第25話 小さなスタイと大きな希望


 山には静かに雪が降る。

 ジュリ達は今朝から使っていなかった部屋の片づけをしている。

 エレナと共に住むようになって、ジュリは今まで関心がなかったことまで目が向くようになった。

 今日は魔女がいた頃にしていた大掃除、これをジュリはしてみようと思い立ったのだ。


「なぁ、エレナ。これはなんだ?」

「ん? あぁ、スタイだよ」

「……スタイ?」


 エレナの返事を聞いても、ジュリにはピンと来ない。

 円形の小さな布には可愛らしい刺繍、そしてその両端には紐が付いている。


「赤ちゃんが使うものだね。古いものみたいだし、ジュリが使っていたんじゃない?」

「私が……!? こんな小さな布をなにに使うんだ?」

「これを首に巻いて、食事とかよだれで服が汚れないようにするんだよ」

「そ、そうなのか……」


 両手に収まるほどのスタイという小さな衣類、それをつけるほど小さな自分の世話を魔女は見ていたのだろうか。

 幼い子どもなど、ジュリは見たことがない。

 しかし、こんなに小さな布を使う子どもは、どれほど小さく繊細な生き物なのだろう。それなのに、魔女は一人で世話をしていたのだ。

 魔女と過ごした時間より、一人で生きてきた時間の方が長い。

 だが、魔女との思い出はたしかにジュリの中に残っている。

 小さなスタイを見つめ、ジュリは魔女の存在を懐かしく思うのだった。



*****


 今回の依頼主は日に焼けた男性である。

 髪の色は赤茶ではなく赤、それもまるで火のように赤く、瞳も赤い。

 筋肉質な体型から、体を動かす仕事をしているのだろう。

 南国の島々に生まれた部族の血筋なのだろうとジョーからは聞いていた。

 ごつごつした手で男は小さな包みが優しく開く。


「スタイか……」

「おぉ、知っているんだな」

「当然だろう。赤子は皆つけているからな」


 つい昨日、知ったばかりの知識を堂々と語るジュリにお茶を入れるエレナは吹き出すのを堪える。

 昨日の事情を知らないテッドはエレナの反応に首を傾げる。

 

「知っているなら、話は早い。実はこのスタイに刺繍をしてほしいんだ」


 依頼者の男、ナルスは小さなスタイの裾を指差して言う。

 悩み相談と同時に、お守り代わりに刺繍を刺すことも問題ない。

 もちろん、刺繍を刺すことで得られる付与は秘密なのだが。


「刺繍……可愛らしい花とか動物とかか?」

「いや、子どもの名前だ。恥ずかしいんだが、俺はこっちの国の言葉は喋れるんだが、文字には書けねぇ。だが、子どもの名前をスタイに刺せば、迷子になってもすぐに見つかるだろう? あ、当然迷子にならねぇほうがいいんだが……」


 腕を組みつつ、真剣な表情で言うナルスは子どもを余程可愛がっているのだろう。

 ジュリとエレナは微笑んで顔を見合わせる。

 テッドは話に飽き始めたのか、シリウスを撫で始めた。


「で、子どもは一歳くらいか?」

「いや、まだ生まれてねぇ」

「……は? それは少々気が早すぎるのではないか?」


 子どものことを良く知らないジュリだが、生まれる前に名入りのスタイを用意するのは急いている気がする。

 エレナに視線を移すと同意するように頷く。


「親として出来ることはなんでもしてやりてぇんだ。そのために仕事の時間も増やした。子どもには金がかかるというからな。お守りは……そうだな、俺みたいな苦労をしないように願っておくよ」


 ナルスは随分と張り切っているようだ。

 なるほど、親心とはこういうものなのかと思うジュリだが、後ろのテッドとシリウスは呆れたような視線をナルスに注ぐ。


「んー、これは一旦保留で」

「な、なんでだ!?」

「まず、ここはお悩み相談所です。刺繍のお守りは作れますけど――」

「俺の悩みは子どもになにをしてやれるのかということだ!」


 慌てるナルスだがエレナの視線は厳しくなる。

 それを相談し合うのは自分達ではないようにエレナには思えたのだ。

 

「あなただけの考えじゃダメです。お子さんのことですし、奥様ともご相談しなくちゃ。そのほうが依頼も引き受けやすいんですよ」

「そ、そういうものか……」


 相談内容が知られて困る状況でなく、そして子どもへのお守りであるならば、夫婦二人で話し合ってからでも遅くはない。 

 なにより、ナルスの子どもはまだ生まれる前なのだ。


「わ、わかった! 出直して来る。その間に金を稼がなきゃな!」


 そう言うとナルスは張り切った様子で家を出ていく。

 ジュリはというと、先程のエレナの言葉に納得した様子だ。


「なるほど、そういうものなのか……」

「相談内容がご夫婦で共有出来ないものだったら、話さないほうがいいんだけどね。ナルスさんのあの勢いだと空回りしてそうで……」


 エレナとしては念のために確認をしておいてほしいだけである。

 ナルスは名前を刺繍にというが、まだ性別もわからないはずだ。

 

「まずは奥さんの話も聞いといてからでもいいもんな。で、この良い香りは?」 

「あぁ、スープを煮込んでいるんだ。それにシリウス用に肉を煮ている。そろそろ、良い頃あいだろう。エレナ、テッド手伝ってくれ」

「やったー! 楽しみだね、シリウス」

「流石は我が主!」


 ぶんぶんと凄い勢いでしっぽを振るシリウスに、皆が笑う。

 山の空気は澄んでいるが冷たく厳しい。

 しかし、部屋の中には温かで柔らかい空気が流れていた。



*****



「あら、あの人がそんなことを? 皆さんを困らせてしまって……」


 申し訳なさそうに、だがどこか嬉しそうに笑う女性はナルスの妻、キャリーである。

 ジョーに聞いて彼女の元を尋ねたジュリとエレナだが、本来はナルスに先日の依頼の確認に来たのだ。

 あのあと、二人で話し合ったかの確認をナルスに取りたかったのだが、彼は留守であった。


「ナルスさんはどちらに?」

「あの人、今日も張り切って仕事に出かけたんです。『子どもには金が必要だからな!』そう言って……」


 ジュリとエレナは顔を見合わせ、困ったように眉を下げる。

 スタイはナルスがジュリ達の家に置いていったままだ。

 このまま、名前もナルス達が望むこともわからぬままでは仕事として引き受けることが出来ない。

 

「ごめんなさいね。ご迷惑をかけているようで……」

「いえ、その、私達も急に押しかけちゃって、すみません!」

「私もこの街で知り合いが少ないから、こうして可愛いお嬢さん達が来てくれて嬉しいのよ」


 そう言って笑うキャリーはくすくすと優しい笑みを浮かべる。

 その手は膨らんだお腹に当てられる。

 はじめはキャリーが病気なのかとジュリは慌てたものだ。

 出産間近であれば、こうなるものだとエレナとキャリーに言われたが、まだジュリは心配になってしまう。

 

「あの人の好きなようにさせてください」

「いいんですか?」


 依頼された内容は刺繍入りのスタイに仕上げること――だが、そこには付与の力もついてくる。これは依頼者に知らせることが出来ないため、エレナも慎重になるのだ。

 自分がしたような苦労を子にはさせたくない――そんなナルスの願いを聞いてキャリーは労わるような笑みを浮かべた。


「あの人が異国で必死に働く姿を見てきました。今も、自分がしてきた苦労を子どもにはさせたくないと懸命で……初めて親になるんだと張り切っているんですよ。私としては働き過ぎて体を壊さないかが心配なだけなんです」

「……そうなんですね」


 燃えるようにナルスの髪、それは異国から来た民であると一目でわかる。

 国際権利保護法によって守られる権利、しかし言葉の壁、文化の違いはいつでもナルスを悩ませた。 

 ときに孤独を感じる中、出会ったのがキャリーである。

 文字が書けないナルスだが、この国の言葉を覚え、働き、そして家族を得た。

 そして新たな家族がまた今、増えるのだ。

 それを知るキャリーは、今のナルスの張り切りもわからなくもない。

 なにより、彼が頑張るその理由はキャリー自身とお腹の子どものためなのだ。


「――わかった。依頼は引き受けよう」

「まぁ、ありがとう。スタイに刺繍を入れてくれるのよね。きっと可愛らしいわ」

 

 そう言って笑うキャリーの表情は幸せそのもので、ジュリとエレナもその微笑みにつられ、笑うのだった。



「不思議なものだな」

「んー、なにが?」


 屋台で温かなお茶を買って、ふぅふぅとそれを飲みながら二人は話し合う。

 果物を入れたそのお茶は今人気のようで、皆がそれを買い求めている。

 甘く香りの良いお茶を飲みながら、呟いたジュリをエレナが見つめた。


「親というものだ。まだ生まれる前からあんな風に子を思うものなのだな」

「うーん。そうだね。まず、長くお腹にいて育っていくことや、無事に生まれてくれること自体が凄く大変なことなんだよ」

「そうなのか……」


 驚きの表情を浮かべるジュリだが、それも無理はない。

 森の中で魔女と二人、そのあとはシリウスとだけしかかかわってこなかったジュリにとっては多くのことが初めてなのだ。

 

「では、私達も願わねばならないな」

「お子さんのこと?」

「あぁ、二人はこの街で知人が少ないと言っていただろう? 私達はもう知り合いだからな!」

「ふふ、そうだね。キャリーさんと生まれてくるお子さんが元気であるように!」


 生まれてくる小さな命、初めてそれを意識したジュリはふと思う。

 魔女は子どもの自分を育ててきた。自分の子ではないハーフエルフ、その子どもに名前を付け、魔女は育ててきたのだ。

 カップのお茶の中には果実が浮かぶ。

 ハチミツと果実の甘い風味を味わいつつ、ジュリは魔女を思うのだった。

   




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