第2話  2024/9/10

朝から蒸し暑い空気と、ともに目が覚めた。

同居人から遠くの方から大きな声で

私の占いの順位を告げられた。

「今日は10位だって。人間関係に気をつけたほうがよいみたいよ。」


「えー。寝起きにかんじわるいよ。」

「おはよう。とりあえずはきをつける。」


と、モヤモヤした気持ちを抱えたまま

朝のルーティンをこなす。

そして、心の中で、「まあ、なんとかなるでしょ。」と、呪術を唱えた。


会社に到着すると、

いつものメンバーと気持ちよく挨拶を交わして、仕事にとりかかる。


1時間、2時間と、忙しいが心地よい疲労感があり平和な時間を過ごしていた。

そして10時半前にはそんな、ささやかな幸せな時間は急に終りを告げる。


それはある人、Kさんの出現である。

Kさんに1度目の挨拶を試みるが、無視をされる。そして、「Kさん、おはようございます」

と、名指しをして挨拶をしても、

これも私の声は人として受け入れらることはなかった。


私は幼い時から転校が、多く、人と認識されないことは、我慢しようと思えばできつつあった。ただ、私も人間なんだなぁと、思う。たまに、「こいつ!最悪だ!無視しやがって!」と、心の中で思って歯を食いしばる時はある。


今日は同居人からの占いのお告げのおかげで、気持ちてきにも

「あーまたですか。。はいはい。」

と、思えて特に気にはならなかった。

どちらかというと、このKさんが無視をしてくれてることがあまりに日常的になり、

それを受け入れつつあった。


そうこうして、仕事をぼちらぼちら、

こなして、事故や怪我やクレームないように

作業や介助をおこなっていった。


そこでKさんがいるタイミングで、

その部屋に入らないといけなかったが、

特に私は通常どおりの作業をして、その場から立ち去り、他の業務をおこなっていた。


そして、挨拶を無視をされたことも、

Kさんがいた部屋に作業で訪れ去った事も、

透明な日常として、問題は発生していない、

平和であるととらえていた。


昼ご飯の用意を開始した。

それは突然やってきた。


利用者さんの箸をテーブルにそつなく用意する。

用意を12時5分から開始して、

そのKさんテーブルにさしせまったときに、

テーブルの端から2番目にいた

Kさんが声を荒げた。

「あなた、私が、見えたからって逃げるんじゃないよ。」「私をさけるな!」「私が、あの部屋にいるときに姿を見て逃げた」「私が、あの部屋にいる時、あんたもあの部屋に居続けろ!」と、まるで獣が吠えるように怒鳴られた。


ただ、私も心の中で「あーはじまった」と、いう思いと、「ちゃんとそうじゃない!ことはいおう!」と考えて、怖い思い手が震えていても、勇気を振り絞って答えた。


「Kさんをさけてないです」「そんなことしてないです。」


Kさんは「はぁ?」

「体が大きいのだからもっと大きな声でいえ」

と、また、どなる。

その2分もみたない時間が

何時間にもとらえられた。


そして、また、私は答えた。

「してないです。」

その声は震えていた。めまいがした。

恐怖でたっているのもやっとで、

口の中に酸っぱいものがこみあけだ。


隣席の人が

「“してない”って、いっているよ」と、

そうKさんに代弁してくれた。

それを聞くやいなや、私の手を2回叩いて、

「嘘をいうな!」「何がしてないや!」「なんとかいってみろ!」と、また、怒鳴った。

私は箸を配ることに集中するようにして

叩かれても我慢していた。


その痛みも、我慢すれば、私さえ我慢すれば

会社の利益になるのだからと、

考えていた。

顔は能面のようなつくられたものであったかもしれないとさえ、思った。


そこで、私は「痛い!」と言えば、良かったのかもしれなかったが、それは、何故か

できなかった。

おそらく、虐待やイジメをうけてきた

生い立ちに関係するのだか、

リアクションをとると、

さらに相手の機嫌をそこない、

おかわりの“暴力”がはじまる経験から

無言の無表情でいた。


それがKさんの中では、

納得いかなかった。

Kさんの顔はみるみる険しくなり、

怒りをこめて、Kさんは手を振り上げた。

それは、防犯カメラの死角になる位置で

左肘あたりを3回叩かれた。

その痛さは針を刺すような痛みと

恐怖で動悸がはやまった。

その叩かれた時間は1分にも満たすことができずに

『痛いから辞めて下さい。』

『痛いです』

と、訴えると、

Kさんは周りに

『これのどこが痛いんや』

『これぐらい我慢できるやろ』

『頭悪いなアハハ』と自分の腕を叩きながら

まわりに笑いを誘った。



防犯カメラの映像を見た人からは

腕を弾いているように見えた。

殴るようではなかった。

痛そうなのか?肘を押さえる様子はあった。

との感想を頂いた。


その状況の中で、

私は“暴力”をうける自分が恥ずかしいく、

怖い気持ちと、情けない気持ちと

で、肘の痛みよりも心の痛みが勝っていた。


そこの責任者へ

この“暴力”行為を報告した。


私は胃酸でいっぱいの口のなかで

マスクから口臭として

もれないかと思うほど、胃が痛くなっていた。


『あの、クレームが来る前に言い訳?というか、事情を報告します』

と、心も身体も痛みを伴ったKさんからの

ある行為を伝えた。

その反応は、

『それは、あなたが、何かしたんではないんですか?だから、叩かれたんじゃないんですか?』

やら、

『不快な気持ちが態度にあらわれていたのではなかったですか?』

と、まるで、事情聴取をうけるような内容であった。


そして、

kさんからの“暴力”に対する恐怖も痛みも

伝えても、『え?本当に?そんなことないでしょ』とかるく失笑された。


私はその日、3度、心を殺された。

Kさんからの“暴力”。

責任者からの“暴力”を受けた報告を

しての対応。

同居する家族へ相談したくて

何度も電話しても相手にされず、

痛みが出てきたので通院をし、帰って

この事を話をしても、

上の空でゲームをして、

『叩かれたとしても仕方ないよ。それが介護の世界よ。そこまで、ひどくないなら、いいんじゃない。』

と、心配のような言葉と、めんどくさいなという気持ちと態度と、ゲームをしたいのに

いつもの愚痴でしょ。

のわかりやすい言葉と態度のカクテルを

渡されて飲み干したときには、

3度目の心の死を迎え、何もやる気がおきなかった。


心の死を迎える度に

視野の端に黒い人影が彷徨う。

それは守護霊なのか?

背後霊なのか?

はたまた、

統合失調症の症状があらわれはじめたのか

私にわからなかった。

ただ、この黒い人影を視野に入ると

やる気や元気や喜びやが怒りや悲しみやらの感情たちが、箱の中に

お行儀よくしまっていく、

【無】を感じるのであった。


ある行為の“暴力”は

弾くように?軽く?強く?

他人の身体めがけて

はたく、行為は、

痛みや恐怖があればそれはこの令和では

定義として認定されているが、

昭和時代や平成時代では、

我慢できそうに見えることは、

“暴力”ではない。と、

責任者もkさんも話す。


私は聞いてみたかった。


もしも、あなたの家族や大切な人が

他人からある日、突然

はたかれて、

痛みや嫌な気持ちや恐怖があったとしても

同じように

笑えるのかを知りたかった。


私は今日、3度 心を殺されたが

明日の朝にはまた、ゾンビのように

復活できるように

眠気がくるように布団によこたわった。

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ペイシェント   「ある行為を受ける人」 藍しば @aishiba24

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