第28話 男爵令嬢と日傘
その日、相談所に訪れた女性は口をきりりと結び、背筋を伸ばして凛とした印象の女性だ。堅実でどこか頑なな雰囲気の彼女ルイーズは、男爵令嬢の元で働いていると言う。
「世話になったその令嬢に贈り物をしたい……そういうことだな」
「えぇ、アリス様はご婚約が決まっております。そうなれば、長年仕えていた私もお傍にはいられなくなる可能性が高く、僭越ながらなにかお贈りしたいと考えたのです。もちろん、私の身勝手な思いなのですが」
ルイーズの言葉にジュリは頷くが、隣のエレナはどこかまだ不思議に思うらしい。
「でも、どうしてここに? 他にも刺繍を嗜まれる方は多くいらっしゃるのでは?」
ルイーズがお守りにと持ち込んだのは質の良い日傘である。
貴族女性であれば刺繍はたしなみの一つ、当然仕えるルイーズもそれなりに刺繍などの技術を身に着けていてもおかしくはない。
自身で刺すことはもちろん、他の業者に頼むことも難しくはないだろう。
「えぇ、それも考えました。ですが、ここは悩みも聞いてくれるということ。私の悩みも聞いて頂けるのではと思いました」
そう言ってルイーズは目を伏せる。長い睫毛が彼女の瞳を隠す。まるで、その思いまでも隠すかのようだ。
貴族女性に仕える身であれば、秘密の情報も当然耳に入ってくる。
軽々しく悩みなど誰かに打ち明けることは難しいのかとエレナは思う。
会ってまだ間もないが、ルイーズから受ける印象は真面目で勤勉、一方で少々とっつきにくいものだ。
「そうか! 守秘義務だな。安心しろ、私達にも守秘義務がある。相談所内の関係者以外には事情は話せないんだ」
「……そうですか。それは安心しました」
そう言うルイーズだが、表情はまったく変わらない。
本当にいいのかと不安になるエレナだが、ジュリはルイーズの言葉に彼女のグレーの瞳をじっと見つめる。
「あぁ、だからあなたの相談事を教えてくれ」
見た目は幼い少女なのにもかかわらず、こちらを見つめる彼女の紫の瞳は真摯に見える。ふぅと小さく息を吐くと、ルイーズは静かに事情を語り始めたのだった。
男爵令嬢であるアリスは体が弱いと幼い頃から家に引きこもりがちであった。
兄や姉がおり、末娘のアリスへの期待は薄い。
家を継ぐ長兄、華やかで人目を集める長姉、この二人がいれば問題ないのだ。
そんな事情を知ってか知らずか、アリスは極めて内向的な少女に育った。
身の回りの世話をするルイーズはそんなアリスの様子に、いつも心を痛めた。
家にいることの多いアリスだったが、庭を歩くときは彼女に日傘を差し、突然の雨からもアリスを守ってきた。
アリスを悩ませるものから彼女を守りたい――守れると思っていたのだ。
そう話したルイーズはかすかに口角を上げる。
それは微笑みではなく、自嘲を込めたものである。
「ですが、それは私の思い上がり。お嬢様はご婚約をなさり、生涯守ってくださる御方を見つけられたのです」
「良いこと……なのですね」
「えぇ、お相手の方はしっかりとした男爵家の青年。何の問題もないご婚姻となるでしょう」
ルイーズの表情は訪れたときから変わらない。
そのため、エレナは彼女の感情を掴み切れずにいた。
「それが悩みなのか?」
「……わかりません。ただ誰かに話を聞いて欲しかっただけなのかもしれませんね」
「そうか。守秘義務があるからな」
「ふふ。安心出来ますね」
守秘義務という言葉にどこか特別な響きを感じているのか、ジュリは得意げである。そんなジュリの様子にルイーズは初めて笑顔を見せた。
「この傘に刺繍をお願いしたいのです。出来れば、蝶の刺繍を」
シンプルだが洗練された真っ白なその傘を大事そうにルイーズは両手に抱く。
「蝶ですか?」
エレナの問いかけにルイーズは小さく頷く。
「えぇ。お嬢様がこれからは自由に羽ばたけるように――叶うかは私にもわかりません。ですが、お傍で見てきた者としてそう願いたいのです」
瞼を伏せ、傘を見つめるルイーズ。そんな彼女の瞳に映るものは目の前にある傘ではなく、それをあげたいと願う令嬢なのではないか。
エレナはなぜかそう思えるのだった。
*****
「情報共有が必要だと思うのだが、貴族の結婚にジョーさんは詳しいか?」
そう尋ねてくるジュリだが、紫の瞳は当然ジョーが知っていると信じ切っている。
隣でジュリと色違いのカップでお茶を飲むエレナは期待の眼差しをジョーに注ぐ。
請け負っていた仕事の手を止めて、ジョーはどかりと椅子に腰かけた。
「いいか? この間から色々俺に聞いてくるが、そんなになんでもかんでも俺だって知ってるわけじゃねぇぞ?」
「だが、年の功より亀の甲というだろう」
「この前も言ったが、そんな言葉を俺は知らねぇ。それに年齢ならお前だってそれなりに重ねているだろうに」
ジュリはジョーに視線を向けると首を振る。
確かに年を重ねてはきた。だが、その時間の多くをジュリは一人で過ごしてきた。
エレナと出会い、そして街に降りるようになって知ることも様々あったのだ。
「でもさ、お貴族様の結婚って自由はないって聞いたことはあるぜ」
「そ、そうなのか!? なんでも美味しいものが食べ放題なんだとばかり思っていたぞ……」
「そんなに食べてたらドレスだって入らなくなるわ。それに社交の場っていうのが凄く大変だって聞いたことがあるもの!」
街で大人たちの会話から細切れに聞いた情報だが、あながち間違ってもいない。
貴族の婚姻は家同士の関係を深めるため、政治や経済的な事情が絡んでいるのだ。
「まぁ、貴族の結婚は本人同士の気持ちは関係ない。おまけに内気なご令嬢とくれば、依頼主が心配になるのも無理はない話だな」
本来ならば、幼い頃に決まっていてもおかしくはない婚約相手、しかし病弱で内気であることは不利に働いたのだろう。
無事、婚約が決まったことは貴族的な視点では安堵できるはずだ。
だが、傍について令嬢を面倒見ていた依頼主ルイーズにとってはそうではないのだろう。
「貴族っていうのは豊かではある。だが、自由や心の豊かさが手に入るとは限らねぇ。それでも金や食事に事欠く不自由さよりは余程マシだと考えることも出来るが……。なにが自由でなにが不自由なのか、考え方はそれぞれだな」
ジョーの言葉に三人の子ども達は首を傾げる。
どうやらジョーの言いたいことは上手く彼らに伝わらなかったらしい。
そんな中、エレナはハッとする。
「最近はジュリの作る食事が凄く美味しくっていっぱい食べてるんだけど、それってもしかして凄く幸せなことなんじゃない!? だって、お貴族様はドレスを着るからいっぱい食べられないでしょう?」
「あぁ。まぁ、そうかもしれんな」
旨い料理を食べることがエレナの考える幸福なら、今の状況は十分満たされていると言えるだろう。
エレナは目を輝かせる。
「それにベッドもふかふかだし、二段ベッドじゃないし!」
「そ、そうか? それはよかったな。私も重い物を持ってくれて助かっているぞ」
「本当!? 嬉しい!」
「やめろ! 力が! く、苦しいだろう!」
「いいなぁ、俺も今度メシ食って帰ろう」
どうやら三人の子ども達はそれなりに自由でそれなりに不自由で、しかし幸福なようだ。
縁あって出会ったジュリ、エレナ、テッドの三人の子ども達のおかげで、いつの間にか賑やかになることが増えたジョーの家。
困ったようにだが、嬉しそうにジョーは笑うのだった。
「早く婚姻を結んだほうがいいんじゃないかしら」
その言葉にはやや焦りの響きがある。
病弱で内気、婚姻の道具にすらならないと思っていた末娘に突如、縁談が舞い込んだのだ。相手が婚姻を取りやめると言い出す前に、早く縁を結びたい。
そんな思いが婚約したばかりのアリスの前で、隠すこともなく告げられる。
「まぁ、お相手にもご都合があるだろう。それに持参金も必要となるんだ。こちらにも準備の時間が必要だよ」
話し合う二人の間にその少女は表情を変えずに佇んでいる。いつも同じ、穏やかな微笑みを湛える少女がどこか人形めいた印象だ。
次女で今回、婚約を交わしたばかりの当事者アリスである。
まるで他人事のように顔にも言葉にも感情を出さないアリスを、気味悪そうに母は見つめ、問いかける。
「せめて、お相手に気に入られるよう笑顔の練習でもしたらいいわ」
そう言われ、緩やかに結んでいた口元をほんの少し、アリスは上げる。
そんなアリスの姿を見ていたルイーズは無理をしているのではと後ろに控えつつ、案じる。
けれど、この婚姻はアリスにとって好条件でもある。
きっとアリスは幸せになれるはず――ルイーズは長い睫毛を伏せて、視線を下げた。
アリスもまたそんな彼女にそっと視線を送っていることに、気付かぬまま。
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ジュリとエレナの森の相談所~付与の力であなたの未来をお守りします!~ 芽生 @may-satuki
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