14/14話

 煽りを重ねたことで、治五郎の口から負け惜しみの悲鳴が漏れだした。このまま奴が後ろを向いて逃げるのなら追撃する。向かってくるならめった刺しだ。


 そのとき、野次馬の向こう側から近づく人の気配があった。


「やめい! その争いやめい!」


 月代さかやきをきっちりと剃った役人たちが駆けてくる。そして治五郎が打ち込んできたのは、それと同時だった。


 電光の速度で刀が迫る。さすがに頭目をはっているだけあり、鋭く力強い太刀筋だった。脇差でまともに受ければ打ち負けるかもしれない。


 だが俺は、はなからまともに取り合うつもりがなかった。


 打ち込まれる刃をギリギリまで引きつける。そして塗笠の盾を、刀の腹へと滑り込ませるように当てて左へと押しのけた。


 すると治五郎の刀は勢いを失い、明後日の方向へとよれていった。


 この塗笠は斬撃を受け止めることはできないが、相手の力と勢いを利用して逸らすことができる。すなわち、受け流して体幹を崩し、こちらの反撃をねじ込める。


 斬撃を受け流され、がら空きになった治五郎の胸へ、俺は脇差を突き込んだ。切っ先が左胸を捉え、着物を切りつけ肉を裂き、その奥の臓腑を貫く手応えがあった。


「が……っ!」


 そのうめき声を聞くよりも、一拍早く体を退く。再び脇差を構えるが、二発目の刺突は必要がないようだった。


「て、てめえ!」


 治五郎は左胸を手でかばい、絶望に満ちた顔でこちらを睨みつけて悪態を吐いた。


「肺臓を突いた。血がよく流れてる場所だ。すぐに胸の中が血で溢れるだろうよ。お前は陸で、血に溺れて死ぬことになる」


「はっ……はっ……」


 治五郎の息が、目に見えて荒くなった。刀を取り落として、かがみ込んでいる。


「こ、この野郎! 正々堂々とやれぇ!」


「九対一で仕掛けて、どの口が言ってるんだ」


「ごほっ! ごぼっ! げぼ……」


 治五郎の口から、血の泡が漏れはじめる。もう終わりだ。


「やめい! やめんか!」


 壮年の役人が、俺と治五郎の間に割って入ってきた。奉行所の与力らしいその男のほかにも、同心たちがごろつきや浪人者の死体を運びだしている。


 その様子を見た俺は、これ以上暴れる必要はないと悟った。盾を下ろし、脇差を懐紙でぬぐって鞘に納めた。


「これはそなたの刀か?」


 与力の男はそういって、俺の筑紫信国つくし のぶくにをさしだした。


「ああ。俺のだ」


 役人を刺激しないようゆっくりと刀を受け取り、鞘に戻す。


「派手にやってくれたもんだな! 限度があるぞ」


 与力は吐き捨てるようにして言った。始末が大変なのだろう。


 だが経緯が経緯なだけに、俺だけが悪いように言われるのも癪だった。だから俺は言い訳をしようとしたが、その必要はなかった。


「与力の旦那! そっちの塗笠のお侍は、茶屋の親子を助けたんですよ!」


 野次馬たちの中から擁護が飛んできたのだ。俺も与力も、理由は違うがおどろいた。


「そうですよ! もうひどかったんだから! そこのヒモ侍どもは!」


 そう。野次馬たちは最初から最後まで事件を見ていた。これだけ大勢の証人がいるのなら、与力も俺を叱りづらくなるだろう。


「だが、喧嘩・諍いは奉行所に駆け込めと……!」


「そんなの待ってたら、親爺もお小代さよちゃんも殺されてやしたよ!」


 小代さよの名前が出てきて、俺は茶屋の軒先を見た。松田と小代さよはその場でへたり込んでいたが、大事はないようだった。


 俺と眼があった松田は這いつくばり、手を合わせて拝みだす。小代もそれに倣った。

 なんてことだ。俺は家族の仇を助けてしまったのか。


「おい」


 逡巡しているところへ、与力が声をかけてくる。


「そこもとの名前は」


ハナダだ」


「住所は」


「大井村。光福寺に聞けばわかる」


「わかった。状況から、それがしの裁量で放免としよう。だが、何かあったら……」


「ああ。それでいい」


 引き上げの合図を出した与力は、まだ息のあるごろつきどもを同心たちにしょっ引かせて宿場へ引きあげていく。


 やがて野次馬も解消され、茶屋の前には平穏が戻ってきた。


「お侍さま……」


 小代さよが、こちらへ手をついたまま俺を呼んだ。そして松田も。


ハナダさま。このたびは助かりました……。ほんとうに、なんといったら」


 松田は眼を真っ赤に腫らし、鼻水と涙で顔面をぐずぐずにしている。その情けない姿の義父を見た小代さよは抱きついた。


 そしてお互いの無事を確かめて、いつまでも嗚咽している。


 義理の親子とはいえ、この二人は互いの半身になるほどの絆を育んでいるのだろう。もはやそうなれば、血のつながりなぞ不要なのだ。


 それを見た俺は、塗笠をかぶってあごひもを締めた。


「なあ。松田どの」


「は?」


 敬ったよびかけに、松田はおどろいていた。その呆けて間抜けた顔が面白くて、俺は思わず笑ってしまった。


「娘に感謝しろよ」


 そう言い置き、俺はきびすを返す。そして川越街道を江戸へと踏み出した。


「は、ハナダさま! わたしのことは……!」


 松田の呼びかけも無視して、足早にその場を離れていく。

 これは俺の泣き寝入りか? そうかもしれない。


 なら誰か、俺のかわりに松田を殺してくれ。

 そして俺のかわりに小代さよの慟哭を聞け。


 あの体の心棒が抜け落ちたかのような悲しみは、俺は誰にも味わわせたくはない。

 俺はあのときの松田と、同じ穴のムジナにはなりたくはなかった。

 

「はなださまーっ!」


 後ろから小代さよに声をかけられ、振り返る。

 小さな右手が、遠くで左右にゆれていた。








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仇討ちをしようと田舎から出てきたら、仇が子連れになっていた件 日向 しゃむろっく @H_Shamrock

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