなんっすけ

ど」

 枦山さんとナリ君のやり取りに笑ってしま

うが、

「面白かったから、今の候補に入れといて」

お貴さんにメモするよう指示した。

「次オレ行くわ」

 真鍋君が手を挙げる。またどうせ……。真鍋君はビールを一口飲み、

「夕貴、一緒に死のう」

重っ……。「ハハハハハッ!」笑ってしまう。

「笑顔で言う事かよ!」

「純粋な愛じゃないか!」

「愛なんて感じねえよ!」

 枦山、真鍋のツッコミ合いを見ながら、

「今のも面白かったからメモしといて」

「はい」

またお貴さんに指示。

 ここまででお貴さん含め会議室内は失笑に包まれている。

「オレもう一回行っても良いっすか」

「どうぞナリ君」

「夕貴、裸体を見せてくれ」

 ダイレクト過ぎ……。

「何それ? 真顔で言うの止めて!」

 枦山さんも、苦笑するしかないだろう。

「下種な言葉ばっかだけど、今のもメモっといて」

「下ネタばっかり……」

 お貴さんも、然り。

「アルコールが入った男の頭はそんなもんだよ」

 正直呆れてしまうが事実でもあるから。

「あんた達の口からは下ネタしか出て来ない訳?」

 下平も呆れ顔。

「そんなに下ネタが続くんだったら……」

 今まで黙っていた大場が手を挙げる。

「夕貴、お前の事は一生忘れないぜ!」

 純粋で切ない……。

「やっと奇麗な台詞が出たね。これは採用だ」

 お貴さんはまたメモに取る。だがその後は……。

「夕貴、君で毎日オナニーしてるよ」「夕貴、オレは君であんな事もしたしこんな事もしたよ」。真鍋、ナリ君の下種回答は続く。2人共、悪酔いしているからそんな台詞ばっかり。初めは笑ってツッコんでいた枦山さんも、流石に気色ばんで来た。大石さんも呆れ顔。

「3人共、というより2人は悪酔いしちゃってるからこの辺にしとこうか。面白いのはもう解ったし」

 大石さんからストップが掛かったが、

「じゃあ最後にナリ君、もし枦山さんが二股掛けちゃったっていう設定で一言ビシッ! と言ってみて」

 面白がって彼に振ってみた。

「私二股なんか掛けねえよ!」

「飽迄も設定」

「そうっすねえ……ちょっと夕貴、そんな事して貰っちゃ困るんっすけど」

「全然ビシッ! と言われた気がしない。二股掛ける女はまたやるね」

「うん。語調にパンチがなかった」

 枦山さんとオレの指摘に、

「オレ的にはビシッと言ったつもりなんすけどねえ」

ナリ君は腑に落ちず首を傾げる。

 シミュレーションはこんな感じだった。3人が出した回答からピックアップし、ホンにして行く。

 この回のホンは書きようがあった。出演者達はホン通りに企画を進めて行ったからだ。かといって特に珍しい事でもないのだが、唯一アドリブがあったのは、オクリズの大政功希の「アヤメ、君の乳首を口の中で転がしたい」という、やっぱり「下種な」発言だけだった。



「臼杵さん、ドラマ原作賞書いてる」

 6月に入り、会議中にそれとなく問掛けた。

「書いてますっていうか、もう書き終わって見直してます」

 臼杵は自信ありげ。もう受賞したかの如く破顔。

「そう。じゃあ後は成稿して送るのみだね」

 大石さんは我が事のように嬉しそう。

「ナギジュンちゃんはどんな調子?」

 げっ! 大石さん私にも……そりゃ振って来るよなあ。

「私はもう見直し、成稿も終わりました」

「そう。なら送るだけだ」

 大石さんは破顔してるけど大嘘。書き終わったのは本当だけど、まだ成稿までは行っていない。

「ナギジュンちゃん、絶対負けないから」

 何なのこの子!? また不敵な笑みを浮かべちゃって。目もマジだし。

「私だって智弥ちゃんには負けたくないから頑張る」

 私も意識して不敵な笑みを浮かべる。

「お互い頑張ろうね」

 智弥ちゃんは今度は柔和な笑みに変わる。この子、ガチで侮れないし私は気が抜けない。

「ライバルがいるって事はお互い鎬を削って成長して行くんだよ。2人共頑張ってね」

 大石さんは微笑みを浮かべてはいるが、ナギジュンと臼杵との間にはまた火花がバチバチ状態。

 だがこの2人、別に啀合っている訳ではないようで、この前はTTH内の社食で向合って座りお茶していた。ファッションやこれからの理想を語り合っていたらしいが、ライバルでもあり良き友人でもあるようだ。サイレントマジョリティのオレには解らない心理だ。なのだが……。

 


我が〈レッドマウンテン〉と臼杵が所属する<vivitto>がアライアンスして放送作家を特集している、マンスリーWEBマガジンがあるのだが、何と臼杵智弥はグラビアで「美人放送作家」としてセミヌードを披露したのだ。

「ちょっと何これ!?」

 ナギジュンはパソコンの画面を観たまま目を丸くする。

 このマガジン、放送作家の仕事に密着し、人気のラジオ、テレビ番組の裏話を紹介する事でそこそこ好評を得ているのだが、去年から美人作家のグラビアを掲載したらもっと好評を得るのではと、<vivitto>の社長が企画し、発刊する度1人、グラビアを飾る事になった。記念すべき初のグラビアはお貴さんこと膳所貴子だったが、彼女はファッション。他の作家も水着まではあった。

 しかし臼杵は森の中に全裸で立ち、胸は右腕、あそこは左手で隠すというポーズ。仕舞にはシャワーを浴びながら半けつまで見せるという内容だ。

「放送作家もここまでやるようになったか……臼杵さんもよくOKしたな」

 唯々呆れてこれくらいしか感想の言葉は、ない。だがナギジュンは違った。

「あの子何処まで自分に自信があるの!? 社長!」

 彼女は興奮状態で陣内社長を呼ぶ。

「どうしたのナギジュン? また何かに触発された?」

 社長は察した表情で近付いて来る。

「智弥ちゃん脱いでますけど、これって智弥ちゃんの希望だったんですか?」

「まさか。<vivitto>が企画したんだよ」

「事務所から何か圧力でも掛けられたんですかねえ」

「圧力でここまでする!? 普通」

 ナギジュンはまだ興奮。

「圧力なんかなかったみたいよ。社長に言われて「はい、解りました」ってノリノリだったみたいだから」

「へえー……」

 肝が据わっているっていうのかナギジュンより一枚上手というのか、何と形容しようがあるものか……。

「社長! 私もグラビアに出たいです! そして脱ぎます!!」

 ナギジュンの決然とした口振りと表情に、

「そんなとこにライバル心燃やさなくても良くない?」

「そうだよ。臼杵さんは臼杵さん。ナギジュンはナギジュンなんだから」

社長とオレは苦笑して宥めるばかりなり。

「まっ、ナギジュンも美人ではあるから、その内グラビアに出て貰う事になるとは思うけど」

「ほんとですか!」

 破顔……解り易いやっちゃ。

「智弥ちゃんより過激にやりますから!」

「だから脱がなくて良いって! ……」

 陣内社長とオレでユニゾンでツッコむも……。

「ああ、楽しみ!」

 柳に風。

「だって前に言ったでしょ、ユースケ君。私脱いでも凄いんだって」

「貴方達そんな会話してるの?」

 今度は社長が目を丸くする。

「オレから訊いたんじゃないですから」

「そう。とにかく、ヌードとかそんな過激な事しなくても良いから」

 陣内社長は念を押し、したり顔をして自分のデスクに戻って行く。ヌード以外に何かあるのかいな?

 だがそんな事より……。

「ナギジュン、企画プレゼンの収録、今週末だぞ。そっちの方はどうなんだ?」

「企画はもう考えたし、終わったよ」

「子細ありげににやついてるけど相当自信がおありのようで。別に見せろとは言わないけど」

「別に見せても良いけど」

「いいや。収録までの楽しみにしておくよ」

 先輩としてチェックした方が良いのであろうが、何故か見るのが憚られた。

 もう彼女に任せよう。そう思っている内に収録日の金曜日がやって来た。発案しておいて何だが、今更ながら憂いが生じて来るのは何故か……。



 この日出演する放送作家は奈木野、臼杵、川並と他事務所の新人作家を入れた5名。沢矢さんも臼杵の出来、プレゼンの仕方をチェックしようとスタジオに訪れていたが、川並の教育係だった大畑の姿は、なし。自立したら「はい、それまでよ」って事か……。

「さあ、2人共どんな企画を出して来るか」

「私達は見守るだけですね」

 この口振りだと、沢矢さんも事前にチェックはしていないようだ。

「プレ放送作家!」

 安在政高さんのタイトルコールでコーナーは始まった。トップバッターは私からだ。

「新人放送作家がこれから企画をプレゼンします。それを貴方達が見立てて良い企画は実践してみようというコーナーです」

「ありもしない知識を絞ってね」

 多田夕起さんはボケるけど、私達は笑えない。ペットボトルの水を二口飲む。

「フフンッ」

 智弥ちゃんは笑ってる。あんた幾らボケでも貶されたのによく笑っていられるね? それともぎゃふんと言わせる自信がある訳? まっ、笑ってる余裕があるんだったら、篤と力量を見せて貰いましょう。

「まずは奈木野淳子ちゃんからです」

 呼ばれて立上りカメラの前に立つ。多田さんからマイクを渡された。私の顔と声が初めて電波に乗るのだ。緊張するなって言う方が無理に決まってる。

 それに出演者はレギュラー5人にプラス、ゲストにお笑いコンビとピン芸人が1人の計8人だし。みんな素人の頃からテレビで観て来た人達ばっか。

「内容を聞いてる途中でこれはつまらないと思ったら、そこでボツにしても良いですから」

 何だと!? 安在さん。ボツになんか絶対にさせない!!

「私が考案した企画は『アドレナリンピック』です。皆さんには色んなシチュエーションでロケをして貰い、例えば飛込んだ部屋が女風呂だったとか、半裸の女性に抱き付かれても如何に冷静でいられるか、アドレナリンを出さないでいられるかをチーム、又は個人で競って頂き、冷静でいられたチーム、人が優勝、という内容です」

 終わった。足は小刻みに震え口内もパッサパサの状態だったけど、何とかかまずに言説し、「アドレナリンも」少なくて済んだ。後はどういう反応が返って来るか……。

 「フーー……」ナギジュン、良くやったな。大甘だが安堵の溜息が出てしまう。まるで自分が考案した企画がプレゼンされたような気持ちだ。内容からして深夜向けだし面白いとオレは思うのだが、果たして採用かボツか……。

「面白いと思うよ。只ロケとなると色々準備も掛かるし、アドレナリンもどうやって測るかだよなあ」

 多田さんは若干難色ぎみ。やっぱお金掛け過ぎたか?

「企画会議でもっと煮詰めて貰えれば、実現は出来るんじゃない」

 大政功希さんには好感触のようだ。

「もし実現した時にはオレ達は呼ばれるの」

 コンビのツッコミ担当の人が心配そうな顔をして訊いたけど、

「それは解りませんねえ」

安在さんはボケで返す。そんなやり取りは良いから早くジャッジしてよ!

「でも一回やってみる価値はありそうだよね」

「ありがとうございます!!」

 飯田孝秋さんに笑みを浮かべて頭を下げる。オクリズには好感触みたい。

「じゃあ採用だね」

「ほんとですか!? ありがとうございます!!」

 安在さんにも頭を下げた。今日の出演者の人達は皆さん良い人ばかりだ。

 採用のファンファーレが流れ、私は「フー」と息を吐きながら席に戻る。

「良かったね。採用されて」

 智弥ちゃんの満面の笑み。次はあんたなのに人に声掛けられる程余裕なの?



「じゃあどんどん行きましょう。次は臼杵智弥ちゃんです」

 智弥ちゃんは颯爽と出て行く。この女、能天気っていうのか怖いもの知らずっていうか……。

「私が考えた企画は今直ぐにも出来るくらいのお金が掛からない企画です」

 にこやかに宣言しちゃって。私への当て付けなの?

「その名も『Tバックバカ一代』です。皆さんにはTバックを穿いて貰って、どのアイテムを身に付ければよりバカっぽく見えるかを競って貰うという内容です」

「漫画のタイトルに似たやつあるけど、内容的には悪くないかもな」

「でもこのご時世で裸っていうのがなあ」

 多田さんと飯田さんのアンテナには引っ掛かったようだけど。

「でもさあ、この企画だったらこの後直ぐにでも出来る事は確かだよね」

 安在さんは裸の企画でも意に介してないみたい。多分、自分がやらないからだろう。

「やりようによっては面白いかもね」

「じゃあキープしとく?」

 大政さんと飯田さんは真面目な顔付。

 この間、智弥ちゃんはにこやかに様子を窺ってるだけ。「これは採用される」と確信を持ったみたい。

「じゃあキープ!」

 安在さんが告げてファンファーレが鳴った。

「ありがとうございます」

 智弥ちゃんは一礼して席へ戻って来る。

「あの企画何日で考えたの?」

「一日。ちょっと徹夜したけどね」

 ほんと何なのこの女!? 最後まで余裕ぶっこいて。こうなりゃ私の企画も絶対実現して貰う!

 他の人達は、専門学校を卒業したばかりの女の子が『熱いラブレター』というタイトルで、高ネオさんに対してガチな想いを手紙に綴り、2人がもっとも心を打たれた人が優勝となる内容でキープ。

 ニュース番組のADをしていたという男性は『毛抜き拳』をプレゼン。内容は野球拳と同じようにリズムに乗ってじゃんけんをして、負けた人がすね毛を抜かれて行くというものだったけど……こちらは、ボツ。

 最後のコウ君は『歌っていいとも!』というタイトルだったけど、プレゼンをする前にボツにされちゃった……。



そして多田さんも入れた出演者で多数決を取って放送する事になった企画は、悔しいけど智弥ちゃんの『Tバックバカ一代』……。

でも内容は少し変更され、Tバックは穿かずどうやってあそこを隠すか、という内容となり、安在さんとKAORIさんがMCとなってオンエアされた。飯田さんが言った通り、このご時世に裸の企画って……。

テニスボールやペットボトルを振って泡で隠すなど皆趣向を凝らしてたけど、飯田さんはロープであそこを結ぶだけで隠す気全くなし。安在さんに「ちょっと待てー!!」とツッコまれ、KAORIさんは苦笑しただけ。私達女は笑うしかなくない?。

優勝したのは態々毛まで剃ってテニスボールを使ったピン芸人。すると他の人達は「何でこいつが優勝なんだよ!?」と全員全裸でカメラの前に出て来る。私達女は手で目を覆う……しかないじゃない。

こうしてユースケ君が考案してくれた企画は終了。後は私の『アドレナリンピック』が具現化されるのを待つだけ。っていうかして貰わないと困るんたけど。



「採用されて良かったな」

 本番終了後、コウ君は破顔して言って来た。

「ボツにされちゃって残念だったね」

「いや、オレは美味しかったと思ってる。少しでもテレビに映って顔と名前が出た訳だからさ」

「そう。落胆してなくて良かった」

「落胆なんかするかよ。オレ、メンタル強いから。あの企画、メジャーな曲や番組テーマソングを自由に替え歌して良いって企画だったんだけど、タイトル変えてちゃんとプレゼンすれば、実現出来るって思ってる。ナギジュンハニーもそうだろ?」

「うん。私も何日も掛けて考えたからね」

 川並光哉という男に心配する心は無用だったみたい。何処までも心が折れず何だってポジティブに捉えちゃう。この男はそういう性格なんだよね。私の方が落胆しちゃう。



 6月下旬の会議。

「皆、番組が来月最初の放送から60分に拡大される事が決まったから」

 大石さんは嬉しそうな顔。

「この番組、スタートも急だったし放送時間延長も急ですねえ」

「ストレートニュースがなくなって、ステブレレス(ステーションブレイクレス。番組との間にCMを挟まない)になるから時間が余るんだって。次の番組を延長させようかって編成局長は思ってたみたいだけど、うちの番組をお願いします! って、局長に懇願したの」

 大石さんの顔は綻びっぱなし。その分ホンを書くのは作家なんですよ……。たったの10分だけだけど。

「10分拡大するからには、12、4%台には行こうではないか! 皆!!」

「今の時点で11、2%台と安定はしてるんですよ。現状維持で行った方が……」

「オレもそう思うんっすよね」

 ナリ君も頷きながら同調。

「何言ってるの2人共! 時間も延長されるし局長にも絶対数字を上げてみせますから! って言ちゃったんだよ。何としてでも10%台半ばくらいには上げなきゃ。スタッフがそんな消極的でどうするの!」

「済みません……」

 ナリ君とユニゾンで謝るしかない。しかし大石さんのバイタリティは何処から来るのやら……。

 只、「無理だ」が直感。番組も定着しては来たけど、高ネオも雑誌のインタビューで「週末のお休み前に一笑いを」と答えているから。10%台前半が丁度良いと個人では思うのだけど。

「さあ、60分になる1回目となる企画は何が良いかなあ?」

 大石さんは幾つか案が挙がっているホワイトボードを見て言う。

「それなら『アドレナリンピック』、せっかく採用されたんですから詰めて行きましょうよ!」

 ナギジュンの声は自信を感じる。

「アドレナリンっていったって、常時血液検査とかするの無理じゃね?」

「うーん。そうよねえ……」

 下平と大石さんはプロデューサーとして指摘する。

「アドレナリンを測定しるっていうのは銘打ってるだけで、血圧や心拍数を測定して興奮状態の度合いを見るんです」

 ナギジュンの自信は揺るがない。ホワイトボードにはなかった企画。どうやら彼女はこの日までに自分なりに企画を具現化していたようだ。

 人間変われば変わるもの。志望動機が不純でも、彼女なりに努力するようになって。先輩としては正直嬉しい。

「絶対に企画を通したいんだな」

「そりゃそうだよ。何週間も掛けて考案したんだからさ」

 この不敵な笑み。放送作家としての自覚が芽生えて来たようだ。本当に成長には安心する。が……。

「心拍数や血圧を測定するんなら行けるんじゃないっすかね。機械を取付けるだけっすから」

 ナリ君も面白いと判断したのだ。真顔で後輩の背中を押す。

「まあ、それだけなら行けるし面白いとは思うんだけど、問題は予算よねえ」

「そこなんですよねえ」

 大石、下平両プロデューサーは「カネ」の問題と戦う。

 後輩が後輩の背中を押したのだから、オレも直属の先輩として……。

「12、3パーの数字を取りたいんでしょう。なら初回は進行役をアナウンサーにして、レギュラー5人でやってみたらどうですか。それに、10分拡大されて制作費も少し上がったんじゃないですか?」

 少々挑発的に打診してみる。

「そうね。面白いと思ったら多少費用が嵩んでもまずは実行してみなくちゃね。確かに制作費も少しは上がったし」

「大石さん、マジで言ってます?」

 下平はまだ「カネ」に拘っている。

「私はマジだよ。大マジ。だってナギジュンちゃんがせっかく考案してくれてここまで肉付けしてるんだから」

 流石は大石さん。こうと決めたら決然とした態度で前進して行く人。

「……そうですか。大石さんが良いって言うんなら、あたしは何も言いません」

 下平は根負け。心中でお手上げのポーズをしているのが見て取れる。

「問題はどのシチュエーションにするかですね」

「時代劇なんかどうですか? 最近あんまり観ないから面白そうですけど」

「貴子ちゃん、時代劇は衣装とかカツラで余計予算が掛かるって。あたしはそこを気にしてるんだよ」

 下平は眉間に皺を寄せる。

「あんた達作家のギャラを減らしたら出来ると思うけどね」

「下平、そんな酷な……」

「だってそうしなきゃ仕方なくね?」

「私は別に良いですよ。面白くなるんなら」

「お貴さん、あんたは富裕だから良いだろうけど」

「富裕」は百パー皮肉。

「別に本格的にしなくても良いと思うんですよね。カツラはコントで使うようなやつでも良いと思うし」

「でも小道具や衣装はどうするんだよ」

 真鍋ディレクターの少しにやついた指摘に、

「それはケースバイケースで」

お貴さんの答えは正直理解に苦しむ。正に「ふぁー」としたご解答……。

「カツラは時代劇で衣装は現代劇って、面白い以前におかしくね?」

 そら来た、下平のツッコミ。

「じゃあ、制作費を工面する為に作家とディレクターの報酬も一割カットだな」

「えっ!? 何でオレ達も?」

「どうしてよ!? ユースケ君」

 真鍋、枦山ディレクターは立上って反論。

「だってディレクターもロケハンとか企画に携わるだろ」

 こうなりゃ巻き添えだ。

「解ったよ。良ーく解ったから。だったらタレントは事務所の兼合もあるから難しいにしても、私達スタッフの報酬は全員一割カットにしよう!」

「大石さん本気で言ってるんですか!?」

「そんな殺生な!」

「あーあ。ブランドのバッグ、良いやつ見付けたのに買えない」

 下平、真鍋、枦山は各々の本音を吐露。真鍋君に至っては泣き真似。泣きたいのはオレも一緒だよ、お貴さん以外は。

 それはさて置き、60分第1回目の企画は『アドレナリンピック』で挑戦するのはレギュラー5人、時代劇で行く事は決まった。

 シチュエーションは水戸黄門、町娘、代官と決まって行き、茶屋の娘が半裸、戸を開けると女風呂、タンスを開けると炭酸ガス噴射など、仕掛けも決まり企画は煮詰まって行った。



 14時から会議が始まって終わったのは6時間後。拘束時間が長いのはこの業界の常だが、今日はいつにも増して疲れた。それに引き換え、

「ギャラが一割カットされるのは痛いけど、企画ってああやって肉付けされて行くんだね。また勉強になった。それにありがとうユースケ君。ギャラカットって発言がなかったら実現しなかったかもしれない」

破顔するナギジュン。自分の企画が通されたのだから尚更。新人、増してや実家暮らし。実家が富裕な人は良いもんだ。

「でもスタッフの給料もカットしなきゃいけないなんて、制作費ってそんなに安いんだ」

「深夜番組はもっと逼迫してるけど、プライム帯もな。例外な時間帯はない。酷い場合じゃ制作プロダクションが身銭を切って制作する事もあるよ。今は何処のキー局もそんな時世」

「えっ! そんなに苦しい台所事情なの!?」

 目を見開き、やっと解ったかという顔。放送局はどのチャンネルでも金を持っているという考えは、お門違い。お貴さんとナギジュンには響かない事情だな。



 『アドレナリンピック』は7月上旬にロケが行われ、出演者は安在が代官、多田が水戸黄門、KAORIが町娘役などに扮し、血圧計と心拍数を測定する器具を装着して貰った。

 しかもロケ場所となったのが京都の時代劇撮影所。出演者、スタッフは新幹線で移動し、本格的なカツラ、衣装で企画を楽しんでいた。

 そりゃスタッフの報酬も一割カットになのは致し方がない。それでも赤字なのではないのか?

 しかし「その甲斐」あってかこの回の数字は、平均12%台。個人視聴率では六・九%と、大石さんの願い通りの数字を記録する事は出来た。

 8日後の会議では、

「ほら、やれば出来るじゃない! 自分達を信じてれば願いは叶うんだよ!!」

想像した通りの喜びよう。

 確かにスタッフが怠けたりやる気を失えば、出演者は乗ってくれなくなる。今回はその「やる気」に応じて貰ったのだ。それは解るのだけれど……。

 だが、

「今度からは現代劇にしようね」

下平Pは複雑そうな顔。これが局P(放送局社員のプロデューサー)と制作プロダクションのプロデューサーの心境の違い、であろう。

「次はどんな企画で行こうか?」

 大石プロデューサーは、どんな難局でも常にポジティブシンキングなり……。常にネガティブシンキングになりがちな自分にはちと真似が出来ない。けど……。

 また数字が下がったら元も子もない。今日もディレクター、放送作家は勘考する。



 2019年、令和元年8月中旬頃から、相方こと奥村真子の様子がおかしいのである。得意な筈の料理も作ってくれなくなり、「コミュニケーションの時間」と言っていた2人で入浴する事もなくなった。食事も殆ど摂っていないようで、少し痩せた気もする。

 帰宅すると「ただいま」とも言わず直ぐソファに横になり、表情も仄暗い。初めは多忙な仕事の為、そのストレスなのかと思っていた。

「仕事大変なんだろうな。あんまり無理するなよ」

「まあね。別に気にしなくて良いから」

 声にも覇気がない。

「何かあったら言えよ」

「何もないから! 別に」

 彼女はムキになり、何も言えなくなってしまう。

 そっとしておくのが良いのか、半月近く様子見の状態が続く。だが相方の様子は一向に改善される事はなかった。

 何かあったな。そう悟ったオレは、

「たまには外食でもするか」

何とか奥村の気分だけでも変えようとした。しかし……。

「いい」

 これが彼女の淡々とした答え。何にも力になってあげられない。放送作家の心中は察する事は出来ても、アナウンサー兼報道記者の心中までは解らないのが本音。

 これが「出演者と裏方の差」なのだ。自分の無力さを痛切する。

 今や彼女は報道記者だけあって、自分で取材先へのアポイントメントを取り、ネットニュースの記事やニュース原稿までも執筆する事まで、任務として任されている。

 現場ではカメラマンに対しても、「ここは(カメラを)回してください」「この部分は回さない方が良いですね」「私が現場に来た事が解れば、もうこれ以上は回さなくても十分なんじゃないですか?」などと、積極的に意見や指示も出して、最早、奥村は「立派なキャリアウーマン」「アナディレクターだよ」といったスタッフの声はオレにまでも入って来ている程。

 序論の知識も把握する為、勉強量も博識さも際限がなく、放送作家の仕事とは、カメラの前に出るか出ないかの違いだけで、共通する面は多々あるのだが……。

 脱帽する面ばかりではあるが、果たして奥村真子の中で何があったというのか……。



 10月に入ったが相方の様子は相変わらず。無論、気には掛けているのだが、お互い多忙でオレも『高ネオ STREET』の他6本のレギュラー番組を抱えている為、中々彼女に構う暇がなく、不毛な日数を数えていた。

 テレビでは笑顔を見せているが、自宅マンションでは笑みは微塵もなく、前はオレが構成に携わっている番組を一緒にチェックする事もあったがそれもなくなり、露骨に疲弊したままの表情が続いている。

 社内で苛めかパワハラを受けているのではないだろうな。そんな事も推測し始めた。

 


 そして相方、奥村真子の様子がおかしいと気付き始めて2ヶ月が経ったある日、帰宅すると奥村のハイヒールがあったのだが部屋は真っ暗。リビングの方へ向かうと彼女は仄暗い部屋で泣いていた。奥村真子は悔しい時にしか涙を流さない性質。「嬉しい時、悲しい時には涙は出ないんだよね」と言っていた彼女が泣いている。

 リビングの明かりを点ける。こういう時、何と声を掛けたら良いのだろう。そっとして置く。「どうした?」と声を掛ける。何が正解に近いのだろうか……。

「どうした?」

 相方の横に座り声を掛けた。そっとして置く事など自分には出来ない。やはり何食わぬ顔をしおくというのは憚られた。もうこれ以上はいたたまれない雰囲気なのは、幾ら遅疑な奴でも明白。

「……」

「無理に言わなくても良いけどな」

 立上り、冷蔵庫からビールを取出そうとすると、

「……私にもお願い」

か細い声だが缶ビール二つを持ってソファに戻る。

『プシュッ』相方は一気に三口飲んだ。

「悔しいんだろ? ……何があったんだよ?」

「……セクハラ……」

「えっ? ……セクハラって?」

「……取材先でセクハラを受けてるの。昨日、スカートのファスナーを開けられて、パンツに手を入れて来てお尻触られた……」

 相方はアナウンサーはアナウンサー。務めて端的に伝えようと言葉を選んでいる。こんな時にも……。もっと素を出せば良いのに。

「……そりゃ酷い……。会社には相談したのか?」

「勿論したよ! でもこの件を報道すると私本人が特定されて、二次被害が予想される。だから報道は難しいって言われるだけだった! ……」

 相方は涙ながらにやっと告白してくれて、下唇を噛んた後にビールを一口。アルコールで悔しさは緩和されないだろうに。でも紛らわせるしかないのだ。

「……ごめんな。気付いてあげられなくて……」

 オレも謝る事くらしか言葉が見付からない。自分の頭の回転の悪さを痛切する……。この様な時に頭の中は真っ白だ。

「……これに証拠が入ってる」

 奥村はボールペンを一本差出して来た。

「……セクハラ発言や腰を摩ったりする言動が繰返されるから、自分の身を守る為に録画が出来るペンを、秋葉原で買ったの……」

「……そこまでしてたのか……」

 「自分の身を守る為に証拠を残す」。賢明な判断。相方の表情には、打明けるか否かの躊躇いが感じられた。それは当然。女性にとっては屈辱でしかない。正直に白状してくれたという事は、オレを心底信頼してくれているからだ。

「これ……、パソコンで観れるから」

「だろうな」

 オレは早速ノートパソコンを起動させ、USBにペンを繋ぎ再生した。

 


 動画には「抱きしめても良い?」「胸触っても良い?」という中年男性の顔と声。「それはちょっと……」「私、一応相手がいるんで……」と苦笑して返す奥村真子の声が録画されている。「一応相手がいる」の「一応」という部分には引っ掛かったが、それは口には出すまい。オチを付ける場面ではないから。

 動画は更に「もう我慢できない!!」「ちょっと……止めてください!!」奥村の必死な声と共にファスナーを開ける音がし、「ちょっと待ってください!!」抵抗する彼女の声と、「一度くらい良いじゃないか」同じ男性の顔と声。そして……。

「やっぱり若い女の尻は柔らかいな」

 にやついた顔と声が確り録画されていた……。そして。

「やめろ! クソオヤジ!!」

 流石は「勝気な奥村」と言われるだけはある。この期に及んで「下品な言葉」を……。

そりゃ口にもするわな。だってガチで「クソオヤジ」なのだから。

 相方は努めて冷静を装って動画を観ているけど、彼の目は血走り怒りで潤んでいる。

 私は本当は「クソオヤジ!!」と叫んだ時に、平手打ちを喰らわせるか股間を蹴飛ばそうとした。でも……出来なかった。

 何故なら、一瞬、中山裕介の顔がフラッシュバックしたからだ。「相手が相手」。ここで手を出したら、私どころか中山裕介までも「閑職に」回されてしまう……。

 私が出来た事は、ペンの録画機能を起動させるだけだった。女はこういう時でも、「冷静な目」を持っているものだ。彼まで巻込むのは正直心苦しいし憚られた。

 だから、私からは、この事については何も言わない。

 女性は「クソオヤジ!!」程の怒りがあれば保身で手や足が出そうなもの。男だってその様な言動に出るだろう。何故真子はそうしなかったのだろうか……。

 ……まさか、オレを想ってグッと堪えていたのか?

 だとしたら、この「女」……男にフィジカル面でもメンタル面でも打撃を受けながらも……。それでも「男」を気遣うとは。

 一体何故なんだよ! ……。正直、「男」に産れてこれ程までに「情けない」と思ったのは初めてだ。

 「男」である事がいたたまれない。

「これが昨日の事だな?」

 相方は無言で頷く。

「これはもう、強制性行じゃないか……」

「そうよ!……そのペン、ボタンを押すと録画出来るの」

「上司には観せたんだろ」

「観せたよ! それでさっきの答えだったの!」

 相方の涙は止まらない。相当な悔しさと屈辱感を受けたからだ。こんなに涙を流し続ける奥村真子は初めて見た。

「この男は誰なんだ?」

「……財務省の、佐藤政和財務官。「オレは何れ事務次官に昇進する。そしたら君を贔屓の記者にしてあげよう」初めはそんな感じだったけど、徐々にエスカレートして行って……」

「それで、昨日あんな暴挙に及んだ?」

「そう……」

「あれは会議室かどこかか?」

「2人で話したい事があるって、無人の会議室に通されたの」

「これだけ散々な目に遭って、予感はなかったのかよ」

「当然あったよ。あったけど、記者ってそういうものだから。何か特ダネの為なら身の危険を予感しても、追求しなくちゃいけない。放送作家もその点では同じでしょ」

 相方はやっと涙が止まり、いつもどおりの冷静な口振りに戻った。

「確かにそりゃそうだけど……」

 「身の危険を呈してまで……特ダネの為って……正直大バカ野郎だろ! よりディープな情報を求める側もだけど」。言葉は出て来たが口にはしない。アナウンサー兼報道記者の奥村真子のプライドと意地を傷付けるからだ。

 しかし、メディア業界で働く者同士、因果な世界で生きている……まざまざと知らしめられた。

 


 これだけの証拠がありながら、奥村が勤務するTTHはこの映像を観ても、何の対処もしないのだ。酷い……酷過ぎる。殺生にも程がありはしないか。

 オレの中でも怒りと悔しさが益々込上げて来る。気付けばオレは立上り、相方を抱きしめていた。

「悪かったな。相方の事を、何にも見てなかった」

 改めて謝罪する言葉しか出ない。相方は何も言わず、一旦止まった筈だが、オレの左肩で再度泣き続けている。黒いジレと白いYシャツに涙が染みて冷たいが、それは言わないのが当り前。

 奥村真子の悔しさは計知れないし、女性なら悔しく怒りの感情を抱いて当然だ。

 それと、オレも佐藤政和財務官と一緒で尻フェチなのだが、今は触ってはならぬ……。これも、無論当たり前だ。

「相方、この動画貸してくれ」

 相方はやっと顔を上げ、

「放送作家に何が出来るの」

やや不安げな口振り。

「やるだけの事はやってみる」

 確信はないが動画をUSBメモリーに移した。オレにとっても屈辱的な動画。

 ますは動画を「誰かに」観て貰わねば。真っ先に顔が浮かんだのは大石さんだった。明日は会議の日ではないが、来週まで待つ程悠長な問題ではない。

「明日ちょっと時間を貰えないでしょうか?」

 直ぐに大石さんにメッセージを送信。約10分後に『どうかした?』と返信されて来た。

「観て貰いたい動画があるんです」送信。『解った。何の動画かは知らないけど、夜なら良いよ』と返信が来た。



 翌日。他局で打合せやら会議に出席している時も夜が待ち遠しくうずうずしていた。

 19時ちょっと過ぎ、TTHの『高ネオ STREET』のスタッフルームに大石さんを訪ねる。

「時間を作って貰ってありがとうございます」

「良いんだよ、別に。それより「観て貰いたい動画」って、何か面白いものでも撮れたの?」

 大石さんは事情が解っていない為、今は破顔している。

「面白いっていうより陰惨を極めます」

「陰惨? てどんな動画?」

 オレが真顔な事もあって、大石さんも笑顔を消す。

 オレはノートパソコンを起動させ、持って来たヘッドフォンとUSBを取り付けた。

「音が漏れちゃヤバいの?」

「ええ。ここだけにしておいた方が良いと思います」

 早速動画を再生する。

 数分動画を観て、大石さんは眉間に皺を寄せ顔をしかめた。

「えっ!? 何これ? AVの隠し撮り企画とかじゃないよね?」

「被害に遭ったのはこの局、TTHのアナウンサー兼報道記者の、奥村真子です。そして加害者は財務省の佐藤政和財務官だそうです」

「これほんとにヤバいやつじゃない。どうして私に観せてくれたの」

「TTHはこの件を報道すれば二次被害が出る恐れがあると言って、報道するのを渋ったそうです。だからこの動画をTTH独占スクープとして報道して貰いたいんです」

「うーん……。気持ちは解るけど、うちでは難しいんじゃないかなあ。他の局間で軋轢を生む可能性もあるから」

「TTHはやっぱり保身に走るんですね」

 腕組をして頭を捻ってくれている人に対して無礼な言葉が出てしまう。だがオレも切羽詰っている。

「これはTTHの問題だからさ、どうしたら局が動くか、それを考えよう」

「局を動かす……」

 今度はオレが腕組をしてしまう。

「TTHの報道局次長かアナウンス室長はこの動画を観てますから、僕が玄関から入っても無駄足でしょうし、テレビ局が駄目というのなら……週刊誌くらいでしょうか」

「そうだよユースケ君! 週刊誌に持って行くべきだよ。この動画を観たら黙ってはいないと私も思う」

 大石さんは確信を持った目で言うが、人間は困惑、面倒な案件を持出された時、他へ目を向かせようとする。大石さんもその類だ。こっちから依頼しといて無礼だが。人間の恐く狡猾な所。だが……。

「解りました。明日にでもこの動画を週刊誌に持って行きます。時間を取らせて、ありがとうございました」

 人間の目線の外し方と豹変ぶりを改めて痛切し、若干の悔しい感情を抱いても、慇懃に頭を下げる。でもヒントはくれた訳だから。

「うん。そうしな。ごめんね、このくらいの事しかアドバイス出来なくて。でも奥村の動画を持ってるなんて、ユースケ君彼女と友達なの?」

 案件を他へ向けさせたら今度は素朴な疑問、っか。

「まあ友達というか、交際してるんです。実は」

 愚直に答えてしまう。

「そうだったんだ。奇麗な人よだよね、奥村アナって」

「普通の女性ですよ」

 勝気なくせに極度の上り症ではありますが。

「彼女を守ろうと動くなんて、存外男気があるんだね、ユースケ君も」

 にやついた目で言われ小っ恥ずかしくなり、

「別に。黙って見ていられなかっただけですから」

「そこが男気なんだよ。その気持が大事」

「それじゃあ失礼します」

再度頭を下げて足早にスタッフルームを後にした。



 翌日の午前中、オレはUSBを持参して『週刊現文』の編集部を訪ねた。応対したのは女性編集者。

「突然失礼します」

「貴方は?」

「放送作家の中山と申します」

 名刺を差し出す。

「ああ、私は編集部の酒井と申します」

 一応名刺交換。

「それで、今日はどういったご用件で?」

「TTHの女性アナウンサー兼報道記者が財務省の佐藤財務官からセクハラを受けています。証拠は、これです」

 USBメモリーをバッグから取出す。

「ご覧になりますか?」

 というより観て貰いに時間を作って訪れたのだ。

「確かに事実ならスクープですけど、まずは動画を観せて頂かない事には。こちらへどうぞ」

 編集部隣の会議室に案内される。オレは自分のノートパソコンにUSBを繋ぎ、動画を再生させた。

 酒井記者の感想は、

「これは、酷過ぎますね……」

あまりの映像に言葉が出ないようだ。顔も真っ青になり眉間に皺を寄せている。

「これは彼女が自分で録画した物です。声や動き、顔まで入っています。明らかに佐藤財務官で間違いないでしょう。しかも、最後の下着の中に手を入れる行為は、言わずもがな犯罪」

「これだけの証拠があれば記事には出来ますけど、警察の方には?」

「警察沙汰にする前に、まずは現文さんの方で公にして貰いたいんです。事件が事件ですから、遅かれ早かれ警察も動くとは思いますが」

「TTHの方は対応していないんですか?」

「報道すれば彼女が特定されて二次被害が出ると懸念して、全く動く気配もないそうです」

「そうですか。それで、幾らで売って貰えるんですか」

「高額を吹っ掛けるつもりはありません。でも条件があります。被害者は「TTHの女性記者」と匿名にしてください。それと、記事によって財務省、TTHがアクションを起こすような内容になるようお願いします。この二つの条件を呑んで頂ければ、僕は幾らでも構いません。もし出来ないのであれば、他の週刊誌を当たってみますが」

 若干揺さぶりを掛けてみた。

「いや、同じ女性として佐藤財務官の行為は許されるものではありません。私に書かせてください」

 酒井記者は真顔で、目には怒りの熱が籠る。

「そうですか。じゃあ宜しくお願いします」

「解りました。任せてください。それで、中山さんと被害者の女性記者との関係は?」

「「懇意にしている友人」、又は「放送作家N」でも、僕は構いません。只、この件を公にしたいだけですので」

「了解ました。じゃあ「懇意にしている放送作家N氏」で行きましょう。中山さんが出された条件で記事にしてみせます」

 酒井記者は頼もしく決然とした表情を浮かべてはいるが、さあ、どのような内容になるのか。奥村が望んでいるようになるのか、確信もなければ確言も出来ない。だが……。

「ぜひ宜しくお願いします」

 もう後には引けないのだ。

 オレは酒井記者のパソコンに動画を移し、託した。これで今オレが出来る事はやったつもりではいるが、さて、財務省とTTH、警察がどのような反応を見せるのやら……。



 翌週の水曜日、週刊現文は『財務省のスキャンダル! TTH女性記者にセクハラ言動』と題してトップ記事にしてくれた。奥村は「TTHの女性記者O」、オレは「記者が懇意にしている放送作家某氏」と少し変えて記載されていたが、事件が公になれば良い事。

 この報道を受け酒井記者から『音声だけは公開しても良いか?』と連絡が入り、奥村に了解を得た上で承諾した。

 音声が公開された事で、一般紙、スポーツ各紙、報道、情報番組でも大々的に報じられた。TTH以外では。所が……。

 記事が出た7日後、TTHは報道局次長を代表として急遽会見を開き、

「社員の人権を徹底的に守って行くと共に、財務省に対し正式に抗議する」

と述べた。

 


 財務省側も田崎大介財務大臣が会見にて「事実ならアウトだ」と述べ、TTHの会見から8日後、佐藤政和財務官のセクハラ行為を認定。佐藤財務官は疑義を抱かれ追求される中辞職し、退職金約5千万円の内、処分相当額の約140万円が差し引かれた。

 田崎大介大臣は、

「行政の信頼を損ね、国会審議にも混乱をもたらす結果となっている事は誠に遺憾で、深くお詫び致します」

と謝罪。野党側は佐藤前財務官の参考人招致を求めたが、与党は「佐藤政和前財務官は既に辞職している」と拒否した。

 しかし、佐藤前財務官はやった事がやった事。警察も看過せず、佐藤政和前財務官は強制性行の疑いで在宅起訴される。



だが事件はまだ終わらず、田崎大介大臣は、

「被害女性が名乗り出なけりゃ佐藤の立場はない。佐藤には人権なし、という訳ですか?」

会見で身内を庇う問題発言をした。

 この様子を夜のニュース番組で観ていた奥村は、

「そう来たか」

表情は無機質だが目には何か画策しているようにオレには見えた。

 田崎大臣の言葉を受けて奥村が取った行動は……。

「被害を受けたのは私です」

 報道局次長とアナウンス室長を同席させて会見を開く、だった。

「私は佐藤政和前財務官が起訴されようが、その罪を許す事は出来ません。佐藤前財務官には、自分が犯した罪と真っ正面から向合って欲しいと思います。でも私は氷山の一角に過ぎません。私以外にもセクハラで苦しんでいる女性記者は沢山います。それだけ社会的重い立場の役職に就いている人達によるセクハラ行為が、罷通り曖昧にされるのは許されない事ですし、由々しき事態です。その様な問題に真摯に向き合ってこそ、国会のセンセイ方がお決めになられた、男女均等法の在り方ではないでしょうか」。

 終始正面を向いたまま、俯いてメモに目を落とす事は少なく、眼光も鋭くて表情からは緊迫感が感じられた。口振りも淡々としていて語気は強い。何とも奥村真子らしい会見だ。 



 その日の夜。

「あの動画を現文に提供したの、相方でしょ?」

「オレは、彼女を守る為じゃなくて、ちょっと動ける範囲でやったまでだよ」

 敢えてクールに流した。

「ありがとう! ユースケ」

 相方は破顔。

「別に良いよ。それにしてもよく会見を開く事、上司がOKしたな」

「だって田崎大臣は名乗り出ろって言ったでしょ? 売られた喧嘩を買っただけだよ。ああ、これですっきりした!」

「それは良かった」

 奥村は尚も破顔。画策の目は自分が公に出る、て意味だったのか。今まで溜まっていたものが吐出されたようだ。

「あんたはやっぱり勝気だよ、相方」

 オレはクールに彼女の話を聞き、顔を窺っているだけ。「女は皆決然」といった所かいな?



 翌日、

「「放送作家某氏」って中山君の事でしょう?」

会議前に事務所に立ち寄ると、早速陣内社長ににやつかれた。

「さあ、何処かの英雄気取りの作家じゃないですか」

 適当に誤魔化した。が……社長は奥村真子とオレが交際し、同棲している事を知っている。

「社長、何でユースケ君が「作家某氏」って解るんですか?」

 ナギジュンも何かを察しニヤニヤ。

「中山君が奥村アナと交際してるのを知ってるからだよ」

 社長、余計な事を吹き込むな!

「えーっ! ユースケ君が付合ってるアナウンサーって、奥村さんの事だったの!?」

「ナギジュン、白々しいんだよ」

「しかも同棲中なんだから」

 陣内社長もニヤニヤ。また余計な事を……。

「へえー」

 2人のにやついた目と表情、オレにアドレナリンが出てしまう。

「ガールフレンドを守る為に東奔西走するなんて、中々熱い男なんだよね、中山君って」

「そうですよね。何か見直しちゃった」

「今まで見損なってたのかよ」

「ううん。そうじゃないけど、改めて良い三従兄妹、教育係に出逢ったなあって思った」

 2人のにやつきの目に変化はなし。誉められてるんだかからかわれてるんだか……ツッコむ気にもなれず、唯々恥ずかしいのみ。



 『高ネオ STREET』は何事もなく、10月以降も継続が決定し、2年目に入っている。

「高ネオは3月契約終了の筈だったのに、また1年契約が伸びましたか」

「そうよ。貴方達作家もね。「この番組は続く!」って直感したからホンに「001」って三桁の数字にしたんだから!」

 大石さんは破顔し、自分を信じた事を誇りに思っているな。

「初プロデュースの番組が当たって良かったあ。あたしもプロデューサーとして自信が付く」

 下平も然り。気持ちは解らなくもないが。

「でも傲慢になっちゃ駄目よ。気を引き締めてプロデュースして行かなくちゃ!」

 大石さんはプロデューサーの先輩として釘を刺したのだろう。流石は敏腕プロデューサー。

「ヤンキーは調子に乗り易いっすからね」

「ナリ、別に調子には乗ってないしあたしは元ヤン。仕事も一生懸命やってるっつーの!」

 下平よ、流石は元ヤン。反論する事も忘れない。

「それより昨日、ニュース観ました?」

「何? 貴子ちゃん。それよりって」

 気色ばむ下平は放って置いて。

「観たよ。ニュースどころか一般紙、スポーツ紙でも一面だったね」

「何ですか? 昨日のニュースって」

 ナギジュンはきょとんとしている。

「宇多川首相の女性スキャンダルが明るみに出たの」

 臼杵の澄まし顔の表情に対し、

「ああ、そのニュースね。今朝のニュースで観たよ」

ナギジュンは白々しい口振り。

「知らなかったんでしょ?」

「だから知ってるって!」

 臼杵の返しにナギジュンはムキになるが、

「ナギジュン、もう遅いって」

彼女の右肩にポンと手を置いた。ニュースや新聞によると……。

 


 宇多川首相は六本木のクラブ経営者に対し、

「私の愛人になってくれたらこんだけあげるよ」

と指を3本出したという。

「30万」

 ママが訊くと、

「0が一つ足りないよ」

と返したそうな。

 結局ママは宇多川首相の愛人にはならなかったが、「こんな男が総理大臣であってはならない」と考え、マスコミにこの事実をリークした。というのが昨日までの流れ。

 この報道を受け、与野党のみならず、ワイドショー、週刊誌各社が宇多川首相を批判し始める。

 だが当人は「個人的な問題。今は職責を果たして行くのみ」とコメントしただけ。が、宇多川首相のスキャンダルは海外メディアでも取上げられ始め、与野党からも「もうアウトだ」との声が聞こえ始めた。

 皮肉にも指を出して「0が一つ足りないよ」のやり取りは世間で流行り出してしまう。

 


それは番組の会議でも……。

「下平、ギャラ上げてくれよ」

「これぐらいで良いって事?」

 彼女が出した指は2本。

「0が一つ足りないな」

「20万も出せる訳ねえじゃん!」

「20万貰えたらマジリスペクトっすよ。下平さん」

 ナリ君は目を輝かせる。冗談のやり取りだと解っているのやら。

「私は20万円でも別に良いですけどね」

 お貴さんは澄まし顔。彼女はオレ達とは次元が違う。

「だから出せねえっつーの!!」

「今のギャラで何とかお願い」

 脹れっ面の下平と苦笑いの大石さん。だから冗談のつもりなんだけど。

 しかし、こんな戯言でも企画案は出て来るものだ。

 出演者がギャラを告白し合う、トークの40分間のコーナー。最初はギャラを告白し合う内容からファーストキスはいつだったか、どんなシチュエーションだったかを告白し合う内容へとシフトして行く企画に肉付けされた。

 会議中は、

「ぶっちゃけユースケ君クラスになるとどれくらいなのか、私も知りたい」

「そうだねナギジュンちゃん。オレも知りたいっすよユースケさん」

 ナギジュンとナリ君も乗かって来る。下世話好き共め……。

「別に皆とほぼ一緒だよ」

「ぶっちゃけ20万とか?」

 金に不自由しないだろうお貴さんまでにっこり。

「制作費考えてみなよ。そんな額貰える訳がない。プロデューサーやディレクターより少ないよ」

「あたし達を巻込むな!」

「私達を巻込むな!」

 下平、枦山からのユニゾンのツッコミ。でも事実ではある。

「でも一度で良いんで教えてくださいよ」

 臼杵まで入って来る。

「どいつもこいつも仕方ねえなあ……10万だよ」

 結局、愚直に答えてしまった。

「マジっすか!? オレより3万も多いっすよ、ユースケさん」

 ナリ君は目を丸くし、

「私より2万多いですね」

お貴さんはやっぱりにこやか。

「お貴さんは良いですよ、実家がお金持ちなんですから。私達より5万も多い」

「早く10万近く貰えるように成りたいね。でもユースケさんクラスでも10万円なんですね」

 臼杵はナギジュンではなく下平の方を見る。

「悪かったね。大した額しか出せなくて。でも作家は良いよ、何本もレギュラー番組掛持出来るんだからさ」

「下平だって制作プロダクションなんだから掛持出来るだろ」

「あたしはまだ他の番組じゃディレクターだもん。この番組でも半ディレクター扱いみたいなもんだし」

「ナリ君とか釈迦に説法だろうけどさ、プライムタイムの番組でも作家のギャラはプロデューサーやディレクターより額は低いんだよ。作家なんてコンビニの時給より低い額で働いてんだから。掛持出来たとしてもね」

「確かにそうっすよねえ」

 ナリ君はやっと納得してくれた。

「ごめんね。安いギャラで働かせて」

 今まで苦笑しながら黙っていた大石さんが口を開く。

「でも希ちゃんさ、何れはどの番組でもプロデューサーに成れるんだから、今は修行だと思って」

「そうそう。1本でもプロデューサーに成れて良しとしなきゃな。オレ達なんかまだディレクターなんだから」

「私だってそうだよ、希」

 大石、大場、枦山の順で慰められる新人プロデューサーって一体……何?



「それよりお貴さん、今六本木で暮らしてるんだよねえ? 場所覚えられた?」

「ええ。何とか、やっと」

 ユースケ君が話題を変えたけど、お貴さん自宅の場所も覚えてなかったって訳?

「何回か不動産屋に電話して訊いてたみたいだけど、自宅マンションを覚えられないなんてスケールが違うよね」

「私は別にスケールが大きいなんて思ってはないけど」

 枦山さんの言葉にお貴さんはにこやかだけど、笑顔で言った枦山さんは百パー皮肉だよ。

「お父さんに援助して貰ってるって、この前聞いたけど、月どのくらい?」

 ユースケ君だって人の金銭面に興味あるんじゃん。

「そんなに多くはないですよ。3百万くらいかなあ」

「そんなに!? パパ活じゃないですか!」

「智弥ちゃん、そういう問題じゃなくない? 良いですね、富裕層の人は」

 智弥ちゃんは笑ってるけど私は敵意むき出し。だって私も実家暮らしだけどそんな父親いねえし。

「月3百万くれる親がいるなんて、マジリスペクトっすよお貴さん」

「ナリ君、リスペクトする所がおかしいって」

 ファーストキスの話題にまでは及ばなかったが、金の話は下世話で盛上るというのは立証された。まあ解り切ってはいた事だから企画案に出せれたんだけど。

 後は男女の芸人を数人ゲストに招いてトークをさせれば盛上る事間違いなしだ。数字は、どうなるかは知らんが……。

 一方、日本国内では……。



 宇多川首相の女性スキャンダルで支持率は10%前半にまで下落。野党の女性議員、女性市民団体が国会議事堂前で「スキャンダル総理は即辞めろー!!」とデモを起こす事態に。

 そして11月24日、宇多川首相は退陣を表明。最後の会見で、

「総理の職を辞する事と致しました。今は朗々とした心境でございます」

と口にし、表情は終始にこやかだった。

 世間では号外が出され、メディアでも『宇多川内閣総辞職』と大々的に取上げられる。

 3月14日に発足した宇多川内閣は、8ヶ月で終焉を迎え、名実共に「令和初の短命内閣」となってしまった。

 オレとナギジュンは事務所のテレビで夜のニュースで会見を観た。

「まるで令和発表と消費税アップの為だけに作られた内閣みたい」

 ナギジュンが呟く。彼女が言う通り、消費税は10月1日から8%から10%に引上げられたばかりだ。

「かもな。宇多川さんがやった事ははっきり言ってバカだけど、「美味しいとこ取り内閣」だったのかもな」

 オレも呟くばかりなり。



 12月に入り、臼杵が競馬イベントのイメージガールの1人に選ばれた。彼女はイメージガールのアルバイトをしていたのだ。

 ご丁寧にうちの事務所にもポスターが送付され、重留が「競馬なんてやる暇あるんですか?」とぼやきながら掲示板に貼っていた。それを見ていたナギジュンはというと……。

「社長、何かイベント事の仕事ないんですか? 私もコンパニオンやりたいんですけど」

「ナギジュン、そんな所にまで対抗意識を燃やすな」

「そうよ。イベントのオファーは来てないし、ベーシックにいえば、うちは芸能プロダクションじゃないんだからね」

 オレも陣内社長も呆れて笑うしかない。

「それは解ってますけど、マガジンのグラビアにもまだ声が掛からないし、智弥ちゃんは慶應出てるけど私なんか倍率1・5倍の大学しか出てないから。彼女には敵わないのかなあ」

 珍しくセンチメンタルな顔しやがって。が……。

「へえー、倍率1・5倍って。フフンッ」

「何で嗤うんですか!?」

「社長、今人間性の悪さが出ましたよ」

 ナギジュン、オレの順でツッコむと、

「ハハハッ! 。別にバカにした訳じゃないけど、倍率で大学選ばなくない?」

オレに同意を求める。

「まあ、初めて聞きましたけどね」

「ユースケ君もバカにしてるじゃん!」

「別にバカにはしてないって。それより、もう作家としてだけに対抗心を持て」

 目力を込めて諭したつもりだった。が、

「大学も1・5倍で勉強も大して出来ないんだよ」

まだ解っとらんな、こいつ。

「大学や勉強のせいにすんなよ! オレも学生の頃陸に勉強して来なかったから、今でも語彙も少ないし英文なんか意味も発音すら解らない。だから今頃になって毎日辞書引いたり英語の発音や意味は恥を感じながら人に訊いたりしてる。時にはネットの辞書も遣う。その分通信料は掛かるけどしょうがないんだよ。学生の時だけじゃない。人間幾つになっても勉強して行かなきゃいけないんだよ。良いか、教育係として言っておくぞ。放送作家っていう職業は1年中、365日「受験勉強」してるようなものなんだよ。これは作家に限った事じゃない。新しい商品、新たなプロジェクト、会社員の人達だって皆勉強してるんだよ! ナギジュンは勉強して来なかった学生時代に引けを感じてるばかりで、今の自分から目を背けてるだけじゃないのか!?」

 思わず熱弁してしまった。でも間違った事を言ったつもりはない。

「ユースケ君もまくし立てたねえ。びっくりしちゃった……解ったよ。私も作家に成れた事だし勉強して行く」

 ナギジュンの目が真剣になった。

「そう。中山君が言った事が放送作家、社会人としての序論だよ。ちょっと熱が籠り過ぎてたけどね」

 陣内社長はにっこりなんだか苦笑なんだか。

「でも社長、グラビアの件はお願いしますね!」

 そこの拘りは説得出来なかったか……。

「もう解った解った。特別に年明け最初のグラビアに推薦しとくから……」

 社長の面倒臭そうな口振り。でも……。

「ほんとですか! 宜しくお願いします。脱ぎますから!!」

「だから脱がなくて良いって! 何回言えば……」

 解るんだ。社長も頭を抱えてしまう。でも採用したのは貴方ですからね。



 12月中旬の夜。

「この前小銭も入ったし、何処か小旅行にでも行くかなあ」

 何となく相方に言ってみた。

「良いねえ。でもお休み取れるの?」

「半日くらいだったら泊りでも何とかなると思う。そっちは?」

「私も繁忙期ではあるけど、今年は有給使ってないから何とかなるとは思う。それで何処に行く?」

「近場だと新幹線で静岡とかどうだろう」

「良いねえ。浜松は鰻が美味しいし、海鮮丼も名物だから」

 笑う奥村。スレンダーな大食い。食欲も戻り安心はしたのだが。

「その前に駿府城に行ってみたい」

「そんなお城あるの」

「静岡市にね。家康の隠居城。あそこは2014年の4月に二の丸坤櫓が復元されてて、オレまだ写真でしか見た事ないんだよ。巽櫓は見たし中に入った事もあるけど」

「目を輝かせて言うね。流石はThe Castle Geek(城オタク)」

 呆れて嗤われ、

「悪かったな、それぐらいしか趣味がなくて」

ついムキになってしまうアラサー男。我ながら心が小さい奴。

「別に悪いというニュアンスで言ったつもりはないよ」

 目が嗤ってんだよ。だが構わず。

「最近じゃ天守台の石垣や金箔瓦が発掘されてて、天守台を復元するって方針も静岡市は打ち出してる」

 薀蓄を吐き出してしまうのだった。好きな分野だから……。

「忙しい仕事に就いてるのに、良くそんなに勉強する時間があるね」

「やっぱ呆れてるだろ。好きな事は時間を見付けてネットで調べるよ。日本史をおちょくるなよ!」

 自分でも呆れるがムッと来る。

「別におちょくってないって。早く日日決めよう。私も会社に伝えなきゃいけないし」

 相方は明らかにからかいの嗤いだが、確かに行くとなれば早く日日を決めなくては。



 翌日の午前中。会議前に事務所に出向いた。

「半日だけ休みが欲しいって、どうするつもり?」

 陣内社長には正直に言うしかない。

「駿府城公園……」

「駿府城公園?」

 だが口が中々回らない。

「に、行きたいんです。静岡市にあるんですけど、家康が隠居する為に増改築させたんです。オレ、日本史と城巡りが好きなんで。今は門と櫓が数棟復元されてるだけなんですけどね」

 何の事はない。陣内社長にも薀蓄を吐き出した。

「そう。それは解ったけど、ほんとにそれだけが目的なの?」

 相変わらず鋭い目……。仕方ない。

「独りで行くんじゃないんです。交際してる彼女と」

「奥村さんね」

「はい……奥村真子を、少しでも癒してあげたいんです」

 これでは自分から「放送作家某氏は自分です」と自白しているのと、同じ……。

「やっぱり「あの件」、中山君だったんだ」

「いや、それは違いますけど」

 頑なに嘘を付いたがもう遅い訳で……。

「ふーん。何処かの正義の味方の作家だったんだ。でもデートが城跡なんて、フフフンッ! あり得ない! 奥村さんを癒すんじゃなくて自分が楽しんでるんじゃん」

「静岡は海産物が旨いんで、食事に関しては楽しみにしてるみたいですけどね」

「なら良いけど、ちょっとの間だけゆっくりして来な」

「ありがとうございます」

 陣内社長の目は呆れというか物珍しい者を見るというか。幾ら爆笑されようが、オレはそういう事しか出来ない、性質な人間、でございましてね。

「話は変わるけど、ちょっとこの写真見てよ」

 社長は苦笑いを浮かべながらA4の写真を数枚封筒から出した。

「脱がなくて良いってあれ程言ったのに、ナギジュン本当に脱ぎやがったの」

「セミヌードのグラビア、ですか」

 見るとバスタオル一枚で胸を隠し半ケツのナギジュンがドヤ顔で笑っていたり、「細工」されたであろう胸を隠して歯を磨いているナギジュン。仕舞には全裸で正座し、胸とあそこを隠し微笑んでいるナギジュンが写っていた。

「これはもう臼杵さんとの対抗心っていうより、自分はこれだけ身体に自信があるっていう見せびらかしですね」

と、しか感想は出て来ない。女性の裸体だが、興奮というより呆れ、笑う気すらしない。

「私も彼女から明日グラビアの撮影ですって連絡来た時、やらかすだろうなとは予想してたんだけどね」

 陣内社長も然り。序に溜息と頭を抱えてしまう。

「まっ、悪事を働いた訳ではないんですから、今回は大目に見てあげましょうよ」

「そうするしかないね。意識し合うライバルがいるっていうのは良い事だけさっ……」

「仕事で張合えって言いたいんですね」

「まあね」

「でも女性だけとはいえ、放送作家がグラビアを飾るようになって、何か作家も芸能人化して来ましたね」

「中山君もアナウンサーと交際してるし、その内スポーツ選手とかITの社長とかと交際する作家が出て来るかもね」

 2人の心は呆れから諦め、未来予測へとシフトして行く。

「良いなあナギジュン。私も水着で良いんでグラビアに出てみたい」

 ぼやくのは……。

「重留さんか」

 いつの間に、ていうかここにもいたか、「見せたがりな奴」が。



 そして12月下旬、出発の前日。

「かってえなあ……この財布」

 新品の合成革の財布と格闘していた。カードもまともに入りゃしない。

 何とか紙幣、小銭、免許証などのカードを無理やり詰込み終え、チェーンを付ける。

 今まで使っていた財布を眺めていると、奥村が帰って来た。

「財布変えたんだ。明日に備えて」

「別に備えた訳じゃないけど、もう7年も使ってボロボロになったからな」

「7年も?」

 物を大事に使ってと感心しているのか、世知辛い奴と思っているのか、何とも解らない表情。

「作家に成る前、派遣社員の頃に買った。あの頃は一応安定した収入を得られてたから」

「今でも安定した収入を得られてるじゃない」

「まあな。ありがたい事だけど。でも財布って3年に一度は変えた方が良いって、ある占い師が言ってた。その方が運気が上がるって」

「4年オーバーしちゃったね」

「7年大切に使ってたつもりだけどな。時には洗濯してみたり」

「財布を洗濯!?」

「その方が運気が上がるんじゃないかって思ってさ」

「ハハハハハッ! 何か相方らしい。物を大事にするっていうか、お爺ちゃんみたい」

「悪かったな! 精神年齢がお爺ちゃんでよ! まあ、7年間、ありがとうございました」

 使い潰した財布をごみ箱に投げ入れた。

「フフンッ。やっぱり中山裕介って変! 突飛な人。私が思ってた通り」

「誉めてんのか? その言葉」

 相方の嬉々とした表情。彼女の反応と言葉からすれば、只の奇人変人に見られているだけ、かもしれんが。



 出発当日。品川から10時10分発の新幹線に乗車し、11時3分には静岡駅に到着する予定だ。まだ帰省シーズン前なので混雑はしていない。

「お城の跡を見に行くのは付合うけど、私の楽しみもちゃんと考えてくれてるんだろうね」

 念押しする鋭い目と微笑み。

「解ってるよ。数日前からネットで調べてるの見てただろ」

「見てたけど、お城のホームページじゃないだろうね」

 鋭い目と微笑みは崩さず。

「お城はもう調べたから、これ以上リサーチする必要なし。食事処のページだよ」

「なら良いけど。私窓側座っても良いよね?」

「どうぞ」

 自由席に座り、オレはヘッドフォンで音楽を聴いたり本や資料に目を通す事にした。

 発車3、4分前になりふとプラットホームの方へ目をやると……5百ミミリリットルの缶ビールを飲みながら途方に暮れた表情でベンチに座っている佐藤政和前財務官がいるではないか。

 服装は白いYシャツにグレーのスーツ。間違いなく、あの人だ。オレの悪戯心に火が点く。

「おい、あれ」

「えっ?」

「どう見ても佐藤政和前財務官じゃないか?」

「誰が?」

 相方は小声で怪訝そう。

「あの人だよ」

 オレは指差し相方もプラットホームを見る。

「ほんとだ……」

 奥村真子は確認すると途端に獣を見る目付きに変わり、眉間に皺を寄せた。

 オレが聴いていた曲はウルフルズの『ええねん』。

「そんな顔するなよ。ほら」

 オレは相方にヘッドフォンを装着させ、巻き戻してイントロから聴かせる。すると曲調も手伝ってか奥村真子は打って変わってニヤリとした。言外な喜色満面な表情が、ガラス越しに映し出される。

 相方はヘッドフォンを外し、

「エンディングで似たような作品あるけど、大丈夫なの」

若干心配そうに訊く。

「良いんじゃないの。内容も曲も違うし。それよりあそこにいるって事は、傷心旅行にでも行く気なのかねえ」

「傷心旅行は私だよ!」

「そうだな、ごめん。なあ、手でも振ってやったら」

 そっと耳打ちした。

「何かそんな気しないんだけど」

 とは言いながら、奥村は笑顔のまま佐藤前財務官に向け手を振り出す。

 数秒後、佐藤政和前財務官は奥村真子に気付き、笑顔で手を振る彼女を忌々しい表情で睨んだ。オレは面識はないが、手を振ってみる。

 笑みの被害者と屈辱を浮かべた加害者は、お互い目を合わせたまま発車し始めた。

「乗らなかったな」

「うん。フフフフフンッ!」

「ハハハハハッ!」

 加害者だって所詮は人間。猛省し改心する事を祈るばかりなり。でもあの表情を見ると、まだまだだろう。



 1時間ちょっとで静岡駅に到着した。まずは相方こと中山裕介が楽しみにしていた駿府城公園へ。

 坂を上がって行くとやがて復元されたという櫓が見えて来て、

「やっぱ天下人の城とあって櫓も大きいなあ」

私が言う訳ではなく、ユースケの第一声。その声はまだ城跡の中に入ってもいないのに嬉々としている。

「前に来た事あるんでしょ」

「改めて、だよ。何回見ても圧巻」

 私は歴史は嫌いではないけれど、櫓を見ただけでは感動しない。

 復元された東御門高麗門と東御門櫓門から城内へ。と言っても建造物はない。同じく復元された巽櫓や坤櫓にはまだ入らず、相方は本丸の方へと歩いて行った。私も黙って後へ続く。

「見てみろよ。昔時は家康に謁見する為に大名にとっては「緊張の空間」だった場所も、今じゃ市民にとって「憩いの空間」だよ」

 相方は薀蓄を口にするでもなく、素直な気持ちを言ったのだろう。

「そうだね」

 園内には子供連れの母親や男女のお年寄りが集っている。お正月前だけど、父親と一緒に凧揚げを楽しんでいる男の子もいた。

 天守跡の方へ行ってみると現在発掘調査中。

「この城の天守台は江戸城を上回る日本一の大きさだったんだ。復元するには60から百億円が掛かるらしい。豊臣方の大名が城主となって家康が増改築した。秀吉は城主となった家臣に天守を造らせたそうだけど、家康は秀吉の死後にもっと巨大な天守を天下普請で造らせた。専門家は豊臣方と徳川方の天守台の遺構が同じ場所に現存するのは駿府城だけだって言ってる」

 はい、良く勉強されて。

「そうなんだ」

 覚悟はしていたけど、これも後のお楽しみまで我慢我慢。「何で天守台はなくなったの」なんて訊こうものならまた話が長くなるのは必至。だから相槌だけにしとく。

 ユースケはスマートフォンで写真を撮って行く。その後は巽櫓と坤櫓の中へ。内部は忠実に復元されていて、巽櫓の中には天守の復元模型が展示されているんだけど、ユースケはまたスマートフォンで『パシャ』。

「いけないんだあ。資料館の展示物を撮っちゃ」

「2、3枚は良いだろう」

「枚数の問題じゃないよ」

 今のこの男には何を言っても無駄だ。

 坤櫓は二の丸の南西にある。

「この櫓は外観は二層だけど、内部は三階構造で、縦横約14メートルととても大規模な櫓なんだよ」

 また始まった……。見れば大きいのは解るよ。家康のお城なんでしょ? またツッコんでやろうかと思ったけど、気分を害されるのも悪いので、

「へえー、そんなに大きいんだ」

調子を合わせてあげる。私もお人好しだけど。

 中へ入ると木の馨しさが鼻腔をつく。相方はまた櫓の中から外の景色を『パシャパシャ』と……。

「写真ばっかり撮ってるけど、せっかく来たのにちゃんと見てるの?」

「見てるよ。確り見た上で撮ってんだからさ」

 どうだか。私は放っておいて中をゆっくり見学する事にした。

 櫓から出てユースケはリュックから携帯灰皿とタバコを取り出し一服。さぞや美味しい事でしょうね。

 心底安心した様子で吸う彼を見ている内に、私の心中で「タバコへの興味」が沸立って来た。

「私にも一本ちょうだいよ」

「吸うの?」

 彼の意想外そうな表情が何ともいじらしい。

「急に吸いたくなっちゃった。何かタバコって、吸口の所に穴を開ければミリ数が軽くなるって、聞いた事あるの」

「ふーん。オレは聞いた事ないけど。でもこれ1ミリだから」

 ユースケがタバコの箱を私に差出し、1本抜取りバッグの中からボールペンを取出して、吸い口にペンの先を押付けて穴を開けた。

 彼は、冬用の厚手のジージャンのポケットからライターを取出すと、手をかざして火を点けてくれる。

 タバコを吸うのは、東大生の当時にやっぱり興味本位で友達数人と一緒に吸って以来だ。思いっ切り吸い込んでみる。

「ゲホッゲホッゲホッ! やっぱ美味しくはない」

「いきなりオーバーに吸い込むから噎せるんだよ。只吹すんじゃなくて、煙を肺に入れるのはご存知の様だけど」

 相方は「フンッ」と鼻で嗤ってニヤリ。

「タバコの吸い方くらい知ってんだよ! こんな不味くて舌に脂が付いて苦味を感じる様なの、良く毎日何本も吸ってるね」

「鼻から煙出しちゃって。考え事とかしてると、頭が覚醒して良いんだよ。価格は上がる一方だけど」

「一箱千円になってもヘビースモーカーでいるつもり?」

「吸ってる場合じゃないだろうな。一箱千円なら。富裕層の嗜好品と化しちゃうだろうよ」

 相方は最後の紫煙を空に向け吐出すと、タバコを地面に擦付けて火を消す。

「得意満面で解説したかと思えば、急に苦笑い浮かべちゃってさ。残酷だよね、現実って」

 私も火を消し、ユースケが差出した携帯灰皿に入れた。

「苦笑い浮かべさせたのは誰だよ。さっ、一通り見終わったし最後に外から巽櫓や門と坤櫓の外観の写真を撮りたい」

 表情も口振りも満足そうでライト。けど、

「どうぞお好きに」

好きなのは解るけど流石に呆れる。ていうかもっと前に呆れてるんだけど。



「私お腹空いちゃったんだけど、相方は空いてないの?」

 気色ばんで言ってみる。

「解ってるって。オレも空いてるからちょっと待ってろ」

 ユースケ、何故あんたも気色ばむ? なら期待するけど、まさか静岡にまで来てファストフード店だったらほんとにビンタするかもよ。

 私達は城外に出て、私はベンチに座って休憩し、相方は好きなようにさせてあげた。

「よし! 遅くなったけど昼飯にしよう」

 満足した笑顔の相方に対し、

「遅過ぎるんですけど」

態とムッとした顔。

「悪かったな。店は決めてあるから」

 自分の趣味に付合わせた事に「悪い」というのは自覚してるんだ、この男。



 待ちに待った昼食は駿河区にある鰻屋。

「いただきまーす!」

「どうぞ」

 蓋を開けると湯気と共に鰻とタレの香りが舞上る。

「うわ凄い。何か渋いよね、食べ物。美味しそうではあるけど」

「楽しみにしてたんだろ?」

「まあそうだけどさ」

 何かおかしくなっちゃう。肝吸いではなくお味噌汁だったのは少々不満だけど、鰻は皮はパリッとしていて身はフワッフワ。

「鰻美味しい。何かトロトロってしてない」

「うん。鰻もタレも旨い。でも食レポの達人がトロトロって」

「良いじゃん。今日は仕事じゃないんだから。今日は元気になるね」



 昼食が終わったら駅近くのホテルにチェックイン。夕食までにはまだ時間もあるので、

「ねえ相方、駅のショップでお土産買わない?」

これも私の楽しみの一つだ。

「お土産かあ。考えもしてなかった」

 相方はベッドに座り宙を見上げる。

「おいおい。事務所の社長さんやスタッフの人達には静岡に行くって言って休みを貰ったんでしょ」

 私は相方の隣に座り肩を『パシン』と叩く。

「<レッドマウンテン>と『高ネオ STREET』のスタッフの分だけで良いだろう。ちょっと見に行くか」

 相方は立上り、2人で駅へと向かう。

「まず思い浮かぶのはうなぎパイだよね」

「また鰻かよ。洋菓子のこっことかお茶もあるじゃないか」

「でも皆で分けて食べるんなら有名なお菓子の方が良くない?」

「まあ、お茶っ葉1人1人に配ったら量も多くなるしな」

 納得したユースケは一番量が多いうなぎパイを三箱、私も同じ物を二箱買った。でも買い物に来た序でなので……。

「まだ時間もあるし、他のお店やデパ地下も見てみたいな」

 甘えた声で言ってみる。

「……どうぞ」

 とは言いながら顔は「まだ見るか」て言ってる。午前中私を連れ回したから付合わない訳にもいかないのだろう。

 他のお土産屋さんやデパ地下を見て回り試食とか、気に入ったスイーツを買ったりしていたら、あっという間に18時を過ぎていた。



「そろそろホテルに帰ろっか」

「あれだけ試食して回ればもう夕飯は良いんじゃね?」

「それとこれとは別」

 女の胃袋をナメるなよ!

「そうですか……」

 荷物を置きに一旦ホテルへ戻り、夕食のお店へ向かう。

「あそこにハンバーガーショップあるぞ」

「またあ、ファストフードにしたらほんとに殴るからね!」

「街中で物騒な事言うな。ちゃんと店は決めてあるから」

「なら宜しい」

 駅から徒歩4分で海鮮丼が食べられるというお店に到着した。

 注文して約10分。運ばれて来た海鮮丼を見て唾液が分泌する。イクラやホタテの貝柱などが乗っていた。

 お昼の鰻屋もそうだったけど、まだ旅行、帰省シーズンじゃないからお店の中は以外と空いている。

「うわあ、美味しそう!」

 イクラはプチプチしていて鮪は中トロで軟らかい。15分くらいで完食してしまった。

「女は良く食うなあ」

「自分だって完食してるじゃない」

「オレはデパ地下で試食はあんまりしてないもん」

「甘い物と食事は別腹」

 古い事を言っちゃった。でも午後は楽しい時間を過ごさせて貰ったなあ。

 相方がお会計をする。今回の小旅行はユースケが誘い予定を立てたので、移動、食事、ホテル代は全て彼が支払う。

 新しい財布から出て行く「栄一」「梅子」「柴三郎」達に心中で「さようなら!」とでも叫んでいるのだろうか? お金が出て行くのは痛いだろうけど、「独り」ではない生活だからこれくらいの出費は仕方がないよ、ユースケ。

「キャッシュレスとかアプリ使ったら? そんなに紙幣持ち歩かなくても済むのに」

「いや、オレは性格上金を見ながらでないとどんどんキャッシュレスで決済しちゃって、後から物憂い気持ちになるから」

 何と頑な……。長子は頑固者が多いという。そういう私も長子だけど、やっぱり中山裕介は見た目は若くても中身はお爺ちゃんだ。

「せっかくスマートフォンも変えたばっかりなのに、何か勿体ない。それに、これからは現金は受付けないっていうお店も増えて来るよ」

「嗤うんだったら嗤えば良いさ。現金使えなくなった時に考えれば」

 また頑なな。そういや彼は幼児期の頃、よく母方の祖父の家で遊んでたって言ってたっけ。お爺ちゃんぽいのはその影響かもしれない。



 全ての予定を終え、やっとホテルで寛ぐ。オレはテレビを観ながら一服。奥村も自分のベッドにゆったりと座っている。

「タバコも近い内に全面禁煙になるからね」

「ニュースや新聞で見ておりますよ」

 一々煩えなあ……とは思うんだけど、世の中の動きは彼女の言う通りだからなあ。

 20時近くなってオレのスマートフォンがバイブし始めた。画面には下平希。

「プロデューサーから電話だ。ちょっとトイレで話して来るわ」

「うん」



 トイレに入って通話ボタンを押すと、

『旅行は楽しんだ? ファビュラスなプロデューサーですよ』

テレビ電話かい……。しかも居酒屋か何処かの店かららしく酔ってるな。

『ファビュラスなディレクターもいるよー』

 枦山さんも顔を出した。どうやら自撮り棒を使っているみたいだ。そこまでして……。

 それにしても2人共にこやかな顔な事。良い酒だ。

「何だよテレビ電話まで掛けて来て。今から緊急ミーティングでもするのか?」

『いや、ユースケが彼女と今頃ラブラブしてんのかなあって、夕貴と話してたの』

「まだしてねえよ。特に用がないんだったら切るぞ」

『ちょっと待って! あたしから報告があるんだよ』

「報告? 旦那と最近仲良くしてるとかか」

『その通り! 良く分かったね。ユースケ勘良いじゃん』

「ありがとよ。でも仲直りするのに随分時間を要したな」

『ほんとは夏頃に帰って来てくれたんだけど、何かぎくしゃくしててさ。離婚する! っていうような喧嘩だったから』

「そう。でも今は上手く行ってるようで何よりじゃん」

『ありがと。ユースケもせっかく休み取れたんだからラブラブしちゃいなよ。あたしも帰ってラブラブしちゃおっかなあ』

「フーー……」

 鼻から溜息が出てしまう。休みが取れたって、明日の午前中の新幹線で帰京するんだけど。

『死ねよマジで! 死ねほんとに!』

 オレの代わりに枦山さんがツッコんだ。

『じゃあそういう事だから』

『お土産楽しみにしてるよ! まさかないんじゃないよね』

 枦山さんの鋭い目。

「買ったよ。うなぎパイ。今度の『ーーSTREET』の会議で持って行くから」

『そう。じゃあ楽しみにしてるね。ファビュラスなディレクターと』

『プロデューサーでしたー』

 画面が元へ戻る。ファビュラスというのか、2人共頭の中はワンダフルというのか……。

 電話が終わったらしく、ユースケが出て来た。

「仕事の話だったの?」

「いいや。去年結婚した下平っていうプロデューサー覚えてる?」

「ああ、女友達でもあるっていう人ね」

「そっ。何か旦那と喧嘩してたみたいだけど仲直りしたんだってさ」

 説明するのもバカらしい。

「そうなんだ。良かったじゃない」

「ハーー……」

 相方は力が抜けたようにベッドに座った。

「ねえ、明日は何時の新幹線なんだっけ?」

「今日と同じ10時台」

「まだ寝るのは早いけど、久しぶりに一緒にお風呂入ろっか」

「誘われるとは思ってたけどね」

 ユースケは子細ありそうな表情。

「何? 私とはご不満なの?」

「いえ、とんでもない」

「じゃあ入ろう!」

 テレビを消した。

 私の精神状態も元へと戻った。今日、佐藤政和に向けて笑顔で手を振った事によって、吹っ切れたのかも。改めて、ありがとう、ユースケ。

「コミュニケーションの時間、復活! だね」

「風呂は禊ぎの場か」

 私は破顔して、相方は微笑を浮かべてベッドから立上った。



 12月28日の夜。小旅行から帰京して一日が経った。TTH内の『高ネオ STREET』のスタッフルームを借りてホンの仕上げをする。他にスタッフは誰もいない。

 ちょっと前ならスタッフルームで仕事をしていると、他のスタッフやプロデューサーから別の仕事を頼まれるという「危険」があった。だから作家はトイレに「避難」して籠ってホンや企画書を書いていた。ノートパソコンの充電がなくなればウォシュレットのプラグを抜いて「拝借」するという、姑息な手段。

 だが今は時代も変わり、大石さんからは、

「私達もう帰らなきゃいけない時間だから、スタッフルーム思う存分使っても良いよ」

笑顔で告げられ、他のスタッフも皆帰宅の途に着いた。働き方改革。これが「社員」と「非正規労働者」との違いである。

 まあ、大石さんクラスの立場の人は、帰宅しても自宅で仕事の続きをしているのだろうけど。サービス残業と同じ。人間が作り出すものに「完璧」なものはないから……。

 独りで仕上げを始めて終わりが見え始めたのは、2時間半くらい経った頃だろうか。時計は23時を回っていた。

 「フーー」鼻から息を吐き椅子の背もたれに身体を預けた刹那、側に置いていたスマートフォンがバイブし始める。画面には下平希。

 また旦那と喧嘩でもしたか? それとも飲みの誘いか? 将又仕事の用件か? 無視してやろうかとも思ったが、そうもいくまい。また事務所に押し掛けて来て貰っても困るし。



 仕方なく通話ボタンを押し……「出てやった」。

『旅行は楽しかったかい? 今日もファビュラスなプロデューサーですよお』

 またテレビ電話。これまた自撮り棒を使いやがって。しかも飲んでるし。

「……ああ、お陰で楽しんで来たよ。今日は土曜日だぜ、『ーーSTREET』の会議も打合せもない筈ですが」

『そうだけど、ちょっと様子を見てやりたくなってね』

「何だ見てやりたくなって。特に用件がないんなら切るぞ。オレはまだTTHにいるからな」

『いいやちょっと待て! お仕事ご苦労様。今日は大事な話があんの。最後まで聞け』

『ごめんユースケ、仕事中に。今日はオレもいるんだよ』

 大場が顔を出した。何かあいつがいるだけでも安心する。

『駿府城はどうだった?』

「久しぶりにゆっくり城跡見学が出来たよ。新しく復元された櫓の中にも入れたしな」

『そりゃ良かった』

『って事で大場との話はこれでお仕舞。本題に入るぞ』

 また下平プロデューサー殿のアップ。

「端的に言えよ。オレもそろそろ帰りたいんだからな」

『じゃあ手っ取り早く言う。来春からTOKYOーMS(東京メディアシティー)でワイドショーのプロデュースをする事になった。それで、ユースケにも構成に携わって貰いたい。っていう訳』

 下平はにんまり。

「TOKYOーMSでワイドショーねえ。時期的には丁度良い打診ではあるけど、どうせまだ事務所を通してないんだろ?」

『いいや、もう<レッドマウンテン>にはオファーしてある。今回はうちの会社からね』

 澄ました顔しやがって……。

 放送作家が仕事を受ける場合、制作プロダクションからオファーされる事もあれば、放送局、番組サイドからと、ケースバイケースである。

 それと、新番のオファーがされて来るのは番組開始3、4ヶ月前というのが通例。今回下平プロデューサーは通例に従った訳ではあるが。

「でも社長からは何も聞いてないぞ」

『明日にでも伝えられるんじゃね? 陣内社長は忘れる人じゃないじゃん』

「まあな。でもいつも「急にオファーした方が仕事を躍起になってやる」とか言って、事務所を通す前に伝えて来るあんたが、珍しいじゃん」

『ユースケ、あんた作家に成って何年目?』

「24の時に<レッドマウンテン>に入所したから7年目」

『もうお互いアラサーだしあたしもプロデューサーに昇格したんだから、いつまでも若手じゃないんだよ』

「まっ、それもそうだな」

 変な所で自分のキャリアを自覚させられた。オレも人の教育係を任せられるようになったし。

『今回はオレもディレクターとして携わるんだよ。引き続き宜しくな!』

 破顔する大場。まだ承諾はしていないのですが。だが陣内社長の事だからまた背中を引っ叩いてGOサインを出すのは火を見るよりも明らか。諦めるしかないって事か。

「こっちこそまた宜しく。オレ、今回の新番入れたらレギュラー7本になるな」

『良い事じゃねえか。仕事があるってのはさ。仕事は出来る奴の所に来るようになってんだよ。売れっ子作家さん』

 いつもクールな大場花が持ち上げるとは、これまた珍しい。

 画面はまた下平へ。

『もう番組のコンセプトは決まってるの。一週間のニュースを集めて、出演者全員が時事ネタで時事漫才をするってね』

「時事漫才ねえ。情報番組が嫌で会社に懇願してバラエティ担当にして貰ったんじゃなかったの?」

『だから情報バラエティ番組。制作もTOKYOーMSのバラエティ制作室が担当するのも決まってるから』

「バラエティ班がワイドショー? ドラマ制作なら聞いた事あるし観ても来たけど、情報番組は初耳だぞ」

 怪訝そうなユースケの顔。まさかこいつ「嫌だね」とか言ってオファーを蹴るとか、正当な理由もなくまた「降りたい」とか言うんじゃねえだろうな。もしそんな事言って来たらガチで絶交だしぜってえ許さねえぞ!

『じゃあそういう事だから。あたしのプロデュース番組第二弾、宜しくねえ。敏腕な放送作家さん』

 敢えてにこやかに言ってやった。

「解ったよ。月曜の会議でお土産持って行くから」

 電話を切りやっと解放された気分。それにしてもバラエティ班がワイドショーを制作するって、不馴れな事をさせて……開始前から数字が心配だ。

 まあ良いや。帰宅の途に着く筈、だったが……。



 今度は奥村真子からの電話。

『今飲んでるの?』

「いいや、仕事してた。まだTTH」

『そう。私もうお風呂に入っちゃったよ』

「コミュニケーション取れなくてごめんな。オレ、来春からまたレギュラーが1本増える事になったよ」

『そうなんだ、おめでとう。私もアナウンサー兼記者だから擦れ違いが多くなるだろうけど、まあ何とかやって行こう。っていうか、何とかなるようになってるんだよ、世の中は』

「そうだな。電話やLINEもあるしな。もう帰るけど、先に寝てても良いから」

『そう。じゃあお互い無理せずお休み』

「お休み」

 ホンの仕上げはもう出来上がったに等しい。後は自宅マンションか事務所でだな。

「さっ、今度こそ帰りますかっ……」

 パソコンや資料をリュックに仕舞い、スタッフルームを後にして帰途に着いた。



「うなぎパイ美味しい!」

 陣内社長は笑みを浮かべて頬張る。

 翌日の午後、レギュラー番組の会議が終わった後にお土産を持参して事務所に立寄った。

「ほんとですね。流石は静岡名物!」

 隣のナギジュンも至福の表情。

「喜んで頂けたのならオレも満足です」

「ユースケ君、今度はいつ旅行に行くの?」

「そんなにしょっちゅう旅行なんか行ける職業じゃないだろ。ロケハンで地方に行く事はあるけどな。その内解るよ、休み少なき放送作家の実情が」

 現に30日の月曜にも『ーーSTREET』の会議はあるし。

「世間が年末だお正月だって言ってる時でも、会議や打合せの仕事が入るのがこの業界の常なの」

 社長はうなぎパイを食べ終えコーヒーを一口。

「冬休みとかもないんですか?」

「世間が休んでる時に休みがないのもこの業界の常」

「そうなんだ……」

「露骨にがっかりした顔すんな!」

「ナギジュンにもそのくらいの覚悟はして貰わないとね」

 陣内社長と2人でけしかけるように諭す。までは良いのだが……。

「社長、<プラン9>から仕事のオファーが来てるんじゃないんですか」

 オレの方から口火を切った。お土産を配るのは序で。本来の目的はこれから。

「珍しいねえ、中山君から仕事の話を持ち出すなんて」

「目を丸くしなくても良いじゃないですか。昨日下平から電話があって大方聞きましたけどね」

 白々しいリアクションだった。

「そうよ、レギュラー7本目おめでとう。今度はワイドショーらしいけど、TOKYOーMSの長谷川編成局長の肝煎りの企画らしいよ。うちからは中山君とナギジュンを構成に参加させるから」

「えっ! 私もなんですか?」

 ナギジュンも目を丸くする。彼女は初耳だからな。

「バラエティの要素が入ったワイドショー番組になるとは聞いたけど、中山君、またナギジュンの教育係をお願いね」

「はい。解ってます」

「ナギジュンもバラエティとはいえニュースを扱った番組だから、色々勉強して来るんだよ」

「はい社長! 頑張ります! ユースケ君また宜しくね!!」

 ナギジュンはガッツポーズまで見せる。言動にはかなり気合が入っているけれども、心中のやる気はどれ程のボルテージなのかいな?

「振り向けばTOKYOーMSって揶揄されるくらいだから、初回から二桁は難しいだろうけど、6%台に行けば及第点だろうね。私が言うのも何だけど」

 陣内社長は「フフンッ」と鼻で笑う。

「まあそうでしょうね」

 制作費も数字も他のキー局より正直劣るTOKYOーMS。数字までは誰も予測が着かない。でもベンチャーなコンテンツも多く、一部の若者にはウケているのもまた事実。今回の新番は若者ウケするのやら……。



 30日の『ーーSTREET』の会議。お土産のうなぎパイを振る舞い大石さんは、

「聞いたよユースケ君、また希ちゃんとバディを組むんだってね」

にっこりして一言。

「もう話が広がってますか」

 噂は直ぐに拡散するものだ。

「大石さん、オレもその番組のスタッフに入ってるんですけど」

「私もです」

 大場とナギジュンは控えめに手を挙げる。

「この4人が揃えば絶対に面白いコンテンツになるって信じてる。頑張ってね」

 破顔する大石さんだが、今の言葉は本音? 他局の番組は知らん! という気持ちか? 大石さんの性格上無責任な事は言わないとは思うが、こればっかりはどっちかどうか解らぬ。

「あたしも、またプロデューサーですから。こんなに早く第二弾が来るとは思わなかったなあ」

 下平の嬉しそうな顔。見ているこっちが何か不安になるのは何故か……バラエティ班が制作する数字だろうな。

「希ちゃんは『ーーSTREET』も当てて今ノリにノッてるから大丈夫よ。でも4人共、この番組も疎かにしないでね」

 大石さんは笑顔で念を押し目もマジ。これは本音だろう。

「別に手を抜くつもりはありませんよ」

「解ってますよ! 大石さん!」

 下平は声も弾み快活。

 


TOKYOーMSの20年ぶりのワイドショー番組。しかも編成局長も気合が入っているとは後で窺知した。

 大石、下平、大場、奈木野の笑顔を見ている内に衷心が浮かんで来るのであった。しかしバラエティ班が制作するワイドショー番組。下平希プロデュース第二弾、始まる前から疑義を持ってはいけないが、数字の面でも本当に当たるのや否や……。何れにせよ、やってみなけりゃ解らない、である。



 それから半年後の6月中旬――

下平希プロデュース第二弾となる、一週間のニュースで出演者全員が時々漫才をするコンセプトのワイドショー番組も開始され、こちらはある程度予測した通り、数字は2〜3%台で推移しているが、番組が定着するまで様子見という段階。

 一方の『高ネオ STREET』も未だ継続中。数字も10%台前半か半ばと推移していてこちらは安定している。

 大石Pの思惑通り2年目に入り、回ももう直ぐ50回目を迎える。このまま「何事もなければ」本当に「15%まで」行くだろう。飽迄も今の数字を維持し続け、何事もなければの話だが。しかし、やっぱり高速ラインNEOは「ディープ向け」コンビだったのかもしれぬ。

 オレは『ーーSTREET』のスタッフルームを借り切り、ナリ君とホンを執筆する前の打合せをしていた。という事は、大石さんら他のスタッフは働き方改革で帰宅している。

「この撰で書いて行けば良いんっすね」

「うん。その方が視聴者ウケすると思うんだあ」

「かもっすね。じゃあその撰で書きます」

 ナリ君は納得して「うんうん」と頷く。

「じゃあ帰ろっか。執筆は自宅や事務所でやれば良いしさ」

「ですね」

 オレもナリ君も帰り支度を始めた刹那、『ブブーブブー』スマートフォンがバイブし始めた。時計は22時近く。

「おっ、オレのだ」

 画面を見ると「小枝子」と表示されている。母親だ。

「ディレクターか誰かっすか?」

「いや、お袋」

 また愚直に答えてしまう。誤魔化しが下手な人間でして……。

「先に帰って良いから」

「そうっすか。じゃあまた。お疲れ様でした」

「お疲れ様」

 ナリ君はスタッフルームを後にした。

 母親からの電話なので、やっぱり「今仕事中だから」とか言って邪険にする事は出来ぬっか。



「もしもし?」

 オレは椅子に座る。

『裕介、あんたまだ仕事中なの?』

「ああ、また帰って台本書かなきゃいけないけど、一応もう帰るから良いよ。何かあったの?」

『秋久が結婚する事になったの。9月には子供が生まれる予定なんだって』

 秋久はオレのたった一人の弟だ。

 でも「なんだって」って、息子の事なのに他人事みたいな口振り。呆れる気にもなれない。小枝子はそういう性質でいつもの事だから。

「そうなんだ。授かり婚だね。おめでとうって伝えといて」

『兄貴なんだから自分で言ってやりなさいよ』

「オレ、あんまり羽村市まで帰れる暇ないだろう。あいつとももう3年は会ってないし」

『忙しい職業に就くからよ。暇な職業なんてないのは解るけど、あんたが特殊な職業に就いたのが悪い。来年のお正月にはもう産まれてるだろうから、ちょっとでも時間を貰って帰って来なさい。その時に「おめでとう」って伝えれば良いじゃないの』

「特殊な仕事ではあるけど、「悪い」って言われてもねえ。オレだって頑張って就いたんだし今も頑張ってるんだからな」

 念は押しておく。

『頑張ってるのは認めてるけどね』

「それで挙式は挙げるの」

『挙げないんだって』

「なら良かった」

『良かったって何よ』

 小枝子は電話の向こうで呆れている口振り。

「また時間を貰わなきゃいけないからちょっと安心したんだよ。つい出た本音」

『あんたも大変ねえ。私達親もこれから大変なんだけど』

「まあ大変だろうけど何が?」

『まだお嫁さんの両親と顔を合わせてないのよ。秋久は当然挨拶しただろうけどね』

「えっ! まだ両家の両親が顔も見ずに結婚するの!? そりゃちょっとおかしくね?」

『まあちょっと順序が違うけど、向こうの両親は授かり婚にも結婚にも反対はしてないそうだから』

 小枝子は声を弾ませているが、そういう問題じゃねえだろ。その点では、秋久も何を考えているのやら……。

「ふーん。親父は何て言ってる」

『お父さんは「まだ奨学金を返済し終わってないだろ」って最初は難色を示してたけど、子供が出来たって聞いて渋々だったけど納得はしたみたい』

「両家が顔を合わせてない事には?」

『それも「まああいつが決めたんだから仕方ないな」って言ってた』

「へえー。あの頑固者だった親父が理解を示すようになったか」

 父の譲一はオレ達が子供の頃は高圧的で、拳骨で子育てをし、堅実な「昔タイプ」の父親だった。

 そんな譲一が「あいつが決めたんだから」とは、年齢的なものもあるだろうが、子供の思念に耳を傾けるような性質に変わって行ったか。

「まあ、中山家にとってはおめでたい話って事は解った。初孫が生まれるんだしね。正月帰れるかどうかはまだ何とも言えないけど、念頭には入れとく」

『解った。お願いね』

 小枝子との電話が終わっても、直ぐに帰宅の途に着く気にはなれず、荷物を持ってTTH内の喫煙ルームで一服する事にした。



 喫煙ルームには誰もいない。聞こえるのは『ゴーー』と稼働する吸煙機の音だけ。

 弟が結婚する。しかもオレにとっては甥か姪まで生まれるのだ。何でもかんでも兄の先を行く弟だなあ。でも、オレにも義理ではあっても妹が出来るのである。万感が浮かんで来ながら紫煙を吐く。

 秋久は子供の頃から負けん気が強い性格だった。何でも真に受け言われるがまま、されるがままで内憤を抱き、傷付き、惰眠を貪って消極的で受け身な性格のオレとは、真逆。同じ母親から産まれても、これだけの個体差がある。こればっかりは持って産まれた性格なので仕方ないとしか言いようがないが。

 秋久は中・高校と野球部に所属していたが、持ち前の負けん気で勉強も疎かにはしなかった。大学は大学院にまで進み、臨床心理士の資格を取得した。

 卒業後は都内の学校で臨床心理士として勤務していたが、現在は横浜市内の病院に勤務している。

 嫁さんになる女性にも負けん気と積極的な性格でアプローチしたのだろうて。まっ、オレも結婚を前提として奥村真子と同棲中ではあるんだけど……。

 一服が終わり、いつまでもここにいても仕方ないのでTTHを後にした。



「ただいま」

 自宅マンションに帰ると、

「おかえり」

奥村はまだ起きていた。

「これから入浴しようと思ってたの。一緒に入ろうか」

「コミュニケーションの時間だな」

 レギュラー番組が一本増えて擦違いが多くなるだろうなとは思っていたが、彼女が言うように何とかなるものである。

「何か表情が硬いけど、何かあったの?」

「入浴中に話す」

 準備をして浴室へ。

 相方に背中を含め全身を洗って貰いながら、

「秋久っていう弟がいるんだけど、結婚して9月には子供が産まれるんだってさ」

「へえ、おめでたい事じゃない。なのに複雑そうな表情なのはどうしてなの?」

 問題はそこだ。今度はオレが相方の身体を洗う番。

「きっかけはお袋の妹、叔母が結婚した時からかなあ」

「寂しかったとか?」

「何で解るんだよ?」

「だってそのくらいしか思い付かないんだもん」

 鋭い。看破されたか……。

「当時はまだ3歳だったかなあ。あんまり記憶はないけど、朝早くに起こされていつもとは違う服に着替えさせられて、訳も解らずにマイクロバスに乗せられて、府中市(東京都)のホテルまで行ったんだよ。そしたらいつもとは服装、メイクも含めて雰囲気が違う叔母がいた。隣には知らない男性もね」

「旦那さんだね」

「そう。何も分からないまま結婚式、披露宴が終わって、叔母は羽村の実家暮らしだったんだけど、叔母は実家からいなくなって府中に移った。多分寂しいと感じたのはその時だったんだろうなあ」

 相方の背中や腕を洗いながら当時を回想する。

 小枝子曰く、暫くは「姉ちゃんがいない。姉ちゃんがいない」と泣いていたのだとか。

 でも小枝子からは「姉ちゃんは結婚して、もう爺ちゃんのおうちには帰って来ないの」という説明もされなかった。それは叔母も同じ。

「だから友達が結婚するって聞くと、口では「おめでとう」とは言うしお祝いの品を贈ったりもするけど、何か自分から離れて行くようで未だに寂しい。幼児期の気持ちのまま、気付けばアラサー。仕方ないのか、オレがまだまだ成長してないのかもね」

 相方に今まで誰にも言わなかった心情を吐露し、少しすっきりしたような気もする。

「仕方ないんじゃない」

「あんたも確言するね」

 シャワーで相方の身体を流す。

「幼児体験は仕方ないよ。それもひっくるめて自分を受入れな。幼少期に感じた想いもひっくるめて今の中山裕介がいるんだから」

「自分を受入れる、かっ……」

「ねえ、弟さんが結婚したんだから、私達もそろそろ入籍の事考えない?」

「弟と同じ年に結婚。何も兄弟揃って同年に結婚しなくても。来年でも良くね? まだ2人の関係が続いていれば」

「続いていればって何?」

 奥村はふざけてムッとした顔付。

「じゃあさ、来年の2人の誕生日、どちらかに決めて籍入れようよ」

 私もアラサー。友達や後輩、同級生もどんどん結婚してもう子供がいる子もいるし。そろそろユースケにも真剣に考えて貰わなくっちゃね。

「解った。念頭に入れとく」

「失念しないでよ」

 相方を信用してない訳じゃないんだけど、鋭い目で念は押しておく。

「失念なんかしないよ。大事な事じゃねえか。2人にとっては」

 なら宜しい。



 そして9月8日、秋久には女の子が誕生した。年が明けて1月2日――

 「来なくて良い」とは言ったのに「ご両親に挨拶しとかなきゃ」と言って聞かず、奥村真子も羽村の実家まで付いて来て……しまった。

 陣内社長には事情を説明し、了解を得て午前中に他局で打合せを済ませ時間を貰った。

 今日はオレも秋久も日帰りだ。

「ここが相方の部屋なんだ。奇麗だね」

「お袋がたまに換気とか掃除してくれてるみたいだから」

 すると誰かが階段を上がって来る音がし、ドアをノックされた。

 「はい」と言ってドアを開けると、娘を抱いた秋久が立っている。

 秋久は奥村に気付き、

「初めまして。奥村真子さんですよね? いつもテレビで観てます」

「初めまして。ありがとうございます」

 秋久はクールに、奥村は破顔。

「子供が産まれたのは、見れば解る、よね?」

「うん。一目瞭然。おめでとう」

「おめでとうございます」

「オレが抱いたら泣くかなあ」

「いや、そんな事はまだないと思う」

 秋久から姪を抱かせて貰う。

「伯父さんですよお」

 とは言いながらも、まだ「伯父」の実感がない。

「名前はちえみっていうんだよ」

「字はどう書くんだ?」

「知るに衣で美しい」

「そっか。知識を身に纏って、美しい人間になれよ」

 オレは姪の身体を上下に揺蕩させながら、まだ赤ん坊の知衣美の顔を見て微笑を浮かべて言った。伯父としてその想いは衷心であるから。

「兄貴……」

 秋久は呟く。意想外な言葉だったようだ。兄の落着き冷静で優しい口振りに、意表を衝かれたのだろう。

「かわいい。私も抱かせて貰っても良いですか」

「どうぞ」

 奥村は姪を抱き、

「今年伯父さんと結婚する「お姉ちゃん」ですよお」

「おい!」とツッコミたかったが黙って見ていた。

「今年結婚するの」

 秋久に訊かれた。

「その予定。っていうかその撰で調整中」

 相方がいる手前、否定など出来ようか。

「兄貴もおめでとう。こんな奇麗な人と」

 秋久は微笑を浮かべる。

「ありがとう」

 一応礼は言ったが、両親にも紹介しちゃったし、奥村かオレの誕生日に籍を入れるのは確実、であろう。

 相方は秋久に姪を返し、3人で一階のリビングに降りた。戸を開けると義理の妹が破顔して一礼する。

「初めまして」

「初めまして」

 義理の妹の名前は由衣というらしい。由衣さんもうちの両親とは今日が多分初対面だろう。うちの両親も由衣さんの両親とは、まだ顔合わせもしていないそうだ。

「奥村さんですよね? アナウンサーの。初めまして」

「初めまして。ユースケと同棲してる奥村です」

 二人は破顔して挨拶。

「おい! 余計な事言うなよ」

 これにはツッコまずにはいられなかった。

「だって本当の事じゃない」

「ゴールイン間近ですね」

 女性2人で破顔。参ってしまう。

「おい、せっかく家族が揃ったんだから家族写真でも撮るか?」

 譲一がデジカメと三脚を持ってリビングに入って来た。譲一が家族写真を撮ろうと提案するとは今まで見た事がない。これも年齢のせいだろうか?

 しかも奥村真子も入って。これはもう結婚するしかない、だな……。別に別れたいとか不満がある訳ではないけれど、「寂しい」と感じ続けていた「結婚」に自分が足を踏み入れる。これに何か違和感があるのだ。

 家族写真、私も入れて貰えるんだ。すっごく嬉しい! 相方の顔を見ると無表情だけど目は複雑そうにしちゃって。

 でももう逃げられないよ、中山裕介。「フフフフフンッ!」心中でほくそ笑んでしまう私なのだった――



 夕方16時過ぎ。羽村の実家を後にしてオレが運転する車内。

「ねえ相方、入籍は私の誕生日の2月にする? それとも相方の誕生日の7月にする?」

 決めるなら自宅マンションに帰ってからとか後考にするよりも今だ。

「そんなに「結婚」に拘るか?」

 横目でチラッと奥村の顔を見ると、破顔というのかウキウキした顔。女性は結婚に対し「シビア」なのか? それとも男性が「疎い」だけなのか?

 ユースケの顔は気乗りしないというか、やっぱり複雑そう。

「何なの? 結婚するのがそんなに嫌なの? それとも私とじゃご不満?」

 態と声のトーンを上げた。

「いや、嫌とか不満とかそういうんじゃない。今まで「寂しい」と思って来た自分が結婚するとなると、何か実感が涌かないっていうのかなあ」

 これくらいしか返す言葉が見付からない。

「だったら結婚に自分から飛び込んでみるんだよ! 解る事もあるだろうし、ゴールじゃなくてスタートなんだよ。それに「寂しい」とも思わなくなるかもしれないし」

「……かもな」

 これ以上言うと奥村は気分を害する。それに端くれでも男、腹を決めるしかない。幾ら寂しい幼児体験をしたからといっても、自分も結婚していても可笑しくない年齢になった。

 自分が端くれであろうが、男は男。ここは運転中のながらであっても、ピシッとしなければ。何でもかんでも逆。背中を押されてばかりでは、本当に「女に尻叩かれ作家」だ。

「じゃあ7月までは時間が空き過ぎるから、相方の誕生日、2月8日にしよう。改めて言う。真子、もし僕で良ければ、結婚してください。それと、今後とも何卒宜しくお願い致します」

 お解りの通り、奥村とオレは産まれた年は一緒だが、彼女は早生まれで学年は一つ上なのだ。

「プロポーズ、だね。運転中ってのが、相方らしいけど」

 しかも「真子」て初めて名前で呼ばれた。嬉しいけど、あわよくばもっとロマンチックにして貰いたかった。やっと決心したかと思ったら、笑顔も見せず真顔で宣言しちゃって。

「「僕で良ければ」はいらないよ。何で私達、同棲までしてるの? はい、裕介と結婚出来て嬉しい。私の方こそ、末永く、何卒宜しくお願い致します。絶対約束だからね。もう後には引けないから。嬉しそうじゃないみたいだけどさ」

 今度は少々気色ばんでみる。私も初めて彼を名前で呼んだ。改めてだと照臭いけど。

「嬉しくない訳じゃないよ。実感が涌かないだけ。でも、オレも「守るべき存在」が出来たんだな」

 笑顔になるつもりはなかったが笑ってみた。

「やっと笑顔になった。「守るべき存在」、忘れるなよ! 早速区役所に婚姻届貰いに行かなくっちゃ。保証人は誰に頼もうかなあ」

「保証人はうちの社長と、作家の先輩で結婚してる人がいるから、オレから頼んでみるよ」

「そう。じゃあ任せるからね」

 横目で相方を見るとまた破顔。入籍する日が決まって満足したんだろうけど、今日はよく破顔する女性を見た日だ。そして参ったし疲れた。オレにとっては……。



 2月上旬――

 相方は先月中に港区役所で婚姻届を貰って来ている。オレ達の名前と捺印もして、後は保証人の欄を埋めるだけ。相方は「中山真子」になってくれるという。

「でも仕事では今まで通り「奥村真子」で行くから」

 らしい。

「うん。そう決めてるんならオレは構わないよ。まっ、中山家へようこそ、だね」

「こちらこそお招き頂きありがとう。でも私、相方のご両親には挨拶したけど相方はまだだよね。うちの両親も「放送作家と結婚する」には反対もしなかったし喜んでたけど」

「時間を作って挨拶に行かないとな」

 行かなきゃおかしい。秋久の事を「おかしい」とは言えない。兄が兄なら弟も弟、だな……。



「頼みたい事って何?」

 陣内社長はライトな口振り。会議や打ち合わせを終えて21時過ぎ、<レッドマウンテン>に立寄った。ていうか寄る必要があった。

「実は、これの保証人になって貰いたいんです」

 陣内社長に紙を見せる。

「婚姻届じゃない。中山君、遂に結婚する決心をしたんだ。おめでとう」

 社長はにっこり微笑む。

「えっ! ユースケ君結婚するの? おめでとう!」

 自分のデスクにいたナギジュンも入って来て破顔し、拍手をして祝福してくれる。

「ありがとう」

「相手は誰なの? 奥村さん?」

「そう。TTHの奥村真子さんとだよ」

 陣内社長に先に言われてしまう。まあ2人共、奥村とオレが交際していたのは既知しているから、もう放念だ。

「奥村さん、前にセクハラ騒動があったよね? その時週刊誌にリークしたのはユースケ君って噂で聞いてたけど、彼女を守ったんだよね。カッコ良いぞ!」

 ナギジュンが右腕でオレの身体を突く。

「もう2年近くも前の事だよ。ナギジュンは仕事してたんだろ。デスクに戻って良いよ」

「仕事どころじゃないよ。三従兄妹、親戚が結婚するんだもん」

 彼女は笑みを崩さない。「親戚」といったって「遠戚」なんだけど……。

「私、結婚の保証人になった事ないし、まさか初めて頼まれるのが中山君とは予想だもしてなかった。前に交際してたキャバ嬢の子と結婚するんだろうなあってばっかり思ってたけどね」

「えっ! ユースケ君キャバ嬢とも付合ってたんですか!?」

 ナギジュンが笑顔のまま目を丸くする。

「社長、余計な事を吹き込まないでくださいよ。もう過去の事なんですから」

 オレは以前、キャバクラで勤務していたチハルという彼女と交際し半同棲までしていた。長らく芳縁が続いていたのだが、オレの過失で喧嘩別れしてしまった。

「だって事実だしそう思ってたんだもん」

 陣内社長の笑みはからかいか……。

「キャバ嬢の次は女性アナ、ユースケ君も好き者だね」

 ナギジュンは今度は右肘でオレの身体を揺蕩させる。

「ほらからかわれるじゃないですか!」

 声のトーンを上げてツッコまずにはいられない。

「でも良かったんじゃない? キャバの女性は色んな男性客と接するから浮気の心配があると思うし、それに対して奥村さんは真面目そうな人だから」

 ナギジュンは言うが、キャバ嬢の人達への偏見だ。それにチハルはそんなタイプじゃなかったし。

「ごめんごめん。もう既済した事だしね。でもあの子を逃してもう結婚はしないんじゃないかって思ってた中山君がねえ」

 陣内社長は感慨深げ。

「それで、保証人にはなって頂けるんですか?」

「解ってるよ。ここに書けば良いんでしょ」

 社長は空欄に「陣内美貴」と達筆で書いてくれた。

「これで良いんだよね」

「はい。ありがとうございます」

「中山君、今度は失敗するなよ!」

 陣内社長は笑みは浮かべてはいるが目力は凄い。

「はい。心得てますしそれはコミットします」

 この人には誤魔化しは利かないし、衷心を口にするしかないのである。嘘を言えば絶対看破されるから。オレが顔に出易いだけなのだが……。

「これで中山君にも「守る存在の人」が出来たんだね。家庭も大事にして行かなくちゃいけないけど、仕事にも身体に気を付けながら精一杯やって行かなくちゃ。中山君は地道にこなして行くタイプだから大丈夫だろうと信じてるけどね」

 陣内社長は再び感慨深げな口振りで、今度は目も微笑みも優しい。

 オレが<レッドマウンテン>に入所した頃、教育係は陣内社長だった。その教え子が結婚するのだから、感慨も喜びも一入に思ってくれているのだろう。

「先を越されちゃったけど、改めておめでとう」

 そういや陣内社長はまだ独身だ。

「私も嬉しい。本当におめでとう!」

 ナギジュンも我が事のように祝福してくれている。

「ありがとうございます」

 笑顔で終わるかと思いきや、

「子供は何人欲しいの? それとも授かり婚?」

ナギジュンはまたにんまり……。

「授かってもないし、子供はまだ未定だよ」

「何だ何だ? 3人で微笑ましい雰囲気出しちゃって。何か祝い事ですか? 社長」

「ほんと何かあったんですか?」

 大畑が川並を連れてオフィスエリアに入って来た。

「ユースケ君がね……」

 口走ろうとしたナギジュンを肩を押さえて止める。

「しっ! あいつらには後日オレから言うから」

 そっと耳打ちしたがあの2人に伝えるつもりは、微塵もなし!

「社長もあの2人には内密にしといてください」

「うん、解ってる」

「何だよ、教えろよ」

 大畑は不服顔。

「もう用件は終わったから」

 社長が助け船を出してくれる。

「そうそう。あんた達は仕事に集中して」

 あの2人が入って来るとまた面倒な事になるのは明白。これも、衷心。



「これはこれは「江戸川さん」、今日は態々済みません」

「だからオレはその「コナン」じゃねえよ! 「虎」に「南」と書いて「虎南」だオレは!!」

 翌日の19時過ぎ。オレより10年先輩の虎南侑二さんに、

「明日、ちょっと時間を貰えないでしょうか? お願いしたい事があるのですが」

とメッセージを入れ、

『某局の社食でなら良いぞ』

と返信と了解を得た。

 この「江戸川さん」ネタ。発信者はオレ。別に本人は怒っている訳でもなくいつも「その「コナン」じゃねえよ!!」と全力でツッコんで来る。

 このやり取りを面白がって続けている内、作家仲間も真似するようになり、いつしか虎南さんはすっかりイジられキャラになってしまう。

 だがこれも後輩とのスキンシップだと本人も思っているらしく、「お前のせいでいい迷惑だ」とは言っているが、いつも笑って済ませてくれる優しい先輩だ。

「それで、お願いしたい事って何だ?」

「実は、これの保証人になって頂きたいんです」

 陣内社長の時と同じように紙を広げて見せた。

「それって、婚姻届じゃねえか。お前結婚するんだな」

「はい」

「相手は一般人か?」

「いや、TTHのアナウンサーの奥村真子とです」

 嘘を付いてももう婚姻届には「奥村真子」と書いてあるから所詮バレる。

「そうかあ。あの奥村アナとか。噂には聞いてたけどほんとに付合ってたんだな」

 今度は虎南さんがにんまりとし、自分の中で納得して「うんうん」と頷く。

 「人の噂も七十五日」とはいうが、噂は直ぐに出回り「七十五日」どころか俄然長い「噂」だ。

「なので保証人、お願いします。「江戸川さん」」

「だからオレはその「コナン」じゃねえって!」

「しっ! ここは社食ですよ」

 構って貰うのはありがたいが声を張り上げ過ぎ。

「お前から振って来たんじゃねえか。まあ、確かに今のは力が入り過ぎたな」

 独りで苦笑。

「いつも時と場所を弁える人が、今日はどうしたんですか?」

「保証人になってくれって頼まれたから動揺したのかもな」

 尚も苦笑。

「それで、お願い出来るんですか?」

「オレも結婚してるし保証人になってくれって頼んだ事はあるけど、頼まれるのは初めてだな」

 虎南さんはそう言いながら婚姻届を自分の方へ手に取る。

「うちの社長も同じ事言ってましたよ」

「この陣内って人だな? この社長も大変だな。お前みたいなやんちゃ者が社員にいて」

「いや、社長の方が一枚上手ですから」

「そうか。まあお前みたいな奴を面倒看るくらいだからな。すげえ会社だな、<レッドマウンテン>って」

 虎南さんは言いながら保証人の欄に「虎南侑二」と、社長と同じく達筆にサインしてくれた。

「ありがとうございました。「江戸川さん」」

「その「コナン」じゃねえっつってんの!」

 やっと声のトーンを下げる。

「これで後は役所に提出するだけだな。おめでとうな、幸せに成れよ」

 虎南さんは口振りも表情も優しくなった。

「まあ何とか頑張ります」

「お前も「守るべき存在」が出来たんだからな」

 今の言葉も社長と一緒。やっと「結婚」というものに実感が涌いて来た。

「まあ、お前は過去にセクハラ問題で揺れてた彼女を守ってるからな。大丈夫だろう」

 その噂も「七十五日」とはいかなかったか……。

 再度お礼を言って一礼し、

「コーヒー代はオレが払いますから」

「良いよ。今日はオレからのお祝いだ。コーヒー一杯だけどな」

虎南さんは財布を取り出す。

「じゃあ甘えます」

 社食を後にし、虎南さんとオレは各々の職場へと向かう。今日はこの後、某キー局でディレクターとの打合せが入っている。

 結婚するからといっても仕事と時間は待ってはくれない。どうせこの世はそんなとこ。あの世は逝った事がないので知らんが……。



 そして「運命」の2月8日、奥村真子の誕生日――

 やって来てしまったこの日が。

 2人の時間が合ったのは午前10時台から11時台。オレの運転で港区役所を目指し車を発進。

 オレは勿論だが相方も運転免許証を持参している。後は戸籍謄本と一番肝心な婚姻届である。

 車を走らせる事約30分で区役所に到着。2人で戸籍課へ向かう。

「さあいよいよだね!」

 相方の嬉しそうな、何処か安堵したような表情。に対してオレは……。奥村から婚姻届を受け取ったが、心臓は『バックン!バックン!!』状態。熱い季節でもないのに額には脂汗も滲んでいるような……。

 戸籍課の窓口に着き静かに深呼吸をして、

「お願いします」

免許証と婚姻届を、奥村は免許証、戸籍謄本を提出する。

「はい、確かに受理しました。この度はおめでとうございます」

 係員に事務的に言われ、

「ありがとうございます」

ユニゾンで会釈した。

 あ~あ、これでオレも妻帯者になってしまったか……諦めが悪いのは自覚している。

 ああ、これで私も後輩や友達に「結婚した」って胸を張って言える。何か肩身が狭かったんだよね、今までは。嬉しさと同時に爽快感が広がる。

 区役所を後にする道すがら、

「ねえ相方、指輪とか挙式は挙げなくて良いけど、記念写真くらいは撮らない?」

助手席で破顔している。彼女の中では撮る事が既に決まっているようだ。

「ウェディングドレス着たいのか?」

「まあ一度くらはね」

「また時間作らなくちゃな。念頭には入れとく」

「失念しないでよ」

「またそれか。しないよ。入籍する事も失念しなかっただろ」

 あれだけせがままれれば失念したくても出来ようか……。

「白いドレスに黒のタキシード。絶対だからね。っていうか念頭に入れとくんじゃなくて、一つなるはやでお願いしたいんですけど」

「解りました。近々また時間を作らせて頂きます」

 ユースケは吹っ切れたのだろう、表情も清々しく見える。

 でも、入籍したのはゴールじゃないからね。ここからがスタート。色んな事があるだろうけど、中山裕介、覚悟しとけよ!

 「フフフフフンッ!」やっぱりまた心中でほくそ笑む私なのだった――


                 了

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

IMITATIONな奴ら 改編 弘田宜蒼 @sy-ougi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ