毎日マトリョーシカ

惣山沙樹

毎日マトリョーシカ

 僕の兄は弱いくせに酒が好きで、外で飲んできてはいい気分になり、変な物を買ってくるのが癖だ。

 どうせまた今日も、と思いながらネット小説を読んで暇を潰して午後十一時。兄が帰ってきた。


「瞬! ただいまぁー!」

「おかえり兄さん。で、その紙袋は何」

「めちゃくちゃ可愛いの買ってきた!」


 兄はリビングに行き、ダイニングテーブルの上に紙袋の中身を置いた。


「……マトリョーシカ?」

「そう! フランスのやつ?」

「ロシアのやつね」


 小さめの僕の手のひらになんとか乗るサイズ。赤い頭巾に金髪で青い瞳の女の子。確かに可愛い。


「瞬、早速カパッてしようぜ!」

「おっけー」


 兄が次々と真ん中の部分で割って中身を取り出すので、僕が外側をくっつける、ということを繰り返した。


「ん……これで終わりか」

「いち、にぃ、さん……」


 七個あった。一番最後は豆粒みたいなサイズだが、そこに細かく顔が描かれているので大したものである。


「兄さん、これいくらしたの?」

「三万円」

「えっ、そんなにするの!?」

「工芸品ってそれくらいするんじゃないのか?」


 兄の金銭感覚はゆるゆるなので困ったものだ。今のところお金には困ってはいないのだが、そのうちバーンと騙されないかどうか心配である。


「兄さん、これどこに置く?」

「とりあえずテーブルの真ん中に置いとこう。このくらいの大きさなら邪魔にならないし」

「そうだね」


 そして、その日は眠った。

 翌朝、ダイニングテーブルの上のマトリョーシカを見ると、自然に笑みがこぼれた。我が家の新しいマスコットということでいいだろう。

 その日は何も思わなかったが、その次の日の朝だった。


「……あれ?」


 違和感があった。それを確かめるためにマトリョーシカを手に取った。僕の手のひらには乗らない大きさになっていた。


「兄さん! 兄さん! マトリョーシカが大きくなってる!」

「はぁ? そんなわけあるかよ」

「数えてみようよ」


 兄は苦虫を噛み潰したような顔をしながらマトリョーシカを開けていった。僕は数えて言った。


「……はち、きゅう。ほら、増えてる!」

「確か七個だったよな?」

「そうだよ、ニ個増えてるんだよ。もう、兄さん変なイタズラしないでよ!」

「はぁ? してねぇし」

「大きいの隠し持ってて増やしたんでしょ!」


 そう言ってしまってから、僕は兄がマトリョーシカを買ってきた夜のことを思い出した。兄は普段、カバンを持たない。必要なものをポケットに突っ込んで外出する。あの夜もそうで、提げていたのは紙袋だけ。その中から取り出した瞬間を僕は見ていたのだ。


「俺じゃないからな!」

「うん……確かに兄さんには不可能か。いや違う。同じ店に行って買い足した?」

「そんなわけあるか」

「ねえ、これどこで買ったの?」

「ん……なんか背の高い兄ちゃんに道で声かけられた。店とかじゃない」


 僕は兄の顔を上目遣いでじっと見た。兄はギロリとにらみ返してきた。兄はよく嘘をつくが……今回はついていないらしい。


「まっ、いいじゃねぇか瞬。七個が九個になったくらい」

「おかしいよ……変だよ……」


 さらに翌日。おそるおそる寝室からリビングに行くと、また、マトリョーシカは大きくなっていた。


「兄さん! まただ! 一緒に数えて!」

「ええ……?」


 十個。確定だ。一日一個ずつ増えている。


「どうしよう兄さん! これ、手放した方がいいよ!」

「増えるだけだろ? 別に害はないしいいんじゃないか? そのうち止まるだろ」

「やだよ! 捨てようよ!」

「はぁ? 三万円したんだぞ! 捨てられるか!」


 そのうち止まる。それを信じて日々を過ごしていたのだが……。


「兄さん! ダメだもう! 止まらないよこれ!」


 マトリョーシカは、人間の赤子くらいのサイズにまでなっていた。何個になったか数えるのはとうに諦めた。


「さすがにやべーな……どうするかな……」

「燃やす?」

「燃やせる場所ねぇよ」

「流す?」

「流すってどこに」

「川」

「川か……」


 そして、僕たちは深夜にコソコソとマトリョーシカを抱えて河川敷に行き、そっと流した。

 どんぶらこっこ、すっこっこ。

 どんぶらこっこ、すっこっこ。

 マトリョーシカは流れていく。

 兄が叫んだ。


「戻ってくるんじゃねぇぞ!」


 心配していたのはそれだった。この手のアイテムは捨てても戻ってくる可能性が高い。なので、翌朝ダイニングテーブルの上に何もなかったので、へなへなと座り込んで安堵のため息をついた。

 それから一ヶ月後。


「瞬……やべぇことになった。この記事見てみろ」

「えっ」


 兄が見せてきたネットのニュースの記事。「海に浮かぶ巨大マトリョーシカが巡視艇に衝突」というものだった。


「うわぁ……どうしよう。僕たちのせいだ」

「でも……どうしようもないな……」


 巨大マトリョーシカはSNSでも大きな話題になったが、僕は「マトリョーシカ」をミュートワード設定にして無視を決め込んだ。

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毎日マトリョーシカ 惣山沙樹 @saki-souyama

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