第26話 小さなスタイと大きな希望 2


「で、また俺んとこに来たってわけか?」


 呆れたような表情を浮かべつつも、ジョーはジュリの分のお茶もカップに注いでくれる。

 このあいだはなかった小ぶりの可愛らしいカップはテーブルの上と、食器棚の中にも見える。どうやら、ジョーはエレナとジュリにと準備してくれたらしい。

 言葉とは裏腹なその優しさにくすっと笑いそうになるのをジュリは抑える。


「うむ、私には親というものがよくわからないだろう? 付与のイメージを膨らませるためにもジョーに話を聞こうと思ってな」

「だから、俺は親になったことがねぇんだって!」


 そう、ジョーは独身であり、子どももいないのだ。

 しかし、ジュリは納得した様子はない。


「でも、酒場のアレックスとアンバーやメイジーは親子みたいだろう? それと同じで血の繋がりだけが全てではないとこのまえ、ジョーさんに教わったからな」

「…………そうだったな」


 先日、酒場ロルマリタの主人の誕生日を祝いたいと言う姪っ子のアンバーとメイジーの依頼をジュリ達は引き受けた。

 その際に親心についてジュリはジョーに相談したのだ。

 「血の繋がりだけが家族ではない」そう言った自分自身の言葉を思い出し、ジョーは首の後ろを掻く。

 

「依頼主のナルスは張り切っていてな、仕事を増やすらしい。子どもを育てていくには金が必要なんだそうだ」

「そうか……。出来る限り嫁さんの側にいてやった方がいい気もするが、それぞれの都合もあるからな」

 

 いくら保護法が出来たとはいえ、この国の文字を書けぬことは不利になる。

 ここに尋ねてきたナルスは、他人に読んでもらったポスターの内容を暗記したと話す。驚いたジョーの顔を見て、文字が読めないんだと恥ずかしそうにナルスは語った。

 だが、ジョーが驚いたのは文字が読めぬことではなく、内容を暗記し、ここに尋ねてきたナルスの熱意だ。

 他のところでも刺繍を刺せるだろうとジョーが言うと、ここでなければならないとナルスは言う。

 お守りとして刺繍を刺してくれるのなら、縁起が良い。それに気が急いていることを笑われることもないだろう。そうナルスは考えたようだ。


「どうやら、家族が増えるというのはそれほど喜ばしいことのようだな」

「まぁ、一般的にはそういうもんらしいな。俺もよくわからんが――」


 そう言いかけて、ジョーはハッとする。

 たしかに彼は家族を持ったことがない。

 しかし、家族を持つことで変わった者が一人いる。

 そしてその人物はジュリも良く知る者である。


「家族がどういうもんかは、未だに俺にはよくわからん。その家庭ごとに違うもんかもしれんしな。だが、一組忘れられん家族がいる――お前さんと魔女だよ」


 ジョーの言葉にジュリは目を大きく見開く。

 紫の瞳はジョーを見つめ、これから彼がなにを口にするのかをじっと待っているようだ。

 魔女と出会い、ジョーは思いもしなかった出来事に巻き込まれてきた。

 だが、その中でも一番大きな出来事がジュリと魔女が出会ったあの日であろう。

 あれほどまでに必死な様子の魔女を見たのはあとにも先にも覚えがない。

 今、目の前にいるジュリは、小柄で華奢で儚げだと多くの者の目には映るだろう。

 けれど、あのときのジュリはもっと小さく、その命の炎は消えてしまいそうだったのだ。


 窓の外には雪が降る。

 あの日は秋が終わり、山には初雪が降った日であった。

 数十年前のこと、なのに今も鮮明なあの日の記憶をジョーは思い出す。



*****

 

「くっそ寒いな……まだ秋が終わったばっかじゃねぇか。それに朝飯も食ってねぇし! ったく、人使いの荒い魔女だぜ」

 

 朝、ゆったりと食事を摂っていたジョーは魔道具を使って魔女に呼び出された。

 魔道具はなにかあったときのため、通信手段として互いに置いていたものだが、使うのは初めてである。

 問題があったのかと聞くジョーに、めずらしく声を荒げる魔女は店でヤギの乳などを買って今すぐ持ってくるようにと指示をした。

 なぜかと聞く余裕もなく切れた通信。

 大きく深いため息をこぼしたジョーは、こうして彼女の住む森までやってきたのだ。


「おい! 魔女、入るぞ。頼まれたもんはこれでいいのか? ……っておい! なんだ、その子どもは!?」

「いいから閉めて! 冷たい風が入るでしょう」


 暖炉の前にしゃがみこむ魔女、その腕の中には毛布にくるまれた赤ん坊がいるではないか。顔色の悪い赤ん坊を抱きしめ、魔女は必死の形相だ。

 

「その子ども……ハーフエルフじゃないのか?」


 うっすら生えている銀の髪と睫毛、たまに開ける瞳は紫色だ。これはハーフエルフの特徴である。

 状況をどうにか把握しようとするジョーだが、魔女はそんなことはどうでもいいかというように彼に尋ねる。


「知らない。カゴに入って森に放置されてたの。で、ミルクは持って来た?」

「あ、あぁ、言われた通りにな」

「じゃあ、それをもう一度温めて。それから、布は持ってきてくれた?」

「あぁ、清潔で未使用の物だろ? で、産着っていうのも買ってきたぞ、ほら」

「それも一度、暖房で温めてから着せましょう!」


 なぜ、どうして、そんなことを尋ねている時間がないことは赤ん坊の顔色からも明らかだ。

 こうして詳しい事情も分からぬまま、ジョーは目の前の赤ん坊のためにミルクを温め、産着を魔女へと渡す。

 ハーフエルフ、それがどのような存在かは知っているジョーは、魔女の腕の中の小さな赤ん坊に複雑な視線を注ぐのだった。



「ねぇ、見て。顔色が良くなってきた!」

「……あぁ、そうだな」


 魔女の安堵したような声にジョーも同意する。

 赤ん坊の命の問題はひとまず、乗り切ったと言えるだろう。

 けれど、根本的な問題が解決したわけではない。

 なによりもまず、ジョーは魔女にこの赤ん坊が抱えている問題を説明せねばならないのだ。


「ハーフエルフって言うのを知っているか? エルフと他人種の間に出来た子どもだ。エルフに似た容姿を持ちつつ、魔力を持たずに生まれてくる――そのため、捨てられることも多いんだ」

「…………そう」

「人目を惹く容姿から売買も……おい、待て俺を睨むな! そういうこともあるっていう事情を説明しただけだ! そもそも、ハーフエルフ自体が滅多にいねぇ! ……にもかかわらず、ここにいるのが問題なんだ」

「…………そうね」


 ジョーもハーフエルフを見るのは初めてである。

 エルフ自体を見る機会も滅多にないが、ハーフエルフはそれ以上に少ない。

 それはエルフにとって、ハーフエルフが忌むべき存在であるからだ。

 魔女の怒りを買いながらも一通り、説明を終えたジョーはやるべきことをした安心感を抱く。

 しかし、それも一瞬のことだ。

 魔女はジョーの想像もしなかったことを言い出したのだ。


「じゃあ、私が育てるわ」

「はあっ!? 今、あんたなんて……!?」

「私が育てるのよ。名前ももう決めたわ。ジュリ……受理よ。誰もこの命を受け入れない。それなら私がこの子の命を受け入れて認めるわ」

「おい、あんたなに言ってるんだ……。いいか? ハーフエルフはなぁ」


 毅然とした態度で言う魔女に、ハーフエルフがどのような存在か、また育てていくのがどんなに困難かを伝えようとするジョー。

 しかし、魔女の腕の中にいる赤ん坊に変化を感じる。

 先程までの消えてしまいそうな弱い存在ではなく、なにか内に秘めた力があるような力強さを感じるのだ。


「お、おい。この子ども、なにかが変わったぞ!?」

「子どもじゃないわ、ジュリよ。そう呼んでちょうだい」


 慌てて駆け寄るジョーだが、魔女は平然と指摘して、ジュリの頬を優しく撫でる。

 

「あぅ」

「まぁ、可愛い声ね」


 頬の色も明るく染まったジュリの様子に魔女は相好を崩す。

 ジョーはじっとジュリと名のついた赤ん坊を見るが、やはり明らかにこちらに伝わってくる力が異なるのだ。

 魔道具師のジョーは魔法使いなどより、魔力には敏感だ。

 大きな魔力を放つ魔法使いより、魔力を留める能力に長けている魔道具師は、小さな魔力をも見逃さないのだ。


「……そうか、名付け! 名付けの力か! 捨てられたハーフエルフ達は赤ん坊のうちに名を付けられることがねぇ。それで力が開花しないままなんじゃねぇか? なぁ、どう思う!?」


 憶測でしかないが、自身の思い付きにジョーは震えすら覚える。

 今まで誰も知らなかった事実、これは歴史に残る発見だ。

 興奮するジョーに魔女は冷静に言う。


「知らないわ。それより、あなたにも協力してもらうわよ」

「は? なにを?」

「子育てよ。乗りかかった舟って言うでしょ?」

「いや、聞いたことねぇぞ! そんな言葉!」


 ときおり、魔女は奇妙なたとえ話をする。

 他国からの知識なのか、ジョーには意味がさっぱりわからない。

 ハーフエルフの赤ん坊、いやジュリを見つめる魔女の眼差しは今まで見たことがないくらいに穏やかだ。

 優しく微笑むその姿に、ジョーはそれ以上なにも言えなくなるのだった。


 


 

 

 

  


 






 

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