罪人たち
ねむるこ
第1話
こんな世の中くそくらえだ。
俺はポケットに手を突っ込みながら綺麗な青空の下を足早に歩いた。
水曜日の昼下がり。
会社員はスマホ片手に優雅なランチを楽しみ、子供の手を引き一緒に歌いながら歩く若い母親の姿が目に入るなんてことのない日常でさえ俺には目障りなものでしかなかった。
俺は仕事を失った。
だからこうして馬鹿みたいに澄み切った青空の下を一人どんよりと曇った気持ちで歩いている。
いっそ土砂降りの中を歩いている方が心が穏やかであれたのに。
転職サイトからアホみたいに大量の求人が送られてくるくせに採用されることはなかった。
いつしかハローワークに向かう足も遠のいた。
自分のやっていること全てが馬鹿らしく思える。
思うように進まない転職に、SNSから流れる友人たちの幸せな光景に耐えられなくなった。
変な見栄を張って友人にも家族にも打ち明けることができていない。
皆こんな俺のことをどう思うだろうか?哀れに思って軽蔑するだろうか?いい年こいて何やっているんだと言うだろうか……。
そんな惨めな思いはしたくない。
せめて皆の記憶の中では輝いている俺のままであって欲しい。
遂に俺の持ち金が無くなった。
クレジットカードも随分前に止められた。家賃も払えていない。スマホもただの板と化している。
もう誰かから現金を盗み取るしかない。
それほどまでに俺は追い詰められていた。
適当に目を付けた警備の甘そうなアパートに忍び込んだ。
最近この辺りで起こったアポ電強盗のような真似はできない。そもそもスマホが付かないから無理だ。とにかく手軽に侵入できる場所を勘で見つけた。
目の前にあるアパートは人通りが少なく建物の影になっている。どの部屋の住人も仕事中なのだろう。窓はカーテンで見えなかったが明かりが漏れていないし人の気配もない。
今時ドアにカギをかけ忘れる奴なんていないだろうと思ったが偶然にも103号室の扉が開いた。
正直すごく驚いた。まるで俺が罪を犯すのを天が導いているかのようだ。
盗みなんてしたことがない。開いたからにはやるしかないと思い腹を括る。
部屋の扉を開けた瞬間、うめき声が俺の耳に入ってきた。
「うぅぅぅ……。苦しい……」
俺は人がいるとは思っていなかったので額に汗を浮かべた。人生終わったとすら思ったがうめき声を聞いて反射的に部屋の中に駆け込んでいた。
男の部屋に警察官の制服らしいものが掛かっていて一瞬怯んだのだが入ってしまったらもう後戻りはできない。
「大丈夫ですか?!」
ゴミが散らかりコバエが飛ぶ部屋にうずくまっている人がいた。布団の中にいたのは俺と同じぐらいか少し年上だろうか。やせ細った男だった。顔つきもこれといって特徴がない平凡そうな男だ。
男の家に電話は見当たらなかったので俺は解約寸前のスマホをポケットから取り出すと救急車を呼んだ。
「この方とのご関係は?」
救急隊員に問われて俺は固まった。まさか金品を盗むために部屋に侵入したら病人がいました、なんて言えるはずがない。
俺が言い淀んでいるとストレッチャーに乗せられた顔色の悪い男が苦しいのに耐えながら言った。話すことさえも辛いはずなのに。
「……僕の……僕の知り合いですよ」
俺は男が話を合わせてくれるとは思わず目を見開いたがすぐに救急隊員に向かって首を大きく縦に振った。救急隊員は怪しむ素振りも見せずに俺に連絡先を控えるとけたたましいサイレンと共に目の前から消えた。
俺は男が何故俺を庇ったのか分からぬままその日は訳も分からず家賃が払えずにいる一人暮らしの家に戻った。
そう日を経たずして俺のスマホに病院から連絡が入った。あの見知らぬ男の容態が安定したらしく、男が俺を呼んでほしいと病院の関係者に話したらしい。
俺はあの男と会わなければならなくなった。
男が警察官だとしたら俺は罪に問われ捕まるだろう。電話口で下手に断るのも怪しまれると思い特にやることのない俺は病院へ向かった。
勿論罪人として人生を終える覚悟を持って…。
看護師に病室を案内されるとあの平凡な男がベッドに座っていた。点滴をさしているが初めて会った時よりも顔色がよかった。
「ありがとうございます。本当に助かりました。体調を崩して数日動くことができずにいたんです。死ぬかとおもいました……」
予想外の感謝の言葉に俺は「そうですか」と曖昧に相槌をうつことしかできなかった。俺の罪を問いただすなら早く終わらせてほしいと思った。こんな平穏な時間はいらない。
「……それで僕、警察に連絡しようと思うんです」
俺は胃の中のものがこみ上げてきそうな…それでいて頭に血が行き渡らないような気持ち悪さに襲われた。
来るとは思っていたがいざ自分の罪を、過ちを叩きつけられるのは怖い。俺は思わず目をつぶって男の次の言葉を待った。
「……警察に自分の罪を自白します。」
「え……?」
俺は静かに目を開ける。どういうことだ?自分の罪?自白?この男は何を言っているんだ。
罪を犯したのは俺なのに……。
「やっぱり悪いことをすると罰があたるんですね。身を持って自分が体験するなんて」
男は人の好さそうな笑みを浮かべた。その姿はとても罪を犯すような男には見えなかった。ひげ面で身なりの汚い、目を血走らせた俺の方がよっぽど罪人らしい。
「僕アポ電強盗の実行犯なんです。警察官のフリをして仲間と一緒に老人からお金を巻き上げてました」
俺はその告白に絶句した。最近のニュースと男の部屋に合った警察官の制服を思い出す。俺の様子を見て男は「やっぱりそんな反応になりますよね」と弱々しく笑った。
「東京に出てきて親孝行できるぐらいに金が稼げると思ってたんです。だけど現実はそんなことなくて……。自分は大した奴じゃないと分かると僕は早々に仕事を辞めました。
そもそも仕事に希望すら見いだせなかった。これからこの給料でずっと働いていくのか。出世も会社の業績が上がる兆しも見えない。他の会社で働いても自分のレベルが低ければこの不安定な生活は永遠に続くんだと思うと絶望したんです。
だけど多額の奨学金に生活費、生きていくには金が必要でした……。
今までバレずに上手くやってこれましたが……身心ともに疲れてたんでしょうね。いや、もとからこういうことに不向きな人間だったんです。
こうして体調を崩しました」
俺は黙って男の話を聞いていた。見知らぬ男の言葉は俺の心にとても響いた。俺のことを話しているようだとすら思えた。
「体調を崩して倒れて気が付きました。
僕には連絡のとれる人間が一人もいないことに。
僕は誰にも助けを求めることができなかった。罪を犯した以上、親にも友達にも迷惑は掛けられない。救急車を呼ぶことさえ怖かった。素性を調べられてそのまま捕まるんじゃないかって。
遂に体が動かなくなって僕は悟りました。このまま一人で誰にも気が付かれずに死ぬんだなって……」
俺はそこまで男の話を聞いて顔を俯かせた。
「そこに貴方が現れたというわけです。人に救われて僕は思いました……。やっぱり正しく生きたい。
やり直すチャンスを与えられたんだと思いました。」
「違う!」
俺は思わず大きな声を出してしまった。後からここは病院だったのだと思い出して咳ばらいをする。
男が素性を明かしてくれたのだ。俺も真実を話さないわけにはいかない。
「……俺はあんたを救ってなんかいない。俺は…あんたと同じ。金を取るために人さまの家に上がり込んだ」
俺の言葉を聞いて男は瞬きをした。そしてあははと笑った。俺は何が可笑しいのかと男を軽くにらむ。
「あんな心配そうな顔した物盗りなんかいませんよ。それに未遂だ。本当に貴方に感謝してるんですよ。貴方は良い人だ。ありがとう。」
その言葉を聞いて涙が一筋流れるのを感じた。久しぶりの涙と「ありがとう」という感謝の言葉に俺は戸惑った。
「貴方はまだ人生を立て直せる。大丈夫。」
見知らぬ男はそう言って俺の汚い上着の肩に手を乗せた。俺は声を押し殺してその場に泣き崩れた。
俺が病院を去って数日。ニュースでアポ電強盗の一味が捕まったというニュースを耳にした。
俺は借金を背負ったまま東京を去った。
実家である地方都市に戻って就職活動を開始すると小さな企業に就職することができた。それでなんとか借金を返済し、自分一人を養っていくことぐらいはできるようになった。
地元に戻って驚いたのは俺が思っているほど両親も友人も俺に失望していなかったことだ。だれも俺を笑わなかったし、むしろ働き口を紹介してくれたりと助けてくれた。両親に至っては「帰ってきてくれて嬉しい」とすら言ってくれた。
友人に気の毒だったなと励ましてもらえた時、周りの反応を気にしていた俺は自分の浅はかな考えを恥じたし胸が熱くなった。
俺が思っているよりも周りの人たちは温かかく、俺の肩書に何の興味も持っていなかった。
それがとてつもなく嬉しく思える。
俺は俺のままで受け入れられていた。
俺はあの男からもらった男の電話番号がかかれた紙切れを手帳に挟んである。別れ際に聞いたものだがこの番号がいつまで使われているかは分からない。だけど俺は大切に保管している。
いつか罪を償い終わったあの男と会って話したい。
俺はどこまでも澄み渡る青空の下大きく伸びをした。
やっぱり俺は天気がいい方が好きだ。
罪人たち ねむるこ @kei87puow
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