第27話 小さなスタイと大きな希望 3


「――まぁ、やはり血のつながりが全てじゃねぇってことだよな」


 ぼんやりと窓の外に降る雪を眺めていたジョーがぽつりと呟く。

 ジョーがなにを言ってくれるのだろうと緊張しつつも見つめていたジュリとしては、いささか拍子抜けした気分である。

 

「期待させといてそれはないぞ、ジョーさん」

「ははは。まぁ、お前さんと魔女は家族だったと俺は思ってる。そういうことだ」


 大きな手で髪をわしゃわしゃと撫でられ、ジュリは複雑そうな表情である。

 髪を撫でられたのを怒っていいのか、魔女と自身が家族と言われた嬉しさで納得したような、していないような不思議な感覚なのだ。

 一方でジョーは確かにジュリと魔女が家族であったのだと考えている。

 誰も受け入れなかった小さな命を受け入れ、懸命に育てる姿をジョーは見てきたのだ。


「ナルスさんは自分がしたような苦労を子どもにしてほしくない、そういう付与をと望んだようだ」

「自分がした苦労をしてほしくないと思うのは自然なことだ」


 では、その願いを付与としてスタイに込めた方がいいのかとジュリは思う。しかし、ナルスはまだ名も教えていない。

 なんてせっかちなのだろうと思うジュリの耳にテッドの大声が届く。


「大変だ! ナルスさんの奥さんが治療院に運ばれたって!」

「ジュリ、テッド、行ってやるといい」

「でもさ、ジョーじいちゃん。俺ら何も出来ないんだぜ? かえって邪魔になっちゃうんじゃないかな」


 不安そうなテッドだが、それも当然の考えだ。

 子どもである自分達が治療院へ行ってもなにか出来るとは思えない。

 しかし、ジョーは首を振る。


「たしかになにかが出来るわけではない。だが、ナルスにもその妻キャリーにも知り合いがいないのだろう。側にいて話を聞いてやれ。必要ないと言われたら、戻ってくればいいんだ」

「……そうか、そうだな。行こうテッド」

「あぁ、こっちだ!」

 

 雪が降る足場の悪い中、テッドとジュリは懸命に走っていく。

 二人の吐く息はすぐに白い蒸気になって消えていく。

 その小さな背中が見えなくなるまでジョーは見送るのだった。

 

 

*****



 街の小さな治療院でナルスは体を丸めるように座っていた。

 日焼けした筋骨隆々とした体も今は小さく頼りなさげに映る。

 なんと声をかけていいのかわからず、テッドとジュリは黙って近付く。

 足元に映る影で子どもであることに気付いたのだろう。

 ナルスは顔を上げる。

 

「ナルスさ……」

 

 声をかけたテッドは、その憔悴しきったナルスの表情に視線を下に落とした。

 バタバタと忙しそうに治療士たちが廊下を行き来する。

 

「ありがとうな、心配して来てくれたんだろ? あいつも知ったら喜ぶはずだ」

「でも、俺らなにも出来ないし……」

「それは俺も同じだ。ここで祈るしか出来ないんだからな」


 回復を信じ、待つしか出来ない――自身の無力さに歯がゆさを感じつつも、ナルスはここで懸命に祈っていた。

 神の存在など、今まで忘れていた。幼い頃はその存在を信じていた神も、成長していくとともに、どんどん遠いものになっていった。

 厳しい生活、報われない努力、異国での生活の中では自分しか信じられるものはいなかった。

 しかし、そんなナルスの前に現れたのがキャリーだ。

 そして彼女との間に授かった、小さな命がある。


「俺は馬鹿だ。金もなにもいらない……ただ二人が無事で会ってくれればいいんだ。キャリーと子どもは俺の全てなのに……」


 子どものためにと仕事を増やした。それをキャリーも許してくれた。

 だが、もっとキャリーの側にいるべきだったのでは、共に過ごしていればもっと早く妻の変化に気付けたのではないのか、そんな後悔だけがナルスの頭の中をぐるぐる回る。


「――ならば、私達も共に祈ろう」

「え……」


 ジュリの言葉にナルスは顔を上げる。

 

「そうだな! 俺も祈るよ」

「あたしも! ナルスさんが迷惑じゃなかったらだけど……」


 異国から来たナルスにはもちろん、キャリーにも家族はいない。

 頼る者はお互いにいないのだ。

 

「迷惑なんてこと、あるわけない……ありがとう、いいのか?」

「もちろんです!」

「ありがとう、きっとキャリーも心強いはずだ」


 自分と妻、そして子どものためについ先日出会ったばかりの子ども達は祈り始める。家族でもなんでもない子ども達が懸命になってくれる。 

 その姿にナルスの目は潤む。

 心強く感じているのは自分の方だ。

 本当は不安で仕方がなかった。自分の大切なものがすべて消えてしまうのでは、そんな絶望と恐怖感にナルスは独り耐えていたのだ。

 再び、ナルスは祈り始める。

 それがなにになのかはわからない。ただ必死にひたすらに妻と子の無事だけをナルスは祈る。

 

「子どもの名はまだ決まっていないんだよな?」

「うん、そうみたい……ジュリ?」

「私は一度、森に帰る。するべきことがあるからな」


 ジュリの紫色の瞳に決意の色が光る。

 エレナはこくりと頷くとジュリの背中を見送った。

 彼女は自分に出来ることをし、ここではない場所で祈るつもりなのだろう。

 ナルスの横に座るとエレナは祈り始める。

 自分に出来ることを彼女もまた、始めたのだ。


*****


 一針一針、ジュリは願いを込めて刺していく。

 急ぎつつも丁寧に、小さなスタイへと刺繍をしていく。

 テッドから初めに聞いていた願いとは異なる願い、それは我が子と妻の無事を願う思いである。

 二つの花の間に小さなつぼみ、それはナルスと妻のキャリー、その間に生まれるであろう小さな命を表している。

 最後の一針を刺し終えると、スタイは光輝き、ジュリは今までにない疲労感を覚える。

 

「大丈夫ですか! 主」


 駆け寄ってくるシリウスに、息を吐きながらジュリは頷く。

 

「これをナルスに渡さねば……」

「私の背にお乗りください。歩いて向かうのは難しいかと」

「あぁ、そうだな……」


 懸命に願い、糸を刺したせいか、どっと疲れが出たジュリは一人で山を下りるのは難しいだろう。

 小さなスタイを折り畳み、ポケットにしまうとシリウスと共に山を下りる。

 走るシリウスにぎゅっとしがみつきながら、ジュリは早く、より早くナルス達の元へ走ってくれと思うのだった。



 治療院へと着いたジュリは周囲の驚きの目も気にせずに、ナルス達のいる場所へと走る。シリウスは治療院の前で静かに座って主人の帰りを待つ。

 

「ナルスさん! 依頼の品が出来たぞ!」

「……依頼の品?」


 かすかな声で呟いたナルスの手にジュリは小さなスタイを手渡す。

 そっと開くと二つの花とその間に小さなつぼみが刺繍されているのがわかる。

 花の一つは炎のように赤い。これは自分自身であろうとナルスは気付く。

 その反対側には淡い色の花、こちらはキャリー、そして二つの花の間のつぼみは二人の子どもだ。


「そうだ……顔を見てから名を決めようとまだ名を知らせていなかったもんな……可愛い、可愛いスタイだ。これをつけて、赤ん坊は笑って、そんな姿にキャリーも笑ってくれるんだ……きっと、きっとそうなる、そうなってくれ……」


 大きな手でスタイを握りしめ、ナルスは震える声で呟く。


「お前は俺とキャリーの希望なんだ……」


 その瞬間、スタイが再び輝いたに気付いたのはジュリだけであっただろう。

 戸惑うジュリの元に治療士達の声が聞こえる。


「ご無事です! 母子ともにご無事ですよ……!」

「うわあああっ……!」


 安堵と喜びで泣き崩れるナルス、その手にはぎゅっと小さなスタイが握られたままだ。そう遠くない日、ナルスとキャリーの子どもはスタイをつけ、二人に抱かれ笑うだろう。

 その笑顔に、ナルスもキャリーも嬉しそうに笑う。

 そんな未来が再び、ナルスの手の中に戻ってきたのだ。


 頼る者もおらず、その身一つで国を出た男。

 言葉の壁もありながら、愛する者と出会い、今、新たな家族を授かった。

 小さな命は彼にとって大きな希望だ。


 テッドもエレナも、そしてジュリも長い時間祈っていたため、疲労がある。

 だが、それは心地よく清々しいものである。

 視線を交わし合った三人は、ナルスの姿に微笑み、そっと治療院を後にするのだった。



「家族というのは様々なのだな」


 叔父であるアレックスと暮らすアンバーとメイジー、そして新たな命を授かったナルスとキャリー、家族の形が一つではないとジュリは知る。

 

「そうだね。きっと色々あっていいんだよ」


 誰かが決める必要などない。

 エレナもテッドも親はすでにいない。

 だが、ジョーのように親身になってくれる者が身近にいる。


「――そうだな」


 魔女とは血も繋がらない。生まれた国も異なる。

 しかし、自分と魔女は家族であった――今のジュリにはそれがはっきりとわかるのだ。

 では、エレナとはどうなのだろう。共に暮らしているから家族、いや友人、仕事仲間が適切なのだろうかとジュリは悩む。


「どうやら、まだまだ学ぶことは多いらしいな」

「ん? なに、ジュリ勉強するの?」

「日々、学ぶことだらけだとエレナに会って知ったよ」

「へ? そ、そうなの?」


 そう言われたものの、エレナには思い当たることはまったくない。

 真剣な表情で考え始めたが、おそらく答えは出ないだろう。

 シリウスの背中からジュリに温もりが伝わる。心地の良い揺れと、隣を歩くエレナの声に安心したジュリはすぅっと眠ってしまったようだ。


 

 ふわふわとした心地の中で、ジュリは夢を見る。

 幸せそうに笑うナルスとキャリー、そしてその間には抱かれた赤ん坊の姿がある。

 自身が刺した刺しゅう入りの小さなスタイを身に着ける小さな命、その大きな希望にジュリの頬は緩むのであった。

 

 

 

 

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